prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

1月23日のつぶやき

2020年01月24日 | Weblog












「フィッシャーマンズ・ソング コーンウォールから愛をこめて」

2020年01月23日 | 映画
伴奏もないような人声だけの合唱が魅力的。
漁師たちが素朴というばかりでなく格好よく(全員サングラスをかけて横一列になって歩く「タランティーノの映画に出るのか」などと言われるシーンあり)それなりにお洒落でしたたかでもある。
逆に漁師としての労働をもっと描き込んだ方が厚みが出たのではないかと思う。

実話ものとはいえ、これといったひねりはなく、良くも悪くもほぼ予想通りに話が進む。

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1月22日のつぶやき

2020年01月23日 | Weblog

「ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋」

2020年01月22日 | 映画
俗な言い方をすると逆玉というのか、シャーリーズ・セロンのおそろしく長身の美人で有能で恰好いい(楽屋裏では過労でヨレヨレになっていたりするが)国務長官が大統領を目指すのにスピーチライターとして雇った太めでむさいジャーナリストが恋仲になるという組み合わせの妙で見せるコメディ。
正直、そんなことあるのかとちょっとづつひっかかるところはある。

大統領を目指す人が薬でハイになったり変装してとはいえ公衆の面前で踊りまくったりいくらなんでも無茶ではないかと思うが、トランプ以後では逆になんでもありになるのかもしれない。
現職の大統領が俳優というのはレーガン、何よりそのバックになる資本家の赤っ面ぶりがトランプそのまんま。大統領ではなく国際独占資本こそが支配者なのだということなのだろう。

共和党支持の黒人が出てきたり、細かいところで型を外そうと試みている感じ。





1月21日のつぶやき

2020年01月22日 | Weblog








「チェルノブイリ」

2020年01月21日 | 海外ドラマ
旧ソ連の話だが、首をすくめたくなるくらいいちいち日本にも思い当たる。

事故など起きないという根拠のない思い込み、建前が独り歩きして正当な批判が通らなくなる組織の硬直、技術力への過信。
目の前の経済性にとらわれかえって途方もなく高いものについてしまう本末転倒。
上層部の無責任に対して、現場の作業員たちの踏ん張りと犠牲。

ドラマとすると、事故の対処にあたる科学者と共産党中堅幹部とのバディものとして、最終的に生命の重みに対しては政治的権威だの見栄などは屁みたいなものだと実感させる。
初め傲慢だった党幹部が自分を含む命に対する感覚を取り戻すのを一匹の尺取り虫に見せる眼差しにこめる脚本と演出と演技の見事さ。

ソ連からロシアに変わっても地元では作れないであろうドラマで、外国からの目や批判というのは必要なのだと思わせる。
多量の放射線を浴びた作業員の体が見るも無残に溶解していくのを真っ向から見せるところで、前に日本で臨界事故を起こした時の作業員の実際の写真(テレビや新聞では取り上げず、週刊誌にしか載らなかった)を思い起こさずにはいられなかった。自分を含め、どうしてあれを等閑視できたのか。

ひるがえって考えると日本はある意味、もっと悪質かもしれない。
直接の検閲がなくてもメディアが“自主的”に事実上官製になり、オリンピックのバカ騒ぎで原発事故を上っ面だけ糊塗しようとしているのだから。

映画フクシマ50の公開が控えているが、原作者からして不安は大きい。

HBO製作、Amazon prime経由のスターチャンネルにて。

1月20日のつぶやき

2020年01月21日 | Weblog



「テッド・バンディ」

2020年01月20日 | 映画
肝腎の、というべきテッド・バンディの残虐な犯行そのものについてはほとんど描写として表に出していない。
だからあくまでしれっとして俺は無実だといい続けるのバンディに同調してしまう二人の女の視点に接近して見ることになる。

正確な意味なのかどうかわからないが、物証を並べられても平然として同じウソを繰り返せるサイコパスぶりを見ていて、こういう人間(特に政治家)、こういうのに騙される人間いるぞと思う。

バンディの暴力の対象になった女性たちとそうならなかった女性との間にどんな違いがあったのだろうかというと、事実上ただの気まぐれ以上のものはなかっただろう。
本質的に相手に共感することがなく、暴力か甘い言葉かの違いはあっても女を支配すること自体が本質的な体質になっている男の空虚さをザック・エフロンが自分の好感度を逆手にとってよく出した。

