麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第144回)

2008-11-02 03:33:00 | Weblog
11月2日

立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

先週は、とてもマズい書き方になってしまい、バカ丸出しのような結果になりました。
言い訳をすれば、先週も、昼は生活のための仕事を家でしなければならなくて、頭が疲れてしまったのに、無理やりああいうテーマを扱うよう自分に強いたからです。

なぜ強いたかというと、先々週、じいさんの話を書いているうちに、なんとなく、こういう書き方で、創作の形にもっていく方法があるのでは、と感じて、それを試してみたくなったからです。でも、うまくいきませんでした。

ただ、先週書こうとしたことのひとつだけを取り上げて書き直してみると、以下のようなことになるでしょうか。

原因はさまざまだが、若いときにも、ふだん持っている世界観が揺らぎ、自分が生きていることに意味を見出せなくなることがある。そんなときには、まるでエネルギーを失った老人のように、これまで「道具」としてしか意識しなかったものたちが、別の顔、見知らぬ、不気味な、不敵な顔で目の前に「存在」するのを見る。

それを見たときに、「吐き気」を感じて、そこからなんとか日常の世界を取り戻したい、という主人公の心の動きを「嘔吐」は描いています。

また、それを見たときに、それら悪意ある「存在」たちとにらめっこをし、それらから目をそらさずにいつも見張っている気持ちでいること。そういう心の状態でいる決意をした主人公について書いたのが「死霊」です。

前者のロカンタンは、芸術作品を作ることで自分の中に秩序を取り戻し、それによって安定した世界観の中に帰れるはずだ、ということを発見します(まさに、マラルメ的、つまり芸術至上主義的解決です)。

後者の三輪与志は、暗闇の中に現れた異形のものたち、彼の異母兄弟に言わせると「のっぺらぼう」と正面から向き合い、その姿が見えにくくなる昼間でも、つねに彼らの「存在」に心を配り、「おまえたちがいるのはわかっているぞ」と虚空に向かってにらみをきかせるのです。

三輪与志のような態度は、一見哲学的で深遠なもののようにも見えますが、極端に言えば、それは、ホールデン・コールフィールドが「あらゆるインチキくさいもの」に対してとっている態度と大差はなく、青春時代にしかありえない、若々しい態度です(彼は、「のっぺらぼう」と向き合うことで「ところで、どうしてこうなんだ? え?」と神に疑問を突きつけているともいえます)。

普通、創作なら、そんな態度をとり続けようと思った主人公が、年とともになかなかそうはいかなくなり、誰にも見えないところで自分に挫折し(誰にも見えないので、黙って挫折して。自分でもやがて挫折なんてなかったような顔をして。挫折していない青年を嘲笑する側にまわって)、その弱気な心で惚れた女が妊娠して、それでも子どもが生まれてみたら、まあそれでもよかった。みたいな展開になるはずですが、「死霊」は違います。

三輪与志は、最後まで(といっても、物語はほんの数日間のことなのですが)変わりません。それは、おそらく作者その人が一生変わらずに自分の決意を生ききった人だからだと思います。私の知る限り、この作者ほど、青春の心のまま生きていけた人はいません(プルーストもそうですが、普通の意味で就職をしたことがないというのも一因でしょう)。暗い風景と暗い題材を扱いながら、なぜか常にさわやかな若々しい空気が流れているのは、この小説こそが本当の青春小説だからだと思います。ここまで深刻でなくてなにが若さなのか。笑ってしまうくらい深刻。これに比べれば「檸檬」なんて、大人すぎて不純です。

昼間友だちとさんざん騒いだ。一人惚れた女がいてうまく近づけないので帰ってきて横になると、そのことでしばらく悩んだ。だが、明日は予備校へ行こう。今日サボったから。電気を消してもしばらく眠れない。部屋の隅の何もないところを見るともなく見ている。すると、自分の属性がすべて抜け落ちていき、やがて19歳の動物のオスという属性さえもなくなり、自分がただの視座になったように感じる。自分は「無」で、しかし、自分が向き合っている世界も「無」だ。それは、しかし、大人の感じるかもしれない、むなしいという意味の無ではない。また、「君たちの将来は無限だ」とかおためごかしをいう教師のいうような将来の容器でもない。この「無」は、たぶん、闇の切り口のひとつ。世界を時間tで微分したときの接線の傾きなのだ。その傾きが今の自分には正確に感じ取れている。そういう実感そのものがこの「無」の正体なのだ。

そんな瞬間に自分の時間を止めてしまい、永遠にその闇の中にいることを選んだ。「死霊」はそういう永遠の若者のひとり言だと思います。



では、また来週。
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