麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第27回)

2006-08-06 01:39:27 | Weblog
8月6日


更新が遅れてしまい、申し訳ありません。

今回も、短編は、ちゃんと仕上げることができませんでした。

それで、ノートから「アーナンダ」という、エッセイというかアフォリズムというか、を読んでいただこうと思います。
 アーナンダは、ブッダのお弟子さんですが、史実は、私の書いたこととは違っていると思います。たぶん、原始仏典(いわゆる小乗)で読んだことと、手塚治虫の「ブッダ」の中のアーナンダ像がごっちゃになった、自分なりのアーナンダ像を私は作り上げてしまっているのだと思います。
しかし、直感的には、ブッダとアーナンダの関係は、こんなふうだったに違いない、といまも思います。

先週あたりから、宮沢賢治を読み返していて、あらためて、すごいなと感じています。と、同時に、その作品の多くが、本生経(ジャータカ)の影響を受けているのを今回強く感じて、「本当に仏教徒だったんだな」と、思いました。しかし、私が好きなのは、賢治が仏教徒としての自分を超えて描いている作品(代表は『銀河鉄道の夜』)です。「ゆらぎ」というか「まよい」というか、やはりそれがあってこそ、宗教ではなく作品なんでしょうね、やっぱり。
そうして、第何次なのかわからない今回の読み返しでも、『セロ弾きのゴーシュ』が、私にとっては賢治のナンバー1であることに変わりはないでしょう。
本の体裁的には(いろいろ持っていますが)、昭和63年発行の、『宮沢賢治童話大全』(講談社)か、昔の旺文社文庫『銀河鉄道の夜』で読むのが好きです。どちらもいまは絶版ですが、興味のある方は古本屋で探してみてください(宮沢賢治の作品についてだけは、なんとなく、新潮文庫の活字と字間行間は、きどっているようであまり合っていない気がします)。

来週こそは、ひとつ短編をあげたいです。宮沢賢治の対極にある、「才能もない、純粋さもない、イメージの貧困な作品」であることは間違いありませんが。

では、また来週。
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ノートから

2006-08-06 00:24:11 | Weblog
アーナンダ


 アーナンダは、孔子にとっての子路のような存在だが、ブッダはアーナンダをとても好きだったに違いない。

「勃起しないためにはどうしたらいいですかねえ? 師匠」
「アーナンダよ。女を見ないことだ」
「なるほどねえ。でもですよ、師匠。その気はなくても、好みのタイプの女が目の前を通りかかったら? どうすりゃいいですか?」
「アーナンダよ。話しかけなければいい。そうすれば何時間後かにはもう思い出さないよ」
「なるほどねえ。しかし、はずみで……自分でもわけのわからないうちに話しかけてしまったら? どうしたらいいですか、師匠」
「アーナンダよ。触れなければいい。そうすれば二日もたったら忘れるよ」
「じゃあ、でも、もし、思わず肩にちょっと触ったら?」
「えーかげんにつつしんでおれ、ばか者」
 ちゃんちゃん。

 こんな会話が、大パリニッバーナ経に残っている。これは、やすきよの漫才の台本みたいだが、ブッダとアーナンダの親しさがにじみ出ている場面だ。
 デフォルメされたアーナンダは、手塚治虫の『ブッダ』に、元人殺しの、熱血青年として描かれる。しかし私には、アーナンダは、あれほどには眉間にしわを寄せない人物のような気がする。
 アーナンダは、バカ正直な、単純な若者だったのではないだろうか。
 おそらく、教団が大きくなるにつれて、ゴータマのまわりには、東大卒のエリートのような人々が集まってきて、みんなで知力を競い始めたに違いない。ブッダはそれをいいこと半分、悪いこと半分に考えたに違いない。
 悟りにいたるまでは、彼も学究の徒だった。結局その学問を全て捨て去るものの、ブッダにもやはり、ペダンティックな会話を楽しむ趣味も残ったに違いない。エリートたちは、ブッダのこの面をよく理解し、知性の師として自分たちに引き寄せて崇拝したことだろう。
 しかし、ブッダは、「それが最も大切なことではない」と言うために、そういう知的グループとも交わったはずだが、彼らには、「それではない」は、理解できなかった。
 もう一方の人々――勉強などしたこともない貧民たちには、エリート集団の中にいるときのブッダは、理解したくてもできない、距離を感じさせる存在であったろう。そうして、「教団を維持し、まとめる」という経営者の立場からすると、ブッダは、これら一般の信者と話をしたくても、次第にエリート集団との交わりを深めていくしかなくなっていったことだろう。
 ブッダは、一修行者として、そうなっていく自分にジレンマを感じたに違いない。
 そんなとき、アーナンダが現れた。
 彼は、「場の雰囲気」を感じ取れるほど知的でも繊細でもない。一般信者と上層エリート部のあいだの見えない壁など知ったことではない。しかし、彼はブッダへの素朴な信頼と、「世界とはなんなのか?」といった子どものような疑問を持つ若者であり、その意味で真の修行者の素質を持つ男だった。
 ブッダは、その遠慮ない、純粋な態度をこの上なく愛したろう。
 教団にがんじがらめにされた自分に必要なのは、もう一度アーナンダのような心に帰ることであり、しばられた立場を捨て、一修行者として遍歴することだ――ブッダはそう感じたろう。
 ブッダが、「アーナンダとふたりで最後の旅に出る」と言ったとき、エリート集団は「この人もとうとうヤキがまわった」と思ったことだろう。しかし、ブッダはそうすることで、おそらく、国を捨て世俗を捨てた最初の旅立ちのころの、若々しい気持ちになれたことだろう。アーナンダは、「世界とはなんなのか?」と考えて一歩踏み出したときの、ブッダ自身の姿だったのだ。
 彼はアーナンダを見ることで、自分の第一歩をつねに確かめ、素朴な少・青年時代を携えることができたともいえるのだ。
 だからふたりは年齢の違いを超え、師匠と弟子の関係を超えた友だちとして遍歴し、ブッダはその途上で死んだ。
 教団の代表者としてではなく、ひとりの、道を求める青年として。

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