prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「アレクサンドリア」

2011年03月28日 | 映画
四世紀ギリシャを舞台に初期のキリスト教徒とユダヤ教徒との争いが描かれるが、明らかに現代のイスラムとキリスト教の争いも射程に入れている(イスラムの開祖ムハンマドは六世紀後半の生まれ)。
総じて一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教はアブラハムの宗教と総称する)内部の内ゲバで、傍から見ているとどこが違うんだということになるのだが、小さな違いを認めない不寛容がエスカレートして大勢が殺され、どちらにもつかない女性哲学者もそういう態度は認められず魔女扱いされるあたり、あまりに現代そのもので、セリフが英語なこともあってちょっと鼻白むところもある。

抗争や暴動の場面になると人が虫みたいに見える大俯瞰のアングルをとり、しばしば宇宙から見た地球全体の映像が入ってくるのが争いの種の「小ささ」をありありと見せる。
背後に賢者の石像とともに動物をモチーフにした像がしょっちゅう写りこんでいるのが、ギリシャの多神教的な世界を暗示しているみたい。

原題はAGORA(広場)で、さまざまな意見を自由を述べ合い選択できる空間であるはずが、言論の内容より火の上を歩いて渡るといったケレンで衆の耳目を引き付けた者が勢力を伸ばすあたりも現代に通じるアナロジーになっている。

竹田青嗣の受け売りになるが、世界を説明するのに宗教は物語を使うため異なる共同体の間の壁をなかなか乗り越えられないのに対し、哲学(それから派生した科学)は原理をもって世界を説明するため、異なる共同体にも通用するし、小さな島と異なる人々の集まりだった古代ギリシャで哲学が発達したのはそのせいだ、という。

だから哲学者は同時に科学者、天文学者でもあって、地球が太陽のまわりを巡っているという説がすでに古代ギリシャにあったことが紹介され、しかし季節によって太陽の大きさが違うのはどういうことか、という命題が出されて、地球の軌道が円だと考えていたが、実は二つの焦点からの距離の和が等しい図形であるところの楕円であると考えるあたり、二つの焦点がつまり映画でのユダヤ教とキリスト教(あるいは対立軸一般)にあたる寓意が良くも悪くも明白でわかりやすい。
もっともわかりやすくても、こういうインテリ体質が勝った作りだとスペクタクルとして作っていても観客動員という点では苦しいみたい。
(☆☆☆★★)


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