駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『楽屋』

2021年10月18日 | 観劇記/タイトルか行
 赤坂RED/THEATER、2021年10月16日18時(初日)。

 死者の魂と生者の魂が響き合う「楽屋」。四人の女優が紡ぐ生命の讃歌と鎮魂歌。「鏡の中の戦士たち」に捧げられた作品。
 作/清水邦生、演出/大河内直子、音楽/三枝伸太郎。1977年初演。全1幕。

 わりと最近観ていて、そのときの記事はこちら。今回は女優A/保坂知寿、B/大空ゆうひ、C/笠松はる、D/磯田美絵。
 配役発表前は「CかDの大空さんが観たい!」と思いましたが、まあ女優陣の年齢からしてBでしたよね…(^^;)まあ今後も座組によってはCが観られることもあるんじゃないかしらん、そんな再演を企画してくれないかしらん。もちろんこの作品の主役は三人姉妹を演じるABDである、という考え方もあるとは思うのですけれど、私が思うにやはり一番わかりやすく女優だと思うのがCで私は大好きなキャラクターなので、そんな大空さんが観たいとつい夢見たのでした。Dはやはり年齢的にはもう無理なのかな、役との出会いやタイミングってありますよねえ…
 それはともかく、そんなわけでオチもわかっているし前回観劇の記憶もまだあるし、「ほう、ここはこうしたか」「あれっ、ここってこんなだったっけ?」など思いつつ、楽しく観ました。
 今回の楽屋は小道具なのかなんなのか鏡台の他に植物らしきものがわさわさ置いてあるゴタゴタした空間で、コンセプトとしては廃墟だったそうですが、それは脚本のト書きにあるんだそうですね。「草の原に、墓標のように立つ、無数の鏡たち」…博品館版はもっとシンプルな印象だったので、そこも興味深かったです。また、Aの着物も博品館版はいかにも楽屋着にしている浴衣みたいなものに見えましたが、今回はわりときっちりと着ているようでした。Bがてろんとした楽屋ガウンみたいなのを身にまとっているのは同じかな。これはそれぞれ、当時の楽屋着の流行りを表現しているのでしょう。
 Cの私服も、博品館版ではこのあとはパトロンとの会食か恋人とのデートかな、と思われるものに着替えていましたが、今回は黒のパンツとセーターで、そのまま直帰かなと思われられました。このあたり、どうなんでしょう…?
 そしてラストは、博品館版の方がよかったかなあ…あの成仏表現みたいなのはあの時の演出なだけで脚本にはないってことなんでしょうか。今回は三人が正面に立って客席正面を向いているうちに暗転、で次に明るくなったらもうカテコだったんですよね。でも前回のあの、三人が斜めに向いて斜めに明かりが差してゆっくり暗転して、そのあと一度空っぽになった楽屋を見せてから再度暗転しておしまい…という余韻が私は忘れられないのでした。

 ともあれ、前髪をピンで上げて眉毛描いてそれが太く濃くなりすぎちゃってあわてるような、お人好しすぎて失恋が原因で自殺しちゃうような、いじらしげな大空さんが可愛かったので満足です。Cの笠原さんは劇団四季出身の方なんですね、そういう共演も嬉しかったことでしょう。
 男優さんがやるバージョンもあるんだとか。またいい感じに忘れたころに、違う座組や違う演出で観てみたい作品です。
 Dがゆうみちゃん、Cがゆきちゃん、Bがウメちゃん、Aがあゆっちとかどうかしらん…?



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『マドモアゼル・モーツァルト』

2021年10月17日 | 観劇記/タイトルま行
 東京建物ブリリアホール、2021年10月14日18時。

 天賦の音楽の才能を持って生まれた少女エリーザ(明日海りお)は、女性が音楽家になれなかった時代ゆえに、父レオポルド(戸井勝海)から男の子「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」として育てられた。モーツァルトは瞬く間に時代の寵児として宮廷でももてはやされるようになる。宮廷音楽家であるサリエリ(平方元基)はモーツァルトの音楽に否定的だったが、同時に目をそらせずにもいた。モーツァルトが下宿しているウェーバー家の母親(徳垣友子)は、彼の成功にあやかろうと娘のコンスタンツェ(華優希)と彼を結婚させようとし…
 原作/福山康治、演出/小林香、振付/原田薫、松田尚子、Seishiro。
 音楽座ミュージカルオリジナルプロダクション総指揮/相川レイ子、演出/ワームホールプロジェクト、脚本/横山由和、ワームホールプロジェクト、音楽/小室哲哉、高田浩、山口琇也、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、アントニオ・サリエリ。
 1991年初演。2008年の6度目の上演台本をもとにした新演出版、全2幕。

 原作漫画の感想はこちら、2005年の『21C:マドモアゼル・モーツァルト』を観たときの記事はこちら
 私は音楽座自体は全然通れていなくて、たまたまこの舞台を観たときに原作コミックスも買った…んだったかなあ? よく覚えていません。コミックスはそのまま所持していたので今回の上演が決まって再読しましたが、記事にもあるとおり引き続きまったく感心しませんでした。「モーツァルトが女だった」というアイディアから、何も進展していない話のようにしか私には見えないのです。
 ただ今回は女性の手による舞台化でもあるし、そのあたりに切り込んでくれるのかもしれないな…と楽しみにしていました。小林氏のそんなインタビューも事前にネットに上がりましたしね。
 キャストについては…私はみりおはテレビドラマで見ていてもわかるとおりいわゆる普通の女優の仕事(こういう言い方もアレですが)ができるんだから、エドガーといい今回といい、男役を引きずるような仕事はもうしない方がいいのではないか、と考えているので、別に諸手を挙げて大歓迎!ではありませんでした。ただもちろん上手いだろうとは思ったし、そういう意味では元宝塚歌劇の男役の女優がこのキャラクターをどう演じるのだろう?という興味はあり、楽しみではありました。だから相手役が華ちゃんだと発表されたときも、退団してまでコンビを組まなくてもいいんだよもっと違う仕事をしていけよ…とは思いましたが、逆にもしエリーザとコンスタンツェのシスターフッドみたいなものを描く気ならそこにそもそも女性同士である元宝塚歌劇のトップコンビを当てるというのはおもしろいことになるのかもしれない、と思い、これまた楽しみではありました。
 チケットは激戦だったらしく、明日海会にいる親友もほぼ全通ペースで申し込んだのに三回しかお取り次ぎがなかったと言っていましたが、その貴重な一回に同伴していただきました。お席は一階上手ブロックの前方で、舞台センターが斜めに綺麗に抜けて観やすいお席で、大不評のブリリア席ガチャに勝利できて助かりました。

