駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇宙組『ベルサイユのばら』

2014年09月23日 | 観劇記/タイトルは行
 市川文化会館、2014年9月7日マチネ、ソワレ。
 イズミティ21、9月13日マチネ、14日マチネ。
 ニトリ文化ホール、9月20日マチネ、21日マチネ。

 18世紀末フランス、栄華を誇ったブルボン王朝は翳りを見せ始め、王妃マリー・アントワネット(実咲凛音)の浪費による国庫の疲弊は深刻な事態に陥っていた。重税に喘ぎ各地で暴動を起こす民衆と宮廷の関係は日増しに緊迫の度合いを深めている。宮廷にはさらに由々しきもうひとつの問題があった。アントワネットとスウェーデンの伯爵ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン(朝夏まなと)の道ならぬ恋である…
 原作/池田理代子、脚本・演出/植田紳爾、演出/谷正純。1974年初演。「フェルゼンとマリー・アントワネット編」での全国ツアー公演。

 市川、仙台、札幌と出かけてしまいました…振り分け・配役発表前はあっきーアンドレを夢想したりもしましたからね…まあ『SANCTUARY』に回っていたとしてもりんきらと同じ仕事はできなかったと思うので…当然だけれど。やっていたらまた違ったギーズになったはずですからね、まあでもそれはともかくチケットは手配してしまっていたワケですよ…
 基本的には花組中日版を踏襲し、生徒のポジションに合わせてみつるが演じたド・ブロイ元帥のパートをカットしキキちゃんだったオスカルの場面を増やす変更でした。毒殺、今宵一夜は今回もナシ。台詞もちょっとずつ手が加えられていましたが、例によって改善されたところもあれば改悪されたところもあり、あいかわらずの一進一退ぶり。いつになったら完全版(私の夢想や論考はこちらこちらなど)ができるのか…いつになったらノー・ストレスで観劇できるのか。
 今回も退屈と戦いつつも生徒の熱演に感動させられる、疲れる観劇となりました。何度でも言いますが悪いのは脚本と演出であって生徒ではありません。

 プロローグはそらくんの小公子(和希そら)から。札幌以外、歌のマイク音量が全体に小さくて生徒の喉に負担をかけるようで気になったのですが(もっと歌唱力をフォローするエコーをかけていいとさえ思いました)、そらくんはさすがにしっかり歌えていて好感を持ちました。しかし小公女はそろそろもっと下級生に下ろしてもいいのではなかろうか…前回の「オスカル編」から変わっていないのはプロデューサーの怠慢だと私は思う。
 そしてまたまたパペット場面なのですが…このアイディアがよほどお気に入りなんでしょうね。でもいらない。普通にナツメさんのときの「フェルゼン編」のように仮面舞踏会の場面を回想として芝居で見せてくれれば十分でした。百歩譲って、ステファン人形とか「このお人形がわたくしで、わたくしがお人形だったのです」との絡みからあやつり人形ネタをやりたかったのだとしても、せめて半分の時間でいい。とにかく長い。客席はずっとぽかんとしたまんまなんですよ。
 あとここの「♪ああパリの夜」をスキャットにさせる意味がわからない。普通に歌詞を歌わせてください。名曲揃いの「ベルばら」ソングと言えどこれは五指に入るほどメジャーな曲というわけではなく、まして今回は全国ツアー公演です。『ベルばら』はおろか宝塚歌劇すら初めて観るお客様に対して歌詞で状況を説明しないという不親切をあえてする意味がわかりません。
 でもこの三人の運命の出会いをきちんと描くことは重要です。パペットのオスカルしか出さなかった花中日版より断然いい。この三角関係の構図こそが肝です。台湾版ではアンドレをカットするのもやむなしだと私は思います。
 しかし何故ここでオスカル(七海ひろき)にフェルゼンを殴らせるのか。最近やっとジェローデル(澄輝さやと)がオスカルを叩かなくなってほっとしたと言うのに、また原作にない暴力場面を増やしてどーする(今回はそもそも場面がありませんでしたが、ジャルジェ将軍がオスカルを平手打ちするのはいいのです。原作にあるし、意味がある仕打ちだからね。だが後述しますがチュイルリー宮殿での公安委員のアントワネットへの暴力とかは本当に許しがたい)。
 原作ではフェルゼンがアントワネットの仮面を外してしまったので、オスカルはその非礼を咎めたのであり、かつ声をかけて制し剣で威嚇しただけです。手は出していません。まして今回は、アントワネットがフェルゼンをダンスに誘い、フェルゼンはそれに応えただけです。そのフェルゼンに対してオスカルが手を上げるのはただの暴力です。こんなことを大事なキャラクターにさせる権利はあんたにはないんだよ植爺! こういう改悪は本当に根絶していただきたいです。
 何もすべて原作どおりにしろと言うつもりはありません。だったら舞台化する意味なんかありませんからね。ステファン人形だっていいアイディアだと思うし、原作にはない牢獄場面も名場面です。この仮面舞踏会のくだりも、若いアントワネットがただはしゃぐのではなく、周りに相手にされずに立ち往生しているフェルゼンに優しく手を差し伸べる、何故なら宮廷で実は孤独な自分の姿を彼に見たからだ…というのはとても素敵な改変だと思います。
 改善、改良は大歓迎、改悪はノー・サンキュー。いたってあたりまえのことを言っているだけなんですけれどね…?

