サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

桜の東京へ

2017-04-17 | 『勝手に帯広通信』
雪どけの進む北の大地を、エアドゥの機上から望む。

白く連なる峰は、日高山脈。じつに見事にまっすぐ伸びているのがわかります。
これは往路の光景ですが、風の強い日の帰りのフライトは、
この山脈から吹き降ろしてくる風に突っ込むようにして降下するので
ジェットコースターのように上下に揺れることあり。
そんなときは事前にアナウンスが流れ、安全なのはわかっていても
なかなかにスリリング。

日高山脈の南端、太平洋に張り出すのは襟裳岬。

地図と同じ形!…って、あたりまえですが。
このあと機は東北上空に入って南下。
富士山も見えましたが、遠くて写真には写らず。
ちなみに翼の先のベアドゥ君が抱えているのは板チョコ。

着いた東京は、どこもかしこも桜満開。

染井吉野を見るのは、3年前にユーラシア協会の総会で横浜を訪れて以来。
今まであまり気づかなかったけれど、エゾヤマザクラに比べて
なんとどっしりと幹の太いこと。
いかにも江戸好みのメリハリのある樹形。

東京での所用の合間に、たっぷり桜を堪能して帰帯。
北海道のお花見は例年ゴールデンウィーク頃なので、
今年は時間差で二度お花見が楽しめそうです。

 武蔵野の桜
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5 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
日高山脈と襟裳岬、よく見えますね (Yozakura)
2017-05-09 10:22:28
プロブレーマ様
 無沙汰して居ります。最新記事に拠れば、一か月遅れの蝦夷山桜にて「二度目の花見」を満喫されているとの由、何よりです。
 で、この日に機内より撮影できた日高山脈と襟裳岬の写真、鮮明ですね。北海道へは、40年前に有珠山が噴火の際に訪問した切りで、しかもその際に、今は廃止された「東京湾⇒苫小牧港のフェリー」を利用したので、そちら十勝地方の景色や景観は、この写真が初めてです。
 地図と同じだと、漸く納得出来て安心するのは、どなたにも共通の心情なんでしょう。

 また地元の風物をお報せ下さい。お元気で。
返信する
フェリーですか! (kot)
2017-05-09 17:31:32
Yozakuraさま
お久しぶりです。苫小牧行きフェリーは今は大洗発のようですが、かつては東京湾発があったのですね。当時のフェリーはいかがでしたでしょう?
フェリーの旅も一度体験したいものです!
返信する
当時、既にガラ空きの船内。8月の苫小牧港に早くも、初冬の気配 (Yozakura)
2017-05-11 11:35:31
プロブレーマ様
 返信を拝見しました。今から丁度40年前のフェリーの利用情況ですが、既に船内はガラ空き。まあ、その分良く眠れましたがね。
 早朝、苫小牧港に接岸した際は8月の初めと云うのに、まるで初冬のような寒さに震え上がったものです。有珠山が噴火したので、苫小牧港も札幌市内も火山灰で道路や地面が白濁して居り、「ちっとも暑くない夏」でした。
 少しは夏らしくなったのが、小樽市内からニセコ町や倶知安町などの内陸部へ南下してから。

 此処まで書いて来て、たった今、思い出しましたよ!
 倶知安から函館へ赴く鈍行列車の中で、デッキ上に剥き出しの現金を発見!1万円札にして〆て3枚の3万円!
 「まぁ、世の中にはこんな出来事もあるのか----」と思いつつ、列車の最後部で待機しながら勤務して居た車掌まで直ちに現金を届けました。

 で、そんなことなぞ綺麗サッパリと忘れ去った翌年の1978年3月、北海道函館警察署から自宅まで、何と現金書留が配達されたのです。現金3万円拾得の時点から、1カ月後の1977年9月に引越していましたから、よくぞまぁ、書留が自宅まで届いたものですよ。
 多分、私の方で、住所移転の公式な届のため、引っ越し先の地元警察署に赴いて、何か手続き執ったのかもしれません。
 一介の旅行者も、そして、旅先の国鉄車掌も、函館警察署も、地元の警察署も、目先の利害に囚われず茫洋と暮して行けた「古き良き時代」でした。
 貴女からのリクエストに応えただけですが、ついつい書き込みが長くなりました。お元気で。 
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返信遅れました! (kot)
2017-05-21 10:26:56
Yozakuraさま
40年前の3万円とは結構な金額ですね。結局、落とし主は現れなかったということでしょうか。
昨今はJR北海道も北海道警察もとんと評判がよろしくなく、それに比べると本当に良き時代でしたね。
貴重な体験談をありがとうございます!
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鈍行列車の函館往きに乗車とは、「名画・飢餓海峡」の主人公達が辿った逃亡経路と同一でした (Yozakura)
2017-06-10 20:26:57
プロブレーマ様

 返信を拝見しました。確かに「奇蹟」のような出来ごとが連鎖的に発生し、列車内にて拾得した現金が「善意の拾得者に返還された」のです。今から思えば、夢の様な「古き良き時代」でした。

 それと、二度目の投稿を先月に書き込んでから気付いたのですが、小さな駅であった倶知安から各駅停車に乗って函館を目指したコースは、内田吐夢監督の代表作【飢餓海峡】で、犯人グループが逃走に際して採用した経路・手段と同一です。(犯人達は、岩内駅から乗車したものと記憶して居ますが----)
 暇な貧乏人が利用せざるを得ない交通手段は、それが休暇中の貧乏学生であれ、官憲に追われる犯罪者であれ、同じものに落ち着いて仕舞うのですね。

 妙な処で、納得です。私も、当時は何ら自覚のない儘に、名画の粗筋を追体験をしていた訳です。
 これも畢竟、原作者の水上勉が人心の機微に通じ、世間を良く識っていたから起こり得た「意図せざる暗合」なのでしょう。
 お元気で。
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