月組大劇場公演『カンパニー/BADDY』の初日と二日目11時を観てきました。
初日はお友達のおかげで一階後方ですがどセンターで全体が観やすくショーの視線はバシバシいただけるお席、そして二回目は友会が当ててくれたSS席で珠城さんに目の前で名前をつぶやかれるという事態に…!(正しくは主人公の亡妻の名前です、芝居の台詞です)はー、楽しかった!!
というわけで今回もネタバレ全開でアレコレねちねち語らせていただきます、未見の方やネタバレがお嫌いな方は激しくご留意ください!
さて、『カンパニー』の原作小説はこれまたお友達にお借りして読みましたが、まあ正直言ってなんてことない話でしたね…小説としての出来は決して高くなくて、映像化なんかには向いているかなと思いました。だからこその舞台化だったのかもしれませんが、この程度のキャラクターや題材なら座付き作家がオリジナル脚本で起こせよ、とも思いました。でもダーイシの直近のオリジナルが『
ヴァンパイア・サクセション』というしょーもないものだったことを思うと、原作を与えておいた方がまだ安全…というのはあったかな、とか思っちゃったりしましたよ。あ、今回、舞台はとてもよくできていたと思うんですけれど、やはり石田先生とは呼べないなーってことでこの呼称ですすんません。
まず装置が良くて(稲生英介。私は初めて見る名前な気がするな…)、現代日本が舞台の群像劇ということでスーツだのOLの制服だのばかりで地味になりそうなところを、すごくポップなセットや美術で舞台を鮮やかに盛り立ててくれていました。
全体の展開も、多少の省略や簡略化、改変はありつつも基本的には原作をまんまやろとうしているのでやや細切れで暗転も多いのですが、うまくブリッジ音楽を使ってブツ切りにはしていないところに手練れ感が見えて好感。
また、宝塚歌劇はあくまで宝塚歌劇なのでバレエ公演場面でバレエをまんまやってもしょうがないんだけれど、ちゃんとそういうところは飛ばして、でもイメージとしてはすごくうまく使っていて、ちゃぴやみやちゃん、れいこちゃん、ありちゃんの出番としても活用していて、これまた上手いなと思いました。
ラストに合併パーティー場面を持ってきて華やかに仕上げたのも、宝塚歌劇の十八番ですよね。
社員たちがスマホのニュースで自社の合併を知る、なんてのも現代あるあるでおもしろかったです。何かとスマホで撮影したがるOLとかの描写も。でもあのフラッシュモブはフラッシュモブじゃないよね、驚いている一般人を演じている生徒がいないし、単なる夏祭りジャックでした。というかミュージカルってそもそも突然歌い出したり踊り出したりするものだから、あの日常の中の違和感ってかえって描けないんだなと思いました。
原作からの大きな改変はまず主人公の設定で、青柳誠一は妻と娘に出て行かれて離婚を突きつけられている中年サラリーマン、でしたが珠城さん演じる青柳誠二は妻を若くしてがんで亡くして二年の青年サラリーマン、です。原作ではちょっと怠惰とかことなかれ主義が見えたややしょーもないキャラクターでしたが、珠城さんだと真面目で誠実で朴訥で、ちょっと不器用だけれど一生懸命で…というキャラクターとして立ち上がってきます。そこがいい。周りが心配するように、妻を亡くしてからちょっと落ち込み気味なはずなんだけれど、そういう描写は実はあまりありません。でもちょっとくたびれてるとか行き詰まっている感がもう少しあってもいいのかな、と思いました。その方が、やや不本意な出向先で出会った新たな体験に扉が開いて心が軽くなって…というのが効くと思うからです。
ちゃぴ演じる美波との未来の可能性についても、原作より進んで終わりましたね。正しいよね、宝塚歌劇だもんねたまちゃぴだもんね当然だよね! もっとラブラブしてほしかったしチューくらいしてほしかったけど青柳さんは一足飛びにはそんなことはしない人なのよね、あの「愛してる」を言うだけでたいしたものなんだよねニヤニヤ。ラストが『
王妃の館』のまぁみりと同じなのはどうかと思うけれど、たまちゃぴは手を取り合ったあとちゃぴが珠城さんの腕に抱きついてくれてハケるので、そこは印象が変わっていいかなと思いました。
みやちゃん演じる世界的プリンシパル高野悠とくらげちゃん演じるトレーナーの由衣にも、この先ラブがあるのかな、として終わったのは私は好きです。いいと思います。何故なら宝塚歌劇だから、みんなラブが見たくてここに来ていると思うからです。
