天候に恵まれて、今日もニセコ周辺をドライブしてきました。
いくつか観光地らしいところを回ってきましたが、ところどころでせっかくあるトイレが使えなくなっていました。
この手の公共施設って、建設するときには補助金や交付金があてがわれて自治体の持ち出し資金が少なくて済むので、新設がどんどん進められた時代があります。
一方で作ったものの管理には圃場金や交付金は出ないので、維持管理は地元自治体の負担になるのが一般的。
もちろん作ることと維持管理することを考えると、作ることの方がお金がかかるので、補助金などをいただけるのはありがたいのですが、短期間で作られる施設でも維持管理するのは長期にわたります。
また自治体にとっては、維持管理する施設が増えることは毎年毎年維持のお金がかかり続けるわけで財政的なスタミナを奪ってゆくことに繋がります。
さらには清掃や小修繕など額の小さな管理費であればまだ日常の延長でなんとかなりますが、機械類や上下水道管などの修理となるとその額も結構大きなことになり、それがまた負担です。
いきおいそうした修繕にはすぐにお金が回らなくなり、施設の利用が休止してしまうという事例が増えています。
施設の稼働休止にあたっては、最初の頃は「なぜ修繕しないのか」と憤っていた利用者も、昨今は「仕方がないよね、行政もお金がないものね」と次第にやむを得ないと考える雰囲気が増えてきたようにも思います。
そもそも「修繕してほしい」という意見に対して行政側から、「修繕するには税金を上げなくてはなりません」と言われたらどうしましょう。
給付と負担はバランスしなくてはなりませんが、人口減少と共にそのバランスが崩れ始めています。
地方自治体でも、公共施設管理計画などを策定して施設ごとの必要の度合いを検討し、必要度の低いものは利用中止や統廃合などにより財政の財布の口が締まるよう努力をしていますが、施設の統廃合を示された住民にとっては不満も残ります。
こうしたことへの摩擦や反対を避けるためには、まず総論の部分と今後の方針を徹底して議論しておくことが肝心です。
そのことをおろそかにすると、どこから始めるのかということに不満が残ります。
また別なアイディアとして、維持管理を地元の人たちに委ねて管理にかかる費用を軽減させるという方法もあります。
地元の人たちに任せることで施設への関心と共感の心が湧き、機械的に予算をつけて業者や団体に任せるよりも安価に維持管理ができる場合もあります。
より多くの人たちとの関係性を構築することが解決への糸口になることもありますが、やはり課題は人口減少による担い手の高齢化と減少です。
社会を維持してゆくことに今の市民税や税金の体系はどこまで寄与し続けられるでしょうか。
税という形でいつのまにか負担する形だと、住民の負担は見えにくくなりかえって関心を遠ざけてしまいそうです。
しかしその反面、負担と給付への議論に参画する煩わしさから逃げることができているという面もあるでしょう。
観光地のトイレでもだれがどのようにその維持管理費を負担するのか、あるいはどこまで自らがそのことに貢献できるのか、様々なアイディアを持ち寄ってみることから始めてはどうでしょうか。