6月17日
立ち寄ってくださって、ありがとうございます。
更新が遅くなってすみません。
どうも湿度が高くて不調です。
とくに、私の場合、それでなくても聞こえない耳がよけい聞こえなくなるので、気分がふさぎこんでしまいます。
22~23歳くらいのころでしょうか。耳鳴りが止まらなくなり、大学病院にいくと、「進行性難聴・原因不明」と言われました。「聴力は60歳並」とも。
それ以来、いくつか病院に行きましたが、「処置なし」としか言ってもらえず、耳鳴りは20年以上1秒も止みません。
「音を伝える神経が摩滅していてもう生えてこない」のだそうで、なぐさめの薬すらくれません。
まあ、といっても、耳鳴りには慣れたし(慣れるまでが大変でしたが)、ふだんは補聴器を使ったりしてなんとか補っていますが、今日のように湿度が高いと、ものすごく調子が悪くなってしまうのです(頭そのものがつんぼになった感じです)。
さて、夏前の不快な季節ではありますが、そんな時期だからこそ、読みたくなるジャンルの本があります。
怪奇小説です。
うれしいことに、創元推理文庫の「怪奇小説傑作集・全5巻」が、大きな活字になって刊行中です。このシリーズは、もう、ごちそうの山といいますか、ハズレがないといいますか、どれを読んでもすばらしい(最も好きなのは「炎天」という短編)。もちろん、同文庫には、私が言うまでもなく、ポオ全集も、ラヴクラフト全集も、MR.ジェイムズ全集もあり、どれもハズレなどあるはずはありません(エイブラハム・ストーカーの傑作「ドラキュラ」も、もちろん)。
同文庫は、西洋の怪奇物の宝庫ですが、怪奇小説といえば、中国も日本も忘れてはいけません。中国のものは、筑摩の旧文学大系や、教養文庫のアンソロジー、岡本綺堂や駒田信二先生(と呼ぶのは、学生時代授業を取っていたからです)編集のアンソロジーなどで主に読みましたが、やはりその白眉は、なんといっても「聊斎志異」でしょう。現在、岩波文庫から、全2冊で、抄訳が出ていますが、私は、角川文庫で完訳されたものを読みました(いまでも、90年ころに復刊になったものが、古本屋で手に入ると思います)。そうして、日本なら、これはもう「雨月物語」でしょう。一番こわいのは、「吉備津の釜」。「あけたるといいし夜は、いまだ暗く……」ひーっ。こわい。この短編はあまりに好きなので、何度も読むうちに、原文で読めるようになってしまったほどです。
現代の作家のものでは、遠藤周作「怪奇小説集」が好きです。高校生のとき、学校を自主休講すると、よく市立図書館に行っていましたが、繰り返し読んだのが、この本と「ボルヘス怪奇譚集」と「老子」です(「老子」は怪奇小説ではありませんが)。
――まったく別の話になりますが、私がこのブログに載せた掌編は、「ボルヘス怪奇譚集」の影響が最も強いと、最近自分で思いました。
そうだ。「怪奇小説傑作集」のロシア編には、ニコライ・ゴーゴリの「ヴィイ」も入っているはずです(旧版が部屋のどこかにはあるはずですが、どこかわかりません)。これも怖い。
――まったく別の話になりますが、ニコライ・ゴーゴリは、ものすごい天才だと思います。略歴とかを読むと、かなりの変人だったようですが、着想といい、語り口といい個性のかたまりで、しかもわかりやすく、どこまでも庶民的なのです。「外套」「鼻」「狂人日記」「肖像画」「死せる魂」等々代表作はいわずもがなですが、どこかで見かけたら「昔気質の地主たち」という短編を読んでみてください。「不治の病」「死」「誤解→和解」などという小道具をいっさい使わずに、もし人間の世界に「愛情」というものが言葉だけでなく、それに該当する概念が本当にあるのなら、それこそここに描かれているものがそうかもしれないと思えるすばらしい作品です。
長くなりました。
短編は「頭」(後編)です。
ではまた来週。
