駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇星組『うたかたの恋/Bouquet de TAKARAZUKA』

2018年02月12日 | 観劇記/タイトルあ行
 中日劇場、2018年2月11日16時。

 1889年1月26日、ウィーンにあるドイツ大使館では、皇帝一家臨席のもと舞踏会が催されていた。大勢の貴族が一堂に会する中、皇太子ルドルフ(紅ゆずる)が男爵令嬢マリー・ヴェッツェラ(綺咲愛里)の手を取り、踊り出す。人々の視線を一身に集め、幸せそのもののように踊るふたりは、しかしうたかたの恋に終止符を打つ時の訪れを悟り、ある覚悟を固めていたのだった…
 原作/クロード・アネ、脚本/柴田侑宏、演出/中村暁。1983年の初演以来、再演を重ねる名作。中日劇場での宝塚歌劇ラスト公演。

 私はベニーが苦手なので、まずプロローグの主題歌に鼻白みました…なんでああいう発声になっちゃうんだろうなあ…いいときの歌はいいのになあ…
 でもプロローグのこのターンのラスト、銃声が響く直前の、ふたりが背を反らせて死を匂わせるポーズして暗転、のタイミングが最高に素晴らしかったです。
 で、ウィンナ・ワルツの場面になって、かいちゃんが出てきて踊ると「ああ、ここまぁ様が踊っていた」と思い出し、カチャが出てくると「ああ、ここキタさんが踊っていた」となって忙しかったのですが…お芝居が始まると、あーちゃんの素晴らしいマリーっぽさに一気に引き込まれ、その後はけっこう楽しく観てしまいました。
 ただ、やはり脚本がかなりレトロで行間が多い印象で、それを芝居で埋めきれていない感じがしましたし、全ツであちこち回るにはいいけど別箱とはいえある程度の期間の長さで公演するのはもはやしんどい演目ではないかな…とも思いました。いや、簡単に古い、とは言いたくはないのですが…
 ベニーのルドルフは、ハムレットとか(オフィーリアが水乃ゆりちゃん! 美しい!)その後のロビーの場面、ブラッドフィッシュ(如月蓮)やゼップス(大輝真琴)とのやりとりなんかは私はあまり感心しなかったのですけれど、マリーを私室に招いてからの芝居やその後の公演でのジャン(七海ひろき)とのやりとりがすごくよかったです。ウェットさがうまくハマるといいんですよね。ああ、なんかもっとこれぞという似合いの当て書きの役を、代表作をそろそろ観たいなあ…
 マリーは、要するにごくごく平凡な少女であるところがいい、というようなキャラクターなのではないでしょうか。美人ではあったかもしれないけれど、ものすごく純真だとかものすごくけなげだとかものすごく素直とかではなくて、普通程度に、純真で素直。でもその普通さがルドルフの周りにはなかったのだろうし、その何物にも沿ってしなしなと形を変えるような、若い柔らかさ温かさがルドルフを捕らえたのかな、と思いました。そしてふたりが出会って、ルドルフがマリーを手折って、こういうことになった、というような…そんな、ごくシンプルな、普通の美しさ、可愛らしさ、小さな青い花感をあーちゃんはとても上手く体現しているように私には見えて、そしてそれはもちろんとても難しいことだと思っているし技が必要なことだと思っているので、彼女の娘役芸にうならされました。そこにベニーのルドルフは上手く乗っかっているんだと思うんですよね。ベニーがあーちゃんをすごく可愛いと思っていることが表れている、というような。すごくいいことだと思います。そら誓いも破るよな!ってなもんです。
 そしてジャンも、ルドルフの心情を親身に案じ、また政治的立場も慮り、安易に甘えたり利用したりしない。自分たちの政治的な行動とはきちんと一線を引く、その誠実さは、かいちゃんの温かさならではのものかなとも思いました。そういうのがみんな、いい方に出ています。それに応えるベニーのルドルフの苦悩や寂しさも際立ってきます。
 組長のエリザベート(万里柚美)やれなちゃんのヨゼフ皇帝(十碧れいや)もよかったなー。マリンカ(夢妃杏瑠)やツェヴェッカ伯爵夫人(華鳥礼良)は定番だけれど、ラリッシュ伯爵夫人の七星美妃なんて初めて認識できました。こういうのも別箱公演のいいところですね。あとグレタの水乃ゆりちゃん! 多分こういう美人っぽい、大人っぽい役の方がいいんじゃないかなあ、メイクとかも。
 はっ、しかし娘役の話をするならなんと言っても俺たちのはるこですね! ルドルフの夢の場面での前髪の愛らしさ、殺人的です! あとボヘミアの女のバイトの鮮やかさが素晴らしすぎました! 下町の娘とはいえミ、ミリー!?ってなりましたよ(笑)。
 あと、私の大好きなステファニー(星蘭ひとみ)! 正直、芝居はちょっと直情的すぎてニュアンスに乏しかったかなと思いました。むしろ台詞がない、舞踏会でジャンと踊りながらマリーを睨みつけるくだりがとてもよかったです。美女の怒りは美しく、悲しい…
 カチャのフリードリヒ公爵(凪七瑠海)は、ちょっと違うけどなんかこの間もこんなような悪役やっていたような…という印象で、損だったかな。あと、特に何もしていないんだけど(オイ)フェルディナント大公の極美慎がやはり美貌やスタイルで目を惹きました。
 そういえば隣のマダムが基本ずっと寝ていたんですけれど、ロシェック(ひろ香祐)が出てくると起きて笑うんですよね…不思議でした…
 あ、ラストのカゲソロも素敵でした。ちゃんとプログラムに記載してほしいなと思いました。

 ショルダータイトルが「タカラヅカレビュー」ってのもすごいな、と改めて思う『ブケタカ』ですが、こちらも楽しく観ました! 本公演もたくさん通ったわけではないけれど記憶に新しいし、それを違う配役で観る楽しみがありました。
 私が識別し慣れているせいもあるけれど、組替えしたりらたんがどの場面でもすぐわかってすごく可愛くてすごくがんばっているのがよくわかってデレデレでしたし(あとやっぱちいちゃくて可愛かった! 宙娘だから小さいと言ってもよそに行ったらでかかった、とかはなかった)、れなちゃんが大活躍でもうホント嬉しかったです。あれはファンも嬉しかったろうなあ。あと漣レイラも目を惹きました。れんたは客席降りで手をぎゅって握ってくれたのギャー! アパシュの女のもうひとりが男役になった分、余計にはるこのしなやかさが堪能できましたし、「サ・セ・ラムール」はさすがにしどりゅーに一日の長の華やかさがあるなシンキワミはスペックはいいんだけどなーとか思っていたら暗転直前にウィンク飛ばしてきて撃沈しました。かいちゃんのすみれの歌が思いの外(オイ)良くて、スパニッシュもベニーのライバルがカチャになって背格好が似たふたりが争う構図がより美しくなった気がしました。そしてフィナーレの歌う淑女の星蘭ひとみ・水乃ゆりという美の暴力に打ち倒されました。じゅりちゃんのカデンツァが素晴らしかったエトワールはカトリーヌ、これも鈴のような高音で素敵でした。
 これくらいのサイズだと下級生までちゃんと観られて楽しいんですよね。たっぷりした美しいまろやかな澄夫ちゃんレビューを堪能しました。楽しかったです!







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宝塚歌劇星組『ドクトル・ジバゴ』

2018年02月12日 | 観劇記/タイトルた行
 シアタードラマシティ、2018年2月10日16時。

 1910年代前半、モスクワの街頭では人々がロマノフ王朝を倒し、新しい時代を求めようと主張してデモを盛んに行っていた。幼い頃に両親を亡くしたユーリ・ジバゴ(轟悠)は、伯父であるグロメコ家の当主アレクサンドル(輝咲玲央)に引き取られ、医学の道を志している。共に育ち心を寄せてきた従妹トーニャ(小桜ほのか)との結婚が決まり、未来に思いをはせる彼だったが、日ごとに混乱していく街の様子に不安を抱いてもいた。ある夜、スヴェンチツキー伯爵邸で開かれたパーティーでユーリとトーニャの婚約が披露されるが、客のひとりで弁護士のコマロフスキー(天寿光希)が拳銃で撃たれる騒ぎが起きる。彼を襲ったのは洋裁工房「アマリア」の娘ラーラ(有沙瞳)…
 脚本・演出/原田諒、作曲・編曲/玉麻尚一。映画版も有名なボリス・パステルナークの小説を原作にしたオリジナル・ミュージカル。全二幕。

