駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

千早茜『クローゼット』(新潮社)

2018年04月18日 | 乱読記/書名か行
 秘密と傷みに縛られ、男性が苦手なまま大人になった洋服補修士の女。要領よく演技するのが得意だが、本当に好きなことから逃げてばかりいるフリーターの男。洋服を愛している、それだけが共通点のふたりが、18世紀から現代まで一万点以上の洋服が眠る美術館で出会い…洋服と人間への愛にあふれた、心の一番弱くて大事なところを刺激する長編小説。

 素敵な装丁と装画の一冊でした。でもせっかくこんなに今日的なモチーフを扱っているのに、ストーリーがないよドラマがないよこれだけなんてもったいないよ!
 男性に生まれて、でも女性の服が大好きで着るのも好きで、でも同性愛者であるとかトランスジェンダーであるとかではない(…多分。というかそのあたりがほとんどこの作品では描かれていない。でも単なる女装趣味とは違うようには描かれている、のだと思う)ハンサムな青年。男性とつきあうより女性の群れにいる方が楽で、でもそこにも求めるものが得られないでいる…
 そんな彼を幼いころには女の子だと思っていてともに遊んでなんならお姉さんぶって守ったりかばったりして、そのせいでとある怖い思いをして以後、男性不信になってしまって通常の社会生活もおぼつかない女性。
 その親友で、クールで美貌のハンサムウーマンで、仕事ができて、でもかつては太っていてかつ家庭に恵まれていなくて…という女性。
 こんな設定の三人が揃って、でも特に話がないままに終わるなんて意味不明すぎますよ…! 別に恋愛を描けとか成長を描けとかそんな単純なことは言わないけれど、でももっと何かあるべきでしょう。美術館の成り立ちとか、いろいろ思わせぶりに伏線引いておいて放り出しっぱなしじゃないですか。あのカメラマンとかも。なんなんだよー。何がやりたくて書いた小説なんだよー。
 『硝子のコルセット』というタイトルから改題したそうです。それはとてもいいなと思いました。だからこそ、なんか、ホントもったいなかったです。ねちねち楽しく読み進めてきただけに、「えっ、これで終わり!?」とけっこう呆然としてしまいました。しょぼん。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェルディナント・フォン・シーラッハ『犯罪』(創元推理文庫)

2018年04月18日 | 乱読記/書名は行
 一生愛し続けると誓った妻を殺めた老医師。兄を救うため法廷中を騙そうとする犯罪者一家の末っ子。エチオピアの寒村を豊かにした心優しき銀行強盗…魔に魅入られ、世界の不条理に翻弄される犯罪者たち。弁護士の著者が現実の事件に材を得て、異様な罪を犯した人間たちの真実を鮮やかに描き挙げた珠玉の連作短編集。2012年本屋大賞「翻訳小説部門」第1位に輝いた傑作。

 舞台『TABU』の原作小説『禁忌』の作家、としか知らなかったのですが、おもしろく読みました。シャープでスリリングで慈愛に満ちていました。一連の連作短編集としての構造も見事すぎました。解説もとても良かったです。
 けっこう著作がたくさんある作家なんですね、いろいろ読んでみようかなと思いました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『Trois Violette』

