★先日、NHK・連続テレビ小説『てっぱん』に「はまって」しまった理由が「4つ」ある――2つはドラマのはじめから、あと2つは途中から――といって、はじめからの2つ、すなわち(1)祖母・初音(富司純子)の「大阪弁」、(2)ドラマ内の「お好み焼き情報」について述べた。 きょうは3つ目だ。 (3)スタジオのセットがドラマの設定を超えていくおもしろさ。 スタジオで撮影されるのだから、当然、尾道の村上鉄工所と、大阪の田中荘は、隣り合わせに繋がっている。 それを感じさせないように工夫するのが、通常のやり方だ。 しかし、『てっぱん』は、佳境に入ったあたりから――第21週「ひまわり」、あかりの、ほんとうの父親・橘が登場した頃から――村上鉄工所は尾道、田中荘は大阪というリアリティをかなぐり捨て、「隣り合わせに繋がっている」を前面に打ち出す。 尾道の人物と大阪の人物がスクランブル状態。 尾道の長兄・欽也が、いとも簡単に田中荘にやってくる。 次は尾道の僧・隆円の番だ、次は父母の番だ……と次々に交替で登場する。 演出家、脚本家――ま、役者も含めてもいい――の「ノリ」だ。 この「ノリ」に乗れなければ「なんじゃ、このドラマのリアリティは!」「いったい、どないなってマンネン!」ということになるのだが、僕にはこれがおもしろかった(この「心理」の詳細は、下記の「関連記事」参照^^;)。 ドラマの最終回の屋台崩し――大阪と尾道のセットの境が取り払われる瞬間――を期待したが……。(実際にはこの屋台崩しはなく、田中荘内の「おのみっちゃん」と「食堂」の境が取り払われる、いわば「小屋台崩し」でドラマはフィナーレを迎える。) ★関連記事 ・連続テレビ小説『てっぱん』富司の2度の「恐る恐る」の「変換」が、美しく、力強い「下町の大阪弁」を創出 ・怒濤の屋台崩し。先輩の遺影に「はじめから何だか、おでこのあたりが画像っぽいと思っていたんですよ」とつぶやくところで ・ああ、八戸湊線、屋台崩しの旅。ユルユルはなむけ号。根城→売市→八戸線沿い→湊線跡地→新井田川河口・2魚市場 ・ああ柳橋。ああJR八戸線鉄橋。ああ新湊橋。ああ湊橋。これらを、垂直に、垂直に、突き抜けて、海に出ると、屋体崩しが ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |
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