どうやってバンディの支配から逃れるかのドラマをリリー・コリンズが、逃れないかのドラマをカヤ・スコデラーリオ(このいかにも70年代風の扮装)を分担している構造。
人間のおぞましさが後退している感もあるし、逆なセンセーショナルな作りを避けたくてこうしたのかもしれない。





1月19日のつぶやき

2020年01月20日 | Weblog

「2つ目の窓」

2020年01月19日 | 映画
主演吉永淳とあるけれど、この当時の芸名で、現在は本名の阿部純子で「海を駆ける」「孤狼の血」から「サローキンが見た桜」と出演作が続いています。

「海を駆ける」で好意を寄せる男の子太賀につれないのがアイドル的な可愛いらしさとは違った感じで注目したのだけれど、この6年前の2014年の出演作ではまだ素材を河瀨直美監督に生かされて芝居らしい芝居をしないで奄美大島の自然、特に壮大な海の風景に男の子と共に生き物そのものになつたように溶け込んでいる。

映像そのものエロスは感じ取れる一方、正直いうとストーリー的な起伏や葛藤は薄くて、気持ちいい分相当に眠くて参った。



1月18日のつぶやき

2020年01月19日 | Weblog

「マザーレス・ブルックリン」

2020年01月18日 | 映画
プロダクションデザインがレトロフューチャー調で、それを未来を舞台にするのではなく1955年という過去の設定に応用しているのが面白い。
ジャズがムーディに使われるだけでなく現代音楽的なテイストで使われるのが新鮮。
女や黒人の扱いも今のハードボイルドという感じ。

ストーリーも細かい趣向もハードボイルドものの骨法を押さえていて、探偵の親友ないし大事な人(ブルース・ウィリス特出)が殺されて捜査を始める、妙な連中が出没して捜査から手を引くよう脅され暴力が振るわれ、女といい仲になり、権力者の傲慢と都市開発に関する腐敗が絡み、過去のいきさつが解明されるなど。
ドジャースなどブルックリンから出ていけという当時のファンが聞いたら怒髪天もののセリフなど上手い。
ただそのいきさつがセリフでわーっと語られるので頭に入りにくいのと、いかんせん二時間半は長過ぎる。

何より探偵が障害を抱えていてしばしば突然とっぴな発言をしてしまうのが、ハードボイルドにありがちな“正直さ”の表現にもなっているあたりが、監督を兼ねたエドワード・ノートンの役者としての腕の見せ所にしたのだろう。





1月17日のつつぶやき

2020年01月18日 | Weblog

「シライサン」

2020年01月17日 | 映画
渋谷HUMAXシネマに見に行ったら、イヤホン360なるシステムで上映していた。
スマートフォンにアプリAnother Trackをダウンロード&インストールしてWi-Fi接続しておくと、スマホのマイクが映画のサウンドトラック音声を拾い、シンクロしながらずらした再生した音声をイヤホンで同時に、より立体的な音響効果を実現するというもの。
かなりバッテリーを食うようで、上映前に50%あったのが終了時には17%になっていた。

しょっちゅうその効果を狙っているのではなく、あくまで場面の進行に合わせてところどころで映画館ならではの大きな音場にイヤホンの頭の中に響くような小さな音場を足し合わせるのが効果的。

ただ作品自体は体感的なホラーシーンにもストーリー性にもどちらにも中途半端で、シライサンを見ると死ぬのだったら見ている観客はどうなのだと余計なことを考えてしまい、せっかく音の方で効果を上げているのだから見せないコワさも押してみれば良かった気がした。

ダリオ・アルジェントの「フェノミナ」が場内にFMラジオ電波を飛ばしてバイノーラル録音されたサウンドを再生するクランキーサウンドなる試みをしたことがあるが、あいにく実体験はしていない。音質が悪すぎてこれ一作で終わったとWikiにある。

「貞子3D」でもスマホのアプリを生かした体験的上映がなされたらしいが、これまた劇場では未見。






1月16日つぶやき

2020年01月17日 | Weblog