2018年04月16日 | 観劇記/タイトルた行
 宝塚バウホール、2018年4月16日12時半。

 構成・演出/中村一徳。

 「あなたの花組はどこから?」「私は、ヤンさんから」。
 …いや、そんな問答があるのかどうかは知りませんが。とにかく私は宝塚歌劇観劇デビューが『メランコリック・ジゴロ』初演(併演のショーは『ラ・ノーバ!』)なので、すべてがヤンさんから始まっているのです。お披露目の『スパルタカス』に間に合っていないのは痛恨で、当時さかのぼって映像で勉強した中でしか知らない作品なのですが、トップコンビともに奴隷で地味云々と言われることが多い作品ですが私は大好きで、役も多くいい悲劇、いいエンターテインメント作品だと思っていて、私は再演希望として常に挙げるタイトルのひとつです。さかのぼってナツメさんはもちろんペイさんくらいまではわりとちゃんと勉強していて、ペイさんは生に間に合っていたらはまっていた予感しかしないし、ルコさんの素敵さを知るとそれでもトップにならずに辞めていくことがあるのだなと思わずにはいられません。
 このときすぐさま宝塚歌劇のシステムみたいなことも勉強して、新公なるものがあることを知りその主演がチャーリーだったこともあって、ここまでが私の中では若手スター枠でした。オサアサなんてもっとずっと下級生のイメージでしたもんね…オサが苦手でそのトップ時代はあまり観ていなくて、アサコは好きでしたが私は月組の同期の大空さんのファンでもあったので当時はホントいろいろ複雑でしたね…でもやはりなんのかんの観てはいました。
 というわけでまあまあいっぱしのファンのつもりで出かけてきましたが、たかだかファン歴25年のアンダー50歳なんてお呼びじゃないくらいの客席の年齢層の高さ、マダム率の高さよ! 私なんかマジひよっこでしたすんません(笑)。でも観られて良かったです、大感動大号泣、チケットの神に感謝しかありません。
 レアチケだったためかはたまた客層が高年齢すぎてツイッターのタイムラインにはいない層なのか、私があまりネタバレレポツイみたいなのを読まないままで行ったせいもあるのかもしれませんが、ちょっと考えたらわかりそうなものですよね1発目が「ストップ・ザ・ミュージック」だなんて。だってこの舞台のトップ・オブ・トップのヤンさんのお披露目作品のプロローグのナンバーなんですから! でも私はおよそそういう予想とかを立てて心の準備をするということをしないタイプなので、前奏でたぎって手拍子切っちゃったんだけど「はっ、やばい、このマダムな客席はそんなことしないの!?」とちょっとヒヤッとして、でもすぐみんながノリノリになって、でも続くメドレー全部手拍子でさすがに疲れちゃうのでは!?とか心配するくらいだったので、とにかくホント楽しかったです。
 もうどの曲もどの曲もイントロクイズ並みに前奏からたぎるわけですよ! でも単なる懐メロ・カラオケ企画みたいなのではまったくないワケです。ちゃんとショーアップされているし、何よりみんな現役時代より歌が上手くなっている! オサはそりゃ歌手だったし今もめっちゃええ声でそこは心配していませんでした、でもヤンさんの歌の変化はマジ尊敬しかない。変わった声なのは相変わらずなんですよ、でも現役のころはこんな音出なかったじゃんとかもっと苦しそうに歌ってたじゃん、みたいなところがすべて改善されて綺麗に出ているわけですよ。シャンソンにはまって力を入れているのは知っていましたが、私はライブとかには行っていなくて、ダンスコンサートかミュージカルにしか行っていないので、感動しきりだったのでした。
 そしてアサコも、病気でもしたのかちょっと太っていて背中にも肉がついているように見えましたが、かえってホントのメンズなのでは?みたいなスーツやタキシードの似合うこと、そして瀬奈Jさまさまの目力はこれまた変わっていなくて男役度はピカイチ、素晴らしすぎました。
 というわけで、懐かしのショー主題歌メドレーだけでなく、この三人でこのセレクト!?みたいな意外な歌から数々の夢のコラボまで、盛りだくさんで贅沢で濃密な時空間に酔わせていただきました。泣いた笑った、もうタイヘンだった!
