ダイアローグが見事だなと思っていたら、エンドタイトルで原作が戯曲だと出てなるほどと思った。
完璧な優等生で通している学生がちょっと瑕疵が入ると一気に怪物になってしまう、というのは作中でルースがオバマに喩えられているのに見合って、理想(というほどのものでなくても)が崩れたら一気に逆方向に振れてしまう力学を良く現した。
そのどちらともつかない不安はルースという名前が光という意味なのが象徴するように、光あるところに闇もあり、光が強いほど闇も深く感じられてしまう。
ルースが本当は何をしているのか、していないのかはまったく画面に出ない不気味さ。おそらく戯曲の時に設定されたルールだろう。
セリフのやりとりの、光か闇かどちらの極の間で磁力が釣り合うような緊張感が見事。
選んだ人物の代弁をするという学校の課題でフランツ・ファノンを選ぶと教師の方が顔色を変える。
先日、NHKのEテレ「100分で名著」でファノンの「黒い皮膚・白い仮面」を取り上げていたが、ファノンは黒人自身が持つ乳白化、内面化された差別意識、白人になりたがる心理(日本人の名誉白人意識ともつながるだろう)を描いた作家で精神科医なわけだが、それをとがめた黒人女性教師のどこか身に覚えがある(だからルースのことを気にかける)ということだろうか。