文芸春秋9月号に第141回芥川賞を獲得した磯崎憲一郎の「終の住処」が掲載されているのを読んだ。自身の等身大の中年サラリーマンの生活を淡々と描いたもので、どこに文学性があるのか、正直言ってわからなかった。三井物産の現役サラリーマンであり、夜に書きつないでものにしたということらしいが、一般の作家にはないエリートサラリーマンというところが芥川賞を勝ちえたという話題性優先の授与という気がしてならなかった。
「終の住処」は結婚して10数年経ったサラリーマンが妻の不機嫌の理由がわからないまま、サラリーマン生活を送るうちに特定の女性とラブ行為を繰り返す。そんな自分をもてあまし、突如、母に会いに行き、女との一部始終を打ち明け、妻と別れることを告げる。ところが、そのことを妻に伝えようとしたら、妻は妊娠していることを告げ、別れられなくなる。
で、結婚生活が続くが、相変わらず女とのラブ行為は止まらない。それでも子供が生まれて親子3人で遊園地へ出かけたりする。サラリーマンとしての仕事は順調にこなし、ある日家に帰るなり、妻に「家を建てるぞ」と宣言し、妻hが懇意にしていた建築士に設計を頼み、3年かけて家を完成させる。それと同時に海外へ出張を命じられ、M&Aを任せられ、1年以上かけて見事、やり遂げる。そして、家に帰り、妻の顔を改めて見ると、このまま死に至るまで妻と過ごすのだ、と思ったところで、終わる。
サラリーマンの生態をなぞっただけで、なんら文学性も新奇性もない、平凡な小説で、芥川賞より直木賞のがいいような感じがした。妻の描写がほとんどなく、夫だけの勝手な叙述だけで、家庭の像が全く浮かんでこない。なぜこんな作品が芥川賞受賞ということになるのか、さっぱりわからない。
芥川賞選考委員の山田詠美、小川洋子、黒井千次、川上弘美などの作家が推したようであるが、作家になるような人はサラリーマンの実態を知らないうえに、三井物産のような一流企業のサラリーマンである、と聞いただけで、もう恐れをなしてしまう人種ではあるまいか。三井物産というブランドが芥川賞をもたらした、といっても過言ではないだろう。
筆者の磯崎憲一郎が「受賞のことば」で選考会の前日に関東地方が梅雨明けし、「明日晴れれば、俺が受賞すると確信した」と語っているのは不遜以外の何物でもない。大体、文筆業を志す以上、サラリーマン生活との二足のわらじで臨むというその心の有り様が気にいらない。
文学はそんな根性で取り組めるほどのものではないはずだ。2年前に第一作の「肝心の子供」で第44回文藝賞を受賞した時に三井物産の社長から励まされたとしているが、片手間で文学ができるということを声高に叫んでいるようで、聞いていて嘆かわしい限りだ。
「終の住処」は結婚して10数年経ったサラリーマンが妻の不機嫌の理由がわからないまま、サラリーマン生活を送るうちに特定の女性とラブ行為を繰り返す。そんな自分をもてあまし、突如、母に会いに行き、女との一部始終を打ち明け、妻と別れることを告げる。ところが、そのことを妻に伝えようとしたら、妻は妊娠していることを告げ、別れられなくなる。
で、結婚生活が続くが、相変わらず女とのラブ行為は止まらない。それでも子供が生まれて親子3人で遊園地へ出かけたりする。サラリーマンとしての仕事は順調にこなし、ある日家に帰るなり、妻に「家を建てるぞ」と宣言し、妻hが懇意にしていた建築士に設計を頼み、3年かけて家を完成させる。それと同時に海外へ出張を命じられ、M&Aを任せられ、1年以上かけて見事、やり遂げる。そして、家に帰り、妻の顔を改めて見ると、このまま死に至るまで妻と過ごすのだ、と思ったところで、終わる。
サラリーマンの生態をなぞっただけで、なんら文学性も新奇性もない、平凡な小説で、芥川賞より直木賞のがいいような感じがした。妻の描写がほとんどなく、夫だけの勝手な叙述だけで、家庭の像が全く浮かんでこない。なぜこんな作品が芥川賞受賞ということになるのか、さっぱりわからない。
芥川賞選考委員の山田詠美、小川洋子、黒井千次、川上弘美などの作家が推したようであるが、作家になるような人はサラリーマンの実態を知らないうえに、三井物産のような一流企業のサラリーマンである、と聞いただけで、もう恐れをなしてしまう人種ではあるまいか。三井物産というブランドが芥川賞をもたらした、といっても過言ではないだろう。
筆者の磯崎憲一郎が「受賞のことば」で選考会の前日に関東地方が梅雨明けし、「明日晴れれば、俺が受賞すると確信した」と語っているのは不遜以外の何物でもない。大体、文筆業を志す以上、サラリーマン生活との二足のわらじで臨むというその心の有り様が気にいらない。
文学はそんな根性で取り組めるほどのものではないはずだ。2年前に第一作の「肝心の子供」で第44回文藝賞を受賞した時に三井物産の社長から励まされたとしているが、片手間で文学ができるということを声高に叫んでいるようで、聞いていて嘆かわしい限りだ。
過言だし無根拠ですね。ただ「妻の描写がほとんどなく、夫だけの勝手な叙述だけだ」ということに気づいているなら、「文学性も新奇性もない、平凡な小説」ではないことに気づくまで、あと一歩かも知れませんね。
ならば、国家公務員を続けながら直木賞を受賞した阿刀田高さんについて、どう説明します?
悪口を言って注目を浴びようとするなんて、最も最低なやり口。