駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

劇団メリーゴーランド『王様のピッツァ/ミッドナイト・ギャラリー』

2018年09月15日 | 観劇記/タイトルあ行
 2018年9月16日13時、文化シヤッターBXホール。

 19世紀後半のヨーロッパのとある半島。そこではピッツァの具のように、小国がひしめき合っていた。その一国で突如革命が起き、王が行方をくらます。すると国内ではたまた国外で、有象無象の具材たちが何やらもくろみ始め…
 脚本・演出/平野華子、俵ゆり、作曲/内海治夫、振付/俵ゆり、平野華子、森有紗。女性だけの団員でオリジナル・ミュージカルを作り続けている劇団の記念すべき10作目。

 前回公演の感想はこちら
 久々の本公演で、出演者も最多の9人で、ぐっと幅が広がって、とても楽しく観ました。オリジナルのミュージカルとしてこんなに高いクオリティのものを毎度ちゃんと作れているのが本当にすごいし、特に脚本が毎度素晴らしくて、リライトしたらいいラノベになると本気で思っています。キャラクターとドラマとストーリーが本当にしっかりしているのです。
 欲を言えば、今回は、もう少し主人公のアルフレード(華波蒼)に自分は本当に王位を継ぎたいのだろうか、みたいな葛藤があって、それをヒロインのロザンナ(羽良悠里)に「本当に継ぎたくないのなら乗っ取られたのはむしろチャンス、無理に継がなくていいんだから」みたいなことをスパーンと言われて霧が晴れるような思いがする…みたいなところが、そしてそれが恋心に発展するようなところがより深く描けるとよりよかったのかなと思いましたが、まあ尺がちょっとなかったかな。わりとみんながみんなちゃんと歌うのでそれで意外と尺を取るんですよね(^^;)。
 ともあれ政権転覆みたいなネタなのに真の悪人が出てこなくて最終的にはみんながハッピーになって終われるんだからたいしたものです。そしてロザンナは女性だけれど政治の才能があって、だからここは世襲でいいのだろうし、一方でアルフレードは元王太子だけれど本当はそういうことには向いていなくてこれからゆっくりいろいろ探してみたいと思っている、それこそピッツァ職人でもいいし…というのは、とても現代的でいいなと(19世紀のお話だけれど)思いました。なんでもかんでも世襲すりゃいいってもんじゃないのなんてあたりまえで、人間誰しも好きで向いていることをやって生きていきたいものですよね。そういうまっとうですこやかなテーマがいつもきちんと描かれるところも、本当に好感度が高いです。
 トップコンビは暴走ヒロインにおたおた振り回される優男、という構造になることがいつもわりと多いのですが、今回はそのノリはやや弱めでやや残念だったかも。でもまずはヒロインの復帰が嬉しいです、引き続きお体に気をつけてくださいませ。
 宝塚歌劇の娘役さんには相手役さんへの恋心を表現するルリルリ力なるものがあると私は思っているのですが、私が華波さんが好きなのは彼にはその男役バージョンがあることで、羽良さんと絡むと瞬時にそれが発動する点です。なんかちょっと変わった女、と最初は嫌がりつつも、可愛いないじらしいなと思ってしまってとまどいつつもつい惹かれちゃう感じ、を表現するのが絶妙に上手なんですよね。というか何もしなくてももうにじみ出ている、そこににまにましちゃいます。劇団員の演技のノリやレベル、フェーズは実はみんなちょっとずつ違うように感じるのだけれど、トップコンビはしっかりハマる信頼感があるのです。
 斎くんは弟役みたいなのも似合うけれど、今回のような一見悪役、実は元親友で…みたいなのも素敵だし、月夜見さんのいかにも悪役、色悪が似合う個性は本当に貴重ですね。みおんさんの芸達者ぶりやプリマぶりは信頼感に満ちみちて、紗海ちゃんの娘役力もたまらない戦力だと思います。
 さらに新たに加入した宵野誘くんのスーツ、メガネ、こういう研3で新公主演みたいなヤング男役いる!って感じが本当に素晴らしかったし(てかルカはいいキャラクターでしたよホント!)、北藤光ちゃんの一癖ありそうなクール侍女っぷりも素晴らしかったですゼヒ女王ともっとイチャイチャすべき!! ルカとニコラが新公主演だよねってフツーに思いましたし、ショーで恋人役で組んで踊っててホラホラとにんまりしました(笑)。
 そして紗蘭さんの絶妙なキャラクター…! あまりにもなくてはならなさすぎました…!!

