鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

気合い入ったN響第九演奏会

2006-12-24 | Weblog
 23日は年末恒例のベートーベン第九「合唱」の演奏会に行った。昨年は読売交響楽団であったが、今年は念願のNHK交響楽団であった。いずれも年間会員になったうえでの拝聴であったが、読響の場合は年間のスケジュールに含まれていたのにN響の場合は別料金で、S席で1人1万3千円(会員は5%引き)チャ-ジされると、N響は強気の商売ぶりだ。いつものように開演前にロビーで室内楽の演奏があるか、と開演の1時間くらい前に渋谷のNHKホールへ行ったら、今回はそれもない。それでもすでに大勢の観客がつめかけていて、開演前から観客も気合いが入っている感じで、さすが第九の演奏会といった雰囲気だった。
 入場時に渡されたパンフレットにはいつになく立派なパンフレットにこれまでのNHK交響楽団の第九の演奏の歴史が一覧表になって掲載されている。今回の指揮者、上岡敏之、それにソプラノのカリーナ・バハジャニャン以下4人の外人歌手はいずれも今回初めての出演である。
 開演予定の午後3時を過ぎても壇上には人影はない。10分過ぎくらいから国立音楽大学の合唱団が指定の舞台後方のひな壇に順次登場し、ほぼ揃ったところで、交響楽団の団員が入場し、最後に指揮者が指揮台に登壇し、待ちに待った演奏が始まった。
 いままで何回も聞いているはずの第九が違って新鮮に聞こえる。指揮者のタクトもいつになく力が入っているように見える。昨年も読響の演奏を生で聴いているはずだが、ほとんど記憶にない。いつもは前から2番目の席で団員の演奏ぶりや舞台の様子がよく見えないが、今回は前から8番目の中央の席で、舞台全体がよく見える。団員の表情もよく見える。
 年末の第九の演奏だけは格別という意識が聞く方にあるせいか、団員の演奏にも気合いが入っているように感じる。開演前には隣でしゃべりまくっていた女性が演奏が始まった途端にこっくりこっくりし始め、ずっと寝ていたのにはあきれた。どうせ連れのおじさんに誘われでもしたのだろう。折角、楽団員が一生懸命演奏しているのにと思うと、ギュッとほっぺたをつねってやりたくなったほどだ。
 第2楽章が終わると、4人の外人歌手が入場し、合唱団の前の席に着席した。第3楽章が始まり、舞台を見ていると、彫りの深いアルメニア美人のソプラノ歌手が大きな目だけにその目の動きが結構動き、会場の客席を見渡したり、横を向いたり、下を見たりしているのが気になった。「どうして日本人はこんなに第九の演奏を好むのかしら」とか、「凄いとは聞いていたけど凄い熱気だわ」とでも思っているような感じであった。海外でも第九が年末の恒例の演奏となっているのか、は知らないが、日本だけの特異な現象ではないだろうか。
 で、第4楽章の合唱。出だしのバリトンの声はよく響いたが、あとのソプラノ、メゾソプラノ、テノールは後ろの国立音楽大学の合唱の声にかき消されて、もうひとつという感じであった。これなら、なにもわざわざ海外から呼ばなくとも日本の歌手に頼んでもよかったのではないか、と思った。
 指揮の上岡敏之は最後までほとんど譜面も見ずに的確な演奏の指示ぶりで、流石と思わせた。途中、演奏が止まり、一瞬、会場が静寂に包まれるような感じがしたことが2回ばかりあり、これは指揮者の個性なのんかな、と思った。
 演奏後、何回もカーテンコールの応えて指揮者が歌手4人と合唱の指導者らと登場して、満場の拍手を浴びていたが、さすがにアンコール演奏はなかった。
 今年はいい第九の演奏会であった、としみじみ満足した。
 
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