鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

新聞社を描いた最後の映画となるか「クライマーズ・ハイ」

2009-05-07 | Weblog
 6日はWOWOWで録画しておいた映画「クライマーズ・ハイ」を見た。群馬県の上毛新聞社を思わせる北関東新聞社を舞台に85年に起きた死者520人を出した史上最大規模の日航ジャンボ機墜落事件をドキュメンタリー・タッチで追った秀作で、最後まで一気に見終わった。最近、新聞社を真正面から取り上げた映画を見かけなかったので、記者と幹部との迫力あるやり取りに見どころがあった。
 「クライマーズ・ハイ」は北関東新聞社の記者を務める主人公が同じ会社の販売局の同僚の子息を登山する場面から始まる。その友人とは85年8月12日に登山をする約束だった、という回想から、物語は事故の日にさかのぼる。仕事を終え、山登りの身支度で山へ出掛けようとしたところへ、共同通信の放送が社内に「日航ジャンボ機が行方不明となりました」と流れる。一瞬、足を止めると、その後「ジャンボ機は北関東に墜落した模様」と流れ、主人公は編集局次長とともに社長室に呼ばれ、日航機事故報道の責任者に命じられる。
 机に戻ると、墜落現場は群馬県南部と判明する。全国に100紙以上のい新聞があるが、こと地元で起きた社会部の事件・事故ものはたとえ全国紙にも負けるわけにはいかない。主人公は直ちに記者2人を現場に派遣するが、地方紙の悲しさで通信機器も満足にないうえ、輪転機の故障で降版時間が1時間繰り上がっていて、記者がホウホウの態で送ってきた生々しい現場雑感記事を朝刊に間に合わすことができなかった。疲れ切って帰ってきた記者から突き上げを食った主人公はただただ頭を下げるしかなかった。
 それでも折りからの甲子園高校野球に出場している地元の農大二高の父兄が事故に関わっていることを突き止め、大きく報道するなど連日、日航機事故関連で紙面を作り、なんとか面目を保ったりしていた。ただ、オーナーが紙面に口を出し、中曽根首相の靖国神社公式参拝をトップ記事にしろ、と横やりを入れてきたりするので、主人公は突っぱねたりして、対立を深めていった。
 圧巻は事故の原因は尾翼の隔壁の損傷であるとの事実を突き止めた記者に事故調査委員会の取材を命じ、降版時間を繰り下げたり万全の態勢で臨んだにも拘わらず、最後の詰めで「ウラが取れていない」として掲載を見送ったところ、翌朝悄然として取材した記者が一面トップで毎日新聞がその事実を報じているのを知らせに来た場面である。
 その日の夕刊でその事実を報じようとしたら、オーナーが現れ、編集局員の前で罵倒する。怒った主人公はその場で辞表を叩きつけ、会社を去っていく。そのあとを現場を取材した記者が追いかけていって、死んだ男性の最後の手記を読み上げる。映画は」ここで終わらずに、ニュージーランドに住む主人公の子息の家を訪れるところで終わる。
 原作は横山秀夫の体験をもとに書かれたようで、新聞の取材と登山は同じようなものとの考えからクライマーズ・ハイと名付けられたようだが、考えてみればかつてのNHKテレビの名作「事件記者」以降、新聞記者が主人公となった小説・映画はめっきり減っている。新聞の特ダネといっても最近に人にはインターネットですぐに情報が伝えられる昨今、ピンとこないことだろう。確かに日航ジャンボ機事故当時はインターネットは普及していなかったので、いまから見ると、なぜ新聞紙面にあれだけ拘るのか不可解と思うのかもしれない。
 最近は新聞記者もきつい、汚い、給料が安いの3K職場として敬遠され気味である、というから、新聞記者というイメージも変わってきているのかもしれない。今後も取材して記事にする、という仕事は残るだろうが、それを新聞に書くのか、インターネットで流すのか、の違いで、そうなると新聞記者というよりレポーター、アナリストということになり、別に新聞社で働かなくていい、ということになってくる。
コメント (1)   この記事についてブログを書く
« アメ屋横丁の一角に都会の雑... | トップ | 裁判は犯した罪の責任は問う... »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事 (アッキードF19で小沢一郎を撃退希望)
2018-09-14 06:49:30
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事における たくさんのJAL123便の元気な生存者及び、ご搭乗の昭和天皇が、日本の埼玉県警察の警察官らの襲撃(日本語で おまわりさん?らの手により)により
://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/e0011938_16494167[1].jpg
といった惨憺たる虐殺死体と化した

一方、救助に奔走したのは米国のみであった

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事