 白に金の飾りのタイトなジャケットに黒パンツでストップ・ザ・ミュージックからファンシー・タッチ、エンター・ザ・レビュー、レビュー・オブ・ドリームス…かと思えばわりとマイナーでは?なイッツ・ア・ラブ・ストーリーとか! ヒート・オン・ビートなんかけっこう最近まで再演されている印象もあって、そうかこういう楽曲ってアサコは全部知っていて歌えるかもしれないけれどヤンさんは卒業後のしかも他組の歌なんて馴染みがなくて勉強し直したんだろうな、とか思うとまた感心しました。あとハイパー・ステージ!の主題歌の歌詞の素晴らしさに改めて感動してしまい、ダーイシへの評価を再考すべきなのか悩む…とかね(笑)。『ブラック・ジャック』も、「変わらぬ思い」もいいんだけどこの三重唱が大好きだったので本当に嬉しかったです!
 バウホールコーナーで選ぶ歌が渋すぎてまたたまりませんでした。またドリームガールズから「仮面舞踏会」!? かと思ったらキャンディーズの「年下の男の子」!? ここのお衣装は黒パンツに色違いのトップスで、ヤンさんが金でオサがピンク、アサコがブルー。SOキュート! 鬘も変わっていました。このコーナーはオチがブルゾンちえみのアレで、まずアサコが振りを間違え、次にオサが間違えてみせて、ヤンさんが「殺すぞ」ってキレて暗転、というオチ(笑)でした。これはチャーリーの『カクテル』のときに大階段の黒燕尾の振付としてヤンさんが入って、でも舞台稽古でオサアサが段数間違えたりなんたりのミスが激しくて、「次に間違えたら殺す」って叱ったらふたりが「殺されたい~!」って悶えた、っていう有名なエピソードから来たショートコント(?)ですね(笑)。
 かと思えばヤンさんがメガネっ娘になってくれてオサと踊るとか何事!?とか、アサコのビルとかそりゃ泣くでしょとか、アサコがまさかのアパショのバレンチノを踊ってオサが歌うとかどんな奇跡なのかと感動しました。さらにはヤンさんのグルーシンスカヤ、オサのラファエラ、タキシードに薔薇の花束持って一瞬だけ現れては去るアサコの男爵、ジゴロと盲目の伯爵夫人のダンスに絡むヤンさんの美しいボレロって…!
 あとエリザも、アサコの「愛と死の輪舞」、オサの「最後のダンス」、そしてヤンさんトートにアサコのルドルフで「闇が広がる」って贅沢すぎる夢空間すぎる…! ここは黒のロングコートみたいなお衣装でしたね。そして三人とも少しずつ違うデザインなのが素敵でした。
 あと、アンサンブルの四人も素晴らしかったんだけれど、その四人だけで『EXCITER!!』を歌ったのもツボりました。最近の花組のショー主題歌ヒット曲と言ったらコレでしょうが、これはもともとはまとぶんのショーでヤンオサアサはノータッチだもんね。ちょうど私が観た回には現花組トップコンビのみりゆきご観劇だったので、ふたりはさぞ嬉しかったのではなかろうか、と胸アツになりました。てかよっちがみりおをガン見していたし、もえりちゃんの男前ウィンク炸裂がたまらんかったです!
 退団のときに歌ったバラードとかはホント反則…特にアサコのは、今ああいう形で母親になって、お子さんに歌う歌に聞こえるようでもあって、もう爆泣きでした。
 アンコールは「心の翼」…泣くでしょうそれは…そしてタカラヅカ・フォーエバーでしたね。
 ゆるいカテコのご挨拶も楽しかったです。中日で疲れてきておとなしいアサコ、ってのがおかしくてね。ヤンさんは「現役のときにできていたことでできなくなっていることが増えている、でもみんなで励まし合ってやってます」みたいなことを言って笑いを取っていましたが、むしろ逆だな現役のときにできていなかったことができているなと私はとても感動した舞台でした。本当に歌がうまくなっていたし、味が出ているし、芸は磨かれ続けているんですよ。だから男役っぽいこともお芝居っぽいことも、本当になんでもできるんです。加齢とか疲労、体力、筋力の低下みたいな問題はもちろんあるのかもしれないけれど、芸事ってやっぱりすごいんだな、と痛感しました。単なるOGとそのファンの懐古趣味に浸ったような公演ではまったくありませんでした。まだまだ進化していくスターと、それを愛し支え続けるファンとの交歓がありました。素晴らしい時空間にいられて、幸せなひとときでした。ファンを続けてきてよかったです…!



