鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

コロナウイルスに感染した姉を見舞い、一瞬驚いて、涙が出かかったが、時を経るに従い、展望が開けてきて安心した

2023-08-09 | Weblog

 8日はコロナウイルスに罹って意識不明に陥り、愛知県小牧市の小牧市民病院に入院している姉のお見舞いに名古屋へ行った。もともと岩倉市に住んでいた姉は5,6年前に認知症となり、近くのグループホームに入所し、過去2回くらいお見舞い行っていたが、コロナウイルスの感染拡大でお見舞いできなくなり、コロナウイルス感染が収まった5月以降、甥っ子のK君と連絡を取り合い、様子を見てお見舞いに行こうとしていた矢先に容態がおかしくなり、おまけにコロナウイルスに感染して病院に送り込まれたことから、生きているうちに一目見ておこうと思って、日帰りで名古屋に行った次第。

 コロナ明けでどこも混んでいることから、新幹線の切符もとりにくいだろう、と思ったが、前日にJRのみどりの窓口に並んだら、すんなりと座席指定券を得ることができた。事前に病院の所在地を確かめたら、コロナ感染防止で、患者との面会は原則禁止となっていたが、甥っ子に相談したら、重病患者については事前に申請すれば部屋に入ることはできるとのことで、面会時間の午後1時に行くことにした。ところが、甥っ子は午後3時以降でないと行けないということで、それまで、かみさんの実家へ行って時間つぶしをしたうえで、午後3時頃に姉の病室に行った。

 で、病室に1歩足を踏み入れた瞬間、ベッドに横たわる姉は点滴のチューブを腕にされ、口には人口呼吸器のマスクを被せられ、本人は周りの状態を見定めることもできず、ほぼ目をつぶったまま呼吸をしていて、まるで仮死状態にも見え、こんな姉を見るのは初めてで、見ている間に涙があふれ出てくるような気がした。集中治療室(ICU)なるものがどういうものなのか、見たことがないが、心拍数、血圧、血中酸素濃度がリアルタイムに測定し、パネルに表示されているほか、ベッドに横たわっていて、体重も図れるようになっていた。姉は身長154センチで、40キロくらいの体重があったが、いまは30キロとなっており、いかに衰弱しているかも一目瞭然だった。付き添いの姉の夫と挨拶し、状況を聞くと「入院以来ずっとこんな状態だ」という。

 これまで病院にお見舞いに行ったことはあるが、こんな状態の患者に会ったのは初めてで、それも血を分けた姉とは何たることか、と悲しさがこみあげてきた。それでも付き添っているうちに時々、姉が目を開けるような時があり、そんな時に側に寄り、手を握って「東京から来たんだよ。コロナなんかに負けて駄目だよ」と声かけると、こちらがわかるような反応を示すようなこともあり、血色もよくなってくような感じもしてきた。特に息子の甥っ子がやってきて声をかけるとよくわかるのか、反応を示していた。

 姉はコロナウイルス感染で、肺炎を起こしており、そのせいで喉に痰がつまるようなことがあり、上を向いて寝ていると苦しいらしく、ゲーゲーと音を立てて苦しがる。そんな時にはすぐに看護婦さんを呼んで口なり、痰を鼻から吸い取ってもらうと大人しくなる。2時間強、病室にいる間に5,6回そうしたことがあった。その他は取り立てて異変らしくものは伺えず、夕刻に現れた主治医という女医さんは「入院した当初に比べれば段々よくなってきている。コロナ感染もほぼ収まってきている」とのことで、安心した。

 このぶんなら一般病棟に移るこもできる、とのことで、当初抱いた不安はほぼ収まってきた。とりあえず、今後の希望を持って、まずは帰途に着くことが出来た。あとは本人が「まだ生きていたい」との意欲なり、意思を持って病気に対応していくか、が先を開いてくれることだろう、と思った。頑張れ、お姉さん!とエールを送りたい。

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