体を触らせることを許したときに名前で呼んだのは、あくまでカンパニーではファーストネーム呼びが自然だからで、それこそ彼女を仕事仲間だと認めたということの表れで、男として女扱いしたということではないと思います。そう誤解されないよう青柳さんを同伴したんだし。でもウィーンでの新事業に由衣を呼んだのは、ビジネス半分プライベート半分、だったようにも見える。ふたりが異性として惹かれ合っている描写はないし、仕事のパートナーと恋愛はあくまで別、なのが本来は当然なのでそこを簡単に混同するのが気に障る人も多いかとは思いますが、でも私は気になりませんでした。むしろよかったねと思ったのです。リアルで自分がやられたらバカにするな仕事だろと怒りますよ? でもお話だから、宝塚歌劇だから。世知辛い世の中と違って、ここくらいは愛にあふれていてほしいから。
あとは退団オーラとかもあるのかもしれないけれど、わかばが演じることで紗良はより良いキャラクターになったと思いました。社長令嬢でわがままなお姫様で、金で役を買っていると陰口叩かれて、それでも踊ることが好きで毅然と踊っていて、幼なじみの悠に対してももちろん好意はあるんだろうけれどむしろ子供が欲しい優秀な遺伝子が欲しいと言っちゃうようなドライさや現実主義もあって、引退を考えていて、怪我してもさせた人のことを案じて代役を案じて…よもやわかばの芝居に泣かされる日が来ようとは思っていませんでしたよ…!
れいこちゃんの那由他やありちゃんの蒼太は原作まんまかな、そしてそこがいい。としちゃん阿久津さん以下バーバリアンもみんないい(れんこんのセンターパーツたまらん…!)。
そうそう、原作の脇坂さんがホントに嫌な男で、でもサラリーマンってこうだしこういう人が出世したりするよね、とか歯噛みしながら読んでいたのですが、るうさんがまた抜群に上手いのと、こちらは最後に沖縄に左遷されるというオチがついたのも、勧善懲悪な宝塚歌劇っぽい改変でいいなと私は思いました。
すーさん、まゆみさんは手堅い。ゆりちゃんとまゆぽんもいい。あとさくさくね! やっと使われてきてくれて嬉しいよ! その彼氏のからんちゃんは役不足だったかもしれないけれど、このカップルの存在感はとてもよかったです。
以下はどうしてもモブになっちゃていましたが、みんなきっとちゃんと小芝居しているんだろうなあ、それが作品を下支えしているよな、と思いました。芝居の月組、ここにあり!です。
さて、では引っかかった点は何かと言えば、一にも二にもダーイシ節です。
原作にもある説明台詞をそのまま舞台に上げてもダメなんです。現代日本が舞台といってもテレビドラマではないんだから、蕩々と語られても場が保たないし、目で読む字の台詞と耳で聞く音の台詞は捕らえられ方が違います。その研究や取捨選択が全然できていない。
加えてそこにダーイシならではの蛇足が付くのです。ホントつらい。
説明や情報に「へー」とか「ほう」とかなることはありますよ。でもそれは感動とは違う。感情が揺さぶられるわけではないからです。ドラマにはならない。
そのキャラクターの感情に起因した台詞ならいくら長くても観客は聞きますが、普通に新聞を読んでたら知っていたり目にしたことがある程度の情報や社会時評めいたことをただ並べられても、人は感動も何もしません。いうとかむしろその浅薄さにあきれます。ツイッターの一週間くらい後追いでネタにしているワイドショーにあきれるのと同じ。普通に働いてその金で観に来ている観客の方がアンタなんかよりよっぽど世間を知ってるよ、なのにいちいちひけらかすんじゃねーよ知ったかぶりがウザいんだよダーイシシ!!!(…と叫びたいのですが、もしかして宝塚歌劇の観客には新聞読んだりニュース見たりしない主婦とかお嬢様の方が多いのかな…そういう方々は感心しちゃうのかな…てか一番ありえるのは不勉強な劇団首脳陣が「知らなかったよ、勉強になるなあはっはっは」とか言って感心して通してるんじゃねーのこの脚本、ってことですよ!)
ああ、「ル・サンク」手に入れたら端から赤字入れてやりたいわ。
事実誤認とかはなくて、間違ったことは言っていません、でも不必要だったりデリカシーがないものが多すぎる。ソコをザラつかせても何も出ないから! 何をイキっちゃってるのボクちゃん?って感じしかしない。社会批評をしているつもりならやめてくれ、てかよそでやれ。観客はみんなそんなことはわかっている、そこで生きてるんだから世の中が世知辛いって知っている、でもその上でこの劇場に、この空間に愛と夢と希望を観に来ているのです。てかもーホント尺がもったいないから!
