職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

人生は、時穴、道行

2009-05-11 14:53:33 | Weblog





★早朝、はなむけ号で、八戸湊線の廃線跡を訪ねる。ここで心のうちに生じた喪失感が、きょう、記述する『およね平吉時穴道行』につながっていったのかもしれない。

◆1月に、このページ(600字の教育学)で『およね平吉時穴道行』(半村 良)に触れたことがある。

 〈このときの記述の引用〉

 三鷹市の古書店・フォスフォレッセンスは、太宰が眠る禅林寺から約1キロくらいの場所にある。
 すぐ隣が三鷹図書館だ。
 太宰ファンにとって、もちろん、太宰ファンである店主にとっても、もう、ここしかないよ……というようなロケーションだ。
 『およね平吉時穴道行』ではないが、フォスフォレッセンスの地下には、きっと、太宰の時代へのタイムスリップ装置が埋まっているのだろう。
 真姿はんが、この古書店内で「デジャヴもあったり」といっているが、ほんとうは時穴に落ちかかったのかもしれない。
 時穴に落ち、行方しれずになった真姿はんを、なりきりマントを羽織ったわたしが助けにいくというタイムトラベルSFも、おもしろそうだ。
 店主が大阪出身ということは、今回、真姿はん情報ではじめて知った。(09/01/18記述)


★『およね平吉時穴道行』の一場面・江戸時代から200年後の東京・銀座に姿を現したおよね

◆自分の古書店・DAKA書房の書架の配置を設計しているときに、真姿さんから三鷹の古書店・フォスフォレッセンスの情報を得て、いい古書店は「時穴」の性質をもっている……というふうに話が展開して、『およね平吉時穴道行』に接続したのだった。

 このときに触れた『およね平吉時穴道行』のことが、ずっと気になっていた。
 ネットで調べてみると、1977(昭和52)年4月9日、NHKで放送されている。
 27歳のわたしはこれを観たのだ。
 その後、一度、再放送されたらしいが、今後は予定はないし、DVDも出ていない。。

 ひょっとしたら、YouTubeに、ドラマのカケラくらいはあるかもしれないと、昨日、「時穴」で検索したら、なんと、9分間×8でアップロードされていた。
 
 興味のある方は、ぜひご覧ただきたい。
 「時穴」で検索しても見つけることができるが、ズバリ、「およね・平吉時穴の道行」(昭和52年)p1-8……で検索し、「およね・平吉時穴の道行」(昭和52年)p2-8……「およね・平吉時穴の道行」(昭和52年)p3-8と順々に検索をかけてもOK。
 最終回が、「およね・平吉時穴の道行」昭和52年)p8-8……になる。


★『およね平吉時穴道行』の一場面・200年前の江戸・銀座にいる兄に向かって、時穴に現代の週刊誌を投げ入れるおよね

◆今、冷静に観ると、(ま、「冷静に観」られているかどうかは自信がないが……)ドラマのテーマは、江戸から昭和、200年間の時を越えた、およね・平吉(へいきち)の恋の悲哀……ということになるのだろうが、当時のわたしは、この「恋の悲哀」にはまったくといっていいくらい反応していない。

 妹・およねが時穴に消えたあとの、兄・京伝の喪失感のほうに強く反応している。
 だから、今回だって、その「喪失感」を再度チェックしたくて(=味わいたくて)、YouTubeをつなぎ合わせて(結構、苦労して)、全編を観たのだ。
 しかし、予想ははずれていて、「喪失感」がまったくないというわけではないが、「喪失感」そのものは、ドラマの単なる余韻にすぎない。

 どうしてこういうことになったのか?

 ドラマが放映された1977年4月9日というと、その2週間ほど前に、5年、6年と2年間担任した、愛する根岸小の教え子たちと別れたばかりの頃だ。
 その強いさびしさと、妹・およねの消滅→兄・京伝の喪失感とが結びついたのだろうか……?

◆1776年3月3日に、およねが時穴に入る。
 時穴から出たところが、200年後、昭和の東京・銀座。
 3年後に、およねを追って、平吉が時穴に入る。
 平吉が出たところが、100年後、明治の東京・銀座。
 平吉は、遂におよねに再会することなく、その後に起こる関東大震災で没する。
 その平吉の孫が、それから100年後、すなわち、時穴に入ってから200年後のおよねに出会う。

 振り返れば、わたしは、ドラマを観た1年後、平吉が時穴に入るのと同じように、「中学への転勤」を希望する。
 そして、平吉と同じように、時穴を出たところが、根岸の教え子たちがいる場所ではなく、まったく別の場所だった……というわけだ(*´;ェ;`*)。

 ま、もちろん、これはこれでよかった。
 いや、いい、わるいではない。
 これが人生だ。
 根岸の教え子たちがいる場所ではなく、まったく別の場所で、わたしは、まったく別の人生を歩むことになる。

 そのわたしが時穴に入ってから、30年以上の歳月を経て、さいわいわたしは、平吉のように災難に遭遇し没することなく、先日、鬼丸で、根岸の教え子たちに再会した。

 美佳さんから、きのう、そのときの鬼丸での写真が送られてきた。
 見つめていると、涙が出た。
 人生は、時穴、道行だ。

◆ま、ひとまわりまわって、これ(=わたしの『およね平吉時穴道行』の読み方)は、これでいいことになるィェ‐ィ v(●´U`●v))))))。


 


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