マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『我思う、ゆえに我あり 』  そして  『わたしはある。わたしはあるという者』

2015-06-25 04:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

   人間とは誰か?

         我思う、ゆえに我あり』
 
   54年間の人生で・・・           ネ・デカルト は考えました。

『“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である。』と。
         『我思う、ゆえに我あり』

そして。
   
   神とは誰か?

       『わたしはある。わたしはあるという者だ』
    
         『モーセは神に尋ねた。
   「イスラエルの人々は、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。
 神は、モーセに、
     「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われた。』
                                出エジプト記 3章13-14節


  今朝は、早朝から、明日の『聖書通読会・聖書100週間』の予習です。
          範囲は、『出エジプト記 1章~7章』

     私の一番興味引かれて、頭から離れない『御言葉』は、
             神が言われる
          『わたしはある。わたしはあるという者だ』

      どういう意味?

   その意味を考える時・・・

まず。
   『人間とは何か?』 と考えました。
       デカルトの言葉を思い出しました。

   人間とは・・・
     『我思う、ゆえに我あり』 = 『考えるから、人間なのである』  
     『I think、therefore  I am』 = 『私は考える。 だから 私は生きている者。 人間。 』
                                 
(I wasではない。 考えることは、死んではいない証拠でもある )
 
                   

次に。
   『神とは何か?』
       聖書・出エジプト記の『御言葉』に戻りました。

   神とは・・・
     「わたしはある。わたしはあるという者だ」 = 『私は在る者。 私は神である。』
     『I am that  I am』 = 『私は存在する。そして 私は神である。』
 

では。
  『人間と神との違いは何か?』
 
       『二つの言葉』 を比べてみます。

   人間である条件は・・・『我思うこと』。 つまり 『考えること』。  人間であるためには『考える。という条件』が不可欠。 
神である条件は・・・・『私は存在する。そして 私は神である。』 = 『条件なし』で『私は存在。神。』です。


最後に。

    『わたしはあるという者』 = 『条件なしで神である』  とは何を意味するのか? 

       それは・・・
   人間は、
   考え方によって『変化する者』  肉体を持つことによって、時間にも空間にも『有限な者』

        一方。
  神は、
    
絶対者』 『不変者』 『不偏者』 『普遍者:永遠にあなた様の隣で生きて存在する者』 
          つまり 『永遠から永遠に至るまで存在する方』 そして 『真理
                                                                     
とい
うことではないでしょうか? (英訳も私流)  


もう一つ。

『御言葉』を思い出しました。 

     『イエスは言われた。
       「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」
                                              マルコ福音書 12章27節 

                          以上。
                      早朝、予習しながら私が考えたことの一部でした。 お粗末様でした
                                                  これから予習本番です。 頑張ります!

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
 『我思う、ゆえに我あり』。
 考えるから生きた人間。  では考えなければ人間にあらず?
     考えないことは・・・
死んだも同然?単なる生き物?  考えて生き生きと輝いていましょうね! 


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