鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

欧米の姓名をそのままタイトルにした「マノン・レスコー」を4年ぶりに楽しみました

2015-03-16 | Weblog

 15日は東京・初台の新国立劇場でジャコモ・プッチーニ作のオペラ「マノン・レスコー」を観賞した。丁度4年前のいまおの時期に開演される予定だったのが、3.11東日本大震災で公演中止となった日本ではいわくつきのオペラで、今回はその時の出演メンバーそのままで上演されるという。そうしたいわくがあるからか、会場は開演前から熱気が満ち溢れている感じで、いやがうえにも期待が高まっていた。「蝶々夫人」など数々のヒット作を持つプッチーニの3作目の作品で、それまで大した成功を収めなかったのが、この「マノン・レスコー」でようやくオペラ界で評価を得た作品である。

 「マノン・レスコー」はフランス北部にある都市、アミアンの旅籠で人々が歌いまくっているシーンから幕開けする。そこへ乗合馬車から兄に伴われた美しい少女、マノン・レスコーが降り立ったのを目にした騎士、デ・グリューは一目惚れして、思わず声をかけ、マノンが修道女になるため、やってきたことを知る。修道女になることを思いとどまらせようと再会を約束するが、その後現れた金持ちのジェロンドがマノンの兄にうまく取り入り、マノンを連れ去る計画を立てるが、それを友人から聞いたデ・グリューはジェロンドの馬車でちゃっかりとマノンとパリに駆け落ちしてしまう。

 第2幕で結局、ジェロンドの囲い者となったマノンがパリの豪華な邸宅で優雅な生活を送るが、そんな生活に飽き足らないマノンが忍び込んできたデ・グリューと再会を果たす。しかし、この逢引きはジェロンドの知るところとなり、マノンは捕われの身となってしまう。3幕では売春婦として烙印を押されたマノンは船でアケリカへ送られることになる。そこへ駆けつけたグリューはなんとかしてマノンを救い出そうとするが、いい策が浮かばない。結局、水夫となって、マノンと同じ船に乗り込むこととなる。しかし、4幕で米国ニューオリンズの荒野で、マノンとグリューは生活に草臥れて、行き倒れてしまい、死出の旅に出ることとなる。

 マノン・レスコーを演じたブルガリア出身のスヴェトラ・ヴァッシレヴァは上演中は冷静にマノン役を演じていたのに幕が閉じて、カーテンコールになった途端、相手のデ・グリュー役のグスターヴォ・ポルタと抱き合って歓喜の表情を見せていたのが印象的だった。されだけ観客の拍手がうれしかったのだろう。あとデ。グリュー役のグスターヴォ・ボルタはちょっとどころか、大いに太り過ぎで最後の餓死していくシーンはいかにもふさわしい体型とは思えなかった。総じてオペラの主役を演じる男性に太った人が多いのはいかなる理由によるものなのか、専門家の意見を聞いてみたいものだ。

 マノン・レスコーが主人公の姓名であることは初めて知ったが、カタカナの姓名の場合、そのままタイトルにしても違和感はないが、例えば日本の山田春子だったら、そのままオペラのタイトルにしにくい感じがする。卑弥呼や紫式部といった昔の日本女性の姓名だったら、それほど違和感はないのだが、現代の姓名をそのままオペラや映画のタイトルにはしずらい面がある。その点、欧米の場合はしっくりと溶け込む感じがする。

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