「てめえが孕ませた張本人だろーが!」のことじゃないですよ、こんなものはスミコーでもなんでもない。孕む、という言葉は直接的ですが悪い言葉ではないし、露悪的かもしれないけれど特段下品でもないと思う。やることやればできるのは当然なんだし、原作にもある台詞です。由衣が舞への心配とふがいない彼氏への怒りについ口走ってしまう言葉として、実にまっとうです。
そうじゃなくて、たとえば思い出せるだけでも、コンテンポラリーの説明とか、スポンサーとかチケットノルマとかタニマチのくだりとか、アスリートの競技限界年齢の話とか、日本人が海外で活躍することの説明とか、そういう部分です。もっと短く簡潔にすませて先へ行けるのに、いちいちウダウダ語らせる。それがいちいち気に障りました。本当にやめていただきたいです。これで斬新なことをやった気でいるならちゃんちゃらおかしいです。
たとえば乃亜のことだって、「シングルマザーだけど現役のバレリーナとして頑張っていて、今や瑞穂先生の振り付け助手もしているんですよ」「へー、すごいですねえ!」でおしまい、でいいワケじゃん。出産すると体を戻すのが大変、とかコンテンポラリーとは、とかブレイクダンスみたいな?のボケとか、みんないらない。だいたいコンテンポラリーの説明、結局できていないし。たとえば美波に実はコンテ志向があるとかいうことでなければ、ここで出す必要のない話でしょう? でもダーイシがクラシックとコンテを勉強できたんで嬉しくてひけらかしてるんですよ、そういうのが恥ずかしくて下品だっつってるの! しかも生徒の、役の口を使って言うところがイヤなの。言いたいならてめーの口で飲み屋ででも言えよ、そして周りにあきれられればいいんだよ。どなたかがつぶやいていましたが職場の宴会でめんどくさいオヤジの隣になっちゃってくだらない話を聞かされているのと同じつらさ、っての、わかりすぎます。
話に関わる部分なので特に引っかかったのが、悠が海外で活躍するプリンシパルだという説明のくだりで、「日本人が海外のバレエ団で主役踊るのは、フランス人が歌舞伎の立ち役をやるようなもの」と表現したことです。確か原作にもあった気がしますが、そしてバレエは西洋のもので歌舞伎は日本発祥のものだからそれはたとえとして正しいのかもしれないけれど、こう言われると普通「そんな目が青くて鼻が高い立ち役とかイヤだ」って思っちゃう人が現状多いんじゃないの?ってことです。これは日本が遅れている部分で、いや伝統芸能だから絶対に外国人には開放しないってんなら話はまた別なのでいいのですが(現状、女性にも、歌舞伎の家の出身者以外にも門戸は閉ざされているようなものなんですもんね?)、日本ではできていない「外国人を差別せず許容する」ということが外国ではできていてそれは素晴らしいことだ、ってのもあるんだけど一方で、要するに西洋でも日本人バレリーナなんて単なる猿真似だと思われているってことなんじゃないの?ってなっちゃうじゃん。でもここは悠がいかにすごいダンサーかって話をしているところなんだから、なんかもっとベタでもいいからたとえば、「パリのオペラ座でも王子を踊ったんですよ!」「へー、すごいですねえ!」でいいワケですよ。そういう計算が全然できていなくて、ただ「いいたとえ思いついちゃった」ってのをひけらかしてるだけで、それ結局ダメってことじゃね?って客観性が持ててないの。そこがダメなの観ていてイラつくの!
そんなことをしなくても大丈夫だから、ちゃんとできているから。キャラクターとストーリーだけで十分ハートフルないい話に仕上がっているから、大丈夫です自信持ってくださいよ。いい加減、大人になってくださいよ…
それだけは、強く指摘しておきます。
※※※
そして、くーみんのショー・デビュー作、「ショー・テント・タカラヅカ『BADDY』」です!