 ショーはスタイリッシュで大人っぽくて、コンセプトとしてはよくあるものかもしれませんがちょっとメリゴらしからぬお洒落さで(失礼!)、でもどの場面もよく歌えていて踊れていて感服しました。プロローグで4組のカップルができていたときには本当に感動しましたよ…!
 メンバーが増えてやれることの幅は格段に広がったはずです、今後にさらに期待です。ホント脚本はこのままバウホールにかけていいくらいだからなー…!
 良いお席をありがとうございました。


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宝塚歌劇花組『MESSIAH/BEAUTIFUL GARDEN』

2018年09月15日 | 観劇記/タイトルま行
 宝塚大劇場、2018年7月28日11時、31日18時(新公)。
 東京宝塚劇場、9月9日11時、11日18時半。

 明暦二年(1656年)、江戸城。南蛮絵師の山田祐庵(柚香光)は若き将軍・徳川家綱(聖乃あすか)から二十年前に肥前島原で起きた乱の真実を知りたいと請われる。祐庵は、民衆のために立ち上がり救世主と崇められた男、天草四郎時貞(明日海りお)について語り始める…
 作・演出/原田諒、作曲・編曲/玉麻尚一。

 あんなにもつまらなかった『ベルリン』から一転、「どーしたんだ何があったんだダーハラ!?」と聞いて回りたくなったくらいにちゃんとしていましたね。前回が『邪馬台国』だった花担さんからしたらもう本当に天国だったのでは…
 しかし娘役に役がなさすぎること、ヒロインですら描かれ方が弱くラブストーリーとしてもほとんど成立していなかったように見えたことなど、宝塚歌劇としていかがなものかというあまりに初歩的な問題は未だあります。また、扱っている題材が信仰というとてもデリケートなものだけに、ざらりと引っかかる人も多かったかもしれません。
 私自身は、たとえばフェミニズム関連のことで引っかかるよりはこうした問題にはずっと寛容というか鈍感なんだな、と自分を振り返ることができました。それは仏壇もなくお墓参りなどにあまり熱心でない家庭で育ったからかもしれないし、素朴にお天道様に感謝するとか何か大いなるものに漠然と祈るとかはあっても基本的には無神論者で宗教一般にどちらと言えば懐疑的であること、というか子供のころに日曜学校にちょっと通わされたくらいであまり深く関わることなく生きてきたこと、が大きいのかもしれません。あと、女性への人権侵害なんかに比べて、内心の自由は侵されにくいものなのではないかと考えている、というのもあります。もちろんこんなふうに物理的、政治的に弾圧していいものでは全然ないのですが、最終的には心の中へまでは他人は誰も踏み込めないので、そこは守られているのではないかな、と思うのです。
 なので、わりと劇として、ミュージカルとして綺麗に組み上がっていると感心しましたし、盆の使い方や装置も良くて絵面が美しく、観ていて私はストレスをほとんど感じませんでした。ラストにひとりずつ死んでいくのをいちいち見せるのはお涙ちょうだい演出としてもやや悪趣味だなとは思いましたし、死体が十字架の形に集まるというのも悪趣味ギリギリかなと思いましたが、うっかり泣かせる作りにもなっているとも思いましたし、そこまで不快に感じませんでした。男役の配置に妙があり、みんなキャラクターが立っていたこと(もちろん演じる生徒がそれぞれがんばっていた部分も大きい)、ドラマがあったことが勝因かなと感じました。また台詞の運びや会話に整合性があったこと、論理的に破綻していなかったことが自分が観やすく感じた要因かな、とも思いました。
 四郎は言います、こんなに苦しいのに助けてくれないなんて神は本当にいるのか、死んで天国に行くことに意味なんかあるのか、生きてこその命ではないのか、と。純粋無垢な天草の民たちはショックを受けます。しかし甚兵衛(磯野千尋)は返します、そんなことはわかっている、神などいないと知っている、でも今があまりにつらすぎるから、神を信じて耐えていればいつか報われる救われると信じることでしか自分たちを支えられなかったのだ、それくらい今苦しいのだ、と。だから四郎はそれに応えます。なら、ただ耐えるだけの生き方はもうやめよう、立ち上がろう、戦おう、そして自分たちの天国をこの世に築こう、と。これは私にはとても正しい、自然な流れに思えます。
 そしてそういう運動にはリーターシップを取る人が必要だとも思うのです。だから天草の民たちは四郎を中心に据えて立ち上がる。ここで「神はあなたたちひとりひとりの心の中にいる」と言うのは蛇足かなとも思うし、運動のリーダーを救世主、メサイアと呼んで神格化しちゃうのはもっと危険な認知のゆがみなんだけれど、人の心の動きとしては十分ありえてしまうかなとも思うし、そこにタイトルをかけているんだから仕方ないとも思いました。
 ただ、戦争は起こすのは簡単でも終結のさせ方こそが難しいものなのであり、四郎がそういう戦略的、戦術的なリーターシップが取れるタイプの人間だったかははなはだ疑問です。停戦交渉に出向いたのはリノでした。そしてその条件がとてものめないとなった彼は四郎に対し嘘の愛想尽かしを展開する…
 ここが実はキモでしたよね。個人的に私は嘘の愛想尽かしというネタが大好物なのです。ましてこんなみりれい萌え展開、ごちそうさまです以外の何ものでもありません。