 本編に入ってまずはカーテン前(ToT)。まあでもここで状況説明をしておくことは大事です。しかしメルシー伯爵(英真なおき)もブロヴァンス伯爵(風羽玲亜)もお互いの名前を呼びすぎです、というか台詞に芸がなさすぎる。話が行ったり来たりするし何度も同じことを言うし、いくらセットチェンジの時間稼ぎとはいえひどすぎる。あとここの大道具さんのトンテンカンテン大音量もひどすぎる、学芸会か。全ツ観客の皆さん、ゼヒもっと静かにスムーズに動く装置を観に大劇場にいらしてくださいマジで…
 しかしホントこんな脈絡ない台詞のやりとりをよく暗記できるよなー生徒さんマジすごいわー。
 ところでここで軍装のメルシー伯というのを初めて見た気がするのですが、私はこの人はアントワネットのごく個人的な従者か大きく言ってフランス駐在オーストリア大使、要するに文官だと思っていたのですが軍属なのでしょうか。外国人なのに? フェルゼンも外国人ですがアントワネットの贔屓で連隊に入っていたりしますが、同じことをしていていいの?
 風雲急を告げるには軍人の方がいいというならブイエ将軍(風馬翔)を使えばいいし、じゅんこさんファンに対するサービスならなんかもっと違う方法があるのではないでしょうかね? こういう意味不明な改変は本当にやめていただきたいのですが…

 ユリカーテンが開くと宮殿の廊下の書き割り。遠近法が気持ち悪くなるバージョンじゃなくてよかった…
 ここで各近衛隊士に台詞を振りたいのはわかりますし、ジェローデルの立場の説明をうまくしたいのもわかりますが、しかしアンドレ(蒼羽りく)にジェローデルに向かって「副官」と呼びかけさせているのに何故隊士に返答させるのだ植爺。ああヤダヤダ…
 ちなみにここでジェローデルがフェルゼンを悪し様に言うのは私はけっこうツボでした。宝塚版のジェローデルはのちにフェルゼンに国王一家救出の手助けの依頼なんかしに行っちゃいますが、本来は高慢で傲慢なキャラクターであり、王妃の愛人風情の外国人になんか鼻も引っ掛けない男なはずなんですよね。
 ここのオスカルとフェルゼンとのやりとりでは、フェルゼンが「女を捨てた君になどわかるはずもない」みたいな、相手を貶めて言う「など」の使い方がイヤでした。フェルゼンはそんな言葉使いをする男ではありませんよ。「そんなむごいことは言われないはずだ」みたいなちょっと古風な言い回しは好きなんだけどなー。
 同様にオスカルの「私は誰になじられるより君になじられるのがつらい」みたいなちょっと翻訳調の台詞も古風で趣があって好きだったのですが、何故変更したんですかね? しかもなんのおもしろみもない台詞に…だったらなくしてください、そもそも原作にない台詞です。原作にないのを遠い昔に作ったのならその矜持を守って使い続けんかい、コロコロ改変するくらいならいっそ原作どおりすべてやれ! 恥を知れ恥を!!

 ボート場面はみりおんの浮かれっぷりがいじらしくて可愛くてはっとさせられました。もっとおちついて聡明な王妃を演じちゃいそうなタイプだよな、と勝手に心配していたのですが、なかなかどうして、ちゃんと恋に浮かれる若いお姫様を華やかに演じていて感心しました。
 またまぁ様の包容力のすばらしいこと。根本的な解決にはまったくなっていないにもかかわらず、今はただその腕に抱かれていたい…と思わせて出色。素晴らしい。
 この場面は原作にはありませんがフェルマリ編には、というかフェルゼンとアントワネットの関係を語るには必須の場面です。えりあゆにやらせなかった馬鹿を私は一生かけて呪います。誓う。

