prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「私は貝になりたい」

2008年12月27日 | 映画
フランキー堺が主演した元のテレビドラマは見ていないが、映画版は見ている。
所ジョージ主演でリメイクされたテレビドラマは、途中で入るCMが同じ所ジョージ出演によるもので、シリアスな気分をぶち壊すこと、おびただしいのを一番よく覚えている。
いずれにせよ、かなり記憶がおぼろになっていて正確に比較するのは難しいが、主人公夫婦のなれそめと四国の自然の書き込みが大幅に増えたのは確か。

山奥のすり鉢の底にような場所にある妻の故郷の村に戻ろうとして家に居場所があるわけがないと引き返し、海辺の崖のどんずまりまで来てこれ以上は行けない、ここで踏みとどまって二人でやっていこうと床屋を開いたという設定になっている。
作者の言葉を鵜呑みにするのは危険だけれど、脚本の橋本忍は改稿するにあたって元にシナリオに欠けていた「海」を付け加えた
と語っているわけで、それに対応する形で嘆願署名を集める山の中の場面が出てきたように思える。図式的に言うと「山の中」が日本的共同体の本家で、そこからはじき出された二人がなんとか海辺の崖っぷちで踏みとどまっていたのを、ラストでとうとう夫が海の中に行ってしまうといった構造になる。

なんとなく故郷の村で床屋をやっていたような印象だったが、住んでいる村にとっても一種のよそ者だったわけで、他の床屋が進出してきて奥さん一人で切り盛りしている店がじわじわと追い出されそうになる後半の展開が考えて見ると怖い。遺族に遺骨も渡されなかったというのは衝撃的で、処刑を知った時どれほどの衝撃を受けるか、描かれてはいないが想像するに余りある。

アメリカ側の一方的な法と正義の押し付けは、イラク戦争以降一段とわかりやすくなったよう。
人情家の看守の書き込みにはかつて日本人が憧れたフランクで明るいアメリカ人像の片鱗があったように思う。

戦時下の風俗を「三丁目の夕日」以来、定番になった感じもあるCG技術に手をかけて再現しているのが見ものではあるのだけれど、逆にリアリズムから離れた〝よくできた作り物〟になった感じ。
衝撃的な場面でいちいちどどーんという音楽がかかるのは相当に興ざめ。
(☆☆☆★)


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