6月2日は英国王室のエリザベス女王即位70年にあたるということでNHKが「エリザベス女王愛される理由~即位70年の軌跡」を放映していたのを見て、なるほどと思わせるところがあった。これまでのエリザベス女王の足跡を振り帰っていて、その人となりに改めて偉大さを感じていたが、やはり最大の汚点は子息チャールズ皇太子のダイアナ妃が交通事故で死んだ件だろうと思って見ていた。ダイアナ妃が死んだ時にエリザベス女王は一族あげて毎年行っていたスコットランドのバルモラル城で避暑の休暇を過ごしていて、国民が悲嘆にくれているのになんらメッセージを発せず、国民の間にはなぜか、と疑問を呈する向きが多く、英国皇室始まって以来危機と見る向きもあった。
ところが、バッキンガム宮殿の前には国民から弔意を表す花が溢れているなか、6日ぶりに姿を現したエリザベス女王は市民から捧げられた花を受け取り、微笑みを返し、ダイアナ妃への弔意を表明し、国民とともに悲しみのなかにある、と声明を発表した。実は、スコットランドにいる間にダイアナ妃の葬儀を行うことを決めていて、その後、ウエストミンスター寺院で国葬に準じた大規模なダイアナ妃の葬儀を挙行した。葬儀のあと、ロンドン市内を巡回したダイアナ妃の棺を運ぶ馬車の列が前を通り過ぎる際にそっと頭を下げるエリザベス女王の姿が目撃されていた、という。国がひとつにまとまり、社会が安定するため、君主としてやるべきことをやる、エリザベス女王には特別な力がある、というわけである、と番組では解説していた。
これを見るにつけ、わが日本の皇室にはその足元にも及ばないものがあるのが痛感された。昨年の秋篠宮眞子さまの結婚をめぐる一連の行動を見るとわが皇室、および皇室を支えている宮内庁、さらに宮内庁をリモート管理している首相官邸にエリザベス女王のように物事の理非を理解し、適切に行動をとるような人が一人もいなかったことがはっきりとした。皇室のいずれは天皇となるべき人の姉としてそんな行動を取っていいのかどうかを判断できるような人がいないのはまさに皇室の危機といえるのではないだろうか。
30歳になる秋篠宮眞子さまがとるべき行動として適切なものかどうかをだれ一人適切に判断できず、専ら成人に達している本人の意向と理解して放置してきたことがまずは問われるべきことだろう。まず第一に親である秋篠宮殿下が親として為すべきことをしていないことが責められるべきであろう。次には秋篠宮殿下の兄である現天皇陛下が秋篠宮に対して何らかの意向を表明すべきだろう、それができない場合は宮内庁に伝え、然るべき人から秋篠宮殿下に伝えるべきだろう。宮内庁にそれらしき人がいない場合は官邸を巻き込んで方策を考えるべきだった。
それができないということになれば、皇室そのものが国民から支持を失うということになるのだろう。小室圭、眞子さんはいまだに米国ニューヨークで羽を伸ばして思うがままの生活をエンジョイしているようだが、米国滞在ビザを巡って、いずれ日本に帰国するとか、眞子さんが米国の美術館に就職するのではとか、相変わらずニューヨークのマスコミに格好の話題を提供しているようである。専ら週刊誌のゴシップ欄を賑わしているが、前皇族として好ましいことではない。日本の元皇族としてあるべき姿ではないだろう。皇族、および皇族を支え者一同そろって英エリザベス女王から爪をもらって、その垢でも煎じて飲むべきだろう。
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