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝夏まなとファースト・コンサート『MANAism』

2018年04月16日 | 観劇記/タイトルま行
 日本青年館、2018年4月13日13時半。

 演出/荻田浩一。

 トップスターさんが卒業されて、最初のお仕事がライブとかコンサート、というのは多いようですね。娘役さんのサロン・コンサートなんかには嬉々として出かける私なのですが(現役時代はトップ娘役であろうとフィーチャーされることが少ないので、歌がたっぷり聴けるというだけでレアで楽しいのです)、男役さんの方は、女優さんになるならそのミュージカルなり演劇なりの舞台を観に行こうかな…という感じで今まであまり行ったことがなかったと思います。ホントの歌上手ならまだしも…とかつい選り好みしてしまいまして。大空さんのはそりゃ一応ファンだから行ったけど、あとは最近だとまさおとかテルとかチギちゃんとか、話題としては知っていましたがなんとなく食指が動かなかったのでした。
 でもさすがにまぁ様のには出かけてきました。やはり好きだったんですよねー。でも決して歌手ではなかったとも思っているので、さてどんな感じのステージになるのだろう?とやや心配しつつ、でしたすみません。
 でも、とても楽しかったです! あと、私は現役時代もあまりオギー作品を意識して観ていなくてまったくオギー信者ではないんですけれど(未だファンの多い演出家さんですよね)、とてもオギーっぽいステージングだな、と思いました。なんとなく、全体に。なじみの曲からノリやすい曲など並べ方の良さや、演出の上品さ、なんかの印象かなあ。
 宝塚歌劇のショーのようにセットや装置がバンバン変わるわけではないし、だけどその中で、セットの壁面に映す映像をすごくお洒落に使っていたり、狭い舞台ながら奥行きや段差を上手く利用してアンサンブルを配置していたり、人の出入りもうるさくなくてでも寂しくなくて、とても良かったと思いました。
 また、お衣装がとても良かった! 女優さんになったとはいえやはり急激な女体化は当人もファンも無理だと思うんですよ、これはアイデンティティとかキャラクターに関わる、とてもデリケートな問題だと思うので。かと言ってずっとマニッシュ一辺倒でもダメだと思うんですよね。男役というものは宝塚歌劇にしかないものであり、あれは現役のフェアリーにのみ許される芸なのであり、卒業した人はそれを続けていてはダメなんだと思うからです。
 でも、まずオープニングがラテンで、スパニッシュなまぁ様が登場したんですけれど、闘牛士ふうのパンツスタイルで、でもシルエットは男役のそれではなく女性の、細いウェストと張ったヒップを見せるラインになっていて、でもお尻の肉なんか全然ないし、トップスも肩が飾りで張っていて、でもデコルテはちょっと見せて、でも胸のラインはボレロのフリンジで隠されて露わになっていない。なのにヘアスタイルは付け毛っぽい無造作なポニーテール。まさしく完璧なハンサム・レイディでした!
 そのあとも、青と金のトップスとパンツにファーショールで最後は腕をむき出しにして踊っても、女っぽすぎない女度で、白の燕尾ふうスーツになっても男役すぎなくてちゃんとうっすら胸のラインはあって、でも脚の長さやスタイルの良さがただの女性ではない感じで素晴らしく、本当に絶妙だったと思うのです! 
 そして肝心の歌ですが(笑)、まずコーラスシンガーがみんな本当に上手くてですね! なのにコーラスでなくまぁ様とデュエットとかしちゃうので、そら歌唱力ではまぁ様は負けちゃうワケですよオイオイとか一瞬思っちゃったんですよ。でもなんかまず、「まぁ様が女子と歌ってる!?」とかの謎のときめきに混乱しちゃいましてですね。イヤ今までだって女性とだけ歌ってきたんですけどね、なんかまぁ様ももはや女性なので、でもハンサム・ウーマンなので、ナニこのユリ展開!?みたいに激しく混乱しときめいてしまいましてですね…なのでとてもおいしくいただきました(笑)。それで言うとまぁ様が男性ダンサーと組んで踊るところも、「まぁ様が男子と踊ってる!?」となるよりはなんか、まぁ様の方が背が高いし全体にスポーティーでスタイリッシュな振りだったので、色っぽすぎてギャーやめてー!みたいにならなかったのもまた絶妙だったと思いました。
 やはりまだまだ、と言うのもなんですが、とにかく踊り出すとすこぶる鮮やかになるので、ああやっぱりもっとダンスが観たいと思いましたし、でももう宝塚のショーみたいなものはあそこにしかないので、次の活躍の場や形が欲しいなと思いました。ミュージカルでバリバリ歌い踊ってもらうか、ダンス・コンサートみたいなものを企画してもいいのかも、とか。もちろん歌ももっともっと上手くなるであろう、とも思いました。好きでいろいろトライしている感じがとても伝わったんですよね。ハートもあるし、良かったです。
 ものすごいソプラノやハイトーンにチャレンジしているとかの印象はなく、でもヘンなケロりもなく、総じてとても聴きやすく、いいレッスンを詰めていて音域を広げたり裏声を勉強したりできているのかな、と安心しました。今後に関しては期待しかありません。いい作品をセレクトしていると思いますしね、さすが東宝芸能さんですね。
 現役時代の作品のセレクトも本当にいい味を出していましたし、楽しかったです。大阪公演は宙組子も行けそうな日程があるんだったかな? 楽しいだろうな嬉しいだろうな、盛り上がることを祈っています。そしてそこからまぁ様が、そしてみんながさらに羽ばたいていきますように!




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とある日の日記

2018年04月09日 | 日記
 ハンドルネームとアカウント名が違うこともあって、私のこのブログとツイッターはがっちり連携させているわけではないのですが、中の人は同じで要するに私なので、まあ同じものです。こちらでは観劇や読書の感想をまとまった文章にして更新することが多いですが、最近ツイッターのタイムラインで話題のことごとについて考えたことを、ちょっとまとめておきたいなと思ったので、書いてみることにしました。
 私は古い昭和の犬なので新聞も未だに取って読んでいるのですが、テレビのニュース番組やいわゆるワイドショーはほとんど見ることがなくてほぼスカステオンリーなので、日々の世間の事件やニュースはタイムラインから知ることが多いです。でもどうしても今はいろいろなスピードが速くて、数日話題になっただけでまた流れ去っていってしまう(ないしまた別の事件、問題が起きる)ことが多いですよね。なのでちょっと立ち止まって、改めて、自分にとっては何が問題なのか、自分は何を大事にしているのか、何を理想としているのかを整理してみたいな、と思ったのでした。
 そう思うようになってでも文章をまとめる時間を取れないでいるうちにまた次の事件が起きて…という感じではあったので、今回はいつにも増して話があちこちに行ってちょっととりとめないものになりそうですが、あといつにも増してウザいものになりそうですが、おつきあいいただけるなら幸いです。

