prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ブタがいた教室」

2008年11月06日 | 映画
26人の子供たちが、全員一斉に自由に動き、考え、話すさまが壮観。ひとりひとりが全部違うのが一目でわかる。よくこれだけの表情とリアクションを引き出せたもの。
それぞれがつたないながら自分の意見を語っていって、どれが「正しい」とは決められないまま、まとまらないなりに「合意」を形成する土台になっているのがはっきりわかるあたり、いわゆる「民主主義教育」の臭みなしに本来の民主主義の教育になっている。

実際問題として、この国では「話し合い」万能主義が横行する一方で、力関係の高低に基いた意見の押し付けや単なる喧嘩口論でない本当の話し合いを体験するのは至難のわざで、それを見せてくれたところにドラマにした価値もあると思う。
また、力関係で上の教師がその責任を取ることで、上に立つ意味を教師自身も学ぶのもわかる。

ないものねだりをするけれど、もともと「殺して」食べると約束していたのが、その「殺す」ところが抜けてしまっている。子供どころか大人でも素人にはブタを・解体できるわけがない(卒業間際のブタの、いやでかいこと)のだからないものねだりなのだが、しかし生きているものの命をいただいて生きている、という実感が今薄いのは、その命を奪うところが不可視になっているせいが大きいわけで、昔の農家だったら鶏をつぶして食べるところは普通に見られたわけだし、ヨーロッパの農家では豚の喉を切って、放血して、とことん解体して利用しつくすのを目の当たりにできるところもあるだろう。
ここではオープニングをはじめ、ところどころで新幹線が走っているのを見せて、食肉センターに送るかどうか考えるのがせいいっぱいになっている状況であることはきっちり示している。

その見たくないところを人にやらせて見えないようにしたところに、たとえば差別も生まれたわけで、本当はそこまで教えるきっかけにまでなるモチーフだと思う。これまた小学生にいきなり教える範囲を超えてしまうが、本来、中学生くらいから徐々にその残酷さも見せていくのが必要だろう。
ブタの糞の始末をするのをはっきり見せているのがいい。もっとも、それを流す人間用トイレが割と汚れていて、その掃除も子供にやらせたらどうかなどとも思った。

あと、今みたいに「食の安全」が小うるさくなっていると、どんな出自なのかはっきりしない残飯で育てたブタが敬遠される、なんてことはないのだろうか。いずれにせよ、公式的な「食育」だけでは届かない、さまざまなことを考えさせられる。
(☆☆☆★★)


本ホームページ


ブタがいた教室 - goo 映画