吹替え訳が5曲たまった。
ただの訳詞はもっぱら日本語の土俵で勝負すればよいのだけれど
音の制約があると、双方の言語を行きつ戻りつしながら
「音」を確かめる作業が欠かせない。
なのでどうかすると一日中、音を流しながらモニターの前で
ロシア語と日本語で交互に歌い続けることになって、
はたから見たら相当妙な光景にちがいない。
まず原曲を完璧にマスターして歌いまくる!これが重要。
舌に語感を覚えさせ、意味は考えずに絵を思い浮かべる。
で、聞こえる「音」と見える「絵」だけで言葉を選ぶ。
ロシア語のキメサビで「○○ア~」と終わる節では
意味よりもとにかく「あ行」で終わる日本語をあてたいし、
そう思って頭をめぐらせると、その言葉はちゃんとある。
それとか可愛い響きの言葉、とくにタイトルになっているような
言葉は活かしたいのだけれど、そのままでは意味が通じない。
ここはおおいに悩むところ。
でも、思いおこせば「カチューシャ」だの「サラファン」だのの
正確な意味を知ってる日本人がどれだけいるんだろう??
ってことは知らなくても想像力をかきたてられる、頭にこびりつく、
そういう言葉は残せばいいということだ。
そんなこんなの作業が楽しくて、
どうせなら日本語吹替えでレコーディングを!
と話は盛り上がり、昨日スンガリー西口店にて打ち合わせ。
キーが高すぎて自分では歌えないので人に歌ってもらうのだが、
ここへきて「どの音にどの言葉をのせるか」は
訳者の頭のなかにしかない、ということが判明してしまった。
つまり訳詞カードを渡しただけじゃだめで、
「歌唱指導」が必要なのである。
ランチどきのスンガリーでいきなり歌いだした我々に
隣席のサラリーマンから白い目が向けられたのは言うまでもなく…。
仕事でもないのに何やってんだか。
ただの訳詞はもっぱら日本語の土俵で勝負すればよいのだけれど
音の制約があると、双方の言語を行きつ戻りつしながら
「音」を確かめる作業が欠かせない。
なのでどうかすると一日中、音を流しながらモニターの前で
ロシア語と日本語で交互に歌い続けることになって、
はたから見たら相当妙な光景にちがいない。
まず原曲を完璧にマスターして歌いまくる!これが重要。
舌に語感を覚えさせ、意味は考えずに絵を思い浮かべる。
で、聞こえる「音」と見える「絵」だけで言葉を選ぶ。
ロシア語のキメサビで「○○ア~」と終わる節では
意味よりもとにかく「あ行」で終わる日本語をあてたいし、
そう思って頭をめぐらせると、その言葉はちゃんとある。
それとか可愛い響きの言葉、とくにタイトルになっているような
言葉は活かしたいのだけれど、そのままでは意味が通じない。
ここはおおいに悩むところ。
でも、思いおこせば「カチューシャ」だの「サラファン」だのの
正確な意味を知ってる日本人がどれだけいるんだろう??
ってことは知らなくても想像力をかきたてられる、頭にこびりつく、
そういう言葉は残せばいいということだ。
そんなこんなの作業が楽しくて、
どうせなら日本語吹替えでレコーディングを!
と話は盛り上がり、昨日スンガリー西口店にて打ち合わせ。
キーが高すぎて自分では歌えないので人に歌ってもらうのだが、
ここへきて「どの音にどの言葉をのせるか」は
訳者の頭のなかにしかない、ということが判明してしまった。
つまり訳詞カードを渡しただけじゃだめで、
「歌唱指導」が必要なのである。
ランチどきのスンガリーでいきなり歌いだした我々に
隣席のサラリーマンから白い目が向けられたのは言うまでもなく…。
仕事でもないのに何やってんだか。