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S・プロコフィエフ

2009-07-16 | プロコ日記裏話
ようやく『プロコフィエフ短編集』の念校を戻す。
初校が出てからもう4ヵ月。あー、やっとこれで一段落だ~。

最後の最後まで、ロシア人のS先生が「気になります!」と
クレームをつけていたのがタイトルの名前の表記。
「なぜプロコフィエフに“セルゲイ”をつけないの? 
せめて“S”くらい、つけるべきです!」
さすがにプロフィール紹介ではフルネームを表記するけれども、
プロコフィエフと名のつく著名人は一人しかいないのだから
いちいち「セルゲイ・プロコフィエフ」とは書かないのが日本の常だ。
念のため、家にある本をひっくり返してみると、
『カラマーゾフの兄弟』の著者名は「ドストエフスキー」、
『スペードの女王』の著者名は「プーシキン」、としか書いてない。
ほーらね! 日本ではそうなんです!
…が、いざその理由を説明しようとするとハタと立ち止まってしまう。
「でもアベ・コウボウはアベ・コウボウでしょっ!」
確かに日本文学が世界に紹介される時に、苗字だけでは済まない。
でも日本では、ドストエフスキーの名前がフョードルで、
プーシキンの名前がアレクサンドルだなんて、知ってる人は稀である。

作家にしても音楽家にしても、いやさロシア人のみならず
外国人の名前は常に苗字だけ覚えればいいことになっている。
歴史の教科書でもそうだった。ヒトラー、チャーチル、スターリン。
日本名や中国名、即ち漢字の名前だとフルネームを要求されるのに
カタカナ名は苗字だけでいいのである。
そう思うとなんかヘンだ。いつからそうだったんだろう??
確かに一人の人しか思い浮かばない特徴的な名前が多いし、
カタカナだとスペースをとる、という物理的事情もある。
けど、人の名前を苗字だけで表すのはずいぶんに乱暴な気がしてきた。
ひょっとして、これは学習の効率化の弊害なんだろうか??

……といった具合に、ロシア人のS先生と本づくりを進める過程で
「え?」と困惑したり、「ううむ」と考えさせられること多々あり。
さまざまな発見のあった貴重な体験でありました。
とまれ、『プロコフィエフ短編集』(群像社ライブラリー22)は
群像社の8月の新刊としてお目見えする予定です!

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