 直近のネタだと、大相撲のアレですね。土俵上で挨拶していた来賓?主催者?の方が発作?で倒れて、女性数人が土俵に上がって救命措置を施したのに、場内からの指摘を受けて行事が「女性は土俵から降りてください」とアナウンスしたというアレです。
 今までにも賞などの授賞者が女性の場合に土俵に上げる上げないでモメるなどの問題はありましたが、相撲は神事で土俵は神聖で女人禁制がしきたりで伝統だからというのであればそれはそれでまあ容認しないでもないです。まあある種の宗教の理念みたいなものですしね。理屈ではなく、内輪でそう決めたルールなんだから、まあ内輪で守っていればいいんじゃないですか? 外の人間も、まあ関係ないっちゃないけどそれくらいは尊重しますよ、ってところでしょうか。ただ大相撲協会は公益財団法人?だかなんだかで国から助成金を受けているとかなんとかだそうなのですが(すみません、あまりに怒って書いているのでちゃんとした事実関係を確認していません)、納税者の半分は女性なんだからそれについてはどうなんだ、ってのは言いたいですよね。国技だそうですしね。国民の半分は女性なんですけれどね。
 まあそうした問題もホントいろいろアレなんだけれど、今はさておくにして、今回の事件でいうならばそれより問題なのは、人命救助よりたかだか百年かそこらの(60年前には女力士が土俵で挨拶した例があったとか?)「しきたり」が優先されるべきだと彼らは本当に考えているのか?ってことと、プロが職務をまっとうするにあたって性別なんか関係ないだろう、とということですよね。スポーツ競技の運営の場に医療関係者を待機させるルールはなかったのかよ、というつっこみももちろんありますが。
 それとも土俵で倒れた者はみんな、神への生け贄としてそのまま放置すべきだった、とすら彼らは考えているのかな…まあそういう理念の宗教なんだっていうならホントそれでいいですが、ではその宗派以外の人は関わらないでいいですよねもう? 挨拶もしない、授賞もしない、というか開催の招聘もしない、助成もしない。もう国技でもなんでもないってことです、国技を名乗らないでください。国民の半分は女性なんです、国民全員が女性から生まれているんです。それがわからないならもういらないです。
 女神が女性を嫌うから、みたいな神話ももういらん。それはいかにも男が考える神です。そんな神ならいりませんし、そうでない神がいます。てか神様が性別なんて細かいことを気にするもんかアホ!
 女性である宝塚市市長が土俵下で挨拶することがあったり、テレビのワイドショーでコメンテーターが「土俵が女人禁制なのは宝塚歌劇が男子禁制なのと同じ」と言ったとかがあったりで、宝塚歌劇団が並んで話題となることもあったようですが、どこが同じなのか激しく問い質したいですよね。女性も力士にしろ、という訴えがあったということなら「相撲は男性オンリーなんですよ、宝塚歌劇もそうでしょ?」と並べて言い返していい(古く女相撲という「伝統」もあったのだそうですが、それは今はおきましょう)。でもそうじゃないでしょう? 同じというなら、宝塚歌劇の上演中に生徒がなんらかの発作で倒れたとして、客席にいた男性が舞台に上がって救命措置を施して、それを女性観客が咎め立てして蛍嬢が「男性は舞台から降りてください」という場内アナウンスをするか?って話ですよ。もちろん男女は平等ではないので逆転したところでまったくの対称にはならないでしょうが(そしてその平等でないこと、だから逆転しても正対称にはならないところが問題なのだけれど)、この場合は全観客がその男性に感謝することでしょう。愛するスターの命を救ってくれたのですからね。胸に触った!なんて騒ぐ女なんかいやしません。あたりまえのことじゃないの? なんで逆だとそうならないの? 命より大事なものなんかあるの?
 それに、宝塚歌劇団にはたくさんの男性が職務として従事しています。女性に限られているのは出演者だけです。劇団フロントや脚本・演出家はもちろん、大道具小道具照明その他いろんな仕事を男女共同でこなしています。上演中の舞台にすら、黒衣を着て装置を動かす男性スタッフが上がっています。男子禁制なんかでは全然ないのです。
 また、宝塚歌劇団は観客を含めての消防訓練などにも熱心ですし、過去に客席で急患が出たときに劇場スタッフが迅速に対応した例もありました。大相撲協会なんかよりずっと危機管理が徹底されているのです。安易に並列してもらいたくありません。
 なんでこんな簡単な比較ができないのか、さっぱりわかりません。でもアタマ悪い人ってホントにアタマ悪いからな…ときどき絶望的な気持ちになりますよね…
 話を相撲に戻しますが、なので今後もこの宗教を続けるつもりなら一私団体になってください、公金を使うのはやめてください。あと、確かに「なら私も土俵下から挨拶しますね」と言う男性首長が出てくれてもいいよなと思いました。力士じゃないので、相撲を取るわけではないので、土俵に上がるのは遠慮しますね、でいいじゃん。皮肉だとしても、誰かが一番にやればそれはそれでヒーローになれるんじゃないのかなあ。そういう男性が出現してほしいなあ、と思います。