 小説も読んでおらず映画も見ておらず、フィギュアスケートの音楽によく使われる「ラーラのテーマ」くらいしか知らずに出かけました。さすがにこの音楽は使えなかったんですね(^^;)。
 それはともかく、とてもおもしろく観てしまいました。がっつりお芝居を観た気分になりました。星組さんらしからぬ、という言い方はアレなんでしょうけれど、芝居ができる下級生がたくさんいて、瞠目させられました。
 なんと言っても装置と照明がまず素晴らしい!(装置は松井るみ、照明は勝柴次朗) 褒めるのがまずそこかい、というところではありますが、世界をしっかり構築していて場面をドラマチックに盛り上げていて、もうひとつの主役だよなと思いました。てか原田先生はいつも本当にこのあたりのセンスがいいよね…
 いつもダーハラ呼ばわりなのに今回は「原田先生」でいくのは、『For the people』のときなんかのようにいいときはいいし、それはちゃんと評価したいと思っているからです。毎度上からな言い方で申し訳ない。台詞は若干平板かなとは思いましたが、わかりやすいし、筋を追いやすく感じました。そして私は筋をまったく知らなかったので、それだけで楽しく観てしまえたのです。
 逆に言うと、ネタバレしてから何度もリピートするのはつらいのでは…という気はしました。このお話は要するに、この時代に生きた市井の、ごく平凡な男女の物語なのであって、タイトルロールのユーリは別に英雄でもなんでもないし、なんならユーリとラーラの恋も運命なんかじゃ全然ないな、と思ったからです。彼らがごく普通の人々だから、こういうこともあるよね、というだけの要するに単なるよくある浮気の話で、ロシア革命の動乱に巻き込まれることでドラマチックになってはいるけれど、別に人間の真実とか人生の真理とかを描いたたいそうな話ではないし、メッセージみたいなものもない…のでは? なので全体に、各キャラクターが平凡でちょっと魅力が足りないのでは?と思えたのです。中の人が好き、というのはファンにはもちろんあるけれど、そういうことを別にして、もっと応援したくなるとか愛してしまうとか共感しちゃう感情移入しちゃう役…というのはないように見えました。役者の問題ではなくて、そういうふうに演出されていない、というか。
 だってユーリは普通の男、トーニャはよくできた妻、ラーラは普通の娘、パーシャ(瀬央ゆりあ)はちょっとアツいかもしれないけれどやっぱり普通の男…ってことでは? だからそれからするとコマロフスキーは深みがあるキャラクターに見えましたよね。よかったなあ、みっきーさすがだなあ。
 あ、でも私はパーシャの闇堕ちにも萌えました。だからそのあたりを楽しめばもう数回は楽しく観られたのかもしれません。いや、組ファンの方が楽しくリピートしているのなら外野がガタガタ言うことではないのですが。
 だって宝塚歌劇だから、「ラーラはユーリの運命の人」とかなんとか喧伝されるから、このふたりのドラマチックなラブストーリーが観られるんだ、と普通は期待して行くじゃないですか。でもふたりとも最初からもっとちゃんとしていて不倫に血迷いそうにないし別々の家庭を手堅く持つし、全然恋の気配も漂わないまま一幕は終わります。だからそのあたりで、ああこれはそういうラブストーリーではないんだな、とこちらもギアを切り替えますよね。で、そうやって観ると、確かにふたりはその後運命的な再会を果たすのだけれど、そこでダブル不倫に踏み切るほどの何かがあったのかというとそういうわけでもなくて、というかそう演出されていないので、結局なんとなく寂しくて男に頼っちゃうラーラと流されちゃうユーリ、夫は出奔中で妻は妊娠中…という、タイヘンしょーもないラブアフェアにすぎないな感が出ちゃうわけですよ。
 でもそれならそれでいいと思うのです。実際の普通の男女の惚れた腫れたなんて結局そんなものだし、リアリティがあります。そしてラーラはユーリの妻のことを思って一度だけのことにしようと言う。これもいい。女の方がちゃんとしている、というかそういうふうに描くことは正しい。そしてだからこれは運命の恋なんてものを描く話では全然なくて、ひとりの男のある種の流されっぷりを描く話だということが明確になっていって、で、その男の死で終わる。妻は子供と外国に落ち延びていて、女は同じ街にいるようだが再び会うことはない。実に普通、実にリアル。だから夢がなくてリピートはつらい…って感じじゃないですかね? だってこんなに美しい人たちであることはまずないけれど、事象だけなら世間に転がっていることなんですもん。
 でも、そもそもがリピートありきで作られる舞台ってのも違うと思うので、今回はこれでいいと思いました。繰り返しますが私は一回、楽しく観たので。原田先生がそう見せたかったのかどうかはわからないけれど。プログラムによれば彼は主人公に関して貴種流離譚云々みたいなことを語っていますが、ユーリって別にそんな高潔な人じゃなくない? むしろコマロフスキーの方が高潔というか、ラーラに対して、愛とはとても呼べないかもしれないけれどある種の誠意を持っていましたよね。所有欲とか義務感みたいなものと表裏一体だったかもしれないけれど。そして彼は実際に行動した。翻ってユーリは? ユーリの美学って何? 彼はどんな詩を書いていたのでしょうね…? やっぱりダーハラと人間観、人生観、創作観、芸術観が合う気がしないわ…
 ともあれ、繰り返しますが私はおもしろく観ましたし、夢ゆめしくないしロマンチックでもないかもしれないけれど(パーシャとかコマロフスキーとか主役カップルでないところにしかロマンがなかったかもしれないけれど)こういう作品もアリだな、と思いました。渋くて良かったと思ったのでした。

 フィナーレはなくてもいいと思いましたが、パレードは欲しかったなと思いました。一か月前にこの劇場で『不滅の棘』を観倒した身としては、せおっちをちゃんと二番手スターとして、くらっちをちゃんとヒロインとして遇してあげてほしかったのです。だってシンプルすぎるじゃんあんなラインナップじゃ! アンサンブルじゃないんだから! てかコレ専科公演じゃないよ星組公演だよ、専科は主演に特出してるだけだよ、組子を大事にしてくださいよ!

 というわけで以下生徒の感想を。
 イシちゃんは、『神家の七人』のときより声が出ていて一安心しました。でも『凱旋門』の主演はやっぱり違うと思っています。てか今までずっと観てきていて心配だからガタガタ言ってるんだよ、観てない人間にガタガタ言わずに黙って待てとか言われたくないよ!
 くらっちはホントに上手いよねー。多分もっと強い女、あるいは悲しい女に作ることもできたと思うんだけど、わざとこうしているんだと思うし、絶妙だったと思います。
 そして『阿弖流為』もとてもよかったせおっちですが、まさに躍進中ですよね。これまたとてもよかったです。のちにストレリニコフとなることを考えると、前半はもう少し血気はやった感じにするとか、つまりのちに嫉妬がいきすぎてキレて革命軍でのし上がっちゃうのが想像できるような(笑)感じに作ってもよかったのでしょうが、これまたわざと普通に革命思想を持っている純朴な青年、くらいにしているのだろうなと思いました。メガネもイイ!
 白妙なっちゃんが上手いのは毎度のこととして、みっきーもホント毎回上手いんだけどまたひとつ深めてきた気がしました。これはなかなかできないよ…!
 そしてオレキザキの毎度素晴らしいオジ芸ね。それからりらちゃんも、なんか子役専科みたいなイメージが私はずっと捨てきれなかったのだけれど、いやぁいい芝居しますね! 仰天しました。せっきーも渋い、手堅い。
 ぴーすけは明るく温かにいてくれるのがとてもいい感じでした。そしてほのかちゃんも、私はファニーフェイスがやや苦手なのですが、おちついた芝居もいいし歌はもちろんいい。素晴らしかったです。
 それから、ラーラの母アマリヤの白鳥ゆりやね! あんなに芝居ができるんだ、とこれまた仰天しました。というかこんなに大きな役を今までもらったことがないのでは? 使おう使おう! あとホント私では芸名も正確に読めないような下級生がみんな上手いんだコレが! 組ファンには周知でしたらすみません! 天希ほまれ、朱紫令真、天飛華音…覚えていきたいと思います。

 あ、つい最近まで『神々の土地』で観ていた竜騎兵の軍服とか、ときめきました。革命の報が入ったとき、ああドミトリーがオリガがアレクサンドラが…とかも思いましたよ。そういうのも楽しかったです。




コメント (3)
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月組初日観てきたぜHAHAHA!!(BADDY風味で毎度の雑感)

2018年02月12日 | 観劇記/タイトルか行
 月組大劇場公演『カンパニー/BADDY』の初日と二日目11時を観てきました。
 初日はお友達のおかげで一階後方ですがどセンターで全体が観やすくショーの視線はバシバシいただけるお席、そして二回目は友会が当ててくれたSS席で珠城さんに目の前で名前をつぶやかれるという事態に…!(正しくは主人公の亡妻の名前です、芝居の台詞です)はー、楽しかった!!
 というわけで今回もネタバレ全開でアレコレねちねち語らせていただきます、未見の方やネタバレがお嫌いな方は激しくご留意ください!

 さて、『カンパニー』の原作小説はこれまたお友達にお借りして読みましたが、まあ正直言ってなんてことない話でしたね…小説としての出来は決して高くなくて、映像化なんかには向いているかなと思いました。だからこその舞台化だったのかもしれませんが、この程度のキャラクターや題材なら座付き作家がオリジナル脚本で起こせよ、とも思いました。でもダーイシの直近のオリジナルが『ヴァンパイア・サクセション』というしょーもないものだったことを思うと、原作を与えておいた方がまだ安全…というのはあったかな、とか思っちゃったりしましたよ。あ、今回、舞台はとてもよくできていたと思うんですけれど、やはり石田先生とは呼べないなーってことでこの呼称ですすんません。
 まず装置が良くて(稲生英介。私は初めて見る名前な気がするな…)、現代日本が舞台の群像劇ということでスーツだのOLの制服だのばかりで地味になりそうなところを、すごくポップなセットや美術で舞台を鮮やかに盛り立ててくれていました。
 全体の展開も、多少の省略や簡略化、改変はありつつも基本的には原作をまんまやろとうしているのでやや細切れで暗転も多いのですが、うまくブリッジ音楽を使ってブツ切りにはしていないところに手練れ感が見えて好感。
 また、宝塚歌劇はあくまで宝塚歌劇なのでバレエ公演場面でバレエをまんまやってもしょうがないんだけれど、ちゃんとそういうところは飛ばして、でもイメージとしてはすごくうまく使っていて、ちゃぴやみやちゃん、れいこちゃん、ありちゃんの出番としても活用していて、これまた上手いなと思いました。
 ラストに合併パーティー場面を持ってきて華やかに仕上げたのも、宝塚歌劇の十八番ですよね。
 社員たちがスマホのニュースで自社の合併を知る、なんてのも現代あるあるでおもしろかったです。何かとスマホで撮影したがるOLとかの描写も。でもあのフラッシュモブはフラッシュモブじゃないよね、驚いている一般人を演じている生徒がいないし、単なる夏祭りジャックでした。というかミュージカルってそもそも突然歌い出したり踊り出したりするものだから、あの日常の中の違和感ってかえって描けないんだなと思いました。

