職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

しかし、実際のところは、さらにもうひとつのエネルギーが必要なようだ

2008-06-02 21:11:12 | Weblog

      

★きょうは、みなみ中を会場に、みなみ小・中連携の授業研究会が開かれた。3年国語(文法 敬語)の授業

◆前回(5/30)の記述の終わりに「頭のなかで、これと、これと、これ……を書こうと思って書きはじめたのだが、書きたいことの1/8……の地点で、エネルギーが尽きた」と書いたが、今、自分の頭が、その残り7/8を検索しはじめている。

 まず、これ→「もう、耳にタコができるくらい、くりかえし、くりかえし、話してきたことだが、学校・家庭・地域の個人や団体という、みなみ地域の教育を構成する点と点と点……とのあいだに(「点」の存在ではなかなか力が発揮できないので)つながりを創りだし、それぞれの立場で、自由に、気軽に参画し、協働できる教育システムをつくろうというのが、すこやかみなみネットの理念だ。
 そのためには、学校・家庭・地域の教育を総合的にとらえ、それぞれの活動や気持ちを、つながりのあるものにする、中核となるエネルギーが必要だ」……というところからスタートする。
 中核のエネルギーがないと、なにもはじまらない。
 歩く人が多くなれば、道ができる。
 しかし、最初に歩く人がいないといけない。
 多少の困難はあっても、わたしがまず歩く、歩きつづけるという人物=中核のエネルギーが必要なのだ。
 すばらしい実践の裏には、必ずこの「中核のエネルギー」が存在する。

    

みなみ小・中連携の授業研究会 授業後の分科会

◆中核エネルギーの候補として、行政、学校、地域の有志、PTA等……、いくつか考えられる。
 結論的にいうと、わたしは、これらのなかから「PTA」を選択した。
 理由は、あとで述べる。

 消去法でいくと、まず、いちばん先に排除されるのは、「学校」だ。
 学校は確かに中核エネルギーとしての能力を有している。
 十分すぎるくらい有している。
 しかし、現在の教育危機を招いた元凶は、学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)なのではないか?
 学校の教育独占体制が、家庭や地域の教育力を弱め、学校と家庭と地域の教育のバランスを崩してしまったのだ。
 なのに、その学校が「中核エネルギー」としての役割を担い、それが機能しはじめると、バランスがさらに悪くなるのは、目にみえている。
 もう少しいうと、抱え込みすぎて、今、学校はパンク状態なのだ。
 そこに、この「中核機能」まで持ち込むことは、ほとんど○○行為だ。
 (しかし、周囲を見回すと、こういうたぐいの実践が多いから、気をつけなくてはいけない。)

◆次に排除したのが、「行政」だ。
 戦後、行政主導で、星の数ほど、社会教育団体が誕生した。
 しかし、行政にオンブに抱っこの社会教育団体をいくらつくっても日本社会は変わらなかった。(社会教育団体が全部ダメ……といっているのでは決してない。有益な団体も多い。念のために。)
 これには説明はいらないだろう。
 戦後、社会教育の失敗の最大の原因がここにあるといっていい。

◆さて、ここで、残ったのが「地域」と「PTA」だ。
 「地域の有志」が、中核となり、学校・家庭・地域のネットワークを形成し、具体的な活動を積み重ね、教育コミュニティーづくりに成功している例が、八戸市にもいくつかある。
 北向幸吉さん・黒田長子さんたちか活躍している根城田面木地区青少年生活指導協議会。
 高橋六蔵先生や小笠原八十三前根岸公民館館長等の方々の尽力で組織されたあすねっとねぎし。
 蟹沢幸治先生が取り組まれた大館地域の実践。

    

★みなみ小・中連携の授業研究会 全体会

◆わたしは、これらの実践から実に多くのものを学びつつ、(かつ、PTA主導→地域主導へ……という岸裕司氏らの秋津コミュニティーからも学びつつ)、しかし、教育コミュニティーの中核になるのは、PTAだと考えている。

 ここで、その理由を述べる。

(1)PTA会員は、学校の保護者であり、かつ地域の住民である。
 だから、PTAはその存在自体がネットワークの芽を内包している。

(2)PTAは自主自立の精神に富み、高い実践力を有する社会教育団体だ。
 社会教育団体にもピンからキリまであって、中には、先にも述べたが、(過渡期的に行われてきた)行政からの指導・助言・支援におんぶにだっこの団体もないわけではない。
 この点、各小・中学校のPTA(連合PTAに対して単PTAと呼ぶ。単Pと略すこともある)は、正真正銘、ほんものの社会教育団体だ

(3)人材の宝庫である。
 毎年、ほぼ「自動的」に30代~40代の会員を多数獲得することができる。
 資金面でも比較的めぐまれている。

(4)組織の維持・継続のシステムが優れている。
 今述べた上記の(3)も、このシステムに含まれるが、加えて、リーダーから次のリーダーへという人のつながりが形成しやすい。
 またPTA独特の「規約」(+前例)の存在も大きな役割を果たしているように思う。
 もちろん「規約・前例」に縛られ、活動がマンネリ化する傾向もあるが、わたしからすれば、これもPTAの魅力だ。

 以上、(1)~(4)、粗く、教育コミュニティーの中核がPTAであることのメリットを述べた。

    

★みなみ小・中連携の授業研究会 全体会で発表するみなみ小・小笠原T

◆ただ、わたしは、今、このことを述べたいのではない。
 「このこと」を前提にして、ここ3年半(「半」というのは、平成16年後半)、地域の方々に応援されながら、PTA幹部とともに、すこやかみなみネットの実践に取り組んできた。
 が、大きな、大きな成果を生みだしつつも、今、実は「壁」にぶちあたっている。

 「耳にタコができる」のくだりのあとに、次の記述がある。
 「そのPTAにも、中核となるエネルギーが必要で、それがPTA総務委員会であり、また小中合同の事業推進委員会なのだ。
 しかし、実際のところは、さらにもうひとつのエネルギーが必要なようだ」。

◆今、言いたいのは、この「さらにもうひとつのエネルギー」についてだ。

 (さっきの「1/8」のことだが、今、ここで、やっと「2/8」に入ることができそうだ。)



最新の画像もっと見る

コメントを投稿