実は私はずっとショーの見方が下手だという自覚があって、それは私がなんにでも物語や意味を求めてしまう癖があるからで、「考えるな、感じろ!」が上手くできないタイプだからだとわかってはいるのですが、たとえばバレエなんかでもコンテンポラリーは苦手でガラ・コンサートすら嫌、観るなら古典全幕ものを選ぶ、という人間なのですね。なのでこれまであまたのショーを観てきて、これが好き!とかこれがマイ・ベスト!というのが実はなかったのです。もちろん好きな場面とかはありますよ? 最近なら
『SUPER VOYAGER!』の「海に浮かぶ月」の場面は素晴らしかったし、アレはむしろストーリーやキャラ設定みたいなものがないところがよかったです。しいて言えば若者たちが青春の喜びを踊っている…ということなのかもしれないけれど(てか今場面名を性格に表記しようと調べてみて気づいたんだけれど、あれは海に浮かぶ月を踊っているの? だから咲ちゃん黄色着てるの??)、そんな解釈が洒落臭く思えるくらい振りとフォーメーションがカッコよくてひたすらダンサブルで、素敵でした。好きな場面、となるとストーリー仕立てでないものの方がむしろ好みもしれません。ちぎみゆであったひとすら踊るブライアント先生の振り付け場面とか、ただオラオラするだけの男役群舞とかね。でもでは『SV』が大好きなショーだったかというと、「暴風雪」の位置はアレでいいのかとかそもそも口パクとはとかイロイロもの申したいことがあり…とかやってると、全編大好きなショーというものが私には実はないのです。これまたしいて言えば『プレスティージュ』なんだけれとどでも、これも思い出が美化されているのかもしれないし、ではこのショーの何がどうよくてどこがどう好きでほかのショートどう差別化できるのかをきちんと理屈で語れない気しかしないのです。イヤだからそもそも理屈で説明しなくていいんだよ、ということなのかもしれませんが、私はそうは考えられないのでダメなんです。
でも、今なら胸を張って言えます。私が一番好きなショーは『BADDY』です!
こういうのが好みではない、という方も多いかもしれません。宝塚歌劇のショーやレビューに求めているのはこういうことではない、という人も多いかもしれません。単にガチャガチャうるさくてワケわからなかった、って人とか、普通にいると思います。でも私は、やっと、自分が好きなショーというものに出会えたのです。ストーリー仕立てということもあるし、でもたとえば『
ノバ・ボサ・ノバ』みたいなタイプの作品とは違って、ショーのいわゆる様式美をきちんと押さえているところも私の好みだし、でもそのある種の制約の中でやりたいこと言いたいこと訴えたいこと、テーマやメッセージがあってそれを込めていて、もちろん生徒は活用されている。かつそのテーマについていくらでも考えられる、そしてもちろん基本的に賛成できる。だから楽しくて仕方ありませんでした。
もちろん、心配はありましたよ? このご時世に、全面禁煙の平和な地球に月から喫煙者の悪党がやってくる…ってナニ?とかね。私は煙草は吸いませんし、副流煙とかマジ勘弁で通りで歩き煙草している人間は端から蹴り飛ばしてやりたいくらいの人間です。でも知り合いがマナーを守って喫煙してくれる分には全然同席できます。体に悪いことは事実だけれど、嗜好品としてある程度は個人の意思の範疇のものだろうとも思っています。基本的人権として喫煙の権利は認められるべきだろうと考えている、というか、公共の福祉に反しないんだからそこまで縛るべきものではないだろう、とかさ。つまり善悪としては煙草って限りなくグレーだし、ことほどさように世界はグレーなもので充ち満ちていて善悪でなんて綺麗に分けられないに決まっているのです。なのに、統一された平和な地球? 片や大悪党たちが暮らす月? 何ソレ? そんなふうに分けられるもの? 善悪なんて壮大なテーマを扱って大丈夫? という杞憂が、確かにありました。
でも、観たらわかった。くーみんが言いたいことが。もちろんこちらの一方的な思い込みかもしれませんが。でもそれはカラフルなスチールにはもちろん、プログラムのコメントにはっきりと明言されていましたよね。
今回は例によって、そんな一方的な個人的な考察をねちねち書き付けるだけの回です。
まずもって私の好みだったのが、ショーの定番というかセオリーというかお約束というか様式美というか、そういうものは全部ある、ところです。制約の中でやることやっちゃう優等生、くーみんっぽいよね!