 原作からの大きな改変はまず主人公の設定で、青柳誠一は妻と娘に出て行かれて離婚を突きつけられている中年サラリーマン、でしたが珠城さん演じる青柳誠二は妻を若くしてがんで亡くして二年の青年サラリーマン、です。原作ではちょっと怠惰とかことなかれ主義が見えたややしょーもないキャラクターでしたが、珠城さんだと真面目で誠実で朴訥で、ちょっと不器用だけれど一生懸命で…というキャラクターとして立ち上がってきます。そこがいい。周りが心配するように、妻を亡くしてからちょっと落ち込み気味なはずなんだけれど、そういう描写は実はあまりありません。でもちょっとくたびれてるとか行き詰まっている感がもう少しあってもいいのかな、と思いました。その方が、やや不本意な出向先で出会った新たな体験に扉が開いて心が軽くなって…というのが効くと思うからです。
 ちゃぴ演じる美波との未来の可能性についても、原作より進んで終わりましたね。正しいよね、宝塚歌劇だもんねたまちゃぴだもんね当然だよね! もっとラブラブしてほしかったしチューくらいしてほしかったけど青柳さんは一足飛びにはそんなことはしない人なのよね、あの「愛してる」を言うだけでたいしたものなんだよねニヤニヤ。ラストが『王妃の館』のまぁみりと同じなのはどうかと思うけれど、たまちゃぴは手を取り合ったあとちゃぴが珠城さんの腕に抱きついてくれてハケるので、そこは印象が変わっていいかなと思いました。
 みやちゃん演じる世界的プリンシパル高野悠とくらげちゃん演じるトレーナーの由衣にも、この先ラブがあるのかな、として終わったのは私は好きです。いいと思います。何故なら宝塚歌劇だから、みんなラブが見たくてここに来ていると思うからです。
 体を触らせることを許したときに名前で呼んだのは、あくまでカンパニーではファーストネーム呼びが自然だからで、それこそ彼女を仕事仲間だと認めたということの表れで、男として女扱いしたということではないと思います。そう誤解されないよう青柳さんを同伴したんだし。でもウィーンでの新事業に由衣を呼んだのは、ビジネス半分プライベート半分、だったようにも見える。ふたりが異性として惹かれ合っている描写はないし、仕事のパートナーと恋愛はあくまで別、なのが本来は当然なのでそこを簡単に混同するのが気に障る人も多いかとは思いますが、でも私は気になりませんでした。むしろよかったねと思ったのです。リアルで自分がやられたらバカにするな仕事だろと怒りますよ? でもお話だから、宝塚歌劇だから。世知辛い世の中と違って、ここくらいは愛にあふれていてほしいから。
 あとは退団オーラとかもあるのかもしれないけれど、わかばが演じることで紗良はより良いキャラクターになったと思いました。社長令嬢でわがままなお姫様で、金で役を買っていると陰口叩かれて、それでも踊ることが好きで毅然と踊っていて、幼なじみの悠に対してももちろん好意はあるんだろうけれどむしろ子供が欲しい優秀な遺伝子が欲しいと言っちゃうようなドライさや現実主義もあって、引退を考えていて、怪我してもさせた人のことを案じて代役を案じて…よもやわかばの芝居に泣かされる日が来ようとは思っていませんでしたよ…!
 れいこちゃんの那由他やありちゃんの蒼太は原作まんまかな、そしてそこがいい。としちゃん阿久津さん以下バーバリアンもみんないい(れんこんのセンターパーツたまらん…!)。
 そうそう、原作の脇坂さんがホントに嫌な男で、でもサラリーマンってこうだしこういう人が出世したりするよね、とか歯噛みしながら読んでいたのですが、るうさんがまた抜群に上手いのと、こちらは最後に沖縄に左遷されるというオチがついたのも、勧善懲悪な宝塚歌劇っぽい改変でいいなと私は思いました。
 すーさん、まゆみさんは手堅い。ゆりちゃんとまゆぽんもいい。あとさくさくね! やっと使われてきてくれて嬉しいよ! その彼氏のからんちゃんは役不足だったかもしれないけれど、このカップルの存在感はとてもよかったです。
 以下はどうしてもモブになっちゃていましたが、みんなきっとちゃんと小芝居しているんだろうなあ、それが作品を下支えしているよな、と思いました。芝居の月組、ここにあり!です。

 さて、では引っかかった点は何かと言えば、一にも二にもダーイシ節です。
 原作にもある説明台詞をそのまま舞台に上げてもダメなんです。現代日本が舞台といってもテレビドラマではないんだから、蕩々と語られても場が保たないし、目で読む字の台詞と耳で聞く音の台詞は捕らえられ方が違います。その研究や取捨選択が全然できていない。
 加えてそこにダーイシならではの蛇足が付くのです。ホントつらい。
 説明や情報に「へー」とか「ほう」とかなることはありますよ。でもそれは感動とは違う。感情が揺さぶられるわけではないからです。ドラマにはならない。
 そのキャラクターの感情に起因した台詞ならいくら長くても観客は聞きますが、普通に新聞を読んでたら知っていたり目にしたことがある程度の情報や社会時評めいたことをただ並べられても、人は感動も何もしません。いうとかむしろその浅薄さにあきれます。ツイッターの一週間くらい後追いでネタにしているワイドショーにあきれるのと同じ。普通に働いてその金で観に来ている観客の方がアンタなんかよりよっぽど世間を知ってるよ、なのにいちいちひけらかすんじゃねーよ知ったかぶりがウザいんだよダーイシシ!!!(…と叫びたいのですが、もしかして宝塚歌劇の観客には新聞読んだりニュース見たりしない主婦とかお嬢様の方が多いのかな…そういう方々は感心しちゃうのかな…てか一番ありえるのは不勉強な劇団首脳陣が「知らなかったよ、勉強になるなあはっはっは」とか言って感心して通してるんじゃねーのこの脚本、ってことですよ!)
 ああ、「ル・サンク」手に入れたら端から赤字入れてやりたいわ。
 事実誤認とかはなくて、間違ったことは言っていません、でも不必要だったりデリカシーがないものが多すぎる。ソコをザラつかせても何も出ないから! 何をイキっちゃってるのボクちゃん?って感じしかしない。社会批評をしているつもりならやめてくれ、てかよそでやれ。観客はみんなそんなことはわかっている、そこで生きてるんだから世の中が世知辛いって知っている、でもその上でこの劇場に、この空間に愛と夢と希望を観に来ているのです。てかもーホント尺がもったいないから!
 「てめえが孕ませた張本人だろーが!」のことじゃないですよ、こんなものはスミコーでもなんでもない。孕む、という言葉は直接的ですが悪い言葉ではないし、露悪的かもしれないけれど特段下品でもないと思う。やることやればできるのは当然なんだし、原作にもある台詞です。由衣が舞への心配とふがいない彼氏への怒りについ口走ってしまう言葉として、実にまっとうです。
 そうじゃなくて、たとえば思い出せるだけでも、コンテンポラリーの説明とか、スポンサーとかチケットノルマとかタニマチのくだりとか、アスリートの競技限界年齢の話とか、日本人が海外で活躍することの説明とか、そういう部分です。もっと短く簡潔にすませて先へ行けるのに、いちいちウダウダ語らせる。それがいちいち気に障りました。本当にやめていただきたいです。これで斬新なことをやった気でいるならちゃんちゃらおかしいです。
 たとえば乃亜のことだって、「シングルマザーだけど現役のバレリーナとして頑張っていて、今や瑞穂先生の振り付け助手もしているんですよ」「へー、すごいですねえ!」でおしまい、でいいワケじゃん。出産すると体を戻すのが大変、とかコンテンポラリーとは、とかブレイクダンスみたいな?のボケとか、みんないらない。だいたいコンテンポラリーの説明、結局できていないし。たとえば美波に実はコンテ志向があるとかいうことでなければ、ここで出す必要のない話でしょう? でもダーイシがクラシックとコンテを勉強できたんで嬉しくてひけらかしてるんですよ、そういうのが恥ずかしくて下品だっつってるの! しかも生徒の、役の口を使って言うところがイヤなの。言いたいならてめーの口で飲み屋ででも言えよ、そして周りにあきれられればいいんだよ。どなたかがつぶやいていましたが職場の宴会でめんどくさいオヤジの隣になっちゃってくだらない話を聞かされているのと同じつらさ、っての、わかりすぎます。
 話に関わる部分なので特に引っかかったのが、悠が海外で活躍するプリンシパルだという説明のくだりで、「日本人が海外のバレエ団で主役踊るのは、フランス人が歌舞伎の立ち役をやるようなもの」と表現したことです。確か原作にもあった気がしますが、そしてバレエは西洋のもので歌舞伎は日本発祥のものだからそれはたとえとして正しいのかもしれないけれど、こう言われると普通「そんな目が青くて鼻が高い立ち役とかイヤだ」って思っちゃう人が現状多いんじゃないの?ってことです。これは日本が遅れている部分で、いや伝統芸能だから絶対に外国人には開放しないってんなら話はまた別なのでいいのですが(現状、女性にも、歌舞伎の家の出身者以外にも門戸は閉ざされているようなものなんですもんね?)、日本ではできていない「外国人を差別せず許容する」ということが外国ではできていてそれは素晴らしいことだ、ってのもあるんだけど一方で、要するに西洋でも日本人バレリーナなんて単なる猿真似だと思われているってことなんじゃないの?ってなっちゃうじゃん。でもここは悠がいかにすごいダンサーかって話をしているところなんだから、なんかもっとベタでもいいからたとえば、「パリのオペラ座でも王子を踊ったんですよ!」「へー、すごいですねえ!」でいいワケですよ。そういう計算が全然できていなくて、ただ「いいたとえ思いついちゃった」ってのをひけらかしてるだけで、それ結局ダメってことじゃね?って客観性が持ててないの。そこがダメなの観ていてイラつくの!
 そんなことをしなくても大丈夫だから、ちゃんとできているから。キャラクターとストーリーだけで十分ハートフルないい話に仕上がっているから、大丈夫です自信持ってくださいよ。いい加減、大人になってくださいよ…
 それだけは、強く指摘しておきます。