 ただし、そこからまた少し話がずれるようではありますが、宝塚歌劇の出演者が未婚女性に限られていることについては、私はなんら問題だと考えていません。それは内輪のルールだからであり、そういう教義の宗教だからです(笑)。生徒はフェアリーであると公称し、信者であるファンはそれを信じている振りをする、そういうプレイの宗教(大笑)だからです。嫌なら入信しなければいいだけの話です。一私企業にすぎませんしね。
 タカラジェンヌはフェアリーだからこそ、男役としてまた娘役として、理想の男性キャラクターを演じまた理想の女性キャラクターを演じられているのだ、と私は考えています。なのに実は夫がいるんだよね、となれば私は幻滅します。現行の日本の婚姻は、ほぼ100パーセントに近い率で女性だけが姓を変え、世帯主にならず、あたかも男性に隷属させられるような状態に置かれるものだからです。たとえ彼女が公私混同はしませんとどれだけ力強く宣言しようと、残念ながら私は、私生活であろうとそんな状態にある女性が、仕事としてはきちんとフェアリーとなり理想の男女に扮してみせます、と言われてもドリームが抱けません。
 女優さんはまた違うとは思います。理想像だけを演じるものでもありませんからね。でも私は、宝塚歌劇とは理想の男女の理想の愛や恋や生き方、志、理念、世界のあるべき姿を舞台に出現させている演劇ジャンルだととらえているので、現実がもうちょっとマシにならない限り、生徒には現実からなるべく隔離されていてほしい派なのです。劇団の東京移転とかもホント冗談じゃありませんから! 兵庫県宝塚市にあるからいいんですからね!!
 ちなみに宝塚音楽学校が、また宝塚歌劇団が今もって生徒を良妻賢母云々と言って育てているのかどうかに関しても、特に踏み込む気はありません。生徒の多くは単にあの舞台に立ちたくて入学してくるのでしょうから、たとえそうした教育がなされても話半分でしか聞いちゃないだろうし、特に害はないのではなかろうかと楽観しているからです。
 また、そんなわけで結婚は退団の正当な理由のひとつなので、トップスターの卒業会見に「結婚のご予定は?」という質問がなされることも、私は特にセクハラだとは考えていません。憧れの作品に出られたから満足して、とか後進に譲るために、とか、退団を決意する理由は人それぞれだろうし、その理由を知りたい、という気持ちはファンなら誰しもあるのではなかろうか、と思うからです。
 ただ現実問題として、昔ならいざいらず、今のトップスターはたとえ結婚が理由だったとしてもそれを公言しないとは思っているし、また下級生時代ならともかくトップにまでなったスターの人生はほぼほぼ100パーセント宝塚歌劇に捧げられていて外界の男性に割く時間などないのではとも思うので、単純に不毛で無意味な質問だな、とは思っています。限られた会見時間をもっと有意義に使えないのかな?とは疑問です。
 また、「プライベートなことなのでお答えしません」とか「職務と関係ないので答えを控えさせていただきます」とか回答するスターが現れてもいいとも思っています。記者としての純粋な質問ではなく、野次馬根性として、また若い女性を当惑させて楽しもうという下衆な根性でこうした質問をする男性記者だって多かろうと思うので、そういう輩には「結婚するとしてもアンタとではない、関係ないからすっこんでろ」とくらい言ってやったっていいんです。そういうスターが現れてくれるといいなと夢想したりはします。
 あとは、この質問に関してもっと、将来のキャリアプランとしてたとえば僕なんか相手にいかがですか…と言ってみせる剛の者が現れる、とかさ。それがふたりの初めての出会いであった、そしてのち…とか、キャー!ってなもんじゃないですか?