開演アナウンスある、プロローグある、男役群舞ある、二番手メイン場面ある、総踊りのあとのスターの銀端ソロで保たせる場面ある、スターが歌い継ぐ中詰めある、女装ある、燕尾ある、ロケットある、大階段ある、デュエダンある、カゲソロある、パレードある、背負い羽ある、シャンシャンある。でもそういうセオリーを忘れてしまうくらい、ストーリーの中にすべてが収まっている。そこが好き。
ではアタマから見ていきましょう。てか長くなりますよ!(笑)
てかまずパトロールバードのなっちゃんムームーとさち花スースーに、娘役に転向したばかりの天紫珠李ちゃんプリンが加わっているのが嬉しいよね! そしてカワイイ! 起用されていくなら嬉しいなあ(てか結愛かれんはもういいのか劇団よ?)。てかこういう歌う三女神みたいなのもショーの典型ですよね。
で、ありちゃん王子とわかば王女が望遠鏡で月を眺めている。すーさん女王がこの星ピースフルプラネット“地球”が平和であること、月には悪党たちが住んでいることを語る。王子や王女は「悪い」という言葉すら知らず、首をかしげます。ここがいかにも幼くてバカっぽくて、初日は客席から笑いが起きましたが、すでにしてここにくーみんの主張はあるワケですよ。知らない、知らせないということは愚かで幼稚で害悪なのです。「悪い」という言葉の意味、概念はおろか言葉そのものを知らないようでは、対照としての「良い」も正確に理解していることにはなりません。その価値も意義も正確にはわからないことになる。両方きちんと知って、その上で選択できるのが真の大人なはずなのです。それを子供たちに封じている女王は、この星のむしろ独裁者なのです。
こんなに煙草押しで子供が真似したらどうするの?と言う方に言いたい。そうやって今テレビや映画から喫煙描写はどんどんなくなっているのだけれど、子供に「あれは何?」と聞かれたらきちんと説明してあげてください。そしてその子が成人したときにはその子の意思と判断で選択させてあげてください。それが周りの大人のすべきことです。創作物にその責はない。人を無菌で育てることに対する異議申し立てをくーみんはこの作品でしているのです。煙草はそのひとつの象徴にすぎません。
さて、女王の育て方に王女はなんとなく馴染んでしまっている。性バイアスかもしれないし、個人的な性格なのかもしれません。なんでも受け入れとしまうその柔らかさが、後にとしちゃんのバッドボーイ・クールとの恋を呼び寄せてしまったのかもしれません。対して王子はなんとなく疑問を感じていて、現状に退屈している。月に、まだ見ぬ世界に、何かもっといいことがあるのではないかと予感している…
ところでプログラムを読み込んでいて今気づいたのですが、ここで出ているらしい「幸福な浮浪者」というのはなんなんだろうなあ。また何かを表しているのだろうなあ。この星に貧富の差みたいな者はないだろうけれど、どんなナリでしたかね? 記憶にない…
ピースフルプラネット“地球”は禁酒禁煙、戦争も犯罪もない。みんなが良き人生を送り天国へ行くことを目指しています。世界の秩序を守るのは女捜査官グッディ。スチールではねねちゃんの『第二章』フィナーレのときのかな?のお衣装を着ていましたが、プロローグは新調かな? 頭の後ろでリボンになって結ばれているサンバイザーが超カワイイ! てかちゃぴは何着てもカワイイ!!
お供はれいこのポッキー巡査。しかしそこに月からやってきたポンコツロケットが着陸する…てかなんでスペースシャトル型なんですかね月までなんて行けませんけどねおもろすぎますね!?
で、ずんぐりスペーススーツにヘルメットの男が現れ、ヘルメットを脱ぐとサングラス、引き抜きはショーでよくあるけれどスペーススーツが引き抜かれたら黒スーツのワルに変身! バッディの登場です。テンション上がりましたよね!!
で、プログラムで読んだときからアタマ悪い歌詞だな、コレ本当に珠城さんが歌うの?って思ってた主題歌をあたりまえですが本当にバッディが歌い出すのでもう大笑い。しかもここに開演アナウンスですよ? 「とっくの昔に開演中だぜ!」って、新しい!!!
珠城さんがセンターで踊ったあとは二番手スターみやちゃんのスイートハートの登場です。で、歌詞含めてここでこのキャラクターの属性がちゃんと見える。咥え煙草の男役群舞が素晴らしくカッコいい!