 続く新場面、カーテン前のデュガゾン(穂稀せり)と侍女ふたりのあまりにもツナギらしいツナギっぷりに絶句。こんなにまでしてセットチェンジ時間を捻出しなければならないなら、続くメルシー伯爵説教タイムはいりませんマジで。
「王妃のためを思うなら身を引け」というのはオスカルもすでに言っていることなので、ダメ押ししなくても観客はみんなフェルゼンの苦しい立場と心情を理解しています大丈夫。
 じゅんこさんが熱演すればするほど、まぁ様が真摯に対応すればするほど、台詞の中身のなさがバレます。みんなここで寝ます。やめてくださいマジで。

 続いてジャルジェ家、ロザリー(瀬音リサ)に対する「赤ちゃんはまだ?」とかいうセクハラ台詞はなくなったものの、謎の「マスコット」発言は残っていてげんなり。
 ベルナール(星吹彩翔)を使ってパリの現状や平民の困窮を説明するのはいいにしても、ここでオスカルに自発的に近衛隊から衛兵隊への転属を決心させ、かつ「国王様にお願いします」と困ったおねだりお嬢さまに見えかねない発言をさせるのはいかがなものか。ひっかかりました。
 あと「私は平民の味方をするなどとは言っていない」みたいな、またも対象を貶める「など」ね。オスカルは平民を見下したりする人じゃありません。キャラクターの人間性を傷つけるような台詞を不用意に書かないでくださいマジで。

 次のカーテン場面はジェローデルのサービスタイムだと解釈していますワタシ。意味なく上手に行きかけて下手に引っ込むからね。美味しくいただきましたよもちろん。
 必要なセットチェンジタイムがあるのは理解しています。問題は銀橋が使える本公演でもこういう演出を平気でやりそうだという点です、マジ引退して…
 国王様(寿つかさ)の夜のお散歩は残念ながらカット、夜の庭園でフェルゼンはアントワネットに暇乞いをします。オスカルの「お館」発言がなくなったのはよかった…
 フェルゼンがオスカルの自分への想いに気づく「もしかして君は僕を…」も、それにつながるカイちゃんオスカルがそらうるうるだしまぁ様には嫌みがないので、こっぱずかしいラブコメ場面として楽しめました。イヤ失礼。別れの台詞に原作に近い友情と尊敬を語らせたのもよかった。
 アントワネットとフェルゼンの別れをオスカルが見ていて、フェルゼンとオスカルの別れをアンドレが見ている構造になっているのはちょっとストーカー連鎖で残念なのですが、まあ仕方がない。アンドレのソロが終わると宮廷場面になってバイト貴族のあっきーが出てきて、ああ退屈な一幕がやっと終わるとほっとするのでいいことにします。
 この公開告白場面を力づくでもたせるまぁ様は素晴らしい。最後にひとり幕前に残り、客席降りしてどよめきの中を悠々と走り去っていくのもいい。
 舞台って観客の目の前の地続きの空間で生身の人間が演じているにもかかわらず、いやだからこそ異空間で、だからそれを越境して役者が、まして宝塚歌劇のスターが客席に降りてくるのはまさに降臨と言っていい大事件なんですよね。地方の観客が驚愕するのもわかります。リピーターとしては何故か勝手に誇らしくなりました。ショーの中詰めのハイテンションお祭り客席降りのときの感覚とはおそらく何かが違うんですよね。お芝居ってすごい、と思います。

 第2幕も小公子たちのプロローグから。そしてスウェーデンの花祭り、オスアンに国王夫妻もバイトするすさまじさですが意外にこれが地方の観客にはバレないので舞台とはすごいものです。
 というワケでジェローデルがフェルゼンのナンパにやってくるわけですが、今回はここではトランク持っていないんですね。どうでもいいことですがあっきーのことならなんでも気になる私です。
 そしてここのソフィア(綾瀬あきな)のヒドい台詞はもう改善されることはないのでしょうか…エビちゃんがいい感じに大根でさらりと流すからいいようなものの…(オイ)涙せずにはいられません。
 そして今回もジェローデルは「オスカル隊長はアンドレと固く結ばれ」などといつ見てたんか!とつっこみたくなる台詞をさらりと言って(ああ、あきジェロの「みんなわたしに預けてみませんか」の銀行台詞が聞きたかったなあ…全額預けるよ…)、回想に突入します。
 過去にはバスティーユを一幕に入れてしまった構成もありましたが、やはりそれは重いかな。
 しかしここでオスカルは何故すべて見ていたベルナールに対し「お聞きのとおりだ」と言うのか、「ご覧のとおりだ」ではないのか。
 あと全ツだから仕方ないとはいえ橋が橋じゃないよね、悲しい…
 それはともかく、オスカルを庇って下手へ避難誘導するときのジェローデルが本当に紳士的で惚れ直しました。オスカルを止める仕草もよかった。
 カイちゃんはもちろん熱演、てらいなく拍手入れたくなる熱いバスティーユでした。