※※※

 そして、くーみんのショー・デビュー作、「ショー・テント・タカラヅカ『BADDY』」です!
 実は私はずっとショーの見方が下手だという自覚があって、それは私がなんにでも物語や意味を求めてしまう癖があるからで、「考えるな、感じろ!」が上手くできないタイプだからだとわかってはいるのですが、たとえばバレエなんかでもコンテンポラリーは苦手でガラ・コンサートすら嫌、観るなら古典全幕ものを選ぶ、という人間なのですね。なのでこれまであまたのショーを観てきて、これが好き!とかこれがマイ・ベスト!というのが実はなかったのです。もちろん好きな場面とかはありますよ? 最近なら『SUPER VOYAGER!』の「海に浮かぶ月」の場面は素晴らしかったし、アレはむしろストーリーやキャラ設定みたいなものがないところがよかったです。しいて言えば若者たちが青春の喜びを踊っている…ということなのかもしれないけれど(てか今場面名を性格に表記しようと調べてみて気づいたんだけれど、あれは海に浮かぶ月を踊っているの? だから咲ちゃん黄色着てるの??)、そんな解釈が洒落臭く思えるくらい振りとフォーメーションがカッコよくてひたすらダンサブルで、素敵でした。好きな場面、となるとストーリー仕立てでないものの方がむしろ好みもしれません。ちぎみゆであったひとすら踊るブライアント先生の振り付け場面とか、ただオラオラするだけの男役群舞とかね。でもでは『SV』が大好きなショーだったかというと、「暴風雪」の位置はアレでいいのかとかそもそも口パクとはとかイロイロもの申したいことがあり…とかやってると、全編大好きなショーというものが私には実はないのです。これまたしいて言えば『プレスティージュ』なんだけれとどでも、これも思い出が美化されているのかもしれないし、ではこのショーの何がどうよくてどこがどう好きでほかのショートどう差別化できるのかをきちんと理屈で語れない気しかしないのです。イヤだからそもそも理屈で説明しなくていいんだよ、ということなのかもしれませんが、私はそうは考えられないのでダメなんです。
 でも、今なら胸を張って言えます。私が一番好きなショーは『BADDY』です!
 こういうのが好みではない、という方も多いかもしれません。宝塚歌劇のショーやレビューに求めているのはこういうことではない、という人も多いかもしれません。単にガチャガチャうるさくてワケわからなかった、って人とか、普通にいると思います。でも私は、やっと、自分が好きなショーというものに出会えたのです。ストーリー仕立てということもあるし、でもたとえば『ノバ・ボサ・ノバ』みたいなタイプの作品とは違って、ショーのいわゆる様式美をきちんと押さえているところも私の好みだし、でもそのある種の制約の中でやりたいこと言いたいこと訴えたいこと、テーマやメッセージがあってそれを込めていて、もちろん生徒は活用されている。かつそのテーマについていくらでも考えられる、そしてもちろん基本的に賛成できる。だから楽しくて仕方ありませんでした。
 もちろん、心配はありましたよ? このご時世に、全面禁煙の平和な地球に月から喫煙者の悪党がやってくる…ってナニ?とかね。私は煙草は吸いませんし、副流煙とかマジ勘弁で通りで歩き煙草している人間は端から蹴り飛ばしてやりたいくらいの人間です。でも知り合いがマナーを守って喫煙してくれる分には全然同席できます。体に悪いことは事実だけれど、嗜好品としてある程度は個人の意思の範疇のものだろうとも思っています。基本的人権として喫煙の権利は認められるべきだろうと考えている、というか、公共の福祉に反しないんだからそこまで縛るべきものではないだろう、とかさ。つまり善悪としては煙草って限りなくグレーだし、ことほどさように世界はグレーなもので充ち満ちていて善悪でなんて綺麗に分けられないに決まっているのです。なのに、統一された平和な地球? 片や大悪党たちが暮らす月? 何ソレ? そんなふうに分けられるもの? 善悪なんて壮大なテーマを扱って大丈夫? という杞憂が、確かにありました。
 でも、観たらわかった。くーみんが言いたいことが。もちろんこちらの一方的な思い込みかもしれませんが。でもそれはカラフルなスチールにはもちろん、プログラムのコメントにはっきりと明言されていましたよね。
 今回は例によって、そんな一方的な個人的な考察をねちねち書き付けるだけの回です。

 まずもって私の好みだったのが、ショーの定番というかセオリーというかお約束というか様式美というか、そういうものは全部ある、ところです。制約の中でやることやっちゃう優等生、くーみんっぽいよね!
 開演アナウンスある、プロローグある、男役群舞ある、二番手メイン場面ある、総踊りのあとのスターの銀端ソロで保たせる場面ある、スターが歌い継ぐ中詰めある、女装ある、燕尾ある、ロケットある、大階段ある、デュエダンある、カゲソロある、パレードある、背負い羽ある、シャンシャンある。でもそういうセオリーを忘れてしまうくらい、ストーリーの中にすべてが収まっている。そこが好き。