 本当なら、四郎と流雨(仙名彩世)とリノはもっとがっつり三角関係を展開すべきだったと思います。でも流雨はリノを幼なじみの信者仲間として、また同志としてしか見ていなかったのでしょう。リノとの出会いやなれそめめいたことは特に語られていなかったかと思いますが。そしてまた四郎のどこにどう惹かれたのかも特に描かれていませんでしたが、まあ人はストレンジャーには弱く簡単に惹かれがちなのだ、ということにしておきましょう。一方で四郎が流雨に惹かれたのは命を救ってくれたからということももちろんあるかもしれないけれど、その美貌へのほぼ一目惚れに見えたので、このメンクイめと片付けるしかないですね。中の人はふたりともすごくしっとり演技を重ねていたけれど、それでも恋心はそう明確には立ち上がってこなくて、銀橋チューには「えっ、そんなことしちゃって大丈夫!?」とか余計な心配しちゃいましたよ。この時代の、まして宗教的に厳格な人ならなおさらさ、とか…だからやはりもう少しエピソードは欲しかったし、このくだりでも「好きだ」とかなんだとかの具体的な台詞が欲しかったですよね。でもまあ、トップコンビなんだからくっつくんでしょ、というお約束が宝塚歌劇にはあるので、目をつぶりましょう。
 そしてリノは、流雨をもちろん愛していたかもしれないけれどそれ以上に同志としてその強さやひたむきさを愛し、絵のモデルとして信頼し活用していたので、四郎が現れても単に男女として妬いたり邪魔立てしようとしなかったのだ…というのは、私にはちょっと深いドラマとしてなかなかおもしろく感じました。リノにとっては絵の方が大事で、だから流雨を四郎に預けて自分は絵のあと片付けのためにしばし島に残れるんですよ。まずは恋愛をちゃんと描けてからだろう、という気もしますが、こういう恋愛とは少し違う人間関係や感情をあえて書こうと演出家がしていたというなら、そこは私は評価したいです(しかしそれとは別にこの人の恋愛やヒロイン、女性キャラクターの描けなさ加減はかなり問題だと思っていて、そこは彼が今後も宝塚歌劇の座付き演出家としてオリジナル作品を書いていこうとするならかなりネックになるよ?と危惧してはいます)。
 というわけでリノにとっては絵や信者仲間が大事で、そのリーダーになった四郎も大事。だから仲間たちに改宗させることもできないし四郎の首を差し出すこともできない、だから自分が犠牲になろうとする…ベタですがせつない、いい展開ですよね。四郎がリノの代わりに絵を踏むくだりもそうですが、いわゆる勧進帳展開というか、観客にも真意がわかっている上での…というこういうやりとり、萌えます。
 で、リノは投獄され、しかしそこに四郎がやってくる…
 問題はここからで、ここで四郎がすべきだったことは、本当なら、リノひとりを逃がすことなんかではなくて、仲間を集めて嘘でもいいから改宗した振りをして投降するよう説得すること、そして自分は信綱(水美舞斗)に殺されに出向くことでした。それこそがリーターの仕事です。自分の命を犠牲にして仲間の命を購うべきだったのです。もちろん仲間たちは改宗だなんて冗談じゃないし振りすら嫌だと騒ぐでしょう、玉砕覚悟でともに戦おうと言うでしょう。しかしそこを言いくるめてこそのリーダーです。生きてこその命なのだから殉死なんて問題外です。嘘も方便、それくらいでは神は怒らないし信綱も目をつぶってくれると信じられる、だから行け、俺はみんなの代わりに死ぬ、と言ってこそのリーダーでありヒーローでありメサイアだったのです。
 でも、そうは史実がなっていないので、それは無理だったんですけれどね…でも、たとえば作家がこの史実にインスパイアされたのだとしたら、まったく別の国の別の時代のお話をゼロからこしらえて、四郎とは違う選択をしたヒーローを描いてみせてもよかったんですよ。たとえばくーみんはそれを『金色の砂漠』でやっているんだと思いますよ。史実というか、事実がどうだったのかなんて我々にはもやはわかりません。けれどここでこの四郎があっさり「彼らに改宗は無理だ」とか言って歴史の証人としてリノだけを逃がそうとする、というのはいかにも安易にすぎました。そこが残念だったかな。
 ともあれ物語はそうして、玉砕覚悟の決戦に突き進みます。多勢に無勢の中で籠城とかしててもそら勝ち目ないよね、と本当に思いますよ…彼らが神のために、来世のために幸せに死んだというのならそれはもちろん彼らのためにそう信じてあげたいところですが、しかしそれは犬死にであり無駄死にでした。でも信綱にも、鈴木(綺城ひか理。というか素晴らしすぎるキャラクターでしたね…!?!?)にも、それはもうどうにもしてあげられなかったことなのです…
 家綱(聖乃あすか)にリノに絵を完成させるようと命じさせ、「歴史を改善することなく残せ」みたいなことを言わせるに至っては「どーしたダーハラ!?」な騒ぎどころではなく、こんな時の政治批判みたいなことまでぶっ込んでくる気概がある人間だとはついぞ思えなかったのでホント仰天しましたが、その意気やよし。ここの信綱マイティがまたいい仕事をしていることもあり、名場面となりました。
 ラストもベタベタなんだけれど、リノが唯一作り出せなかった黄金色をまとった四郎と流雨が再び現れる、というのはとてもいいと思いました。笑顔で集う島原の民たちの輝きも愛しいです。家族や愛する者たちのため、また信仰や信念のために死ねた彼らは、もしかしたらやはり幸せだったのかもしれません。たとえば今、私たちはむしろ貧困や災害や政府の無策のために命を落とすことが珍しくなくなってきているからです。それが怖い…そんなことすら考えさせられる、いい観劇となりました。
 花組の充実に支えられた、いい演目になったと思います。みりおのリーダーっぷり、れいちゃんの温かいお芝居、あきらの兄貴っぷりにちなつの悪役っぷり、マイティの賢明さ、あかちゃんの聡明さ、しーちゃんさなぎなみけーの布陣もいい。せのちゃんだけはもっと上手くなってくれと拝む気持ちで見ていましたが…ほのちゃんも上手い、代役のはなこも磨かれてきましたね。そしてたそが本当に上手くて素晴らしかったです。娘役ちゃんたちは本当にもったいなかったですけれどね…