煙草は体に悪いことは事実なんだし、やっぱり地球の方が正しくていいのでは…と思う方もいるでしょう。しかしここでこのスイートハートの設定が生きてくるのです。この地球ではおそらく同性愛は犯罪であり違法です。なんなら異性間であっても激しすぎる性愛とか生殖目的でない性交は条例違反かもしれません。この地球の正しさってのはそういうことです。スイートハートは男性の体を持ちながら心は女性、そしてバッディを愛している、という設定なので、厳密にはトランスジェンダーの異性愛者であって同性愛者ではありません。でもおそらくこの地球では矯正され隔離され治療され処罰され処刑されるでしょう。「犯罪発生率ゼロ」ってのはそういうことです。ないことにするってことです。みやちゃんの存在が許されない世界なんてアリですか? そういうことを示すキャラクターを登場させているのですくーみんは。ホント怖い。
グッディは「ここは禁煙です!」とか叫ぶのだけれど、ここでくーみんの主張のひとつが早くもまたまたわかります。煙草は禁煙か喫煙かとかいうことなんかではなくて、単に「世間で悪いとされているもの」の象徴なのです。ここまでにすでに観客は、ピースフルプラネットはそりゃけっこうだけれどちょっと息苦しそう、現世になんの楽しみもなくただ品行方正にして天国を目指すだけなんて、王子じゃなくても「窮屈だなあ」とつぶやきたくもなるよ…という気持ちにちょっとなっています。では悪党が暮らす月の方が自由で断然いいのかというと、そんなこともない、ということもここでくーみんはぶちまけてくるのです。だってバッディはスイートハートとデキてます。それはいい、かもしれないがくらげちゃんファニーやさくさくスパイシー始めバッディーズたちともデキてます。そしてなんならバッドボーイたちともデキています。ここはそういう破廉恥を十二分に表現している群舞になっています。だって彼らは悪党だから、ノー・ルールだから、乱交だろうがなんだろうがアリなのです。これは一夫一婦のロマンチック・ラブ・イデオロギーを信奉する宝塚歌劇ファンの、というか女性の心情を逆撫でします。だから月の方がいいなんてありえない、でもカッコいい。さあどうします? これはそんなくーみんの挑戦状だと思うのです。
バッディはグッディと踊り、スイートハートはポッキーにちょっかいをかける。そしてグッディがバッディにハートをズキュンと撃ち抜かれ、スイートハートが怒って割って入る。グッディにしたらこんな男に出会ったことがなくて、その衝撃の方が大きくて恋だのなんだのってことではないのでしょう、まだ。スイートハートにしたってバッディの浮気にいちいち目くじらは立てないのが普通なはずなんですが、でもこのちょっと毛色の変わった女は危険だ、と察知したのかもしれません。白黒入り乱れて総踊りが決まって、プロローグ終了。圧巻です。
続いてなんかちょっと昭和歌謡チックなラブソングが銀橋で歌われて場面をつなぐ、ってのもショーあるあるですよね。ポッキーがグッディへの片思いを歌いますが、グッディは悪を取り締まることしか頭にありません。あちこちでバッドボーイたちによる小さな犯罪が繰り広げられ(犯罪のスケールが小さくなっていることが、すでに彼ら悪党が地球化されていっていることを表しています。黒は白と交わってグレーになっていくのです)、それを制止しようとしたたんちゃんカインドやはーちゃんハッピーたちグッディーズが発砲して自分で自分に驚いたりしています。今まで実際に銃を使用したことはなかったのでしょう、だって103年間犯罪発生率ゼロだったのですから。拳銃は威嚇による犯罪防止の手段である一方で、立派な武器でもあります。遺憾ながら白もまた黒と交わってグレーになっていくのです。だって次の場面ではもう彼女たちは、囮捜査のためとはいえ「誘惑」という必要悪を駆使することを厭わないようになっているからです。
そうだ、このあたりでもう、クールと王女の出会いはあったんだっけ? 銃弾がかすって怪我したクールに王女が止血のハンカチを渡す…なんてベタでロマンチックなの!
というわけで次の場面はリゾートでレストランで、こういう謎の南国カラフル衣装ラテン場面ってのもショーあるあるですよね。そして宝塚スターはやはりトンチキな柄のお衣装を着てナンボですよね! 珠城さん、それでも脚が長いわ素敵だわ見惚れるわー。あとくらげちゃんとさくさくホントたまらん。てかこれは別にまたいずれ語らせていただきたく考えていますが、彼らはノー・ルールだからこのふたりだってデキてるんですよ、チューくらいして見せたっていいんですよ。でもそこはくーみんはあえてやらせていないのだと私は思う。同性愛と言っても男役同士はアリで娘役同士は何故問題なのかという問題について、私には語りたいことがあるのでした。
さて囮捜査に王子はノリノリで協力、普段はカボチャパンツなのにここはロブスターで、るうちゃんじいやもオイスターにさせられて、ポッキーはオマールで、おもしろすぎました。
ドラゲナイがこんなだったっけ?(笑)そしてバッディはコキーユに化けていたグッディをお持ち帰りしようとし、食い逃げを犯す…
グッディがバッディに手錠をかけ、だけど妬いたポッキーがオマールのハサミで鎖をじょきんと切っちゃうの、ホントただのドリフなんだけどめっちゃおもろい。ここで、グッディに惚れられてるのかなといい気になっちゃうバッディがまたおバカでおもろい。でもグッディが抗うので、代わりにポッキーを人質としてさらっていく…
アジトではスイートハートがバッディの心変わりを嘆いて歌っています。浮気にいちいち目くじらなんか立てない、ただワルのスケールが小さくなっているのが嫌なのだ、と。ところで「♪もっと大きくて」って歌詞はけっこうギリギリだと思うのですがみなさんそこはいかがなのでしょうか…
そこにポッキーを連れて帰ってくるバッディが、酔っ払って赤くなってておみやの寿司折りぶら下げてて、おでこにネクタイ巻いてそうな完全に昭和のリーマンお父さんで爆笑なんだけど、このイメージってどの世代あたりまで伝わるんですかね…(^^;)
で、ポッキーがグッディに振り向いてもらえないと泣くので、スイートハートがモテる男の技を伝授し始めます。ちょっとワルいくらいじゃないと男は女にモテない…というのはまたザラさくネタなんだけれど、これまたくーみんの挑戦状ですよね。で、ここで披露されるワルがまた微妙にしょぼいのがおもろい。でもその中でポッキーはパスパート偽造の技に目覚める…
ちなみに本舞台でのそれを背に、銀橋ではバッディがファニーとスパイシーをはべらせてまあ破廉恥なんですけど、膝枕が日替わりってどういうことですかね珠城さん!
