人間とは誰か?
『我思う、ゆえに我あり』
54年間の人生で・・・ ネ・デカルト は考えました。
『“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である。』と。
『我思う、ゆえに我あり』
そして。
神とは誰か?
『わたしはある。わたしはあるという者だ』
『モーセは神に尋ねた。
「イスラエルの人々は、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。
神は、モーセに、
「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われた。』
出エジプト記 3章13-14節
今朝は、早朝から、明日の『聖書通読会・聖書100週間』の予習です。
範囲は、『出エジプト記 1章~7章』
私の一番興味引かれて、頭から離れない『御言葉』は、
神が言われる
『わたしはある。わたしはあるという者だ』
どういう意味?
その意味を考える時・・・
まず。
『人間とは何か?』 と考えました。
デカルトの言葉を思い出しました。
人間とは・・・
『我思う、ゆえに我あり』 = 『考えるから、人間なのである』
『I think、therefore I am』 = 『私は考える。 だから 私は生きている者。 人間。 』
(I wasではない。 考えることは、死んではいない証拠でもある? )
次に。
『神とは何か?』
聖書・出エジプト記の『御言葉』に戻りました。
神とは・・・
「わたしはある。わたしはあるという者だ」 = 『私は在る者。 私は神である。』
『I am that I am』 = 『私は存在する。そして 私は神である。』
では。
『人間と神との違いは何か?』
『二つの言葉』 を比べてみます。
人間である条件は・・・『我思うこと』。 つまり 『考えること』。 人間であるためには『考える。という条件』が不可欠。
神である条件は・・・・『私は存在する。そして 私は神である。』 = 『条件なし』で『私は存在。神。』です。
最後に。
『わたしはあるという者』 = 『条件なしで神である』 とは何を意味するのか?
それは・・・
人間は、
考え方によって『変化する者』 肉体を持つことによって、時間にも空間にも『有限な者』
一方。
神は、
『絶対者』 『不変者』 『不偏者』 『普遍者:永遠にあなた様の隣で生きて存在する者』
つまり 『永遠から永遠に至るまで存在する方』 そして 『真理』
ということではないでしょうか? (英訳も私流)
もう一つ。
『御言葉』を思い出しました。
『イエスは言われた。
「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」』
マルコ福音書 12章27節
以上。
早朝、予習しながら私が考えたことの一部でした。 お粗末様でした
これから予習本番です。 頑張ります!
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
『我思う、ゆえに我あり』。 考えるから生きた人間。 では、考えなければ人間にあらず?
考えないことは・・・死んだも同然?単なる生き物? 考えて生き生きと輝いていましょうね!