今日の後半はニセコから洞爺湖~壮瞥町への旅です。
【洞爺のシーニックバイウェイ地域活動】
ニセコでの意見交換の後は、ニセコの皆さんに別れを告げて洞爺湖周辺へとバスへ向かいました。ニセコの皆さんお世話になりました。
洞爺湖周辺は紅葉の季節が例年より二週間ほど遅いそうで、普段ならとっくに終わっているところがまだ最後の色模様が残っていました。カエデやミズナラの黄色がとてもきれいでした。
さて、洞爺湖でのシーニックの活動を案内してくださったのは、シーニックバイウェイ活動には珍しく、役場の職員という壮瞥町役場のAさんでした。
Aさんはシーニックバイウェイの活動に触発されて、洞爺湖周辺の約三千枚にもわたる道路沿線の看板の写真を撮影して膨大なデータベースを作成したという努力家。
その結果、看板の撤去なども行っているそうです。また国道453号にちなんで、「ヨゴサン(453)キャンペーン」としてゴミ拾いをイベントに仕立てて、多くの参加者を招いています。工夫のしがいはいろいろとあるようです。
* * * *
さて、このAさんに案内された今日の視察の中心は、『洞爺湖周辺地域エコミュージアム(自然博物館)』という形で、有珠山を中心とした火山との関わりを学習する場そのものです。
有珠山は活火山の性質として、25年に一度必ず噴火するというあまりにも分かりやすい性格を有しています。
しかしそのことは戦時下にあっては縁起でもない機密であったり、人心を不安に陥れる事実として長く公の情報として知らされなかったのでした。
結果としてその事は、必ず再び被災する場所に建物を建てたり道路を造ったりすると言う被害の繰り返しということに繋がってきたわけです。
しかしながらこの地域は、火山と隣接しながら火山活動が平時のときは温泉や湖という火山活動の恩恵に浴しているわけですから、噴火時の被害を上手に避けることが出来さえすれば良いという極めて現実的な生き方を選択することが出来るのです。
幸い有珠山は、噴火の前に火山性微動による地震が起きるという極めて分かりやすいふるまいをする山ですので、避難をすることもできますし、河口のできそうな位置や絶対にずれる断層のありかなどを押さえておけば、被害を最小限に食い止めることができます。
そのことの可能性に早くから気付いていたのが、三松正夫さんという地元の郵便局長でありながら、昭和新山の成長記録の観察で世界の地質学者を驚嘆させた在野の研究家でした。
三松正夫さんは昭和新山となってしまった元農地を私財をなげうって買い集め、世界で唯一の火山の個人所有者となってしまいましたが、その記録などを後世に伝えるために昭和新山の前に三松正夫記念館を建てて一般に公開しています。
現在は正夫さんのご子息の三郎さんが館長として来館者への案内をしてくださっていますが、ユーモア溢れる案内ぶりが人気です。昭和新山を訪れたときは必ず立ち寄りたい場所です。
* * * *
さて、Aさんはその後も有珠山周辺の地殻変動で潰れた病院(現存)や、地殻変動で使えなくなってしまった鉄道胆振線(現在は廃線)の橋脚などを案内してくれ、地域の自然を面白おかしく紹介してくれました。
私も何度も洞爺湖は訪れましたが、このような視点でこの地域を見たことは全くありませんでした。まさにお金を払う価値のある地域学習だと感じました。
壮瞥町は、こうした自然施設の他にも果物が豊富に穫れることでも有名です。旅の終わりは道の駅「そうべつサムズ」でお土産の購入。
心に残る良い旅のお礼は地元にお金を落とすことです。神社のお賽銭と同じです。私も地元産ブドウによるワインとジャガイモをお土産に買い求めました。
Aさん、壮瞥町の皆さん、ありがとうございました。我が故郷北海道にはまだまだ知らないことが多いことが分かりました。そしてこのような興味溢れる事柄を面白おかしく紹介する旅は必ず商品としても売れるということが分かりました。
洞爺湖畔のホテルへ泊まったら、ぜひ壮瞥町という町を楽しんでみてくださいね。
【洞爺のシーニックバイウェイ地域活動】
ニセコでの意見交換の後は、ニセコの皆さんに別れを告げて洞爺湖周辺へとバスへ向かいました。ニセコの皆さんお世話になりました。