 一方、チュイルリー宮殿に幽閉されている国王一家。アントワネットのお世話を続けるフランソワーズ役の華妃まいあちゃんが次の何かなんですかそうですか。
 この場面ラストのみりおんの絶唱は素晴らしく、毎回素で拍手がすぐさま入っていました。ハケまで待つとか暗転まで待つとかないの、歌い終わったら拍手入れるの、感動したから。すごいよね。
 だからこそその直前の公安委員の意味のない暴力描写が本当にイヤです。原作にないし、彼らがどんなに国王一家を恨んでいたとしても高貴な身分に対し遠慮もあったはずで手なんか簡単に上げないはずです。
 何よりここでアントワネットが「殴られてるからかわいそう」となってしまっているのがイヤ。原作はそうじゃないでしょ? なんでそれが読み解けないの?
 公安委員たちが自分の子供の死についてただ静かに語るとき、それがどんなにアントワネットに衝撃を与えたか…それをただ呆然と立ち尽くすだけの姿で表現した原作漫画の素晴らしさがわからない演出家にこの作品を手がける権利はないよマジで。

 その次のフェルゼンのソロはまあスター様だし主人公だから目はつぶろう…だがなくてもすむぞ残念ながら。
 その次のベルナールとロザリーの会話もセットチェンジタイムありきだし、ロザリーが言うには理屈っぽい台詞だし、なくすか実のある会話に変えたいところではありますねー。
 国境のくだりは昔からほぼ変わっていませんが、わかりやすくていいと思います。国境警備隊との意味のない乱闘場面はなくて安心しました。もう永久に封印してくださいマジで。
 馬車でフェルゼンが長鞭を持つ日は来るのかな…乗馬用の短鞭では馬車馬の尻に届かないって、ちょっと考えればわかると思うんだけどな…あと馬車がデカすぎていつも笑うんですけどもう永久に直らないんですかね…とりあえずまぁ様の長いおみ脚が堪能できるんでいいことにします。あきジェロは馬車の中で酔いそうになってるのかなとか妄想しましたすみません。てかまぁあきで旅の間にナニもなかったとかナイよね…

 牢獄場面は正確には原作どおりではないものですが名場面だと思っています。しかしやはりアントワネットが立ったままスープをすするくだりは気になります。高貴な人はこんなお行儀悪いことしません決して。
 あとメルシー伯がアントワネットのドレスの裾に口づけようとするくだり、もっと裾を持たないと、よろけてしがみついただけに見えかねません。直してほしかったです。
 ベルナールの呼び出し後にフェルゼンが出てきてまた引っ込むのっておかしくないかな? 端でもいいからそこにいたんじゃダメなのかな? また引っ込むなら出てきた意味なくない? カッコ悪く見えないように細心の注意を重ねてお願いしたいのですが…
 そしてロザリーのスライディング・タックルは毎度頼もしくてよかったです。
 セリがないのでフェルゼンが板つきのまま「王妃様!」の絶叫を二度することになりますが、なかなかよかったです。断頭台をイメージさせるはずの階段も段数がなくて残念でしたが、みりおんがそれはたっぷりと間を取って立ち去り、素晴らしかったです。

 フィナーレはロケットからバラのタンゴ、カイちゃんが娘役に囲まれてニコニコしてウィンクで締める「愛の柩」(タニに似てきたなあ!)、「愛の讃歌」のデュエダン(みりおんの幸せそうなこと!)から黒燕尾と美しい流れでした。
 ひとりのぴのびと踊るまぁ様の肢体の素晴らしさと明るく華やかで温かなオーラがまた素晴らしかったです。オペラグラスがあっきーロックオンでソロになってくれないとまぁ様が見られなかったのはナイショです!
 パレードのエトワールがまたもみりおんなのはホントどうなのって感じですが、まあ居残りも確定なのでしょうし、この先もっとのびのび楽しくやれることもあるだろうので、良き発表を待ちたいと思います。なんでも遅い宙組だが次期くらいそろそろいいだろう。
 ああもうしばらく『ベルばら』マジでもういいよおなかいっぱい…と思いましたが台湾があるんだったがんばるよママン…
 ショーがないのはホントはどうなのと思いますが長めのフィナーレはあるし、全ツとしてはやはりお客様に喜ばれていたようなのでそれはそれでよかったのかな。旅行も楽しかったです、次の本公演も楽しみにしています。



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