鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

今浦島の上野さん

2006-04-30 | Weblog
63年ぶりに祖国の土を踏んだ上野石之助さんが28日,ウクライナへ帰国の途についた。北朝鮮の拉致問題や、ホリエモンの釈放などの影に隠れてあまり注目されなかったが、戦争の清算がまだ終わっていないことを改めて日本人に訴えかけた出来事として、忘れられないものとなった。
 太平洋戦争中に樺太の旧陸軍部隊に所属し、終戦を知ってか、知らずか,樺太の製材工場などに勤めた後,1960年ごろにウクライナに移り、現地の女性と結婚し,1男2女をもうけている。今回の一時帰国には長男のアナトリーさんも同行した。
この20日に故郷の岩手県洋野町を訪れ,弟妹らと再会し、町をあげての歓迎を受けた。63年ぶりの故郷の家や炭焼き小屋,踊りに徐徐に記憶を取り戻し、涙を見せる場面がしばしばうかがえた。  上野さんは空白の63年間について,「ただ運命だった」としか語らないが、日本政府に対する恨みがましいことは一言も発することなく、淡々と63年ぶりの故国を「すてきな国」と評し、ウクライナへ戻った。洋野町近くのスーパーで長男のアナトリーさんがみやげにフライパンと包丁を購入した、と伝えられていたが、ウクライナでの生活ぶりがしのばれ、さらに上野さんの苦労がしのばれた。
 上野さんの目に映った戦後61年の日本の風物はどんなものだったのか、日本語をほとんど忘れてしまった上野さんは多くを語らなかったので、詳細はわからないが、あまりにも変貌した日本の姿にただ驚くことしかできなかったのではなかろうか。北朝鮮の拉致家族の離反は30年でしれでも大変なことだが、上野さんの空白はそれよりさらに倍以上ある。まさに現代版、浦島太郎である。鈍想愚感子は60歳を過ぎた程度で、その生涯を上回る期間の空白になんと言って応えていいのか、言葉が出てこない。
 テレビで上野さんの動静が伝えられる度に胸を突かれる思いがしてならなかった。本当にご苦労さんでした、上野さん。
東京家庭裁判所は27日に上野さんの戦時死亡宣告を取り消し、戸籍を回復した。だからといって、上野さんの心の傷は癒されるわけではないが、日本政府がさしあたり出来ることはこんなものだろう。
いずれにしろ、最近では珍しい胸を突かれる出来事であった。
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