 舞台は、やや八百屋の白く丸い板と、その後ろに斜めにあるエプロンとその両端の階段、天井に天使の輪のような輝く白い輪があるのが印象的(美術/伊藤雅子)でした。あと、アンサンブルがモーツァルトのオペラのキャラクターたちなのもとてもよかった。粋でした。お衣装(衣裳/中村秋美)もよかったけれど、唯一コンスタンツェはちょっと地味に見えたかもしれません。ドレスアップ場面はともかく、あとは一般人だから…ということでたとえばカテリーナ(石田ニコル。とーってもよかった!)なんかとはコンセプトが違うんでしょうが、しかしなんか中途半端だった気がします。私は別に華ちゃんファンではないので、彼女がもっと可愛く見えないとダメだぞぷんぷん、とかいう意味で不満なのではなく、なんか役として微妙だった気がしたので残念に感じたのです。あと、なんならエリーザ/モーツァルトも、同じようなコンセプトのお衣装でももっと何度も着替えてもよかったかもね、とも思いました。これもモーツァルトはそんなに裕福ではなかったんだから…というのがあるにしても、作品として、彩りとして、もっとあってもよかったのでは?とちょっと寂しく感じたのでした。
 そしてお話は…私は一幕にはやはり原作漫画と同様のフラストレーションを感じました。やはり「モーツァルトが女だった」というアイディアがあるだけで、その意味が描かれていないような、そこから何も進展していないような印象を受けたのです。
 なんせ、エリーザの内面や心情が全然描かれないんですよね。だからまず彼女が父親に男装を強いられたことに対してどう感じどう考えているのかが、全然見えないんです。だから私は観客として、エリーゼにすごく感情移入しづらかった。といってコンスタンツェにも共感できない、惚れた相手が同性だとこちらはハナから知っているからです。この恋は普通の意味では実らないと結果がわかって観ているからです。だからなんか全体に、ただ傍観者としてただ話の流れを追うだけになってしまって、ちょっと退屈に感じたのかなあ…音楽家として仕事が評価されること、女性にモテモテになっちゃったこと、コンスタンツェに迫られること、サリエリとの出会い…すべての出来事に対して、エリーザの心の動きは描かれないままに話は進み、父親の死を知って「自由だ!」となってどうやら男装をやめる決心をしたらしい…で一幕は終了。うーん、ちょっとぽかんとしちゃいましたよね…
 でも、二幕は俄然おもしろく感じたんですよね。でも何がどうよかったのか、おもしろく思えたのかは上手く言語化できません。そういう意味ではやはりあまり理屈が通っていないんだと思います、この舞台。それとも私があまりに「私が観たかったもの」を追いすぎていて、きちんと作品を観られていないということなのでしょうか…?
 男装をやめて、髪を結いドレスを着て、ヴォルフガングの従妹と名乗ってサリエリの音楽会に行くエリーザ。サリエリは「彼女」に花を贈って、コンスタンツェはいつボロが出るかとハラハラして。そうこうするうちにモーツァルト・ブームが去ったのか、なんかもてはやされなくなって。でもシカネーダー (古屋敬多。とてもよかった! 俳優さんというよりはダンスボーカルユニットの方なのだとか?)から新たな仕事の依頼を受けて。ここでエリーザとコンスタンツェが歌う「夜明け」という歌がとても感動的で、でも何がどういいのかはよくわからなかったんですよね。シスターフッドの場面だったような、そうでもないような…そして『魔笛』が成功して、エリーザはI am what I amめいたことを言って病に倒れ、昇天してしまう。けれど天から再び羽根ペンが落ちてきて、それを手にした彼女は再び音楽を紡ぎ出す…おしまい、みたいな。
 うーん、やっぱり私にはよくわかりませんでした。
 男か女かではなくその先、みたいなことを演出家はプログラムで語っていて、「本作のモーツァルトはノンバイナリーだという今回の解釈」で作られているのだとしたら、もしかしたら感度が高い観客には「やっとこういうものがキタ!」とすごく刺さるのかもしれません。それからすると私は全然旧世代なんだろうなと思うし、私はこのモチーフなら断然ジェンダー・バイナリーの物語が観たかったです。私は自分をシスヘテロ女性だと思っていて、観客の大半もそうだろうと勝手に考えているからです。だからそこをまず満足させてからでないと、その先になんか行けないよ、と思ってしまうのでした。
 女が女のままでは評価されない、女が男の名を負わされる、という現象は今もなお続いているのです。だからこれはとても今日的なモチーフです。女が音楽家になれないとされていた時代に、男以上の才能に恵まれて生まれたエリーザが、男装を強いられ、男の振りをして暮らし、女の妻を娶って何を思いどう考えていたのか、父親のことをサリエリのことをフランツ(鈴木勝吾。びっくりするくらい棒だったと思うんですけどアレはわざとな演技なの…?)のことをどう思っていたのか? 愛は? セックスは? 子供は? 仕事は? 私はそれが知りたいです。私たちはモーツァルトのような天才では全然ないけれど、彼女が歩まされた道は私たちの今の生き方に通じるものがあると思うからです。
 でも、それは全然描かれない。結局、モーツァルトは天才で性別なんか超越している存在なんだよ、って話? なら、天才なんかじゃ全然ない我々一般観客には無縁の話ですね、おしまい、ってだけになっちゃうじゃん。それでいいのかなあ? そういうことがやりたかったのかなあ? でもじゃあ他にどう解釈したらいいのこの作品…?
 みりおはさすがに華があり、それは観ていて楽しかったです。

 私はミーハークラシックファンでもあるので、そこここに散りばめられたモーツァルトの音楽、というかその散りばめられ方は素敵だなと思いました。
 あと、カテコのみりおのゆるふわ謎挨拶が健在で微笑ましかったです。バリバリのミュージカルでもストレート・プレイでも主役じゃなくても、舞台をどんどんやっていってくれると嬉しいなと思いました。もちろんテレビドラマや映画などの映像での演技でもいいんだけれど、やはり舞台に立てるというのは特殊な技能だと思うので、生かしてほしいのです。あと、やはりこの年格好の女優は役の幅が映像より舞台の方が広いでしょう。世界はまだまだジェンダー・バイナリーに囚われているのですからね残念ながら…
 この話をお友達にしたら「聡子をやればいいのに」と言うので、ソレだよ!と思いましたね。トウコさんが初代パーシーから退団後にマルグリットをやった、アレです。あれはよかった、いい企画でした。トートをやった人がシシィをやった例はたくさんあるけれど、アレはまた別。まあみりお聡子を向こうに回して清さまをやれる男優がいるのかよって話はありますけれど、それもまた別で、退団後にしていくべき仕事って、そしてファンが喜ぶ仕事って、たとえばそういうことなんじゃないのかなあ。いやコンサートとかももちろん喜ばれているとは思うんですけれどね。まあ余計な心配ですね、すみません。
 ただ退団後のお仕事は事務所だのなんだのいろいろ絡むんだろうし一筋縄ではいかないんだろうけれど、がんばっていってほしい、そして幸せでいてほしい…とただ祈っている、というだけです。ぐだぐだうるさくてすみません。
 





