鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

裁判は犯した罪の責任は問うが、人のの生き方には踏み込まない

2009-05-08 | Weblog
 7日は東京・霞が関の東京地裁へ裁判の傍聴に出掛けた。連休の谷間で電車もそうだったが、いつもより空いていて、裁判も少なかった。そのなかで女性の被告の殺人未遂の新件があったので、傍聴することにした。開廷前に入廷した被告は30代で、白のトレーナーの上着とブルーのジャージーのパンツに赤いメガネをかけ、生気のない気弱そうな感じで、とても殺人を犯すようには見えなかった。
 検事が読み上げた起訴状によると、被告は格闘技のレスラーをしている夫と10年越しの交際の末、07年8月に結婚したが、ずっと別居状態で、1人で名古屋、大阪で風俗関係の仕事をしていた。で、08年12月に夫と結婚生活を営もうと東京に戻ってきて、夫が友人と歓迎会をしてくれ、結婚式も行うばかりで喜んで、「夫の家に泊まりたい」と言ったら、拒否されてしまった。わけを問い詰めたら、夫が悪びれもせずに、別に女がいることを認めたので、逆上して、「もう生きていけない」との感情も湧きあがって、夫を殺そうと思ってドンキホーテで包丁とナイフを買い、夫のマンションに乗り込み、夫の腹部を刺し、全治1カ月の重傷を負わせた。
 よくある夫婦の痴話喧嘩の縺れ話かと思ったが、どうやら争点は被告の責任能力の有無にあるようで、被告は19歳の頃からずっとうつ病を患っており、犯行の日も持っていなくてはいけない薬を持っていかなかった。弁護士は犯行時、被告は精神喪失状態に陥っていて、責任能力がなかった、と主張して、被告は拘置所内で2回も自殺を図っており、いまも精神状態が落ち着いているかどうか、不安な面もあるとして、裁判官に被告の状態をよく見極めてほしい、と注文をつけた。そのせいか、裁判中も裁判官がじっと被告の反応をうかがっているような局面がしばしば見られた。
 被害者の夫は被告を単なるセックスフレンドとしか思っていなかったようで、結婚したのもはずみで行っただけで、一緒に暮らすつもりも結婚式を行うつもりもなかったことが判明した。結婚しても被告の父親とは一度も顔を合わせていなかった。しかも犯行後は夫は「こんなことになって2度に被告に会いたくないし、離婚する」と調書で述べている。それに引き換え、被告はいまだに被害者をさん付けで呼ぶところをみると、相当に惚れていたようで、夫婦の愛情のすれ違いを思わせた。
 被告の父親と被告の尋問で、被告のさびしい生活が浮き彫りとなってきて、たとえ、刑期を終えて社会に復帰してもこんな調子ではとても生きていかないのでは、と思えてきた。被告は事が落ち着いたら、父親の元に戻り、父親の営む居酒屋を手伝うとしているが、その一方で自殺を図るなど精神面の不安をのぞかせている。
 この日の裁判では弁護側の要請を入れて、被告の精神鑑定を進めることになったが、その結果は書面による報告にとどまったうえ、次回期日も追って決める、という煮え切らないことで終わった。最終的には2年くらいの懲役に、執行猶予が付くか、付かないかで結審すると思われるが、問題は今後、被告が生きていけるかということだろう。裁判官の被告への質問でも犯行前後の行動時の心情についての質問はあったが、肝心の「被害者に対してどう思っているのかか」とか、「被害者は離婚を望んでいるが、結婚はどうするのか」といった今後の被告の更生に関わる質問は一切なかった。また、被告は94年と07年の2回、窃盗の前科があるが、検察官、弁護人、裁判官のだれからもそのあたりの事情について解明するような質問もなかったのは残念なことであった。
 裁判は犯した罪の責任は問うが、犯罪者の生き方には踏み込まない。人は自身の生き方は自身で決めるしかないのだろう。
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