 ではアタマから見ていきましょう。てか長くなりますよ!(笑)
 てかまずパトロールバードのなっちゃんムームーとさち花スースーに、娘役に転向したばかりの天紫珠李ちゃんプリンが加わっているのが嬉しいよね! そしてカワイイ! 起用されていくなら嬉しいなあ(てか結愛かれんはもういいのか劇団よ?)。てかこういう歌う三女神みたいなのもショーの典型ですよね。
 で、ありちゃん王子とわかば王女が望遠鏡で月を眺めている。すーさん女王がこの星ピースフルプラネット“地球”が平和であること、月には悪党たちが住んでいることを語る。王子や王女は「悪い」という言葉すら知らず、首をかしげます。ここがいかにも幼くてバカっぽくて、初日は客席から笑いが起きましたが、すでにしてここにくーみんの主張はあるワケですよ。知らない、知らせないということは愚かで幼稚で害悪なのです。「悪い」という言葉の意味、概念はおろか言葉そのものを知らないようでは、対照としての「良い」も正確に理解していることにはなりません。その価値も意義も正確にはわからないことになる。両方きちんと知って、その上で選択できるのが真の大人なはずなのです。それを子供たちに封じている女王は、この星のむしろ独裁者なのです。
 こんなに煙草押しで子供が真似したらどうするの?と言う方に言いたい。そうやって今テレビや映画から喫煙描写はどんどんなくなっているのだけれど、子供に「あれは何?」と聞かれたらきちんと説明してあげてください。そしてその子が成人したときにはその子の意思と判断で選択させてあげてください。それが周りの大人のすべきことです。創作物にその責はない。人を無菌で育てることに対する異議申し立てをくーみんはこの作品でしているのです。煙草はそのひとつの象徴にすぎません。
 さて、女王の育て方に王女はなんとなく馴染んでしまっている。性バイアスかもしれないし、個人的な性格なのかもしれません。なんでも受け入れとしまうその柔らかさが、後にとしちゃんのバッドボーイ・クールとの恋を呼び寄せてしまったのかもしれません。対して王子はなんとなく疑問を感じていて、現状に退屈している。月に、まだ見ぬ世界に、何かもっといいことがあるのではないかと予感している…
 ところでプログラムを読み込んでいて今気づいたのですが、ここで出ているらしい「幸福な浮浪者」というのはなんなんだろうなあ。また何かを表しているのだろうなあ。この星に貧富の差みたいな者はないだろうけれど、どんなナリでしたかね? 記憶にない…
 ピースフルプラネット“地球”は禁酒禁煙、戦争も犯罪もない。みんなが良き人生を送り天国へ行くことを目指しています。世界の秩序を守るのは女捜査官グッディ。スチールではねねちゃんの『第二章』フィナーレのときのかな?のお衣装を着ていましたが、プロローグは新調かな? 頭の後ろでリボンになって結ばれているサンバイザーが超カワイイ! てかちゃぴは何着てもカワイイ!!
 お供はれいこのポッキー巡査。しかしそこに月からやってきたポンコツロケットが着陸する…てかなんでスペースシャトル型なんですかね月までなんて行けませんけどねおもろすぎますね!?
 で、ずんぐりスペーススーツにヘルメットの男が現れ、ヘルメットを脱ぐとサングラス、引き抜きはショーでよくあるけれどスペーススーツが引き抜かれたら黒スーツのワルに変身! バッディの登場です。テンション上がりましたよね!!
 で、プログラムで読んだときからアタマ悪い歌詞だな、コレ本当に珠城さんが歌うの?って思ってた主題歌をあたりまえですが本当にバッディが歌い出すのでもう大笑い。しかもここに開演アナウンスですよ? 「とっくの昔に開演中だぜ!」って、新しい!!!
 珠城さんがセンターで踊ったあとは二番手スターみやちゃんのスイートハートの登場です。で、歌詞含めてここでこのキャラクターの属性がちゃんと見える。咥え煙草の男役群舞が素晴らしくカッコいい!
 煙草は体に悪いことは事実なんだし、やっぱり地球の方が正しくていいのでは…と思う方もいるでしょう。しかしここでこのスイートハートの設定が生きてくるのです。この地球ではおそらく同性愛は犯罪であり違法です。なんなら異性間であっても激しすぎる性愛とか生殖目的でない性交は条例違反かもしれません。この地球の正しさってのはそういうことです。スイートハートは男性の体を持ちながら心は女性、そしてバッディを愛している、という設定なので、厳密にはトランスジェンダーの異性愛者であって同性愛者ではありません。でもおそらくこの地球では矯正され隔離され治療され処罰され処刑されるでしょう。「犯罪発生率ゼロ」ってのはそういうことです。ないことにするってことです。みやちゃんの存在が許されない世界なんてアリですか? そういうことを示すキャラクターを登場させているのですくーみんは。ホント怖い。
 グッディは「ここは禁煙です!」とか叫ぶのだけれど、ここでくーみんの主張のひとつが早くもまたまたわかります。煙草は禁煙か喫煙かとかいうことなんかではなくて、単に「世間で悪いとされているもの」の象徴なのです。ここまでにすでに観客は、ピースフルプラネットはそりゃけっこうだけれどちょっと息苦しそう、現世になんの楽しみもなくただ品行方正にして天国を目指すだけなんて、王子じゃなくても「窮屈だなあ」とつぶやきたくもなるよ…という気持ちにちょっとなっています。では悪党が暮らす月の方が自由で断然いいのかというと、そんなこともない、ということもここでくーみんはぶちまけてくるのです。だってバッディはスイートハートとデキてます。それはいい、かもしれないがくらげちゃんファニーやさくさくスパイシー始めバッディーズたちともデキてます。そしてなんならバッドボーイたちともデキています。ここはそういう破廉恥を十二分に表現している群舞になっています。だって彼らは悪党だから、ノー・ルールだから、乱交だろうがなんだろうがアリなのです。これは一夫一婦のロマンチック・ラブ・イデオロギーを信奉する宝塚歌劇ファンの、というか女性の心情を逆撫でします。だから月の方がいいなんてありえない、でもカッコいい。さあどうします? これはそんなくーみんの挑戦状だと思うのです。
 バッディはグッディと踊り、スイートハートはポッキーにちょっかいをかける。そしてグッディがバッディにハートをズキュンと撃ち抜かれ、スイートハートが怒って割って入る。グッディにしたらこんな男に出会ったことがなくて、その衝撃の方が大きくて恋だのなんだのってことではないのでしょう、まだ。スイートハートにしたってバッディの浮気にいちいち目くじらは立てないのが普通なはずなんですが、でもこのちょっと毛色の変わった女は危険だ、と察知したのかもしれません。白黒入り乱れて総踊りが決まって、プロローグ終了。圧巻です。
 続いてなんかちょっと昭和歌謡チックなラブソングが銀橋で歌われて場面をつなぐ、ってのもショーあるあるですよね。ポッキーがグッディへの片思いを歌いますが、グッディは悪を取り締まることしか頭にありません。あちこちでバッドボーイたちによる小さな犯罪が繰り広げられ(犯罪のスケールが小さくなっていることが、すでに彼ら悪党が地球化されていっていることを表しています。黒は白と交わってグレーになっていくのです)、それを制止しようとしたたんちゃんカインドやはーちゃんハッピーたちグッディーズが発砲して自分で自分に驚いたりしています。今まで実際に銃を使用したことはなかったのでしょう、だって103年間犯罪発生率ゼロだったのですから。拳銃は威嚇による犯罪防止の手段である一方で、立派な武器でもあります。遺憾ながら白もまた黒と交わってグレーになっていくのです。だって次の場面ではもう彼女たちは、囮捜査のためとはいえ「誘惑」という必要悪を駆使することを厭わないようになっているからです。
 そうだ、このあたりでもう、クールと王女の出会いはあったんだっけ? 銃弾がかすって怪我したクールに王女が止血のハンカチを渡す…なんてベタでロマンチックなの!
 というわけで次の場面はリゾートでレストランで、こういう謎の南国カラフル衣装ラテン場面ってのもショーあるあるですよね。そして宝塚スターはやはりトンチキな柄のお衣装を着てナンボですよね! 珠城さん、それでも脚が長いわ素敵だわ見惚れるわー。あとくらげちゃんとさくさくホントたまらん。てかこれは別にまたいずれ語らせていただきたく考えていますが、彼らはノー・ルールだからこのふたりだってデキてるんですよ、チューくらいして見せたっていいんですよ。でもそこはくーみんはあえてやらせていないのだと私は思う。同性愛と言っても男役同士はアリで娘役同士は何故問題なのかという問題について、私には語りたいことがあるのでした。
 さて囮捜査に王子はノリノリで協力、普段はカボチャパンツなのにここはロブスターで、るうちゃんじいやもオイスターにさせられて、ポッキーはオマールで、おもしろすぎました。ドラゲナイがこんなだったっけ?(笑)そしてバッディはコキーユに化けていたグッディをお持ち帰りしようとし、食い逃げを犯す…
 グッディがバッディに手錠をかけ、だけど妬いたポッキーがオマールのハサミで鎖をじょきんと切っちゃうの、ホントただのドリフなんだけどめっちゃおもろい。ここで、グッディに惚れられてるのかなといい気になっちゃうバッディがまたおバカでおもろい。でもグッディが抗うので、代わりにポッキーを人質としてさらっていく…
 アジトではスイートハートがバッディの心変わりを嘆いて歌っています。浮気にいちいち目くじらなんか立てない、ただワルのスケールが小さくなっているのが嫌なのだ、と。ところで「♪もっと大きくて」って歌詞はけっこうギリギリだと思うのですがみなさんそこはいかがなのでしょうか…
 そこにポッキーを連れて帰ってくるバッディが、酔っ払って赤くなってておみやの寿司折りぶら下げてて、おでこにネクタイ巻いてそうな完全に昭和のリーマンお父さんで爆笑なんだけど、このイメージってどの世代あたりまで伝わるんですかね…(^^;)
 で、ポッキーがグッディに振り向いてもらえないと泣くので、スイートハートがモテる男の技を伝授し始めます。ちょっとワルいくらいじゃないと男は女にモテない…というのはまたザラさくネタなんだけれど、これまたくーみんの挑戦状ですよね。で、ここで披露されるワルがまた微妙にしょぼいのがおもろい。でもその中でポッキーはパスパート偽造の技に目覚める…
 ちなみに本舞台でのそれを背に、銀橋ではバッディがファニーとスパイシーをはべらせてまあ破廉恥なんですけど、膝枕が日替わりってどういうことですかね珠城さん!
 そして中詰めへ。第二主題歌「♪悪いことがしたい、いい人でいたい」という相反することが歌われる中、白チームと黒チームが入り乱れてのぐるぐるぐちゃぐちゃカオス・パラダイスです。お互いがお互いに影響されてテンションが大変なことになっているのです。ここのちゃぴのお衣装がダルマじゃなくてごく短いホットパンツなのが素晴らしいよね! 珠城さんとふたりで階段くるんと起き上がってくるところ、ポールをつかみながら寝そべってスタンバイしているんだよねと思うともうニヤニヤです。
 で、バッディはグッディに「君は俺を好きなんだろう?」とか迫るんだけれど、グッディは偽造パスポートを宇宙人たちに売りさばいているポッキーを見つけて、そちらを逮捕しに向かってしまう。ずっと追いかけてきたグッディに追いかけられて有頂天のポッキー、グッディに去られて大ショックで顔を崩すバッディ。いかんいかんと気を取り直して、トップスターあるあるの圧巻の銀橋ソロへ。ここの珠城さんがまたオラオラでノリノリで客席を煽って弾けていて、素晴らしい!
 グッディの愛を得るため、また自らのプライドのため、でっかい悪さをしてやるぜ!と決意したバッディは、全惑星予算が納められるビッグシアターバンク(何故「シアター」なのだくーみんよ…ダーイシの『カンパニー』でのスポンサー云々話なんかよりよっぽどザラつくネタをこういうところにぶっ込むアナーキーさが本当に怖いよ…?)から銀行強盗をしてみせるべく、パーティーに侵入する。にーに頭取を色仕掛けで惑わす女装のスイートハートとポッキー。みやちゃんのガーターベルトのセクシーさはさすが、れいこちゃんの出落ち感マジたまらん。にーにへの餞別でもある…よ、ね?(笑)ここは黒燕尾も入って、としちゃんへの餞別にもなっています。ここで王女にハンカチを返すのに、涙…
 頭取に化けたバッディはヤス頭取夫人から暗証番号を聞き出し、惑星予算を盗み出し、王子やじいややまゆみさん公爵たちまで誘拐していく…
 そしてグッディセンターのグッディーズによる怒りのロケットへ。上下両花道にはパトロールバード三人と女王、王女、蘭ちゃん侍女の三人と女ばかりで、こういうところも外しません。そう、これは「グッディの怒り」と題された場面ですが、女の怒りの場面でもあるのです。ちょっと『1789』のボディパを思い起こすような激しくエネルギッシュな振り付けも素晴らしい。ちゃぴが抜けたあと、はーちゃんセンターでたんちゃんと卒業の早桃さつきちゃんがシンメになるのも素晴らしい。
 ここでグッディーズたちは「♪私たち怒っている、生きている」と歌います。ずっと平和を保ってきた、静かに守ってきた楽園を乱されて怒り心頭なのです。一方で、波風なく穏やかに眠るように、なんなら死んだように生きてきたのに、怒りを呼び起こされることで初めて自分が生きているという実感を得たのです。その動揺や、そんな自分への怒りまでもを踊るようなダンスだと思いました。ここも深い。侵入されて、侵略されて、好き勝手されて、放っといてよ邪魔しないでよ私たちの領分よ、と憤る怒りに、私たち女性は心覚えが必ずあるはずです。
 一方でバッディたちは札束を並べたような大階段で悪の華を踊ります。公爵もじいやもクールもゆりちゃんホットもからんちゃんシェフも頭取もまゆぽん宇宙人もポッキーも、男たちはみんなワルになっている。男役たちが本舞台に降りたあと、大階段で踊るバッディーズの色気もまたたまりません! 攻め攻めですよくーみん!!
 だが、最後に爆発が起きて、みんな炎に巻かれていく。ポッキーが最後の最後にアジトを爆破し、グッディのための突破口を開いたのです。ワルを知って楽しかった、グッディにちょっとだけでも振り向いてもらえて嬉しかった、でも悪党にはなりきれない、彼女と平和な地球を守りたいという信念には背けなかった、だから死をもって殉じるしかない…そんなポッキーをスイートハートが抱きしめ、真の男と認めて、ふたりはセリ下がります。スイートハートの愛がバッディから移った、とまでは言わないけれど、ここはポッキーにキスしてもいいのではと思わなくはない…か、な?
 赤いドレスのグッディが現れて、デュエダンになる。グッディがバッディに銃を向ける、でも撃てない。バッディが銃を奪ってグッディに向ける、でも撃てない。銃を投げ捨てるバッディ。としちゃんのカゲソロに乗って、絡み合う思いを表現する見事なリフト。ロケットの脚上げに手拍子、とかリフトに拍手、は定番だけれど、今回に限ってはむしろ入れたくないくらい、ストーリーに入り込んでしまいました。
 ふたりは確かに惹かれ合い愛し合っている。でも女は正義と平和と規律を求め、男は悪と放埒と自由を求めている。決して交わることはない。だから共に死ぬしかない…
 パレードは、としちゃんとわかばの魂のダンスから。そしてパトロールバードのエトワール。地球に再び平和が戻り、人々は天国に行く。白いお衣装で天使の輪っかをつけて、次々と階段を降りてくるスターたち。ありちゃん、くらげちゃんとさくさく、れいこちゃん、みやちゃん、るうちゃんとひびきちを連れたわかば、そしてちゃぴ。としゆり、組長副組長が降りて、そして…白燕尾に白の背負い羽、しかしてサングラスのバッディが現れて、「冗談じゃねえ!」と嘯く…扇のシャンシャンは畳むと煙草に姿を変え、みんなで煙モクモク! ジュリ扇もかくやという狂乱の中で、幕が下りていく…
 だって白いだけの、綺麗なだけの天国なんて、きっとつまらないから。てかそんなところはどこにもないのだから。世の中にはいいものも悪いものもある、そこから目を背けて、綺麗なところだけ見てそこだけ囲って平穏にしていても仕方ない、闇があるから光がわかる、両方なくてはダメなんです。今、なんでも綺麗にしよう、規制しようとしがちな世の中になってきているけれど、本当にそれでいいのかちょっと立ち止まって考えてみませんか…? 結局くーみんが言っているのはただそれだけのことだと思います。禁煙反対!とかワル上等!とかではもちろんない。「失われゆく悪と自由への挽歌」なんて揚げ足取られかねないことを書いちゃうところがまたくーみんだとも思いますが、単にすごくシンプルでまっとうなことを言おうとしているだけで、まあメッセージがなんであれショーにメッセージなんていらないって人からしたらそれだけで嫌なんでしょうが、「こういう色味が好きなんだ、見て!」とかいう一般的なショー作家の趣向とほぼほぼ変わらないとも言えると思うので、目くじら立てずに楽しんだもの勝ちなんじゃないかな、と思います。いつも何かしらに目くじら立てて全然楽しんでない私のどの口が言う、って話なんですが…
 ストーリーやメッセージ云々を別にしても、目に楽しいダンスが多くて衣装も素敵で、何も考えずに観る普通のショーとしても上出来だと思います。もちろん優雅さには欠けるでしょうが。あと東京公演中の雪組さんから比べると歌は弱い、というか歌詞が聞き取れないことが多かったので、歌詞に意味があるものが多いだけにそこはより向上していただきたいですね。あと、特に前半のセットがややチープなのはわざとなんだと思うんだけれど、どうなんだろうな? 中詰めの電飾のチープさはかえっておもしろかったけれどな。
 くーみんがかつてどこかで言っていた、SFネタってこのことだったのかしら…ともあれ、珠城さんへの信頼感、ちゃぴへの高評価、組子への愛があふれている、とてもいい作品だと私は思いました。私は好きです。もっと何度でも観たい。観て、ぐるぐるぐちゃぐちゃからのやったねハッピー!に何度でもなりたい。ポンポン振ったりの参加型ではないけれど、心も頭も参加しました体感しました。眺めているだけの時間はなかった、いつも一緒に揺さぶられていました。そういうの、初めてだったと思います。だから今、私は言うのです、私が一番好きなショーは『BADDY』です!と。