 ショー・スペクタキュラーは作・演出/野口幸作。これまたよかったです。
 みっちゃんとのときとだいもんのときとやっていることは同じで、ゴンドラだったりハットとケーンだったりジャニーズだったりみんなみんな同じなのですが、より洗練されてバランスが良くなってきたし、生徒の起用に工夫が出てきたのも好感が持てました。特に歌手の使い方、娘役ちゃんの使い方がいい。大満足でした。
 ひっとんの愛らしさ! あかり姉さんのカッコよさ! マイティの牛の素晴らしさ! カラー手袋の萌え! でも中詰めのゆきちゃんの白いお帽ぼにドレスに白レース手袋も正義! つかさっちに歌わせてれいちゃんに踊らせる正解っぷり! てかローマの貴族と美女とグラディエーターにはどんなめくるめく3Pが始まるのかとワクテカしたのはナイショだ! あかちゃんもメイクがいい感じに濃くなってきてイイと思う! はー幸せ…ってな感じでした。目が足りませんでしたが満足です。色みもとても良かったです。

 そうそう、大劇場では新公も拝見しましたが、初ヒロインのひっとんが本当に立派で華があって歌が良くって、素晴らしかったです。信頼のつかさっち信綱も本公演とまた違う感じでそれがよかったし、抜擢と言っていいはなこのリノも本公演とはだいぶ違う印象でしたがこれまたよかったです。せのちゃんの悪役も悪くなかった。まれくんとからいとくんとかの新興勢力も頼もしい。もちろんほのちゃんも健闘していたと思いました。おもしろかったです。


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