洞爺湖周辺は紅葉の季節が例年より二週間ほど遅いそうで、普段ならとっくに終わっているところがまだ最後の色模様が残っていました。カエデやミズナラの黄色がとてもきれいでした。
さて、洞爺湖でのシーニックの活動を案内してくださったのは、シーニックバイウェイ活動には珍しく、役場の職員という壮瞥町役場のAさんでした。
Aさんはシーニックバイウェイの活動に触発されて、洞爺湖周辺の約三千枚にもわたる道路沿線の看板の写真を撮影して膨大なデータベースを作成したという努力家。
その結果、看板の撤去なども行っているそうです。また国道453号にちなんで、「ヨゴサン(453)キャンペーン」としてゴミ拾いをイベントに仕立てて、多くの参加者を招いています。工夫のしがいはいろいろとあるようです。
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さて、このAさんに案内された今日の視察の中心は、『洞爺湖周辺地域エコミュージアム(自然博物館)』という形で、有珠山を中心とした火山との関わりを学習する場そのものです。
有珠山は活火山の性質として、25年に一度必ず噴火するというあまりにも分かりやすい性格を有しています。
しかしそのことは戦時下にあっては縁起でもない機密であったり、人心を不安に陥れる事実として長く公の情報として知らされなかったのでした。
結果としてその事は、必ず再び被災する場所に建物を建てたり道路を造ったりすると言う被害の繰り返しということに繋がってきたわけです。
しかしながらこの地域は、火山と隣接しながら火山活動が平時のときは温泉や湖という火山活動の恩恵に浴しているわけですから、噴火時の被害を上手に避けることが出来さえすれば良いという極めて現実的な生き方を選択することが出来るのです。
幸い有珠山は、噴火の前に火山性微動による地震が起きるという極めて分かりやすいふるまいをする山ですので、避難をすることもできますし、河口のできそうな位置や絶対にずれる断層のありかなどを押さえておけば、被害を最小限に食い止めることができます。
そのことの可能性に早くから気付いていたのが、三松正夫さんという地元の郵便局長でありながら、昭和新山の成長記録の観察で世界の地質学者を驚嘆させた在野の研究家でした。
三松正夫さんは昭和新山となってしまった元農地を私財をなげうって買い集め、世界で唯一の火山の個人所有者となってしまいましたが、その記録などを後世に伝えるために昭和新山の前に三松正夫記念館を建てて一般に公開しています。
現在は正夫さんのご子息の三郎さんが館長として来館者への案内をしてくださっていますが、ユーモア溢れる案内ぶりが人気です。昭和新山を訪れたときは必ず立ち寄りたい場所です。
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さて、Aさんはその後も有珠山周辺の地殻変動で潰れた病院(現存)や、地殻変動で使えなくなってしまった鉄道胆振線(現在は廃線)の橋脚などを案内してくれ、地域の自然を面白おかしく紹介してくれました。
私も何度も洞爺湖は訪れましたが、このような視点でこの地域を見たことは全くありませんでした。まさにお金を払う価値のある地域学習だと感じました。
壮瞥町は、こうした自然施設の他にも果物が豊富に穫れることでも有名です。旅の終わりは道の駅「そうべつサムズ」でお土産の購入。
心に残る良い旅のお礼は地元にお金を落とすことです。神社のお賽銭と同じです。私も地元産ブドウによるワインとジャガイモをお土産に買い求めました。
Aさん、壮瞥町の皆さん、ありがとうございました。我が故郷北海道にはまだまだ知らないことが多いことが分かりました。そしてこのような興味溢れる事柄を面白おかしく紹介する旅は必ず商品としても売れるということが分かりました。
洞爺湖畔のホテルへ泊まったら、ぜひ壮瞥町という町を楽しんでみてくださいね。
Aさん、ガイドが非常に慣れていてお上手でした。語る内容やときどきのユーモアも良かった。これからも宣伝をしてゆきますので、頑張ってください。応援しています。