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『近松心中物語』

2018年02月07日 | 観劇記/タイトルた行
 新国立劇場、2018年1月31日18時半。

 時は元禄、大阪新町の廓町。傘屋の婿養子与兵衛(池田成志)はとある廓に身を沈めているところを姑のお今(銀粉蝶)に見つかり連れ戻される。気弱でうだつの上がらない男だが、女房のお亀(小池栄子)にとっては愛しい相手だ。一方、堅物で廓遊びとは無縁の飛脚屋亀屋の養子忠兵衛(堤真一)は、丁稚が拾った金を届けるために親切心から新町に足を踏み入れる。そこで出会ったのは遊女梅川(宮沢りえ)、無言で見つめ合うふたり…
 作/秋元松代、演出/いのうえひでのり、音楽/岩城太郎、美術/松井るみ。1979年に蜷川幸雄演出で初演された「蜷川歌舞伎」の代表作。全二幕。

 以前に蜷川版を観たときの感想はこちら
 いのうえ歌舞伎になるとどうなるのかな、と出かけてきました。
 ぶっちゃけ、筋はもはやお伽話に近いと思うんですよね。イヤこういうことはあるんだろうけれど、お話としては起伏がないというか深みがないというか。だからなんかのんきな時代劇を眺めている感覚でした。退屈とまではギリギリ言いませんけれど。
 惹きつけられたのはセットの見事さでした。格子が印象的な、四角い装置がガンガン動いて場面を切り替えていくのが実に鮮やかでした。そうして廓町の人工的な美しさや人々の営みの雑多さを散々に見せつけたあとに、布と照明で作られた雪山が立ち上がり、吹雪の中を進むふたりの道行きの場面になる…
 さらにラスト、お話が終わって暗転して、明転したら照明がもうフラットで布はただの布にしか見えずもう雪山ではなくなっており、袖からまずアンサンブルの人たちが出てきてお辞儀して、次にプリンシパル八人が出てきてお辞儀して、プリンシパルは上下に別れて袖にはけたのですがアンサンブルの人たちは舞台奥に向かって去っていって、奥には格子のセットがあって町がみんなを迎えるようで…
 さらに、再度主役四人が現れてお辞儀して、そうしたら忠兵衛とお亀、与兵衛と梅川というアベックになってさんざめきながらこれまた舞台の奥に消えていって、そこには格子のセットをバックにみんなが待っていて…うっかり泣きました。ラインナップに泣いてどーする、って感じなんですが、ここまでが立派に作品でしたよね。彼らの魂が帰っていくような、あるいは彼らも町人たちのひとりにすぎず、みんなにもそれぞれ別の物語があるのだ、と思わせられるような…
 心に残りました。
 しかし丹波屋八右衛門(市川猿弥)ってのはいい役ですね。沁みました。

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宝塚歌劇宙組『不滅の棘』

2018年02月07日 | 観劇記/タイトルは行
 シアタードラマシティ、2018年1月7日15時(初日)、8日12時、16時、13日12時、16時、14日12時、15日11時、15時(千秋楽)。
 日本青年館、1月23日13時(初日)、24日11時、27日15時、28日11時、29日15時(大千秋楽)。

 1603年ギリシャ、クレタ島。医師ヒエロニムス・マクロプロス(水香依千)は不死の秘薬と偽って国王ルドルフ二世を欺き、刺客に襲われる。死の間際に彼は息子エリイ(愛月ひかる)にある事実を告げる。「おまえに飲ませた薬だけが本物の不死の薬だ」と…そして1933年プラハ。四代前から引き継いだ百年に及ぶ裁判の原告であるフリーダ・ムハ(遙羽らら)は敗訴の見込みに苛立ちを露わにしていた。弁護士コレナティ(凛城きら)の息子アルベルト(澄輝さやと)の「何故そう訴訟を急ぐのか」という問いに「命は短い、だからお金が欲しい」と答えるフリーダだったが…
 原作/カレル・チャペック、脚本・演出/木村信司、翻訳/田才益夫、作曲・編曲/甲斐正人、装置/大田創。チャペックの戯曲『マクロプロス事件』をもとに2003年に花組で上演された舞台の再演。

