マリアテレジアの独り言

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アブラハムの信仰・・・その二 『愛児献供』

2015-06-05 10:32:54 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

         今日・6月5日。聖書通読会・『聖書100週間』の予習をしています。
         今日のテーマも、信仰の父と呼ばれる、『アブラハムの信仰』です。

             神は、今日も、アブラハムの信仰を試されます。
      90歳になって初めて父親になったアブラハムに、神は言われます。

『御言葉』 です。

           『はアブラハムを試された。 神は命じられた。
    「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリアの地に行きなさい。
     わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす捧げ物としてささげなさい。」』
                                               創世記 22章1節&2節

    えぇ! 愛する子をささげる??
    神から、どう考えればいいのか分からない命令が出されたアブラハムです

 

ちょっと振り返ってみて・・・
先週の勉強。
 
        『先週も、神はアブラハムの信仰を試されました。』
           75歳のアブラハムに神は言われました。

     『あなたは生まれ故郷 父の家を離れて、私の示す土地に行きなさい。
       わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。
         地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。』
                                    創世記 12章1~3節

   えぇ! 今の安泰な生活すべてを捨てて、75歳の私が、何も知らない異国へ出発する??
      
 それでも。

           神へのアブラハムの答はただ一つでした。

      『アブラハムは、主の言葉に従って旅立った。』  同 12章4節

       異国の地で色々の苦労に出会った後に、再び、『神の言葉』があります。

              『主は彼を外に連れ出して言われた。
     天を仰いで星を数えることができるなら、数えてみるがよい。
           あなたの子孫はこのようになる。」
  アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認めた。』 同15章5節

    先週は・・・
       アブラハムは神の試しをクリアして、神はアブラハムの信仰を、『彼の義』と認めました。

そして・・・
今週・今日。 再び。 
        
          神はアブラハムの信仰を試されるのです。

    その方法は・・・90歳でできた独り子・イサクを、『焼き尽くす捧げ物として捧げよ!』、との命令です。

         神へのアブラハムの答は、やはり、ただ一つでした。

              『(神の命令の)次の朝早く、
   アブラハムはロバに鞍を置き、捧げ物に用いる薪を割り、二人の若者とイサクを連れて、
        神の命じられるところに向かって行った。』    同 22章3節

         アブラハムは出発します

         しかし・・・
       アブラハムは、
        二人の青年と息子・イサクと、『目的地』を目指す三日間の間『沈黙』を守ります。

  私は、この『沈黙』が、信仰生活において、非常に重要なポイントだと思います。
     『神の御旨』は、いつの時も、理解するのは難しい。 えぇ!こんなことってあり?? となる。

         その時に、文句を言ったり反対したりと、すぐに反応するには、人間はあまりにも浅はかです。
     じ~と。 沈黙のうちに瞑想しながら、『神の御旨』を反復してみる。
       じ~と。 反復するのすらやめて、沈黙の中に埋没する。 その時に、『神との出会い』が生まれる。
                『神の御旨』の理解に近づくことができる。

      
             『沈黙』  こそが 『心の荒れ野』=『神に出会う所』 です。
      と。私は考えています。
    アブラハムは、『三日の沈黙=荒れ野』で『神に出会い』・・・『結論』を出しました。
           モーゼは、『40年間の荒野生活』 がありました。
       ましてや。 私たち凡人には、『長~い沈黙』 なくして、『神との出会い』 はありえません。

  

        アブラハムは、『結論』 を出しました。

聖書は語ります。

            『神が命じられた場所に着くと、
     アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。
      そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。」
        
                  『イサク献供』                レンブラント作

       『そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。
           彼が「はい」と答えると、御使いは言った。
         「その子に手を下すな。何もしてはならない。
         あなたが神を畏れる者であることが、分かったからだ。
     あなたは自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」』
                                     創世記 22章1節~12節


    アブラハムは、
   『沈黙』の後に、神の命令通りに、我が独り子・イサクを神にささげる! と。 決心したのです。

             アブラハムは、沈黙の中で、何を考えたのか?

      もっとも愛する我が子でも、神からの贈与・預かり物として、愛着せずにいただろうか?
      神の契約の言葉=『あなたの子孫は星の数のようになる』=にとらわれ、我が子・子孫を失うことは出来ないと、
                                           自分の考えに固執していなかったか?
      神に聞き従い導かれて進んでいるだろうか?
      神の言葉に耳を傾けることを忘れて、自分の声に愛着してはいなかっただろうか?

        アブラハムは、『三日の旅の沈黙』の中で、葛藤の後に、『結論』に至ったのです。
                       この世の物に執着することなく、『神に従う』との結論でした。

今日学んだ一番。

      『信仰とは、感情ではなく、意思である。』 『信仰とは、神に従うと決める意思である。』

                          ・・・・・と。 以上。 私の今日の感想の一部です。
  

最後に『一つ』

    『一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、イエスに尋ねた。
            「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
       イエスはお答えになった。
     「第一の掟はこれである。『イスラエルよ。聞け。わたしたちの神である主は、唯一の主である。
 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
     第二の掟はこれである。『隣人を自分のように愛しなさい。』
            この二つにまさる掟はほかにない。」』           
                              マルコ福音書 12章28~31節。

 皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
隣人を愛することが、主を愛することでもあるのですよね。 今日も皆さんと仲良く参りましょう!

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記録 
昨日・6月4日。14km 今日・6月5日。14km 

両日共。5時20分。14度。 ずいぶんの低めです。 体が楽。 
大会前の最後の仕上げが完了しました。 今日夕方6時半の高速バスで名古屋入りです。 
          行ってまいります! 応援よろしくお願いいたします!
                6
月走行距離合計 56㎞