駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『ドン・ジュアン』

2021年10月29日 | 観劇記/タイトルた行
 赤坂ACTシアター、2021年10月25日18時。

 雪組版の観劇記はこちら、初演はこちら
 今回は初演キャストからマリアが真彩希帆に、アンダルシアの美女が上野水香に替わっただけ…なのかな? 日和ってプログラムを買わなかったので…すみません。
 内容をいい感じに忘れて劇場に出向いたのですが、入場したら幕はもう上がっていて下手に塔、奥に斜めになった赤い大地…みたいなセットが出ていて、「そうそう、そうだった」と思い出してきてテンションが上がり、前回観劇時よりお席が断然良かったこともあって、実に楽しく観てしまいました。やっぱり好きな作品です、映像化されるそうなので買っちゃおうかなと私にしては珍しく揺らいでいます。
 台詞や演出などもちょいちょい細かく変わっていたようで、ラファエルがマリアに仕事を辞めてもらいたがっている感じなんかはほとんどなくなっていたようですが、それはまあそれでもいいのかな、まあどっちでもいいかな。ただやはり主人公がここまでグレている理由の説明は、何か欲しいなと思いました。母親のエピソードが全カットだったとしても、そもそも父親が母親に冷たくて家庭や結婚、恋愛、女性というものに絶望して育った…とかでもなんでもいいから、何かないと、いくらイケメンだろうとなんだろうと観客は「どうしたオイ(^^;)」ってなっちゃうと思うんですよね。美形でフェロモンもあふれていればどんな女からも総モテ、というのはぶっちゃけ男性作家の幻想で、多くの女性観客からしたら鼻で笑いたくなる設定だと思うのです。それはだいもんや藤ヶ谷くんがいかにカッコよくやってくれようと同じことだと思います。顔や身体だけでも惚れる女もいるけれど(そしてそれはまったく悪いことではないのですが)、すべての女がそんなわけはない。でも今、すべての女がそうだとこの作品では表現されている(マリアは別格の、「おもしれー女」枠の存在なので)。エルヴィラもイサベルもそれこそひとからげです。それには、そんなこたあるかい、と言いたくなってしまうわけです。彼の孤独に惹かれたの、なんてのはあまりにベタベタですが、でもないより断然いい。なんか作ってくださいよ理由を。美形じゃないからぼくちんモテないんだ、みたいな男性作家の僻みを乗っけるんじゃない、と言いたいです。
 その他、総じて感想は前回と同じです。足りないところは変わらず足りていないが、おもしろいところは本当におもしろくて、私は好きだ、ということです。藤ヶ谷くんは芝居歌が上手くなっていて、歩き方も良くなっていて、あいかわらずタカラジェンヌに比べたら脚の長さには不満はあるんだけれどそれは些末なことであり、とても良い座長芝居をやってのけていたと思います。あと、これで初めてミュージカルなるものを観る、というたとえば藤ヶ谷くんファンの若いお嬢さんたちにも、舞台の楽しさというものが伝わる出来なのではないかな、と思いました。
 そしてもちろんきぃちゃんマリアがとにもかくにも素晴らしかったです! まずラファエルと一緒にニコニコ出てくるのがいかにも可愛らしくてこざっぱりしていて、その後はけっこう長く出てこなくて話も進まないのでジレジレさせられるんだけど(話をまったく知らないで観たら「さっさと話を展開させろよ」って私は怒って暴れるくらいの構成の下手さなのではないかとは思う)、あみちゃんの素晴らしさやけっこう多彩なナンバーのおもしろさを楽しんでいると(やはりそもそも楽曲が素晴らしいですよね…!)けっこう保ちました。で、工房の場面にマリアが再度現れて、ノミを打つ音がドン・ジュアンの胸をえぐるとき、私たち観客の胸もまた激しく奮わせられるのでした。きぃちゃんマリアの艶やかさ、華やかさ、輝きには、それほどのパワーがありました。