 初日の感想はこちら
 今読むと自分でも、そうかこんなふうに見えていたのか、今と全然違うな、と思います。
 初日開けてすぐは、やはり贔屓の出番とか立ち位置とかポジションとかばかり見ちゃって、そういう視点からの物語の捉え方になってしまっていたんだな、と改めて思います。千秋楽まで通いまくった今(さすがに回数が多すぎたとは思っていますが、こればっかりは仕方ない…)、見えてきたものとしては、これはあくまでエリイ・マック・グレゴルの物語である、ということかな、と思います。しいて言えばフリーダ・プルスとのラブ・ストーリーである、とも言えるかもしれないけれど、あくまでも、永遠の命を得てしまったエリイの魂の遍歴の物語というか、救済に至るまでの物語というか…だったのかな、と思うのです。とにかくフリーダ・ムハとのラブ・ストーリーではないし、ましてアルベルトとの三角関係ラブ・ストーリーでもない。彼女たちは触媒に過ぎなかったのです。中心にどかんとあるのは、あくまでもエリイの生き様…そう思わせたのはやはり、愛ちゃんの芝居力あったればこそだったのかな、と思います。
 キムシンは戯曲でもなく芝居でもなく、オペラ版を観てインスパイアされてこの作品を作ったそうです。オペラ版のあらすじは、たとえばこちら。これがこの作品に化けるんだからたいしたものです。ともあれキムシンのB面というかマイナー好み炸裂というか、真っ白の美術やお衣装含めスタイリッシュでやや宝塚歌劇らしからぬ作品で、好みは別れるでしょうが佳作の小品と言ってもいいのではないでしょうか。私は通いすぎて判断にやや自信がなくなっているところですが、普通に考えたらわりと好きです。
 東京公演が始まる前に、お友達から初演のスカステ放送とナウオンを録画したDVDをお借りすることができました。役の出入りの上下がけっこう違っていたり、プラハの塔のセットが真っ白ではなく一部が茶色だったり、コレナティの事務所のソファが違ったり、コンサートでエロールが入っていたのが卵ではなく円錐だったり、いろいろ細かくは違っていましたが、大筋はもちろん台詞もやっていることもほぼほぼ変わっていないことは印象的でした。初演できちんと完成されていたものを、今またちょっとだけリニューアルして、再度きちんとやっている…というのは、素晴らしいことだと思います。
 オサは、私は実はわりと苦手で現役時代をあまり生で観ていなくて、のちに映像で『エリザベート』を観たときなんかも(これはミドリのサヨナラとして行きたかったんだけど、チケットが取れなかったんですよね…)、すっごくナルシーでシシィを全然愛していないトートに見えて、そういうキャラのスターさんなんだろうなあと思ったものでしたが、このエリイ/エロールは意外にもウェットで人間臭く、芝居の方向性としては愛ちゃんとまったく同じように私には見えました。意外。
 むしろ全然違うのはフリーダだったかもしれません。私はこれまたふーちゃんが苦手だったので、そのせいもあるかもしれませんが、ずいぶんとエキセントリックで可愛げがなく、全然いじらしく見えないフリーダだなという印象を持ちました。そしてアサコにはアルベルトは役不足だったかもしれない、というふうに見えるのもなかなかおもしろかったです。ただオサアサで見ると、クールなオサのエロールに対してホットなアサコのアルベルト、というのがよかったんだろうな、と思います。あき愛はそういう対比ではなかったかなー。風貌だけなら愛ちゃんの方が柔らかいし優しそうで温かそうで、あっきーの方が怜悧な美貌で黙っていたら冷酷にすら見えそうですもんね。ただアルベルトはそういうふうには役作りしていないようにも見えたので、がっつり対照的というよりもむしろ根っこは双子か兄弟か、似たところもあるふたりの裏表の表出…というふうにも取れるようで、私はおもしろく感じました。フリーダ・ムハとの出会いが確かにエリイの最期を決定づけたのだけれど、その傍らにアルベルトがいたことにも、エリイは安心して謎解きを任せた…というようなところがあったのではないかしらん、とかね。アルベルトが突きつけてくる「真実」が本当のものとは全然違うものであったことも含めて、それでも決め手にはなったのだし、エリイは彼のそういう愚直な熱さに人間味を見て、自分も人間でありたい、死にたいと改めて思ったのかもしれないよ…というのは、うがちすぎでしょうか。ともあれこの主演と二番手で作った今回の物語も、初演の形とはまた違っておもしろく感じられたのでした。
 また今回の再演ではお衣装のシルエットなんかも今の流行りに合わせて絞られて、かつ超絶スマートでスタイリッシュな宙組子によって演じられたものだから全体の印象もますますシャープになり、セットも潔くすべて真っ白になりファンタジックさや抽象化が増し、でもだからこそその中でより濃く、人間や命、愛、情熱といったテーマがくっきり立ち上がった舞台になっていた気がしました。今回はそんな印象を、主に役者に沿って、語ってみたいと思います。

 愛ちゃん。組ファンからしたら、あの長身やマスクといった高スペックを持ちながらもキザるのが未だ苦手な可愛い乙女、ファン歴がある生徒は珍しくないものの今現在の他組の公演や生徒もちゃんと追っかけて把握しているような人は少ないだろうのにそれをきっちりやっている正真正銘のヅカオタで、ここまで背が伸びなければ娘役志望だったということも有名な、可愛い可愛い秘蔵っ子、生え抜きスターさんです。ちょっと籠もったようにも聞こえる変わった声の持ち主でもあり、そのせいもあって歌がうまく聞こえない(本当は決して下手ではないのだけれど)タイプで、歌上手で知られたオサの役を?というのが今回の再演での一番の懸念だったでしょう。でも本当に歌は大健闘で、まったく問題なかったと思います。 美女場面の歌は、実は今回のものがそもそもの想定だったそうで、むしろ初演のオサの方が歌えるからと勝手にキーを上げて歌っていただけ、というような事情があるそうです。キムシンがどこかでちゃんとアナウンスしてあげればいいのな、あそこは「歌えないからキー下げてるのね」という見方をされちゃっていて(私も経緯を知るまでそう思っていました)、残念だったと思います。ここは女声ではなくあえてのオカマ感、というのが演出意図なんだそうです。
 登場場面の純粋無垢な18歳場面もいいけれど、エリイ・マック・グレゴルになってからの場面がことにいいですよね。永遠の命を得てすでに200年がた経っているようなのに、そしてその時々に得意の歌を武器に身過ぎ世過ぎしている流れ者のようなのに、意外にも未だピュアで真面目で、フリーダ・プルス男爵令嬢の押せ押せっぷりにたじたじなのがいいんです。
 ふたりはどんな出会いをしたのでしょうね、フリーダはエリイの何に惹かれて恋に落ちたのでしょうね。そのあたりは描かれていないし、別れろ切れろの痴話喧嘩めいた会話から始まるので、初見時はけっこう置いていかれ気味に感じたものでしたが、わかって見るとここが実におもしろいし、お話の肝なのでした。別れに至った経緯もあえて見せていないところが、お話を深くさせているんでしょうね。
 エロール・マックスウェルになってからももちろんいいんだけれど、なんとなくおもしろみが出ちゃうのは…今の時代のせい、なのかな? だってバリバリのロックスターだかアイドル歌手だか知らないけれど、今やどうしてもちょっと笑えちゃいますよね? 初演時はもっとこういうカリスマがまだ信じられていた時代だったのかなあ? でも愛ちゃん、いい味出していていいと思います。こういう部分も大健闘だったと思いますし、ファンはちゃんとときめけたと思います。
 終盤の長丁場は愛ちゃんのお芝居力が炸裂していましたよね。
 エリイはエロールになっても結局のところずっとフリーダ・プルスを愛していたのであり、を、彼女が自分と別れたあとにどこかで翻意して薬を飲んで永遠の命をを得て今も生きていてくれることを、心の片隅で、期待していたのだと思うのです。だからフリーダ・ムハの裁判にも関心を寄せたし、彼女にフリーダ・プルスの面影を見て、一瞬もしやと思ったのでしょう。そうでないとわかってからは、まさしくついでというか、薬の調合法を封じた赤い封筒のありかを探し出すことに執心します。もっと長生きしたいからというよりは、現在の体の不調に苦しんでいて、その対策として、というつもりの方が大きかったのではないでしょうか。
 でもフリーダ・ムハやアルベルトとのやりとり、クリスティーナの死やカメリアとの再会、いろいろあってなんかもう全部本当に嫌になっちゃって馬鹿らしくなっちゃって、でもフリーダ・ムハに「本当に何もないの? 本当に?」と言われて思い出すのはただひとり愛したフリーダ・プルスと息子フェルディナントのことで…
 400年近くを生きるだなんて自分は化け物かもしれない、でも愛を知る者は人間なのだ、だから自分はやはり人間らしく死ぬのだ…とやっと思えて、エリイは幸せに砂になっていったのではないでしょうか。命は終わる、しかし愛は不滅であり永遠である…「♪あなたの苦しみも終わり」と砂をすくうフリーダ・ムハの姿もまた愛を体現するものでした。愛とは男女の恋愛のみにあらず、なのです。美しいラストシーンでした。
 贔屓の出演作でなく、一、二度の観劇ですませていたら、私は主人公のためにダダ泣きしていたことでしょう…そんな、好みの作品でした。

 ヒロインにして二役に扮したららちゃんも大健闘だったと思います。彼女もこれまでの新公ヒロインなどでははやや自信なさげに歌うのが余計に下手に聞こえてしまう、という感じでしたが、今回はまったく危なげなく美声を堪能させてくれていて、進歩が著しかったですね。そして芝居も二役もとても素晴らしかったと思いました。
 個人的には、ちゃぴの後任にどうだろう、と思っているのですが、いかがでしょうか…