 …というワケで、私はフェミニストであり、最近次々と顕在化されるこうした男女差別(性別だけでなく他の様々な差別も)問題に日々イカイカしているのですが、一方でそれでもこういう、ヒーローめいたというか、ちょいと素敵な男性が出現する期待を捨てきれないのでいるのでした。
 だって男がみんな馬鹿だなんて思いたくないよー。実際そんなことないはずだしさ。それは女性ならみんな聡明で差別などせずフェミニストである、なんてことがないのと同じです。
 そう、私はフェミニストですが、残念ながら?異性愛者です。こんなに女子が好きだし日々ヅカ友女子との呑み語らいを楽しみに生きているのだけれど、それは女性もまた男性同様ホモソーシャルな関係を好むということでもあるのだろうし、たいていの女性は好きな男以外は男が嫌い、ってのはありますよね。
 嫌うとまではいかなくても、どうでもいい。好きな人にはそりゃ好かれたいけれど、不特定多数にモテたいとか思わない質なので、存在として必要としていないと言ってもいいです。
 これは私が恋愛体質ではなく実際の恋愛や交際の経験も少なくまた未婚であるせいかもしれず、こうではない女性ももちろんたくさんこの世にはいるとはわかっていますが、とりあえず私に関してはそうです。
 でも、そんなふうに実在の世の男性についてあまり関心がないにもかかわらず、ある種のドリームは抱いてしまっているのです。男と女が愛し合い認め合い高め合い、世の中を明るくしていくことがあるというドリームです。私が少女漫画や宝塚歌劇に求めているものは実はそうしたものなのです。
 私は物心ついたときから漫画を読んでいて、漢字や語彙の多くを漫画に学んだと思っています。弟がいたので少年漫画も読んでいましたが、やはり少女漫画の方にいろいろ育てられました。
 宝塚歌劇に出会ったのは社会人になってからでしたが、当時マジで「少女漫画の三次元化じゃん!」と思ったものでした(当時まだ2.5次元ミュージカルなるものはありませんでした)。男役の生徒を男性と混同することはまったくありませんでしたが、男役が舞台で演じる男性キャラクター像が少女漫画に出てくる男性キャラクター像に近いと思ったのです。そしてそれはもちろん実在の男性とは違うものなのだけれど、女性が理想とする男性像であり、私が現実の男性にもいつかこうなってほしいと思うものだったのです。
 ここまでの美しさはもちろん求めていません。けれどこれくらい優しく、賢く、紳士的で、誠実であってほしいものじゃないですか。私は現実の男性だってこうなりえる、と夢見ているのです。
 だから観劇は、私にとっては現実からの逃避ではありません。舞台の上に現実の理想像を見ているのです。で、今の現実はこうはなっていないけれど、この理想の姿に一歩ずつでも近づいていこうね、とまた決意を新たにし現実に立ち向かういい機会なのです。
 だから、世の中は多様で、愛の形もさまざまだけれど、宝塚歌劇にはまずは男女の恋愛を描いてもらいたいのでした。せっかく男役のトップスターとトップ娘役がいるのですから、悲劇に終わろうとハッピーエンドだろうと、とにかくそのふたりが演じる男女のキャラクターのきっちり恋愛を描いてもらいたいのです。そこがマジョリティだからです。いい悪いではないですよ? ただ数が多いだけです。でもシスジェンダーでヘテロセクシャルという人間が和のボリュームゾーンでしょう。そしてそんな世の中で、それでもなお、たとえば婚姻における両性の不平等とか(たとえば未だ達成されない選択制夫婦別姓制度とか)いろいろあって、完全に幸せな恋愛関係ってなかなか存在しないじゃないですか。普通の男女の恋愛すらスムーズに進行し幸せに帰結することが少ない、ましてマイノリティにおいておや。でももっとうまくいっていいはずだと思うじゃないですか。
 だからせめてフィクションの中でくらい、というのもあるし、そういうフィクションをお手本に、現実が努力を重ねていくべきなのではないか、と私は考えているのでした。
 若い女子向けの少女漫画なんかで、男性キャラクターがあまりに理想的すぎるとかドリームがすぎるようなものには確かに問題があるとも思いますが、まずはフィクションを通して若い読者に恋愛へのあこがれみたいなものを抱かせるのも大事なんじゃないか、とも思うのですよね。本当は恋愛に限らず、他者と関わることで生まれる何か、と言ってもいいですが。そういう関係とか、変化とかへの心構えというか、それが良いものであろうという刷り込みというか、はあってもいいと思うのです。
 いや本当は子供はそういうことはまずは家庭で、そしてのち地域で自然と勉強していくものだとは思いますよ? でも今、両親が揃っていないとか家で愛や信頼や他者と関係を結ぶことを学べないことも多くなっているようじゃないですか。そんなときに、フィクションが果たす役割ってあると思うのです。そしてそのときそこで、他者と関わることは怖いことでもあるかもしれないし面倒なこととでもあるかもしれないけれど、恐れるばかりで閉じこもっちゃうとホントに何もなくてつまらなくて寂しいよ、勇気を持って関わってごらん変化してごらん変化させてごらん、新しいものが生まれるし楽しいし自分も周りも以前より良くなるよ…と教えてあげるべきだと思うのです。
 でないと人は学習しない。人間は自然には人間になりません。人間、それこそ人の間で生きることを学ばないと人間にはなれないのです(ということをたとえば私は『風と木の詩』で学んだのだと思います)。学ぶ、といっても最初は自発的に学び取れるものではないので、一方がある種押しつける形になりますが、それでもそこで「他者と関わることは楽しいよ」という方向で提示することは悪いことではないと私は思います。でないとやはり人は楽な方に流れてしまうと思うから。つまり何もせず、他者と関わらず、自分の中に引きこもり、その狭く小さな平穏の中で生きていってしまうものだと思うからです。