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もう何度目かの…祝・新生月組!博多座『川霧ドリチェ』初日雑感

2021年10月13日 | 日記
 私の初生月組観劇は、ユリちゃんヨシコのサヨナラ公演『ミーマイ』でした。ノンちゃんユウコのプレお披露目『ミーマイ』が観たくて、初めて中日劇場遠征をしました。大空さんファンでもあったので、以来ずっと観続けてきましたねえ。最近ならたまちゃぴプレお披露目初日のこちら、ムラ年越ししたお披露目初日のこちら、さくさくお披露目初日のこちらなど。
 れいこちゃんについては、雪組下級生時代のちょっと不思議な起用のされ方をずっと眺めてきながらも、「しかし美人だなあ」「しかし私の守備範囲じゃないんだなあ」とずっと思ってきたのですが(私の好みからすると美人すぎるように思えたのです…あくまで個人の好みの問題です、すみません)、『ダル湖』で雷に打たれたようになりまして、「プレお披露目? 初日から行くでしょ、そりゃ!!!」となって、祝日のはずが平日に変わっていて仕事であわあわしながらも、すべてを「邪魔だ、どけ!」と蹴っぱって飛行機に飛び乗ったのでした。ら、機内ですぐ後ろの席にれいこ会のお友達がいたのはさすがにおもしろすぎました(笑)。
『川霧の橋』は、なので私は初演には間に合っていなくて、昔スカステで見たっきり。娘役さんのいいお役がたくさんあるなあ、という印象は残っていましたが、あとは主題歌と有名なラストシーンが思い出される程度で、細かいところは全然覚えていませんでした。山本周五郎の小説を翻案したものだそうですが、未読。天神キャトルで幅頃帯の文庫を買ったので、このあと読みたいと思っています。なんか江戸の火事の話、という雑な理解で、発表後も放送がなく、予習ができませんでした。ただ、名作の呼び声高いこと、再演希望が多くファンの多い作品であること、まゆたんとかだいもんとかがやりたいと言っていたようなことがあったこと、でも柴田先生が再演に諾と言わなかったらしいこと…などを聞いていました。れいこくらげのプレお披露目での待望の再演、それも日本物が似合う博多座での上演…というのはとても美しく思えて、ときめきまくりで劇場へ向かいました。そして平日にもかかわらず知った顔に次々バッタリする劇場界隈よ…(笑)
  
 なので本当に素で「あっ、こういうキャラ設定なのね。あっ、こういう人間関係なんだ!? えっ、そしてここに冒頭の火事が来て…うわあ、こう展開するのか、おいおい、うわああぁ…」って感じで観てしまった初日です。イヤでもおもしろかった、感動した! せつない、というよりはしょっぱい話だなあとは思いましたが、イヤこりゃ沁みるわ、さすが「江戸切絵」だわ、と心震えましたよね。翌日11時公演も観て今ポメっているわけですが、確かに暗転で舞台転換する場数の多い芝居で時間経過もけっこうある、ヘタするとバタバタしてしまう芝居ですが、さすが2回目からは大道具も照明もぴたりとハマって緩急がつき効果音も冴え、もちろん生徒の演技も跳ねるところと締めるところ、微笑ませるところと泣かせるところがメリハリついて生き生きと血が通って、そしてこちらもお話のだいだいを把握した上で改めてしっかり味わおうとたっぷり観るので、それでたどりつくラストシーンはそれはそれはもう万感のものとなりました。ホント、こんなにこんなにこんなにいろいろいろいろいろいろあっての、「もう、どこへも行くな…!」だったんですねえぇ。そら初演当時も素晴らしい退団公演だったことでしょう、でもプレお披露目にもふさわしい、すがすがしい、そして未だ瑞々しい作品で、こういうテイストを大事にしていかないとねえぇと思わされました。イヤよかった!

 以下、簡単にキャラクターと生徒さんの感想を。もちろんネタバレしている箇所も多いかと思います、これからご観劇の方はご留意ください。
 というかどこまでが原作準拠なんだろう、ホントすごいキャラ造形だし台詞だし脚本であることよ…!

 れいこちゃん幸次郎、顔がイイ! イヤ知ってた!! プログラムをただ眺めただけで、「いやぁしかし顔がイイ」と何度つぶやいたことでしょう…青天の凜々しいこと、着流し姿の美しいこと、羽織を来て貫禄が出てきたころの様子のいいこと…! 大・正・解!!
 江戸の大工の若棟梁、ってだけならもうちょっと粋さやスマートさが欲しいところかもしれませんが、幸次郎さんはもとは悪ガキで手も出りゃ足も出るタイプで、でもホモソに溺れず真面目に仕事をして腕を上げた(るうちゃん源六の教えをよく聞いている、というエピソードが本当に上手いし憎い…!)、そういうところがとてもちゃんとしている人で、けれど女には奥手でヘンにテレやで言葉足らずで周りが心配してやきもきする朴念仁なので(モテてはいるのに!(笑))、れいこちゃんのあったかくてちょっと野暮ったいところもあるのがとてもニンに合うキャラクターなんだと思います。周りが冷やかしつつ心配しつつ愛し頼り盛り立てようとする感じも、新トップスター、組の新生にふさわしい。若棟梁のお披露目場面での幸さんキャラ立てソングの微笑ましいこと! ザッツ・和製ミュージカルって感じも楽しい。ホントにやにやしちゃいました。
 縁談の前後や火事の前後、嫁取りの前後など、それぞれのお光への態度がまたいいんですよね。ヘンにひねたりグレたり逆恨みしたりしつこくしたりしない。こういう男ってなかなかいない。こういうキャラを描く山本、柴田、小柳先生がホント素晴らしいと思うし、それを凜々しくすがすがしく体現するれいこちゃんが本当に素敵です。いじましくも薄情にも愚かにも見えない、これもなかなかに難しいことですよ…! およしのこともちゃんと愛し慈しみ大事にしていたんだと思えますしね…
 ラストシーン、橋の上でお光の姿を見つけてぱあっと笑顔になるのがもうたまりませんでした。舞台にはまだ現れていないの、でも観客全員に息せき切って駆けてくるお光の姿が見える気がするんですよね。すごい…! でも急がせないで足もとを気遣う優しさもあるの、たまらん…! からの、蛍を見つめるお光を見つめる眼差しの熱さ、情熱のたぎり…! 手を引っつかんで、前腕をさすって…エロい! 主題歌の歌詞にある「♪おまえが欲しい」って要するにこういうことよ!! アレでオチなきゃ女じゃない!!!
 喧嘩相手の胸ぐらつかむんじゃないんだしなんであそこをつかむんだろう?と謎だったし今も謎は謎なんですが、でもアレは確かに手首とかではダメですね。襟首をつかんで引き寄せて、でも頷いてもらえたら笑って離して整えてやるまでがセット。もうこれからはそこに手をかけるのは自分だけ、お光が手をかけさせるのは俺だけ…ってことですもんね。はあぁセクシー! チューもなんもなくてもエロさは表現できるんですよ、そして大事な愛あるエロはただのセクハラとか性暴力描写なんかとは違うんですよサイトー!!(…はっ、脱線しましたすみません)
 歌はやはり主題歌がよかったかなあ。黒カーテンをバックにひとりせつせつと歌って立派に場が保って、客席全体が幸次郎さんの幼なじみになった気にさせられたと思いましたよ…ホント、いいお芝居の人なので、これからも良き演目に恵まれることをお祈りしています。

