職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

緊張して立ったままのわたしの肩を江藤氏は、「まあ、座んなはれ、座んなはれ」と抱えるようにして隣の席を

2010-01-29 15:52:02 | Weblog

10.01.29 江藤淳氏の大阪弁に涙ぐむ

◆連日のお好み焼き大会です(*^_^*)。

 前回に紹介した、冷凍の「ミックスお好み焼き」(かねます食品・東大阪市)を、まず、レンジで3分間。

 その後、鉄板で2分間(推定240℃)焼きます。
 焼いているうちに、上から、焼きそば&豚肉&生地少々を載せます。

 ひっくり返して、2分間、焼きます。

 さらに、もう1回、ひっくり返して、ソース・マヨネーズ・鰹節・青のりを加え、モダン焼き風お好み焼きの完成!(^^)!。

 ここまでやるんだったら、はじめから、ぜんぶ、自分で焼けばいいようなもんですが、ま、ねらいとしては、
 (1)買い込んでしまった冷凍食品をいかにおいしく食べるか……ということと、
 (2)ひょっとしたら、スゴイ発見があるかもしれない(たとえば、冷凍食品と、わたしが追加した生地等の部分が融合して、未知のお好み焼きが創出される)……ということですよ。

 ただし、今回は、そういう劇的な融合はなく、つまるところ、やはり、わたしが追加した「モダン焼き」の部分のおいしさが際だつという結果に終わりました。

 


◆初夢の舞台である、大阪・生野区の寿し由は、子どもの頃、家に急な来客があったときなど、母から頼まれて、よく箱寿司を買いにいきました。
 大人になってからは、小学校の恩師・松野先生と1度、高校時代の友人・磯橋と1度、訪れたことがあります。

 わたしが、児童会・生徒会活動に積極的に参加するようになったのは、松野先生との出会いがきっかけでした。(松野先生については、別な機会に語ることにします。)
 磯橋は、中・高校時代の、政治&文学の議論仲間でした。
 お祖母さんと暮らしていました。
 土蔵ではないけれども、土蔵のように暗い家だったので、あすなろ物語の鮎太みたいなヤツだなと思っていました。
 その高校時代、1度、磯橋宅で、深夜まで大論争をしたことがあります。
 当時、発表された『海洋国家日本の構想』(高坂正堯)をめぐってだったと思います。
 同じ思想傾向にある2人が、そのバックボーン的な『海洋国家日本の構想』をめぐって、何を議論したのか?……、もちろん、今となっては、具体的なことは、まったく思い出せません。

 自衛力増強を主張するわたし(←これは、今も変わっていまへん^^;^^;)に、磯橋が「それは抑制力完全主義者の言うことだ」と非難した可能性は、十分にあります。
 あるいは、某宗教団体傘下にある磯橋に対して、宗教団体と一定の距離を保とうとするわたし(←これも、まったく変わっていまへん^^;^^;)が攻撃した可能性も、十分にあります。

 20代の前半、1度、寿し由で飲み、そこで別れて以来、磯橋とは会っていません。
 消息不明です。
 おそらく磯橋にとっても、わたしは消息不明となっていることでしょう。

 初夢の舞台に、磯橋は登場しませんでしたが、(1)小沢問題→江藤淳 (2)現在の普天間飛行場移設問題→『海洋国家日本の構想』をめぐる磯橋との議論、この2つが絡みながら、「寿し由」へと接続していったのでしょう。

◆寿し由に入り、主人の「いらっしゃい」のかけ声に誘われて目をやると、江藤氏の横顔がカウンターにありました。
 江藤氏のほうもわたしに気づいて、
 「やあ、小高さん!」
 と、メガネが弾けるほど笑っていらっしゃいます。
 「センセ、お久しぶりですね」
 緊張して立ったままのわたしの肩を江藤氏は、
 「まあ、座んなはれ、座んなはれ」
 と抱えるようにして隣の席を勧めてくれました。
 「センセ、相変わらず大阪弁のマネがお上手ですね」
 「いやァ、それを言わんといてんか。わしのはホンマ、ワンパターンやからね」
 江藤氏は、いわゆる「けったいな大阪弁」をよく使っていました。
 その大阪弁がなつかしく、わたしは少し涙ぐんでしまいました。
 「小高さん、最近はどないしてはりますか?」
 「はあ、まあ、どうにかやっております。センセがお亡くなりになった次の年に……」
 教育現場から教育行政に身を転じたこと。
 仕事のテーマが学校教育と社会教育を統合した生涯学習体制の構築であること。
 その具体的な手法として学社連携・融合が有効であると考えていること。
 また、その前提として、保・幼・小・中・高・大の連携が重要であること……

 夢の中のわたしは、悲しいくらい、怒濤のようしゃべってします。
 きっと、しゃべるのをやめると、いつかのように、江藤氏が消えてしまうと思ったのでしょう。

◆夢の記述というのは、ホンマ、シンドイものですね。
 普段は、ペラペラと、4000字、5000字とかきまくるわたしが、この話になると、キーが重くて、重くて……、悲しくて悲しくて……^^;^^;。
 これで「初夢2」を終わることにします。

 画像は、すこやかみなみネット・サポータークラブ(環境)のリーダー金見さんを中心に、保護者、教職員、生徒たちがつくった繭玉飾りです。
 2階から見下ろしていると、時間の、いくつもいつくもの枠組み……たとえば、今年は2010年、昨年は2009年……というような区分が溶解し、魂が、透明な時間軸に沿って落下していくようで、頭がクラクラッとします。

 結構、この角度にはまっていますよ(^_-)。


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