そして中詰めへ。第二主題歌「♪悪いことがしたい、いい人でいたい」という相反することが歌われる中、白チームと黒チームが入り乱れてのぐるぐるぐちゃぐちゃカオス・パラダイスです。お互いがお互いに影響されてテンションが大変なことになっているのです。ここのちゃぴのお衣装がダルマじゃなくてごく短いホットパンツなのが素晴らしいよね! 珠城さんとふたりで階段くるんと起き上がってくるところ、ポールをつかみながら寝そべってスタンバイしているんだよねと思うともうニヤニヤです。
で、バッディはグッディに「君は俺を好きなんだろう?」とか迫るんだけれど、グッディは偽造パスポートを宇宙人たちに売りさばいているポッキーを見つけて、そちらを逮捕しに向かってしまう。ずっと追いかけてきたグッディに追いかけられて有頂天のポッキー、グッディに去られて大ショックで顔を崩すバッディ。いかんいかんと気を取り直して、トップスターあるあるの圧巻の銀橋ソロへ。ここの珠城さんがまたオラオラでノリノリで客席を煽って弾けていて、素晴らしい!
グッディの愛を得るため、また自らのプライドのため、でっかい悪さをしてやるぜ!と決意したバッディは、全惑星予算が納められるビッグシアターバンク(何故「シアター」なのだくーみんよ…ダーイシの『カンパニー』でのスポンサー云々話なんかよりよっぽどザラつくネタをこういうところにぶっ込むアナーキーさが本当に怖いよ…?)から銀行強盗をしてみせるべく、パーティーに侵入する。にーに頭取を色仕掛けで惑わす女装のスイートハートとポッキー。みやちゃんのガーターベルトのセクシーさはさすが、れいこちゃんの出落ち感マジたまらん。にーにへの餞別でもある…よ、ね?(笑)ここは黒燕尾も入って、としちゃんへの餞別にもなっています。ここで王女にハンカチを返すのに、涙…
頭取に化けたバッディはヤス頭取夫人から暗証番号を聞き出し、惑星予算を盗み出し、王子やじいややまゆみさん公爵たちまで誘拐していく…
そしてグッディセンターのグッディーズによる怒りのロケットへ。上下両花道にはパトロールバード三人と女王、王女、蘭ちゃん侍女の三人と女ばかりで、こういうところも外しません。そう、これは「グッディの怒り」と題された場面ですが、女の怒りの場面でもあるのです。ちょっと『
1789』のボディパを思い起こすような激しくエネルギッシュな振り付けも素晴らしい。ちゃぴが抜けたあと、はーちゃんセンターでたんちゃんと卒業の早桃さつきちゃんがシンメになるのも素晴らしい。
ここでグッディーズたちは「♪私たち怒っている、生きている」と歌います。ずっと平和を保ってきた、静かに守ってきた楽園を乱されて怒り心頭なのです。一方で、波風なく穏やかに眠るように、なんなら死んだように生きてきたのに、怒りを呼び起こされることで初めて自分が生きているという実感を得たのです。その動揺や、そんな自分への怒りまでもを踊るようなダンスだと思いました。ここも深い。侵入されて、侵略されて、好き勝手されて、放っといてよ邪魔しないでよ私たちの領分よ、と憤る怒りに、私たち女性は心覚えが必ずあるはずです。
一方でバッディたちは札束を並べたような大階段で悪の華を踊ります。公爵もじいやもクールもゆりちゃんホットもからんちゃんシェフも頭取もまゆぽん宇宙人もポッキーも、男たちはみんなワルになっている。男役たちが本舞台に降りたあと、大階段で踊るバッディーズの色気もまたたまりません! 攻め攻めですよくーみん!!