 くらげちゃんお光はそりゃ上手さが光りましたよね…! 幼なじみカップルでよくあるのが、女の子の方がおませで男の子のことをちゃんと好きで、でも男の子の方はてんで子供で唐変木で気づいてなくて、よそから現れた美人さんに気がいっちゃったりするパターンかと思いますが、ここはお光の歳が幸次郎さんよりだいぶ離れて幼くて、かつそんなにおませなタイプじゃなくておっとりおぼこくて、だから祭りでふたりで踊ったりしてるし小りん姐さんだって気づいていて周りもなんとなく公認カップル扱いしているようなところもあるのに、当人は全然幸さんの想いに気づいていなくて、だから最初にコナかけてきた清吉さんにコロッといっちゃうんだし(これは初演がユリちゃんだったので「ユリちゃんならしょうがない」という空気があったんだとか(笑))、そういう子供っぽさ、恋に恋する乙女な感じ、一度した約束を貫こうとする真面目さやかたくなさ、そしてそこから苦労して、大人になり、友達だったおよしのご新造さんぶりを見るとせつなくて悲しくて胸に黒い炎が生まれて…という、なかなかに揺れて浮き沈みも激しい役どころを、さすがしっかり務めていました。くらげちゃんは容貌としては地味に見えがちなんだと思うのけれど(すみません私はもっとぱあっとした、かつ丸顔の娘役ちゃんが好みなんですよ…)、それもキャラのうち、と思えるのもいい。これからもれいこちゃんをしっかり支えつつ、トップ娘役としてもどんどん綺麗になっていってくれることでしょう。おちつきすぎ地味になりすぎないことだけを祈る! ボニータSの金髪ショーツの鬘は本当に似合っていて、ときめきました!

 幸次郎の兄弟弟子、ちなっちゃん半次。初演はカナメさん。これまた塩梅が良かったしスーパーマドロスタイムも歌もいい、ホント過不足ないですねー。そしてここのロマンスも本当にせつない…火事のことがあってもなくても、身分違いでどうにもならなかったことでしょう。そして清吉との最後の顛末を見せない、というのも憎い。橋を渡りきらなかった、渡りきれなかった半次…ということなんだそうですね。
 そして悪い方へ渡って、荒み転がり落ちたありちゃん清吉…荒むにつれて増す色気、ヤバい。半次兄さんとのふたりワル暮らしの薄い本をゼヒ…大阪で絡む白河りりちゃんもよかったです、ホント罪な男だぜ! それはともかく、2番手3番手スターは今後、芝居での役まわりは主役の親友役かライバル役かに決まりがちで、そこでどう自分を見せていくかが勝負だと思うので、いっそうの奮起に期待しています。でもれいこちゃんの左右にどちらかというと丸顔でスタイル抜群な長身ふたりが並ぶ、という絵面はとてもいい。やはり新生月組には期待しかありません!

 長唄の師匠でお嬢さまたちや町娘の先生役でもある京さん、髪結いで近所の気のいい女房といった感じの梨花さん、杉田屋の内儀でしっかり者なんだろうけれどどこかお嬢さん育ちも漂わせるなっちゃん(このお蝶の初演が京さん)、というご婦人三様の在り方がいいですね。そこへ相模屋のお嬢さまで、乳母日傘で育てられた、でも権高になることなくわがままでもなく、目下の者にも丁寧な口をきき親切にする心優しいお組(初演はリンリン)のじゅりちゃん。酔い方も荒れ方も亡くなり方も、よかったです…! 同じく舟宿の娘でそこまでお嬢じゃなかったかもしれないけれど、火事でも罹災せず苦労せずに幸せに嫁入りし、けれど健康には恵まれずはかなく逝ったおよし(初演はヨシコ。しかしせつないナレ死だ…!)のゆーゆ。バリバリのダンサーですが芝居もいいんですよ、弱いのは歌だけなんでもっと使ってください! 好き!! さらに髪結いの娘で、被災して暮らしが厳しくなってからは芸妓として働きに出るお千代の蘭世ちゃん。幸次郎にほのかに想いを寄せながらも見守るしかできないとわきまえている芸妓・小りん(初演はとんちゃん)のはーちゃん。娼婦だけれど人の心がある、婀娜っぽく賢く美しいお甲の泉里ちゃん。記憶を失ったお光を気遣うお秋の詩ちづる。みんなみんな、キャラの在り方も生徒の扮し方も素晴らしかったです。杉田屋の女中さんなんかもチェックしていきたかった…!
 男役陣は飛脚のぐっさん、初演ミツエさんの杉太郎のれんこん、鳶の小頭うーちゃん、二役やってるるねっこも、みんなホント上手くて声が良くて芝居の間が良くて清々しい。そして出色はるうさんの爺芝居ですよ、正しく爺なの! いやー上手い上手いと思ってはきたけれど本当に素晴らしかったです。大工sチェックもしたかった…! まだまだですみません。
 下級生にまでちょいちょい台詞があって、みんなしっかり演じていました。
 長屋暮らしの人情みたいなものは東京と名を変えた今の江戸にはもう残っていないのかもしれないけれど、火事が地震に変わってその中で人々が苦しくも生きていく、というのは今も変わりません。むしろ刺さる。そんな中で優しさや賢さを忘れず、小さな幸せを大事にして、信じて、手にしていきたい…そんなお話なんですね。
 まあきちんと考えると、人情といえば聞こえはいいけれど、生まれた頃から周りみんな知り合いで、心配してもらえているとか気遣われているといえばこれまた聞こえはいいけれど詮索されたり噂話されたり、忖度されたり空気読まされたり…ってことでもあると思うので、私なんかはやっぱりそれは息苦しいな、とは感じてしまうんですけれどね。それはもう、表裏一体なもので仕方ないのでしょう…
 ほの白い川霧は、博多の川にも立つことがあるのでしょうか…来週もう一度行きますが、また心して観たいです。