 もちろんその方が幸せだ、という考え方もあるでしょう。でも私はそれに与したくない。現に自分自身が、家族であれ友達であれ恋人であれ、他者と関わることで傷つき心折れることがあったとしてもそれ以上に楽しく幸せなものを得てきたと思っているからです。そうして何かを得てきて以前より幸せになれている、だからそれを周りにも返したい、世の中を少しでも良くしたい、みんなで幸せになりたい…自然とそう考えるように至っていて、まあたまたまかもしれませんがある種のエンタメ業界みたいなところで今現在も禄を食んでいるからです。
 だからより上質な、ハッピーな、おもしろい、ラブロマンスを宝塚歌劇にはもっともっとたくさんやってもらいたい。それを観たい。観て萌えてニマニマしてニヤニヤしたい。そしてそれを現実化しようとがんばりたい。私はそう思うのでした。
 愛といっても恋愛だけじゃないし、宝塚歌劇でももっと広い関係性みたいなものを描くようになるといい、みたいな意見ももちろんあるかとは思うのですが、私に言わせれば、まだ男女の恋愛すら満足に描けていないのに手を広げてどーする!?ってなものです。国内のファンも満足させられていないのにアジアだ世界だ言ってる場合か劇団!?とのと同じです。
 実際には、いろいろ豊かになってきているので、ホント恋愛もいらないわ何より疲れるもん…って考え方も増えてきているのだろうしアリなんだろうなとも思うのです。でも、そこは私は古い昭和の犬なので、踏み留まって、面倒で疲れるかもしれないががんばってみようよ、と言いたいのです。恋愛体質じゃないから間遠だけれど、私だって機会があればまたトライしたいと思っていますよ? やっぱり関わって、変化して、何かを生み出していかないと、収束する一方ですよね。
 私が若いころに読んだ当時流行りのタイプのSFなんかでは、文明が爛熟期を迎えたあとそうやってある種の怠惰が蔓延し始めてやがて滅びの道へ…みたいなものがよくあったものですが、踏み留まれと言いたいのは今の世の中は爛熟するところまで行き着けていないのに息切れしちゃっているように見えるからです。だって男女平等すら達成されていないんですよ? 道半ばすぎるでしょう。なのに、もういいよ疲れちゃったよ…という空気が漂い始めている。私はそれが怖いのです。
 たとえば少子化って、もちろんいろんな要因があるとは思うけれど、深層心理的には、女たちが「もうこんな馬鹿な男たちの子供なんか産みたくない…」と思い出しちゃったからだと思うんですよね。子供が生まれなければ人類は絶えてそれは自分たち女の首も絞めるんだけれど、それでもいいやと思えちゃうくらい、女は男に絶望するようになってきている。それはすごくわかるのです。でも、しつこいけれど、踏み留まりたいの。まだ希望はあるんじゃないかと思いたいの。
 思えば、宝塚歌劇に出会ったころの私は、これは男女の理想の関係を描いたもので、だけどその理想はいつか現実に実現されるから、そのときは宝塚歌劇はその役目を終えて消滅するんだな…とか思ったものでした。もちろんそんな日はかなり先か、下手したら来ないなとも思っていたわけですが、少なくともちょっとずつつでも近づいてくるだろうとは考えていたのです。
 でも今、それってかなりお気楽な発想だったんだなと思います。現実はむしろ悪くなっていて、男は馬鹿のままでむしろより馬鹿になっている。ちょっと前にあった女性専用車両の問題もまさにそれで、あれが女性の優遇などではなく保護にしかすぎないもので、そんなものがあることは恥ずかしいことで是正されるべきもので、だから滅すべきは痴漢の方なのである、ということが理解できない男たちのアタマの悪さがもうホント絶望的な案件でした。
 もはや男性にドリームなんて抱けないし、だから女性が男役なんかやっている宝塚歌劇なんてものも古い、ダサい…という時代すら来るのかもしれないと思うと、私は怖くて震えます。でも杞憂ではない気がします。それくらい、男女の乖離と絶望は深く、世の中に愛も夢も希望もなくなってきている…
 私には子供がいないので、受け継がせるべき遺産も特になく、私が死んだあと世界がどうなろうとどうでもいいくらいに思うこともあったのですが(ヒドい)、生きているうちはもちろんいい世の中であってほしいわけで(図々しい)、だけどそれがホントここ数年で急速に怪しくなってきていると思うので、それは本当に怖いです。宝塚歌劇150周年を見届ける気満々でしたし、自分の人生もやっと折り返し地点くらいで、あと50年くらいラクラク保つでしょ?とかちょっと前までは思っていたけれど、最近全然そんなふうに思えませんものね…しょんぼり。
 でも、だからって、逃げ出せないし、投げ捨てられない。自分の人生だし、自分が生きる国だし世の中です。逃げ切れそうにないなら、戦うしかない。その元気はある方なんですよ、なんせ古い昭和の犬だから。戦後生まれで高度成長期を働いて生きた二親に育てられた、バブルの名残りの中社会人になった世代ですからね。無駄に元気だし楽天的なんです。
 清く正しく美しく、そして朗らかに。愛し信じるもののために、戦いたい。不当なことには怒る、それが生きている証だってグッディも歌っています。平和、平和と歌うために、戦う。がんばります。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする