駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『サメと泳ぐ』

2018年09月08日 | 観劇記/タイトルさ行
 世田谷パブリックシアター、2018年9月7日18時半。

 ハリウッドの大手映画製作会社「キーストーン・ピクチャーズ」のシニア・エグゼクティブ・バイス・プレジデント、バディ・アッカーマン(田中哲司)は数々のヒット作を生み出す大物プロデューサー。人間としての評判は最悪だが、彼のアシスタントはみな出世すると言われている。バディの下で働き始めた脚本家志望の青年ガイ(田中圭)は、侮蔑的な言葉で罵られる日々を耐えていた。そこへ新作の売り込みにフリーランスの映画プロデューサー、ドーン(野波麻帆)がやってきて…
 上演台本/マイケル・レスリー、原作/ジョージ・ホアン、演出/千葉哲也、翻訳/徐賀世子。1994年公開の映画『ザ・プロデューサー』を原作に、2008年ロンドン初演。全2幕。

 私は田中圭目当てに出かけてきたクチですが、キャスティング自体は『おさラブ』前に決まっていたのでしょう。しかしチケット発売はそのあとだったわけで、当然のごとく瞬殺だったと聞いています。つまり、観に来る観客は女性が多いということは想像がついたと思うのです。というか今の日本の劇場の客ってどう考えても女性の方が多いでしょう、歌舞伎座やサントリーホール(は劇場ではないか)や文学座みたいな渋そうなところ全部含めたってさ。
 つまり何が言いたいかというと、この作品は、映画公開当時とか、ロンドン初演当時とかは観客が男性の方が多かったのかもしれないけれど、今の日本で演劇として上演するなら観客の大半は女性だと想定されるのに、そのまんまやってなんの意味があるの?ということです。
 これは、「ガイは、バディは、俺だ」とか嘯いちゃう男たちが作った作品だと私は思う。実際に製作陣は(翻訳を除いて)男性ばかりだし。で、20年前とか、10年前とかだったらこれはリアルだし、そうですねって感じで、このやりっ放しのオチの衝撃とか虚しさみたいなものは響いたんだと思うんですよ。カッコよく見えただろう、と言ってもいい。
 でも今、そこから10年も20年も経っている今、時代も全然進んでいてさらなる未来を模索していて、おそらく多くがドーンのように普通に働いている女性を観客に日本の劇場でそのまんまやられたら、「そうですね、昔はそうでしたよね。で? だから?」ってなっちゃうんだと思うんですよ。
 それでよかったのかなあ? 何故今この作品をこの座組で上演したのかなあ? 何が言いたかったのかなあ、何を伝えたかったのかなあ、何を観客に感じてほしかったのかなあ。
 確か劇中で、バディがガイをサメにたとえるような台詞が一瞬あったようにも思うけれど、「もしかすると観客こそがサメだ」とか言っちゃうような業界人が作る作品とか、私はヤダなあ、と率直に思いましたけれどね。バディが下卑た人間であることは彼の責任であって、彼の作る映画をもてはやす観客のせいなんかではないと私は思う。でもおそらくこの作品の作り手は彼を、彼に近い自分たちを許し守るために、彼らをそうさせる観客こそサメなのだ、みたいなことを暗喩で言おうとするんですよね。ホント男っぽい卑怯さだと思う。こういうときにいい言葉がないのが本当に悔しいけれど、男ならではのいじましさ、みたいなものを感じないではいられません。女々しい、みたいな言葉は作るくせにそういう言葉はないんだよ、ホント男って卑怯です。
 銃声、暗転、あとは藪の中、で明かりがついたらラインナップ、なんてのはちょっと素敵だったかもしれません。まったくどうなるかわからなかったので、暗転最中に私が考えたのはたとえばそんなことでした。
 あとで考えついたのは、たとえばガイは天井に向けて撃っただけであり、そしてその場を去り、明かりがついたら数年後で、でもバディもドーンも変わらずバリバリ仕事している、何も変わっていない…とかね。虚しさは同じかもしれない、でも脱出できたガイはきっとどこかで別の形で幸せにやれている、と信じられる。
 あるいはもっと甘くいくなら、そうやってハリウッドを去ったガイは故郷に戻って映画館のモギリかレンタルビデオ店の店員でもしていて、そこに花束持ったドーンが現れてデートに誘っておしまい、とかですよ。少女漫画ならこれですよね。でも別にそれは女子供のくだらない夢想だってことじゃないんですよ。このジャンルはつねに愛と希望と未来を模索し夢見ているのであって、そのイメージを提示しようとしているのです。その未来へのイメージの提示がない今のこの作品は、古いし、駄目なんだと思う。バディが作る映画と同じですよ。男の仕事ってことですよ。これまたいい言葉がなくてすこぶる残念ですが、「男の仕事」って言葉に「残念な出来」って意味を乗せたくて私は今こう言っているのです。
 実際のラストは違いました。ガイはドーンを撃ち、バディと共謀して罪を逃れ、映画を作り、出世した。次のアシスタントにはジャック(伊藤公一)がなる。
 それで? だから?
 男たちはそうやって女たちを食いつぶしてきて、本当には何も生まないでいる。男たちは次々来るかもしれない。けれどやがては途絶えます。女たちはもう男たちのところに企画を持ち込まないし、男たちの子供も産まないし、生まれたのが男児だったら殺すくらいするからです。女たちが別の道を行き始めている今、男たちに未来なんかない。彼らは誰も本当には映画を愛していない、だから自分たちだけでは作れないのです。だからデッドエンドなのです。
 本当に映画を愛し、映画を作れるのは女たちだけなのです。女は愛を知っている。だから物語を、作品を作り出せるのです。どこにもサメの陰など見ないし怯えません。男たちは今まではたまたま金や権力を持っていたから女たちの愛を、仕事を買い取れていたにすぎない。今やそんな時代ではないのに、男たちが変わらないなら取り残され滅んでいくしかありません。女たちは遺伝子操作でもなんでもして次世代を生み出し、男なしでもやっていけるのです。
 そういう「今」に、こんなオチの作品を女たちに見せて、「うん、男ってバカだよね、どんなに好青年で純朴そうなガイだってこうなるもんね、うん、知ってた。で?」って思わせて、それでなんなの? どうしたいの? まさかだからボクちゃんたちに優しくしてねって言いたいワケじゃないんでしょ? てかアベが辞めさせられないのって本質的に同じな男たちが支持してるからだよね、ボクちゃん論戦したくない復興指示したくないあんよ痛くなっちゃうちやほやしてくれる外国行くのは大好き、みたいなボクちゃんに対して実はみんな自分もそうでそうやって甘やかされたいと思っててだから誰も何も責めないんでしょ? それで女たちが静かに離反していっているのに見て見ない振りをしているとかバカでしょ? 見えていない振りしてたって事実は消えてなくならないんだよ?
 …脱線しました。
 ともあれ私は映画ではないけれど広い意味での「業界」で働いていて、今は製作ではなく営業の業務をしているけれど、今求められているのはドーンとステラの物語だし、また創作の現場に戻ってそういうものを作るまでは会社辞めらんないな、とか思いましたよ。たとえば『オーシャンズ8』はそのひとつですよね。そういうことですよ。
 お話とはいえ、かつてのリアルとはいえ、ドーンのこの報われなさっぷりはひどいし、なんらフォローがないのもひどすぎるし、女優さんはすごく素敵で達者だったけれどそれでも配役にもバイアスを感じるし、なんかいろいろ駄目すぎると思いました。演劇としてはおもしろいと感じただけに(美術や照明、音楽とか、演出的なことも私はすごく好みでした。演技ももちろん全員素晴らしかった)、何故今このままやる?ということだけが疑問で残念だったのでした。古典になんかなりきれていないだけに、疑問すぎました。「現代」が見えてなさすぎる…
 全然違う意図や解釈のもとに上演されたものだったとしたら本当に申し訳ありませんが、私はこう感じた、という話です。休憩込み三時間、まったく退屈することなく集中して観られて楽しかっただけに、「で?」だけだったのが残念だ、ということです。
 どこかで全然違うふうに絶賛されている舞台だったならすみません…幕開いたばかりですしね。今後の反応など、楽しみにしています。