 そして「新たな夢へ」のサブタイトルがつけられた『ドリチェ』は、思っていたよりまんまでしたが、前トップスターのサヨナラ公演でも組内昇格の新トップスターが継承するならそれはめでたくも素敵なことで、勝手に上書きされた!みたいなこともなく、すごーく楽しめました。何より組ファンには拍手、手拍子タイミングが染みついていて楽しいしね!
 初日はお友達のおかげで2階前方どセンター席だったので、れいこちゃんが板付きプロローグで照明ついて笑ってこっちに手を差し伸べてきてくれたー!ってなりましたよね(笑)。イヤしかし実はシルエットのときから「ところでどーしたそのパーマは!?」とはちょっと思いましたけれどね(^^;)。れいこちゃんのこういうところ、ホント好き(すみません)。
 珠城さんがアカレンジャーになって再登場したところは白と金の変わり燕尾になっていて、プリンス感が増しました。あとはさくさくのところをくらげちゃん、れいこのところをちなっちゃん、ちなっちゃんのところをありちゃんというわかりやすいスライドで、ファンとしても入りやすかったのではないでしょうか。プロローグ終わりの歌もれいこちゃんで新調。
 スパニッシュのさくさくアレグリアはじゅりちゃんになりました。アミーゴありちゃんは今回もナイフや銃を持ち出すことなく(笑)、蘭世ちゃんのかわりにはーちゃんになってゆーゆも連れてカンタンテとして再登場。ここは私はいつもゆーゆロックオンでしたが、なんとお衣装が変わって胸元のガードが固くなっていたんですけれど、視線が邪すぎたのがバレましたかね!? 先日もお友達たちと、何故シスヘテロなのにこんなにも女体が好きなのか、結論の出ない議論を交わしたんですけれどね…(笑)髪型も本公演と変わっていて、とても素敵でした。ゆーゆのセクシーさに比べるとはーちゃんはぐっと大人でシャープな感じでしたでしょうか。
 そしてミロンガは、実は私は新2番手としてちなつセンター場面になるのかなと思っていて、初日にプログラムを買っていの一番に確認したのがソコでしたが、なんとSはれいこで来ました! 珠城さんと同じ紫のスーツ!! 初日はれいこのハットをくらげちゃんが取って被るのが上手くできなかったりしましたが、ダンスは危なげがなくて感心しましたね。珠城さんがあえて男臭くオラオラとやっていたのに対してれいこちゃんはあくまでスマートでクールで軽やかで、タンゴらしい力感がなく見えるのはちょっと残念かも。またせっかくトップコンビの場面になったのに、そんなに「俺のもの」感もない気もしました。でもハットの陰でチューする新しい振りが…ギャー! あとありちゃんのところがれんこんになってて振りも少し変わっていて、これにもギャー!となりました。良き…!
 アビバはありちゃんセンターに。そりゃダンスはありちゃんの方が上手いんだろうけど、れいこも見せ方が上手かったしラップ本当に上手かったよな、ありちゃん息切れしてるじゃん…と初日は思いましたがさすが二日目は仕上げてきました! そしてメイクも濃くてヤラしくてヨイ!! いいぞありちゃんオラついていこう!!!
 中詰め板付きがトップトリオになっていたのも粋でしたね。中詰め、ライフともほぼ順当にスライドした印象でしたでしょうか。おだちんの昭和歌謡は歌ママでるねっこになり、さすがに少しお洒落になりましたかね(笑)。ボニータの最下に詩ちづるが入って全私が狂喜乱舞! ロケットも少しフォーメーションが違ったけれど、まあほぼママだったかな? なんと黒燕尾もまんまでさすがにオイオイと思いましたが、デュエダンは桜色のグラデーションのドレスだったさくさくが真っ青な海の色のドレスのくらげちゃんになって、このふたりにしてはかなり可愛い、イチャコラ感ある振りでとても楽しかったです。あとくらげちゃんのスカートさばきがさすがで、アレは裾が喜ぶヤツですね。そこから再び燕尾のメイン格男役たちが出てきて、くらげちゃんがみんな私の昔のオトコよってなもんで薙ぎ倒していって最後にれいこになだれ込むくだりがおもしろく、そこから主題歌リプライズのターンをまたまんまでやるのでさすがにここはサヨナラ仕様だったのでは…とそれこそオイオイと思いましたが、やっぱりこういう継承が嬉しくて、意外に感動してうるうるして満足しちゃいしました。
 エトワールははーちゃん。なのでさくさくのドレスを着たくらげちゃんはちゃんとれいこちゃんの前に降りてきて、さささっと小走りして戻ってスタンバイするザッツ・トップ娘役芸を見せてくれて、よかったです。

 『ダル湖』のカテコはだいぶおもしろいことになっていたれいこちゃんですが、トップスターになったからというわけではないでしょうが今回はいたって真面目で真摯で、でもとおりいっぺんのことをただ口先でしゃべってるんじゃなくてちゃんとハートがあって、とても感動的でした。てか初日、舞台が暑いみたいなこととも言っていたけど汗ひとつかかずに綺麗なままで、ドロドロだった(今もわりと)咲ちゃんと大違いだな…!?と思ったりしちゃいましたよねすんません。博多座、初なんですねえ。そういえばそうだったかも…そしてるうさんに言えと言われたという(笑)博多弁での「好いとうよ!」には思わず歓声上げちゃいましたすみません気をつけます…
 スタオベになってから、終演アナウンスが流れても拍手が鳴り止まず、恒例の蟹歩きで緞帳前に出てきてくれて、でもあとからくらげちゃんも出てくるもんだと思っていたみたいで「え…私だけ…?」とキョドったり「私、やめるみたいですね」と笑っちゃったり、ホントいろいろと愛しかったです。トップコンビってもちろん大事だけれど、組のトップスターはアナタひとりなんだからネ! これからピンで全部背負うことも多くなるのよ、がんばって!!(笑)
 でも本当のことを言えば全然心配していません。れいこちゃんご本人が、新しい組をみんなで作っていく、みたいな決意も語っていて頼もしかったし、組子みんなが協力して盛り立ててくれるだろうことも信じられるからです。あとは、新たな、いろいろな化学反応が見られるといいな、と思います。特に2番手のちなつと、3番手のありちゃんと、これまでにはなかった関係性みたいなものが見えてくると楽しいと思うので。もちろん良き作品、良きお役ありきで。あとショーでの在り方もたまさくとは違ってくることでしょう、それも楽しみです。
 私は3番手スターまでは学年順に並んでいて、次期トップ、次々期トップがきちんと想定されている状態の方が美しいと思っていますが、近年のみやちゃん、あきら、愛ちゃんに続く上級生2番手に今回ちなっちゃんが就任し、立派な大羽根も背負いましたね。遅咲きトップという話でいえば大空さんとかみっちゃんとかを例に出す人も多いけれど、あれは本当に特殊なケースだったと私は思うし、ちなっちゃんだってこの先トップってのは厳しいんじゃないの?とはどうしても思ってしまいます。華も実力もあるしファンも多いだろうけれど、でもここまでの歩みがなあとか前記3人がなれなかったんだしなあとかてかどこも空かないじゃんそもそも劇団は95期トップを並べたいんだろうしさあとか考えると、じゃあどこでどうするよ?というのも見据えつつ、上手く下級生が育って代替わりしていければいいなと思うのです。くらげちゃんだって学年からして先にやめるかもしれないし、相手役が替わるとれいこちゃんのトップ寿命が延びたりしますしね…
 まあ、あまりしょっぱい話をするのもなんですし、未来はわからないものです。とりあえずこのへんで。お気に障ったら申し訳ないです。
 とりあえずお披露目公演も参る予定でおりますので、引き続き楽しみに、熱く萌え萌えで見守りたく思っています!












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宝塚歌劇月組『LOVE AND ALL THAT JAZZ』

2021年10月10日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 宝塚バウホール、2021年10月9日11時半。

 第二次世界大戦下のベルリン。ジャズ・クラブ「ディ・フライエ」は最盛期にはヨーロッパにおけるジャズの聖地と謳われたほどの名店だったが、ナチスの台頭によりジャズは退廃音楽として禁止され、今やかつての栄光は見る影もなくなっていた。バンドマンたちは次々と祖国に帰国したが、ドイツ人ピアニストのルーカス・ボルクマン(風間柚乃)だけは、ベルリンのジャズを守るという強い信念のもと、店に残り続けていた。ある日ディ・フライエに、胸にダビデの星をつけた娘が逃げ込んでくる。ルーカスは即座に状況を察し、その娘レナーテ(きよら羽龍)を奥の楽屋へ匿うが…
 作・演出/谷正純、作曲・編曲/吉﨑憲司、植田浩徳。「ベルリンの冬、モントリオールの春」というサブタイトルがつけられたミュージカルで、研38とも言われる(笑)月組4番手スターのバウ初主演作。全2幕。

 ショルダータイトルは「バウ・ミュージカル」ですが、むしろストーリー仕立てのショー、レビューみたいなスタイルの作品です、と謳ってくれた方が観客は心構えができやすくてよかったのではないかな、と感じました。いや海外ミュージカルでわりとこういうタイプの作品、ありますけれどね。ナンバーが多くて、間につなぎの芝居がちょっとだけ入るようなヤツ。でも日本ではわりとウケていないと思うのです、というか少なくとも私は苦手。よーっぽどよくできていてよーっぽどおもしろいものでないと、「ただ楽しむ」ということが私は苦手だからで、「難しいもの好き」と言われる日本人のメンタリティにも今ひとつ合わないのではないかと感じられるからです。まして今の「芝居の月組」、やっと新公を卒業した100期だけれど「えっまだ主演していなかったっけ!?」と言われがちな、専科かなとか研いくつだっけとか言われる持ち味の、なんでもできて芝居巧者のおだちんの初主演作とくれば、ファンは普通は、がっつり芝居を期待してしまうものだと思われるからです。
 でも、蓋を開けたらコレだった…そりゃ初日から詰めかけたファンは(近年まれに見るチケ難公演だったと思います)肩すかしを食らった気になったことでしょう。そりゃ組子のことしかつぶやかないよね…私調べではキャラの名前とかストーリー展開に関して言及のないレポツイートしか流れてこない作品の出来は、残念なことが多いです。一昨日昨日と平日でしたし、ファンが観て、そして優しく口をつぐんでいたのでしょう…これからはもっと正直な感想(要するに酷評)も出てくるだろうし、「リピートはいいや」って感じで手放されたチケットが世に出てくるのではないかしらん…
 いや、なんかそんな予兆を感じて、観劇直前にものすごくハードルを下げて観る心境になったので、私自身は意外に楽しく観てしまいました。箸にも棒にも、という駄作だとも思っていません。組子のファンならナンバーやフィナーレ、わずかな芝居場面でもその深化なんかを楽しみに通えるのかなとも思います。でも私はお断りが惜しくなかった(^^;)。でもふざけんな時間返せとかも思わなかった、そんな感じです。
 でも、もうちょっとアイディア出そうよ谷先生、枯れちゃったの…?とは、思いました。ドイツ人の青年がユダヤ人の娘とベルリンを出てパリへ、そしてモントリオールへ…という流れしか、ない。キャラクターがない、ドラマがない。行く先々で関わる人がいて…というのはあるけれど、事件とかエピソードというほどのものでもない。ナンバー場面は有名なジャズの楽曲ばかりで楽しいけれど、ものすごくショーアツプされていて圧巻!というほどのパワーはない。ラストシーンがトートツだという評も聞こえますが私は好きです、だが長い。このアイディアに先生の方が酔っちゃってるのがわかる。それじゃダメなんですよ、ああぁもったいない…そして何より書かれた芝居が、台詞が、なんか中学生がちょっと思いついて勉強しただけで書いたみたいな、芸も深みも含蓄もない、生硬な、生煮えのもので、私は観ていて気恥ずかしくて何度も奥歯を噛みしめて耐え忍びました。そんなんでシェイクスピアの引用するとかホントやめて、シェイクスピアに謝って、ってもう身悶えしましたよね…
 からんちゃんとヤスはさすがの芝居をしていたけれど、あとはもうやりようないやろコレ!と正直思います。ゾマー少尉(礼華はる)とか、なんかもっと書き込んでくれよ! これが2番手格のキャラ、スターなんじゃないの!? ぱるはもっとできる子ですよ!? 使ってくださいよ。あと専科になったゆりちゃんをわざわざ起用してコレなの? ねえ…!?? ゆうちゃんさんも、贅沢すぎるやろ…あと蘭くんのあの設定、要ります…?
 そんな中でもおだちんは、ほぼ出ずっぱりでかつ何度も着替えて出てきては歌い踊り芝居して、八面六臂っつーかなんつーか、もうホント気の毒なくらい働かされているんだけどそれが務まるんだから、本当に本当にたいしたものです。てかナウオンで7分あるとか言っていた気がする雪中行軍場面、あんな尺、要ります…? ひとり『心中・恋の大和路』とかホントつらい…とホントおだちんが気の毒になったんですけど…なんかあるやろここにレナーテの芝居重ねるとかさ、てか二幕おはねちゃんほとんど出てなかったやん! ホント仕事してよ谷先生…!! イヤでもホントこういうのを保たせるおだちんさまは素晴らしすぎましたよ、トップスターの退団公演のショーかよってくらいオンステージ状態でしたもんね。オリジナル楽曲は昭和歌謡テイストで主題歌もどんなんだっけ思い出せない…って感じですが、いつかトップスターになって、そして退団することになったらサヨナラショーのシメは「SING SING SING」で組子みんなで爆踊りしながら幕を下ろすといいんじゃないかなと思いました。それでやっと浮かばれるファンもいることでしょう…
 二幕のドロシー役の一乃澟ちゃんがとてもよかったです。あとは美海そらちゃんが目力があって目を惹いたかなあ。
 あとはラストシーンのぱるよ! 一幕は制帽で二幕は髭で、やっと顔が見えたわはわわわやっぱ美形だわ!ってホントーにテンション上がりました。そこからずっとフィナーレもロックオンしちゃいましたよおだちんごめん…ゆうちゃんさんの歌のあと、暗い中でスタンバイしててもあの前髪は絶対そうだって見極められた自分がホント怖かったです(笑)。好みなんですすみません、やっと垢抜けてきましたよね…!(涙)(と何度も言っている気がします(笑))
 もちろんおだちんは、ポスターも素敵だしプログラムの最初の見開きも最後の見開きも裏表紙もすごーくフォトジェニックで美しく、素晴らしかったです。舞台姿はやや無骨に見えるくらいなのにね。でも大変だろうけど軽々やっているように見えるのも頼もしい。でも本人が楽しいと思っているか、思えているかはナゾかも…でもまあきっと、いい経験にはなっていることでしょう。ですます調で優しくしゃべり、だけど笑顔に圧があって(笑)周りがなんとなくほだされて協力しちゃう…という人物像はおもしろい設定だったんだけれど、いかんせん設定だけだったよな、という感じだったので、中の人としては演技のしようもなかったと思いますが、とにかく無類の真ん中力でひたすら誠実に舞台の中央に立ち続け作品世界を成立し続けていました。立派です。なかなかできることではありません。ところで珠城さんは観劇予定はあるのかしら、観てあげてほしいなあ…
 次の主演作に期待します。思えばずんちゃんもなんでもできる人なのに主演作最初の2本はホントけっこうアレでした、いるよねたまに作品運のない人って…それでもできる人はさらに伸びていくものなので、まったく心配していません! 次の本公演も楽しみにしています。
 配信することにしたのは、チケ難を受けて…なのかなあ? けっこう異例ですよね。千秋楽配信で平日昼間とのことなので、どれくらい見てもらえるものなのかは未知数ですが、映像で見るとまた印象は変わるのかな…? みなさんの感想も楽しみです。まあファンとしては、作家にはきちんと苦言を呈し、生徒はあたたかく見守って応援し続けるしかできることがないので、お互い引き続き地道にがんばりましょうね…
 しかし100期バウ主演はほのちゃん、おだちんと来ていて雪は一期下のあがちんが務めるので(あがあみだといいな♪)、星はぼちぼちかりんさんだと思うんですけれど、だ、大丈夫なのかしら…そして宙はこってぃか、はたまたなにキョロとかでやるのかなあ、それはさすがにまだ早いのかなあ。でも次世代もどんどん育てていかないと育ちませんからね。だからこそいっそう、脚本・演出の先生方にも精進してもらわないと困るんですけれどね。まあひとこの東上付き公演とかは、いい新人作家いい題材いい着目点な気がするので、期待しています! 頼みますよ劇団!!




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『ドッグファイト』

2021年10月08日 | 観劇記/タイトルた行
 シアタークリエ、2021年10月2日13時。

 1963年11月、アメリカ・サンフランシスコ。エディ・バードレイス(屋良朝幸)と親友のラルフィー・ボーランド(藤岡正明)、ディッキー・バーンスタイン(大久保祥太郎)は訓練期間を終えた海兵隊員で、イニシャルがBで始まる自分たちを「スリービーズ(三匹の蜂)」と称するほど仲が良い。ベトナム戦争出征前夜、彼らは母国で最後の夜を楽しむために街で大騒ぎを始め、「ドッグファイト」に参加する。ドッグファイトとは、海兵隊に伝わる、パーティーに一番イケていない女の子を連れてきた者が賞金を得るというゲームだった。エディは街のとある食堂に行き着き、ギターをつま弾き歌を歌っているローズ・フェニー(昆夏美)と出会う。エディはローズをパーティーに連れ出すことに成功するが…
 作詞・作曲/ベンジ・パセック&ジャスティン・ポール、脚本/ピーター・ドゥシャン、翻訳/小田島恒志、訳詞/高橋亜子、演出/山田和也、音楽監督/玉麻尚一、歌唱指導/高野絹也、振付/加賀屋一肇。91年の同名のアメリカ映画をミュージカル化、2012年オフ・ブロードウェイ初演。日本初演は15年で、17年に再演。今回は主演以外のキャスト、クリエイティブ・チームを一新したニュー・プロダクション。全2幕。