立ち寄ってくださって、ありがとうございます。
更新が遅くなってすみません。
どうも湿度が高くて不調です。
とくに、私の場合、それでなくても聞こえない耳がよけい聞こえなくなるので、気分がふさぎこんでしまいます。
22~23歳くらいのころでしょうか。耳鳴りが止まらなくなり、大学病院にいくと、「進行性難聴・原因不明」と言われました。「聴力は60歳並」とも。
それ以来、いくつか病院に行きましたが、「処置なし」としか言ってもらえず、耳鳴りは20年以上1秒も止みません。
「音を伝える神経が摩滅していてもう生えてこない」のだそうで、なぐさめの薬すらくれません。
まあ、といっても、耳鳴りには慣れたし(慣れるまでが大変でしたが)、ふだんは補聴器を使ったりしてなんとか補っていますが、今日のように湿度が高いと、ものすごく調子が悪くなってしまうのです(頭そのものがつんぼになった感じです)。
さて、夏前の不快な季節ではありますが、そんな時期だからこそ、読みたくなるジャンルの本があります。
怪奇小説です。
うれしいことに、創元推理文庫の「怪奇小説傑作集・全5巻」が、大きな活字になって刊行中です。このシリーズは、もう、ごちそうの山といいますか、ハズレがないといいますか、どれを読んでもすばらしい(最も好きなのは「炎天」という短編)。もちろん、同文庫には、私が言うまでもなく、ポオ全集も、ラヴクラフト全集も、MR.ジェイムズ全集もあり、どれもハズレなどあるはずはありません(エイブラハム・ストーカーの傑作「ドラキュラ」も、もちろん)。
同文庫は、西洋の怪奇物の宝庫ですが、怪奇小説といえば、中国も日本も忘れてはいけません。中国のものは、筑摩の旧文学大系や、教養文庫のアンソロジー、岡本綺堂や駒田信二先生(と呼ぶのは、学生時代授業を取っていたからです)編集のアンソロジーなどで主に読みましたが、やはりその白眉は、なんといっても「聊斎志異」でしょう。現在、岩波文庫から、全2冊で、抄訳が出ていますが、私は、角川文庫で完訳されたものを読みました(いまでも、90年ころに復刊になったものが、古本屋で手に入ると思います)。そうして、日本なら、これはもう「雨月物語」でしょう。一番こわいのは、「吉備津の釜」。「あけたるといいし夜は、いまだ暗く……」ひーっ。こわい。この短編はあまりに好きなので、何度も読むうちに、原文で読めるようになってしまったほどです。
現代の作家のものでは、遠藤周作「怪奇小説集」が好きです。高校生のとき、学校を自主休講すると、よく市立図書館に行っていましたが、繰り返し読んだのが、この本と「ボルヘス怪奇譚集」と「老子」です(「老子」は怪奇小説ではありませんが)。
――まったく別の話になりますが、私がこのブログに載せた掌編は、「ボルヘス怪奇譚集」の影響が最も強いと、最近自分で思いました。
そうだ。「怪奇小説傑作集」のロシア編には、ニコライ・ゴーゴリの「ヴィイ」も入っているはずです(旧版が部屋のどこかにはあるはずですが、どこかわかりません)。これも怖い。
――まったく別の話になりますが、ニコライ・ゴーゴリは、ものすごい天才だと思います。略歴とかを読むと、かなりの変人だったようですが、着想といい、語り口といい個性のかたまりで、しかもわかりやすく、どこまでも庶民的なのです。「外套」「鼻」「狂人日記」「肖像画」「死せる魂」等々代表作はいわずもがなですが、どこかで見かけたら「昔気質の地主たち」という短編を読んでみてください。「不治の病」「死」「誤解→和解」などという小道具をいっさい使わずに、もし人間の世界に「愛情」というものが言葉だけでなく、それに該当する概念が本当にあるのなら、それこそここに描かれているものがそうかもしれないと思えるすばらしい作品です。
長くなりました。
短編は「頭」(後編)です。
ではまた来週。