prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「リチャード・ジュエル」

2020年01月25日 | 映画
作中テレビで実際のリチャード・ジュエルのインタビュー映像を流しているのに驚いた。
実話ネタの映画のラストでモデルになった人の実写映像が流れるというのは普通だが、作中で役者が演じているのと平行して流してしまうというのは珍しい。
イーストウッドとすると「15時17分、パリ行き」でモデルの人物を当人に演じさせるなんて真似したのだから、もう融通無碍だろう。

オリヴィア・ワイルド扮する特ダネ狙いジャーナリストのキャシー・スクラッグスの描き方が、アメリカでは色仕掛けでネタを取ってなどいないと批判されているというが(キャシーがジュエル同様亡くなっているのがまた話をややこしくした)、実名で描く割にキャラクターとしてかなり手薄な感じではある。時間的にジュエルが脅迫電話をかけられないとか裏をとっていないというのはお粗末すぎでホントかいと思う。
それに基本はFBIの見込み捜査のミスとリークで、悪気がなくても結果は似たようなものではなかったか。
ちなみにFBIのエージェントは仮名になっているというが、逆にすべきところではないか。
映画のラストで登場人物たちのその後が字幕で出るが、キャシーについては触れていないのも不可解(事件の5年後に亡くなっている)。

ジュエル家のしきりとドアがノックされて人が出入りし中でやりとりされる、その芝居の捌き方がさすがにスムース。

太っちょのお人よしのノロマみたいな調子で通してきて(それでも弁護士を呼ぶのは忘れないのがアメリカか)大詰めでFBIに反撃するところで真っ直ぐ相手を見すくめる計算が立っている。

主に1996年の話なのだが、初めの方ではもっぱら固定電話を使っているのが、途中から携帯電話を使うようになる。特に説明していないがいつでも弁護士に電話できるようにだろう。取り入れるのはこの当時としては早かった方となる。

ドラマとすると法の執行官として生きるのを望んだ男がその最高峰であるべきFBIに嵌められて、しかし法と権威には忠実でい続けるという構図になる。見放すのかと思っていたので、ちょっと意外。

むちっとした制服姿の肖像画が水野晴郎みたい。





1月24日のつぶやき

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