 やはりミュージカルのヒロインって綺麗で可愛くて美しくて歌が上手くて芝居ができて華がないとね!という、本当ならごくごくあたりまえであるはずのことを、しみじみ痛感させられる瞬間でした。残念ながらそういう女優は現実にはとても少なく、我々ファンはどこかしら目をつぶって、我慢して補完して作品を観ているようなところがままあるからです。でもきぃちゃんにはそんな心配は要らないのです! 今後ありとあらゆる大作ミュージカルのヒロインを端からガンガンやってほしい!! 若い時分でないと似合わない役、というものも残念ながらあるのだし。でもまだアレもコレもまだまだ間に合います。渋いストプレとかはそのあとでいい、20年後くらいでいいからね。はー、楽しみすぎます。オファーがそれこそ薔薇の雨のように彼女のところに降り注いでいるのではないかしらん、てかそうでなきゃ業界ゴロ何してんねんって話です。初日のこの瞬間はまさしく、世間に真彩希帆が見つかってしまった!という瞬間になったのではないかしらん、と想像します。それくらい、飛び抜けていました。
 でももちろん作品から浮きすぎてしまう、ということはない。ショーも引っ張れる元宝塚歌劇団の娘役トップとしてのスターオーラは、上手く調整していたと思います。でもマリアの天然さや不思議ちゃんさ、いわゆる「おもしれー女」感を表現して、実にちょうどよかったです。マリアは他の女たちと違ってドン・ジュアンの顔や身体にすぐさまメロメロになることもなければ、稀代のプレイボーイとして恐れ怯えるおぼこいカマトトぶりを見せることもなく、ただ彫像のための取材として、騎士団長の顔についての話をしたがる、一風変わった女なのでした。ドン・ジュアンからしたら、罰は免れたとはいえ殺した男(しかもその霊につきまとわれている男)についてアレコレ聞かれるわけで、そら不愉快だし不可解だし、なんじゃこの女ってなものです。そんな違和感から始まるとまどいとときめき、恋…ベタですね。でも恋って、物語ってそういうものですから、いいのです。
 騎士団長がドン・ジュアンの相手としてマリアに白羽の矢を立てたのは、彼女が女だてらに自分の彫像なんぞを作ろうとしている、それこそ「おもしれー女」だからなのでしょう。このときまで彼女は、ラファエルとの幼なじみの延長のような恋の経験はあったにしても、あくまで芸術家でした。けれど騎士団長の呪いの輪にドン・ジュアンとともに巻き込まれて、彼女もまたただの恋に生き恋の喜びに酔う女になってしまう。彫像は忘れ去られ、放置されます。でもそれでいいんですよね。恋か仕事か、なんて二択ではなくて両方取るのがいいってのももちろんある一方で、片方だけになったってもちろん全然かまわないのです。当人がそれで幸せならね、それが人生です。人生の一時期です。ラファエルには仕事を辞めてくれと言われたら不満顔をしただろうマリアも、ドン・ジュアンと出会ってからは自分から仕事を忘れる、そういうことは別にあってもいいのです。今や傍目にはマリアはただのそこらの女と変わらなくなり、だから周りの女たちはやっかむわけですが、恋に夢中のドン・ジュアンはそれに気づかない。それでいいのです、恋ってそういうものだからです。
 けれどラファエルが戻ってきて、決闘騒ぎになったときに、恋を得られないとわかりながらも命を賭けられるラファエルを見て、ドン・ジュアンはマリアへの恋以上に、人間や人生を愛することをやっと、知る。だから、自らその証として、死ぬ…
 大山鳴動して鼠が出ないような話で、多くの人間にはほぼ自明なことをこうまでしないと学べなかったドン・ジュアンの哀れさに、改めて涙する作品です。そして女たちは…エルヴィラは、頭を下げて修道院に帰るしかないのではないかしらん。でもきっと修道院は受け入れてくれるでしょう。この時代のこの階層の女たちにとって生きる場所は多くはありません、それはもう仕方がないことなのでした。そしてマリアは、工房に戻るのでしょう。そしてドン・ジュアンの像を作るのかもしれません。この先ラファエル、あるいはまた別の新たな男が彼女の人生に現れるかはまた別の問題で、騎士団長の呪いも解けて以降は彼女はもともとの「芸術家」に戻り、もしかしたら以前よりはいい作品を仕上げるようになるのかもしれません。それは恋の経験のおかげかもしれない、でもそうではないかもしれない。彼女はまた違った形で幸せになるのかもしれない、ならないのかもしれない。ドン・ジュアンはある種勝手に、というか騎士団長にある種導かれて愛に目覚め、そして死んでいったのだけれど、残されたマリアの人生は続くのであり、それはまた別の彼女の物語になるのです。巻き込まれて大迷惑、という見方もあるだろうけれど、生きてさえいればまだもっといいことがあることもありえるので、やはりこれでよかったのだと思います。後追い自殺とか、無意味だからしちゃダメなのよ?