だが、最後に爆発が起きて、みんな炎に巻かれていく。ポッキーが最後の最後にアジトを爆破し、グッディのための突破口を開いたのです。ワルを知って楽しかった、グッディにちょっとだけでも振り向いてもらえて嬉しかった、でも悪党にはなりきれない、彼女と平和な地球を守りたいという信念には背けなかった、だから死をもって殉じるしかない…そんなポッキーをスイートハートが抱きしめ、真の男と認めて、ふたりはセリ下がります。スイートハートの愛がバッディから移った、とまでは言わないけれど、ここはポッキーにキスしてもいいのではと思わなくはない…か、な?
赤いドレスのグッディが現れて、デュエダンになる。グッディがバッディに銃を向ける、でも撃てない。バッディが銃を奪ってグッディに向ける、でも撃てない。銃を投げ捨てるバッディ。としちゃんのカゲソロに乗って、絡み合う思いを表現する見事なリフト。ロケットの脚上げに手拍子、とかリフトに拍手、は定番だけれど、今回に限ってはむしろ入れたくないくらい、ストーリーに入り込んでしまいました。
ふたりは確かに惹かれ合い愛し合っている。でも女は正義と平和と規律を求め、男は悪と放埒と自由を求めている。決して交わることはない。だから共に死ぬしかない…
パレードは、としちゃんとわかばの魂のダンスから。そしてパトロールバードのエトワール。地球に再び平和が戻り、人々は天国に行く。白いお衣装で天使の輪っかをつけて、次々と階段を降りてくるスターたち。ありちゃん、くらげちゃんとさくさく、れいこちゃん、みやちゃん、るうちゃんとひびきちを連れたわかば、そしてちゃぴ。としゆり、組長副組長が降りて、そして…白燕尾に白の背負い羽、しかしてサングラスのバッディが現れて、「冗談じゃねえ!」と嘯く…扇のシャンシャンは畳むと煙草に姿を変え、みんなで煙モクモク! ジュリ扇もかくやという狂乱の中で、幕が下りていく…
だって白いだけの、綺麗なだけの天国なんて、きっとつまらないから。てかそんなところはどこにもないのだから。世の中にはいいものも悪いものもある、そこから目を背けて、綺麗なところだけ見てそこだけ囲って平穏にしていても仕方ない、闇があるから光がわかる、両方なくてはダメなんです。今、なんでも綺麗にしよう、規制しようとしがちな世の中になってきているけれど、本当にそれでいいのかちょっと立ち止まって考えてみませんか…? 結局くーみんが言っているのはただそれだけのことだと思います。禁煙反対!とかワル上等!とかではもちろんない。「失われゆく悪と自由への挽歌」なんて揚げ足取られかねないことを書いちゃうところがまたくーみんだとも思いますが、単にすごくシンプルでまっとうなことを言おうとしているだけで、まあメッセージがなんであれショーにメッセージなんていらないって人からしたらそれだけで嫌なんでしょうが、「こういう色味が好きなんだ、見て!」とかいう一般的なショー作家の趣向とほぼほぼ変わらないとも言えると思うので、目くじら立てずに楽しんだもの勝ちなんじゃないかな、と思います。いつも何かしらに目くじら立てて全然楽しんでない私のどの口が言う、って話なんですが…
ストーリーやメッセージ云々を別にしても、目に楽しいダンスが多くて衣装も素敵で、何も考えずに観る普通のショーとしても上出来だと思います。もちろん優雅さには欠けるでしょうが。あと東京公演中の雪組さんから比べると歌は弱い、というか歌詞が聞き取れないことが多かったので、歌詞に意味があるものが多いだけにそこはより向上していただきたいですね。あと、特に前半のセットがややチープなのはわざとなんだと思うんだけれど、どうなんだろうな? 中詰めの電飾のチープさはかえっておもしろかったけれどな。
くーみんがかつてどこかで言っていた、SFネタってこのことだったのかしら…ともあれ、珠城さんへの信頼感、ちゃぴへの高評価、組子への愛があふれている、とてもいい作品だと私は思いました。私は好きです。もっと何度でも観たい。観て、ぐるぐるぐちゃぐちゃからのやったねハッピー!に何度でもなりたい。ポンポン振ったりの参加型ではないけれど、心も頭も参加しました体感しました。眺めているだけの時間はなかった、いつも一緒に揺さぶられていました。そういうの、初めてだったと思います。だから今、私は言うのです、私が一番好きなショーは『BADDY』です!と。