【追記】
 先日、映画『カメラを止めるな!』を拝見しました。
 今求められている物語、として私はたとえば『オーシャンズ8』を例としてあげましたが、これも回答ひとつだな、と思いました。「番組」のことしか考えていない女性プロデューサーに対し、「映画」が大好きで「作品」に命をかけている現場の老若男女…もうもう胸アツでした。これは「今」だし、時代をも超えられる作品になっている、だって普遍的な輝きがあるもん…!と思ったことでした。



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『陰陽師 安倍晴明』

2018年09月08日 | 観劇記/タイトルあ行
 新宿文化センター、2018年9月6日19時。

 時は平安の御代。花山邸(桂南光)は宮中に今話題の陰陽師、安倍晴明(野村萬斎)と葦屋道満(梅若実玄祥)を呼び出して術比べをさせる。その勝負に負けた道満は晴明を恨み、晴明の父・安倍保名の許嫁で時の勢力争いに巻き込まれ非業の死を遂げた榊の前(大空ゆうひ)の霊を蘇らせる。保名が榊の前の死後、狐の精・葛の葉(大空ゆうひの二役)と夫婦になり、晴明を産んだことを知ると、榊の前は嫉妬の念を息子・晴明に向け…
 監修/梅若実玄祥、原作/吉田喜重、脚本補綴/藤間勘十郎、演出/野村萬斎、振付/藤間勘十郎。
 2001年サントリーホール初演の新作現代能の再演。手妻やブロジェクションマッピングなども使用した新演出。全2幕。

 能や狂言、歌舞伎といった古典芸能を数えるほどしか観たことがない私ですが、大空さんご出演とあって出かけてきました。『新版 天守物語』でもお世話になった梅若玄祥先生の作品でもあり、晴明の式神役はさあやにせりちゃん、琴音和葉ちゃんにみくちゃんとOG揃い踏みにもなりましたしね。
 確かにかなり現代的な能で、でも能は能で、普段観ている舞台の感覚からしたら悠長すぎるところはあるのですが、それはそれとして楽しんできました。
 『グッド・バイ』でもすごい二役をやるものだなと思わせられた大空さんですが、今回の二役もなかなかすごいですよね。晴明に対して、産みの母として絡むかと思えば、その父に見立てて嫉妬の炎を燃やして絡む、激しい入れ替わりを難なくこなして色っぽくて情念の塊で声が良くて、見事でした。
 映像もなかなか効果的で綺麗に舞台を彩っていて、おもしろかったです。
 しかし毎度おもしろい仕事をする人ですよ…(^^;)


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高声低声ボツ投稿/『愛聖女』編

2018年09月08日 | 日記
 先月号には間にあわなかったのかなと待ってみましたが今月号にも掲載されていなかったので、ボツなのだろうと判断してこちらにアップします。
 こちらでの『愛聖女』の記事そのものはこちら
 過去にやらかしたボツ投稿は例えばこちらとかこちらとかこちら
 掲載されたことも何度かあるんですよ…(^^;)

 ところで台風によるアレコレ(^^;)で『キラル』がまだ観劇できていませんが、ゴミ出し「させられる」ベニー刑事は健在だそうですね。このまま台湾に持っていくつもりなのでしょうか。
 とはいえ台湾のゴミ収集事情は日本とはかなりシステムが違うらしいので、台湾の方にはこのくだりの意味がわからず、日本の性差別や人権侵害に気づかない…という不幸中の幸いが起きることを祈っています。
 それか、賢明な台湾のファンは日本が人権後進国であることなどとっくにご存じで、そこは軽蔑しつつ宝塚歌劇という文化に関しては別、という愛し方をしてくださっているのかもしれません。
 でも、それとは別に、この描写は日本の恥です。即刻やめていただきたいです。
 宝塚歌劇団よ、アップデートのときはとっくに来ているのですよ!!!

***

 月組バウホール公演『愛聖女』を拝見しました。宝塚歌劇において娘役の主演作が上演されることはごくまれですが、月組トップ娘役・愛希れいかさんは近年において傑出したキャリアと実力、人気を誇るスターさんですし、真ん中を務めるになんの不足もありませんでした。男装の救世主ジャンヌ・ダルクが現代にタイムスリップしてスターダムに…!?というコンセプトも楽しく、ジャージ姿もキュート! 最後は組カラーの黄色い花になり、その一輪をそっと舞台に置いて去っていく…素晴らしい構図でした。さらに白銀のドレスで優雅に歌い舞う「夢・アモール」が、まさしく夢のような美しさでした。
 こうしたフィナーレは宝塚歌劇にしかできない偉大なるマンネリで、伝統を踏まえた上でさらに美しさに磨きをかけ、長く継承していってほしいものです。けれどお芝居の中身は、宝塚歌劇といえどアップデートしていく必要があります。今回は2018年に書かれた新作とは思えない、現代演劇としても宝塚歌劇としてもふさわしくないダイバーシティー感覚のなさ、デリカシーのなさに閉口する部分が多々ありました。今後200周年を目指していくにあたり、また世界進出などを考えているならなおさら、もう少し繊細さと人権感覚、美意識と配慮が必要だと思います。
 女性科学者のキャラクターを「ハイミス」と表現し、お見合い(近未来のフランスなのに!)に奔走し異性にモテたがる残念な役として描くことや、店長の頭髪に関するくだりは、いわゆるイジリのつもりなのかもしれませんが、立派なハラスメントです。クララの「誤解」も下品で、清く正しく美しくなく、一家で安心して観られる大衆娯楽を目指した一三先生も嘆いておられると思います。まったく笑えませんでした。
 宝塚歌劇の生徒は全員が女性で、観客もほとんどが女性です。演出家にはまだまだ男性が多いですが、Me Too運動も盛り上がる今の世の中やその中での現代女性の生き方の変化が、きちんと見えていますか? ファンの支持を得続けるためにはもっと勉強していただきたいし、さらなる愛と敬意を持って製作していただきたいです。劇団のチェック機構も必要です。演出家の自由を縛ることなくクオリティを上げることは可能なはずです。
 私は四半世紀ファンを続けてきました。さらに向こう半世紀、命ある限りファンで居続けたいと思っています。そのためにも、あえて苦言を呈します。
(駒子)

***


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宝塚歌劇星組『New Wave!-星-』

2018年09月01日 | 観劇記/タイトルな行
 宝塚バウホール、2018年8月30日14時半。

 星組によってこれまで上演された作品の名場面を再現するとともに、古今東西の名曲に乗せてライブ感あふれるステージを贈るエンターテインメント・ショー・
 作・演出/三木章雄。

 花組版の感想はこちら、月はこちら、宙はこちら、雪はこちら
 足かけ五年で全組回りましたね。私にとって最もアウェイの組でもあり、過半数は知らない下級生さん…という、普通に考えてもかなり若いメンバー構成になっていると思いましたし、ミキティの息切れ具合もハンパなく、その意味ではやや残念な公演ではありました。でも、出演者のキラキラを楽しんできました。みんながんばっていたし、組ファンはもちろんもっともっと楽しんでいることでしょう。
 しかし本当にミキティのスタンダード・ナンバーの引き出しって20曲くらいしかないんじゃない? 暗転ブツ切り脈絡なしの構成も手抜きさがより増し、どんどんひどくなっているなと感じました。まだ本公演に戻ってくる気があるのなら、もっと新しい曲やダンスを取り入れる勉強をしていただきたいです。てかショー作家増やそうもっと! こういう老作家に頼ってる場合じゃないですよホント!!

 というわけでわりとパラパラとした感想しかないので、主に出演者の感想を。
 せおっち、ホント垢抜けてきましたよねー。私は好きでも嫌いでもないんだけど(^^;)、いい人っぽそうなところとか、みんなが大好きなのはとてもよくわかります。れいちゃんもまこっちゃんもとっとと就任しちゃえば、マイティーもせおっちもそのまま二番手でそのまま…ってできると思うけどなー、どうなんだろうなー。
 そしてしどりゅーこそホントなんでもできる人ですよね! 個人的にはなんか星組っぽくないというか、ちょっともったいない気もしているのですが。ナウオンでの話の回し方や気の遣え方がハンパなかったし、歌声が意外に低いのもいいし、本公演でももっと使われるといいのになー。かとりーぬとの「ひとかけらの勇気」は素晴らしかった! あと、女装せおっちを相手に回してのタンゴもとてもとてもよかった!!
 そして立派に三番手格だったかりんちゃんですよ、もー最近メロメロですよ、ホント天真爛漫っつーかアホの子っぽいところがホントたまらんです! 自分がこういうタイプに惹かれるとは意外なんだけど、もうもう目に付いちゃって離れないというか。
 未だスペックだけのところはあるし、せおっち、しどりゅーと並ぶと明らかに垢抜けていないんですよ。あとちょっとだけひねればもっと綺麗なのに、とかあとちょっとだけまっすぐだともっと綺麗なのに、みたいなところが全部、隣のふたりはできていてキマっている。でも、その至らなさまでもが愛しい(笑)。ダンスとかもまだまだ楽しいです!とかがんばってやってます!だけみたいなところはあるんだけれど、そんな中でも「こう踊りたい」という意志や形が見えるときがあって、たとえそれが今はできていないということの裏返しだとしても、そういうイメージが持てている、それが伝わるということがとてもすごいことだと私は思っているので、けっこうハッとさせられるのでした。
 娘役ちゃんに囲まれてただただ素敵な王子様として立つブルーのスーツの場面もよかったし、そこからMJを挟んでの「SUPERSTAR」とかなかなかできないことだと思いましたよ! そういう、まだよくわかってなくて舞台度胸だけでやっちゃってんじゃないの?ってとこも愛しいし、それでも一場面ソロできちんと保たせているのがすごいし、そして歌が伸びやかでまっとうでとても普通にちゃんとしていて頼もしい。これだけ資質があるけど歌はアレレ、って若手スターの卵ってけっこういるから、この点だけでもアタマひとつ抜けていると思うんですよねー。
 メンバー紹介では学年順でしたがパレードがちゃんとしどりゅーの前だったのも胸アツでした。大事に育ててほしいです。
 娘役の不動のDIVAはかとりーぬ、素晴らしすぎました! 新公なんかでも知ってはいたけれど、きぃちゃんとかゆきちゃんとか知られた歌姫は他にも多数いるけれど、彼女の歌唱力はもっともっと知られていいし誇られていいですね。てか本公演でももっと使ってあげていただきたいです。
 ヒロイン格は桜庭舞ちゃんかな、こちらも歌姫ですよね。新公ではヒロイン近くもやったことがないと思うし、場数はそんなに踏んでいないはずなのですが、男役と組んでの娘役力も申し分なく、素敵でした。もうちょっと個性を強く出していってもいいのかな? 「典型的な娘役さん」みたいなところに収まってしまうのはもったいないかなと思いました。
 それから水乃ゆりちゃん、かな。長い首の美しさが以前から印象的な娘役さんでしたが、1幕ラストのタンゴなどダンスも素晴らしかった! ここのお衣装もとても似合っていましたし。逆にすごく似合わないお衣装もあって、あの首とデコルテの形はなかなか難しいのだなと思いました。そういえば私が観た回は星蘭ひとみちゃんがご観劇でしたが、新公ヒロインは一本かぶりではなくこのあたりも起用していくといいのになーと思いましたよ…

 上級生格としては朝水りょうくん、声が低くて渋くていいですねー! そして美人。それから天希ほまれくん、こちらも美貌でしたねー!
 そしてひとり悠々と「セ・シャルマン!」を歌ってのける遙斗勇帆、噂の研99(笑)。天路くんや朱紫くんや颯香くんや夕陽くんの濃さもいい。そして奏碧くんのえくぼがやっぱり素敵。
 他の娘役ちゃんたちも、このあたりはたいていセットで出てくるのでアレでしたが(都優奈ちゃんはややピックアップされていたかな?)、わりとみんな顔立ちが違うタイプなのでだいたい識別できたかなと思いました。侑蘭粋ちゃんのパンとした感じが印象的でした。

 ナンバーは、せおっちMJのくだりがやはりカッコよかったかなあ。しどりゅーバードのジャズも素敵でした。
 「オルフェウスの窓」からこっちの、特にショー縛りとかではない星組クロニクルも、私は生ではシメさん以降しか観ていないのですがいろいろ懐かしくて感無量。
 客席降りだけでなく客席登場もたくさんあったのが楽しかったです。
 こうした公演は若手の力をすごく引き上げると思うので、今後ももっと若いショー作家でいろいろやっていくと楽しいのではないかしらん。劇団さん、期待していますよ!







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