 ご縁あって楽直前に滑り込んできました。みほこ、えりたん出演作で気になっていたのですが、今ひとつ気分が盛り上がらず、自分ではチケット手配をしなかったので…戦闘機の空中戦とは違うネーミングのあらすじに、モヤモヤしたものを感じていたからでしょうね。
 もともとの映画はリバー・フェニックスが主演したものだそうですね。なんにせよ、当時、まあ今もかな、まあまあ若者な作詞・作曲家コンビがこれをミュージカル化しようと思うんだから不思議だなあ…それとも男ってまったく進化しない生き物だってことなんでしょうか。
 パーティーに連れてこられたのは、地味なおかっぱにメガネで微妙にダサいスーツのOL(ってシスコでもいうのかな…でもみほこ、可愛さが漏れちゃってたよ!)とか左右の眉毛が未見でつながっちゃってる先住民の女の子(池谷祐子)とか(しかしこの描かれ方はブラックフェイスと同様に今や問題視されるべきなのではあるまいか)ばかりで、でも男たちはみんなおべんちゃらを言って彼女たちをその気にさせて連れてきているわけです。ローズも初めてのデートに浮かれて、ピアノの発表会で子供が着せられるような、でも彼女にとっては一張羅のどピンクのドレスを着て、髪も巻いてお化粧して、ドキドキで臨みます。パーティーはカップルのダンスがコンテストで、そしてその後、企画の真相が公表されるというものです。そこで初めて彼女たちは、自分たちが「ブス度」を競って連れてこられたのだと知ることになるわけです。男たちは掌を返してそれを嘲笑し、優勝した仲間を褒めそやして馬鹿笑いするまでがセット。これはそういう、愚劣で残酷なゲームなのでした。
 だから我々観客としては、まずはローズがその真相を知ってからだ、話はそれからだ、と思って観ることになります。エディたちがどんなに友情を歌い明日には戦地で死ぬかもしれない恐怖を歌おうと、そんなこたぁ知ったこっちゃありません。それより騙された女の子たちの心の方が心配なのです。
 ところがローズが真相を知るところまでで一幕は終わってしまいました。そして冒頭の、どうやら除隊後に再びシスコへ向かうらしきエディの姿に戻って終わる。なので二幕は再会してからのお話になるのかな…と思っていたら、時間は再び戻って、パーティーがお開きになったあと、エディがローズに謝りに行くところからまた展開されるのでした。
 ローズは確かに太っていて内気で髪がボサボサでイケてない女子かもしれないけれど、本当は明るくてひたむきで真面目で、音楽や文学に造詣が深く、優しくて賢い、エディの何億倍も上等な人間です。もちろんエディにも彼女に対し申し訳なく思い、彼女を哀れむ程度のハートはあるのですが、でも本当なら話しかける資格も与えられないくらいに魂のレベルが全然違うのです。というかエディは人間にまだなれていないような存在なのです。貧しくて、教育も愛も栄養も与えられず、ただ人柱として死ぬためだけに戦地に送り込まれるような存在でしかないのですから。
 死への恐怖を発散するために仕方ないんだ、俺たちが戦わなければ誰が国を守るんだ、と男たちは言うのでしょう。けれど女たちは誰も男たちに戦争してくれなんて頼んでいません。戦わなかったら攻め込まれるんだぞ、おまえらみんな敵の慰み者にされるんだぞ、と男たちは言うのでしょう。けれど今すでに女たちはそういう男たちの慰み者にされているのです。相手が変わっても何も変わらない。だから戦争なんて必要ない、それが女たちの答えです。でも男たちは耳を貸そうとしない。そもそも女に尋ねもしないのが男でしょう。
 未だに世界のどこかで戦争がなされていない日はなく、けれどとりあえず今のアメリカはそして日本はベトナムや湾岸やイラクの戦争にどっぷりだった時代とは違うのに、こういう作品を今、上演しようというならそのことに対する批評的な視線というのは絶対になければならないのではないでしょうか。
 でもそれが、私には感じられませんでした。男ってバカだよねー、とかこういうことってあるよねー、みたいな、生ぬるい感傷やホモソーシャル的傷の舐め合い、馴れ合いがほの見えていた気がしました。だから終始「ケッ」と思いながら観る観劇でした。演者がみんな上手い、特に女優陣が昆ちゃん以外は何役もしたりしてそれがまたすこぶるいい、ということだけが救いでした。みほこもえりたんも歌ってくれたしね。あとサカケンはすごく無駄遣いな気がしたけどいいんでしょうか…
 エディはちゃんとコンドームを使っていましたが、それでも私は、ローズがエディの息子を育てていて店の名前がその子の名前になっていたりしたらヤダな、と怯えながらラストシーンを迎えました。もちろん歌手として大成功していて今はもう食堂なんか跡形もない、という展開でもよかったんだけれど。
 でも、いいラストでした。ローズは痩せて大人になって、おそらく母親の代わりに今はひとりで食堂を切り盛りしている。手紙は一度も届かなかったし、エディのことを思い出す日はどんどん少なくなっていっていたことでしょう。それでも、会えばわかった。だから「おかえり」と言ってあげた。でも、それだけ。別にずっと待っていたとかそれで彼女の人生が無駄にされたとかこれからふたりの薔薇色の人生が始まるのだとか、そういうことはいっさいナシ。
 だって描かれていないから。出てきていないだけでローズにはちゃんとした夫ないし恋人がいて店を手伝っているのかもしれないし、このあとふたりで家に帰る、ないしデートに行くのかもしれない。そう思える。エディが戦地で戦っていた間、ローズはローズで彼女の人生を戦っていたのですからね。エディがローズに会いたくて戻ったのなら、会わせてやってもいい。でもこれからのことはまた別のことだし、その間のこともまた別のことだ…と、なかば皮肉に思いながら、それでもまあまあ気持ち良く見終えられました。なので、よかったです。
 でも、エディは敵を倒して、あるいは仲間を救って勲章のひとつも手にしたのかもしれないけれど、たとえばローズの母親(彩乃かなみ)は男が捨てた娘を育て上げても勲章をもらうどころか一言も褒めてもらうことすらないわけじゃないですか。その不均衡、その不平等。この世のすべての悪の根源はジェンダーバランスの無調整にあるのだろうな、と思わされます。そりゃ男女は違います、性差はある、あたりまえです。差はあって、だからかけ合って次の世代が生まれて、そうやって命をつないできた生き物です。でも差はあっても男と女は対等です。一対一で次の世代をひとつ作る、対等な存在です。だから対等に扱わなければならない、お互いを尊重し合わなければならない。なのにそういうシステムが、人類誕生以降何億だか何万年経ってるのか知らないけど未だできていない。だから戦争も起きるんです。でも人類はそろそろもう少し賢くなっていい。でないと地球を滅ぼして終わるだけです。
 だから本当ならこんな作品を感傷的に描いて悦に入っている場合ではないのです。この作品がなんでこんなに再演を繰り返しているのか皆目わかりませんが、そろそろもうひとつ先に行ってもいいんじゃないでしょうか。たとえばそろそろ、これを完全にローズ側から描いた作品が作られてもいいんじゃないの? 男たちの出征を見送ったあとの女たちの生き様こそがもっと描かれるべきなのではないの? そういう視点を持った若いクリエイターが今この瞬間にも生まれていることを、祈っています。

 しかしえりたんは現役時代は男役としては撫で肩だと言われていたけれど、撫で肩というよりは首から肩にかけて斜めに筋肉がついているタイプで、要するにデコルテを出すと色っぽい娼婦というよりはいわゆるオカマに見えちゃうんだなすごいなえりたん…と妙なところで感心してしまいました。とっぱしの美人役での登場はキュートだったのにな(笑)。なんにせよ、元気で何よりです。
 愛知、大阪と無事の完走をお祈りしています。



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