 むしろ引きずるのはドン・カルロの方かもしれません。再演で時代が進んでいることもあり、彼は要するにドン・ジュアンをそういう意味で愛していたのである…とした方がわかりやすいしハマるし深まるのでは?とも感じました。あいかわらず中途半端な「友人枠」だった気がしたので…
 まあでも役者は全員素晴らしかったですよね。いい舞台でした。
 あ、エルヴィラは不満だったかな。歌唱が不安定だったし、演技も演出も、このキャラクターに関して何をどう示したいのか私にはちょっとよくわからなくて、観ていて気に障りました。単なる愚かな女のひとり、であるはずはないと思うのだけれど…普通はマリアになれないので、一般女性を代表するのはむしろ彼女のはずなんだけれど…ここがこう中途半端だと、この男性作家の、ひいてはこの作品世界の女性観はどうなってんねん、までいって不愉快なのです。といってイサベルが女神枠、みたいなこともないわけだしさ…もう次はエルヴィラはあみちゃんがいいなー、上手いぞきっと。
 そして本当に騎士団長ってお役の大きさと、この配役の良さを痛感させられましたよね。彼はまあ、自身とか娘の復讐のために動いている存在ではあるんだけれど、ある種の神でもありますよね。ドン・ジュアンを、つまり人を愛に導いて、去っていく…
 もともとのオペラにはあまりそういう要素を感じたことがないので、やはり上手く現代版になった、おもしろい、興味深いミュージカルだなと思いました。次は主演を変えて、再演され続ける、愛される作品になるといいなと思いました。もちろんタイプは違うけれど、たとえば『モーツァルト!』とかよりおもしろくありません…? あ、これは個人の嗜好による好みの問題か…
 ところでちょうど宝塚歌劇星組御園座公演『王家に捧ぐ歌』の振り分けと主な配役が出たところでもあり、もうこの演目を一生分観た気でいる宙担友と、「どうせならこっちゃんドン・ジュアンとひっとんマリアの『ドン・ジュアン』が観たかった」とちょっと盛り上がりましたよね…ぴードン・カルロのかりんさんラファエル!? ときめきしかなくないですかね!?!? あのすんばらしかった喧嘩騒ぎの最中のソロと決闘の殺陣がかりんさんにできるとは私には思えないんですけどね、なんせぴちょんくんを手に乗せるのが宇宙一似合う男役ですからね…!(煩悩で大混乱)
 てか少なくともこっちゃんで『1789』再演はやるべきですよね、こっちゃんはワタルやチエちゃんとは違うことが出来る大スターなのよ? あと、一度外部に持っていった作品をまた宝塚でやっていくことも大事なことだと思うのですよ。『スカピン』なんかもそうですが。まずはオリジナル・ミュージカルをがんばっていってほしいのだけれど、一方で輸入ミュージカルをどう翻案し根付かせていくか、というのもなかなかの課題だと私は考えているので。ただOGを輩出するだけではなく、ね。
 そうやって、いいミュージカル、舞台、物語が広げられていくと、一ファンとしては嬉しいな、と思うのでした。

コメント
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