 あおいちゃんのカメリア(美風舞良)はさすがすぎました。初日は二幕になって出てきたので「そういえば一幕いなかったね!?」と驚いたくらいだったのですが、鮮やかで素晴らしいインパクト、そしてお話の中盤にさらに不穏さを突っ込むキーパーソンとしてさすがでした。
 50年も手紙を大事にしていたカメリアが、今もこんなに狂おしくエリイ/エドガーを求めているカメリアが、「偽エドガーめ」と言っちゃったり、命を差し出されて「嫌だ、あっち行け」とか言うのが、物語として本当に効いていると思います。パンチがあってソウルフルな歌も素晴らしかったです。
 せーこちゃんのタチアナ(純矢ちとせ)もさすがでした。今でいう毒親なんだろうけれど、実際まだまだ若いんだろうし全然綺麗なわけで、そりゃクリスティーナもスポイルされるよな、と思います。彼女自身も不遇な人生を送ってきて、おそらくお金目当てに家族に強要されて親子ほど年の離れた男爵に嫁いで、子供をふたり産んで夫を見送って未亡人になって、お金に困らない暮らしだけれど何かに復讐するかのように我が身を痛めて遊び、娘の邪魔をする、悲しい女性なのでしょう。グレている、という点ではエロールと近いのに、彼がタチアナの名前も知らないというのがまたひどくていいですよね…
 りんきらのコレナティは役不足なくらいだったかもしれませんね。こういう役は本当に手堅いし上手い。絶妙なおとぼけ感も素晴らしかったと思います。
 しかしこの事務所は流行っているのだろうか、彼の弁護士としての手腕はどんなもんなんだろうか…事務所は銀座一等地みたいなところにありそうだけれど、秘書(天瀬はつひ)にはもっと恵まれた暮らしがしたいみたいに歌われちゃうので、薄給しか出していないのか?(笑)そして何故か漂うやもめ感…おそらく妻はフリーダみたいな気の強い女性で、どこかで夫のふがいなさにキレて出ていっちゃっったんじゃなかろうか…とか想像させられる愛らしさがたまりませんでした。
 あーちゃんハンス(留依薪世)は、初演が歌上手のユミコの役だったので配されたのでしょうか。セーターがダボッとしていて太って見えたのは残念だったかな。最終場のタチアナとの芝居はよかったと思うのだけれど(というかここの台詞がとてもいいですよね)、私にはどうしても路線のスターさんには見えないんだよなあ…
 まいあクリスティーナ(華妃まいあ)は素晴らしかったですね! これは清楚でおとなしいばかりの役ではなくて、プルス家の血に潜むある種のエキセントリックさが必要な役で、それを十全に表現できていると思いました。エロールは彼女のことを「可愛い小鳥さん」と呼び、「歌うべきです」とかおべんちゃらを言うのだけれど、実際に彼女は声楽で音大に進学したかったのをタチアナの反対で断念したことがあったのではなかったのかしらん…とか想像させられました。「何故その人もなの!?」の中には、たとえば彼女が淡い初恋を抱いた家庭教師とか、幼なじみの従兄弟とかいろいろいて、端からタチアナに盗られてきたのだろうか…とか想像するのも楽しかったです、すまんな。
 コーラスガールズ、というかエロールガールズも素晴らしかったですね! 初演にあった「君たちはファンタジーなんだ」という台詞はなくなっていましたが、十分ファンタジー感があったと思いました。エリイの眷属なのかなとすら思えましたが、でも結局は彼女たちもエロールの私設マネージャーというかグルーピーというか喜び組である単なる人間だったんでしょうね、最終場の驚き具合や怯え具合を見せるところで何かがバレる感じがおもしろかったです。もあちゃん、ゆみちゃん、あいーりにりずちゃん、ヘアスタイルもみんな違って凝っていて似合っていて、眼福&耳福でした。
 エロールのバックダンサーズではゆうことまりなが目立つところでしたね。エロールに帽子を渡すときのまりなのシュッとしたターン、素敵でした!
 りおの道化(星月梨旺)も、キュートでうさんくさくもあり、よかったです。
 ソロではりっつが聴かせてくれましたね! しかし冒頭のりずちゃんのソロは毎回つらかった…残念。ナベさんも毎度いい仕事をしています。
 掃除婦(里咲しぐれ)のしぐれちゃんも声がいいし芝居がいいし、短いけれど歌ってくれてよかったです。
 下級生ではメイド役もやっていた春乃さくらちゃんが美人さんで印象に残りました。男役さんの下級生3人まではまだ識別に至りませんでした、すまん…!

 それでは最後にあっきーアルベルト、と澄輝日記9を。
 まあ、脚立! ソファ!! 椅子!!! 以上終了、でもいいのですが(笑)。
 いやぁしかし三つ揃いの白いスーツが似合うこと、恐ろしいくらいでしたね。間違い探しみたいな二着、アサコのものだったそうですがシルエットはいじってますよね…? しかしまあホントお似合いでした。
 アサコは脚立に乗っての登場じゃなかったのにな、なんで変更したんだろうな。いやツボだったのでいいのですが。結審前の裁判資料をちゃっちゃと片付けちゃってる、ってのもツボでした。フリーダの裁判でのみ弁護の助手をしているだけで、弁護士ではないのかなあ? やもめ感漂うパパとふたり暮らしで、ぶーぶー言いながら家事一切やってそう…惚れる…
 物語のあとは、エロールもいなくなったことだし、今度はフリーダも相手してくれるんじゃないの?ってことに中の人たちとしてはなっているそうです。よかったね、がんばれよ!(笑)
 というか、主人公が歌う歌のリプライズであれやっとたっぷりしたソロがもらえて本当にに嬉しかったのですが、そして『NW!』のときなんかに比べてまた一段と上手くなっていたと思うのですが(丁寧に歌っているのがいいよね…てか本公演のショーでももっと歌手として使われていいと思うんですけど!)、後ろ姿かーい!とか祈るだけかーい!といちいちつっこみたくなるところも本当に愛しいキャラクターなのでした。
 まあでも、こういう役まわりのキャラクターはちょっとニン過ぎるというか続いている気もするのですけれどね。だから本当は二幕終盤でエロールを追い詰めていくくだりで、もしかしたらもっとものすごく冷酷に作って、でも人はそんなふうに杓子定規にはいかないよエロールの方がよっぽど人間臭いよ…と観客に思わせる構造にすることもできたのかもしれませんが、まあそうはしていなかったかな。一幕ラストでアンニュイにお義理の拍手する箱入り王子(笑)は本当にノーブルで浮き世離れしてそうで、そのままやや嫌な男みたいに作ってもおもしろかったのかもしれない、とも思うのですが、芝居の幅が狭いのか演出家の意図かなんとも言えないので、次回作の課題といたしましょう。
 ところでDCでは席が上手かセンターばかりでしたが青年館では上下いろいろいただけて、それもおもしろかったです。DC初日は、クインテットでフリーダが「♪恋よ」と歌うくだりでソファに座ったときの視線がモロに来る席で、隣のお友達とふたりして震えました…お友達はオペラグラスで見つめ返し続けたらむこうが先にそらしたので勝った!とか言っていましたが、よく考えたら自分のパートを歌うために移動しただけでしたね(^^;)。上手端とか下手端の席のときにはカテコのバンバンの指差しがよく飛んできましたし、センターで撃たれるバンバンもいいものでした。大楽にはソロのときの視線も来るお席で、これまた隣のお友達と「必ず君を守ってみせる、って言われちゃったね…もうフリーダに改名するしかないかな…」となりました(笑)。くわしくはこちら
 カテコと言えば、パレードでヒロインの前にひとりで、二番手さんの位置で出てきてくれたことにはやはり感動しましたね。それからお辞儀が本当に深くて美しくて感動的です。ラインナップのあと、パレードに移るために左右に分かれてはけるときに、下手側の方がペースが速くて(愛ちゃんの着替えの時間を捻出するため?)上手側ラストのあっきーが最後にゆったりはける感じなのも好ましかったです。
 うん、やっぱりいろいろ楽しかったです!


 …ですが、もう、『天河』ですよ!
 私は世代ではなくて大人になってから仕事で読んだ程度で、演目発表がされてからも復習できていないので(でも文庫版は買い揃えました、ねちねち読むぞ!)今ひとつ把握していないのですが、みんなもっと、侍従役とか参謀役みたいなところを予想していたんでしょう? もちろんそこでもイメージチェンジとかいろいろできるよってことを示すためには猛将タイプとかが欲しかったわけですが、まさかの、初の、女役とはねえ…! まあ、当人が望んでいた悪役、ではある種あるようなのですが…(^^;)
 ロケットを卒業してからは女装がなかったようなのですが、たとえばショーのワンポイント女装なんかはやはり目立つわけで、そういうのを見てみたい、みたいなことを言うとそれはそれはものすごく嫌そうな顔をしてみせるものでした。組本のドレスとかチアガール扮装とかもそう。よっぽど脚を出すのが嫌なのかな、まあぺらっぺらのガリガリだから確かに貧相かもしれないよな、でも女装のお衣装にもいろいろあるよ…?とか私は密かに思っていました。
 しかしまさかのお芝居でガチの女役となると…
 私は第一印象としてはやはり、ユーリの周りの華やかな男性陣を路線や若手の男役スターで埋めるために、除けられちゃったのかな、と思いました。そういう扱いなのかなとしょんぼりしましたし、本人が嫌がっているだろうことは想像できたしショックを受けているかもしれないしと思うと心配で泣けました。実際、集合日のお稽古出待ちではずいぶんとプンスコしていたと聞きましたしね。
 でも、よくよく考えると、やっぱりいいチャンスなんじゃないかなと思うのです。どのくらい出番があるのかとかお話の大筋に絡めるのか、とかとは別に、やっぱりこういう役どころに配役してもらえたこと、やらせてみたらおもしろかろうと思ってもらえたことが大きいんじゃないかな、と思うのです。ここで芸の幅を見せるべきだし広げるべきだし、絶対に糧になるはずです。有限の男役人生にもったいない、という見方もあるけれど、その分ショーではいつにも増してオラオラしてくれるかもしれないし(お化粧変えは大変かもしれませんが…)、楽しさ倍増じゃないですか!
 というワケで、今は期待しかありません。イヤ実際には当人は大変なんだろうけど、お稽古スカートの準備とかこの先アクセサリーだなんだとか。でも周りに女装経験者はたくさんいるし、みんなが面倒見てくれそう…(笑)
 早くもお芝居のお稽古の日には分け目とメイクを変えてアイラインを長く女性的にしてくる贔屓が愛しくてなりません!
 …ところで脱線しますが、そんなワケでそもそも美女なのでオリエント一の美女役だろうがなんだろうがそこは心配していないのですが、心配しているとすれば、胸かな…ないよね…
 えーと、実は私は男役に胸があるとヤダとかイヤむしろあると萌えるとかそういう発想がそもそもあまりないんですね。自分がいわゆる巨乳で胸がないということには苦労していないので(むしろ肩凝りとか下着が高価だとか合う服がないとかいう苦労はある)、ありなしにあまり頓着しないというか…娘役ちゃんの体のラインを愛でることはするのですが。男役に関しては、もちろん中の人は女性だとわかってはいるのですが何か別種の生き物、フェアリーだとも思っていて、そこに胸があるとかないとかあまり考えたことがないタイプなのです。
 やっぱないよね、って人もいればどこにどうしまってたの!?って人もいて、それはなかなかおもしろいものですが…まあ、ないよね、ぺらっぺらだもんね、というだけの話ですハイ。すみません…谷間描くのかなそれも大変だな、とか思っただけです。
 それも含めてすべて経験だ! がんばれ!! 楽しみに初日を待ちたいと思います。
 とりあえず原作漫画を読んだら、また記事にしたいと思います。なーこたんの手腕にも期待!
 でもシトラスも楽しみ!! 気が静まるときがありませんね…(^^;)


コメント (4)
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