私はかつて『カサブランカ』と『バレンシアの熱い花』でBLSSを書いたことがある気がするのですが(笑。リンクは貼りません、探さないでください)、男女カップルは初めてかも…あ、『王家に捧ぐ歌』のケペルとアムネリスのその後はストーリーラインだけ書いたかな。でもこちらとかを拝見するとむしろこのユリを、とか…イヤしかしそれだとミッシェル泣いちゃうからホント…とかとか、要するにまだまだ脳内が霞んでおります。
ちなみにこれは12月28日のお話のつもりです。もちろん勝手な二次創作です、お気に障りましたら申し訳ございません。
※※※
オーギュストの葬儀を済ませると、私は子供たちふたりを連れてパリを離れ、田舎の屋敷に移った。事業も家庭も順風満帆な男の自殺は、けれどパリにはよくあることとされて、ことさらに事件視されることもなく落着した。だが噂話は未だに何かと喧しく、私はすっかり疲れてしまったのだった。
秋になってアンブルが学校へ上がると、オクターヴは自分の部屋に引き籠もるようになった。食事も部屋に運ばせている。アンブルの手紙が届くたびに部屋まで届けに行くが、すっかり青白くなった顔を一瞬見せるだけで、すぐに引っ込んでしまう。いずれはますます父親に似ていくのだろう。だが彼も来年には学校に行き、顔を合わせることがさらに減るのだと思えば耐えられた。
この館は私の実家のもので、オーギュストはほとんど訪れたことがないのというのに、彼の幻は我が物顔であちこちに佇んでいる。白い三つ揃えを着て、静かに笑っているその姿を見かけることに、私は未だに慣れず、いちいち驚いている。自分の怯えが、罪悪感が見せている幻にすぎない、と頭ではわかっていても、振り払えないのだ。この地獄はいつまで続くのだろうか。一年の喪が明けようと、終わりは見えなかった。
使用人たちも常にうつむき、言葉少なに行き交うこの館は、静かでほの暗く、まるで冥界の底にあるかのようだ。ここでゆっくり死んだように暮らしていくのが、私のような罪人には相応しいのかもしれない。
イネスの姿は見えない。幻でいいから会いたい、と思うのに現れないのは、あの娘の魂がもっと明るく幸せなところにあるからだ、と思いたい。
ふと、乾いた音がした。見ると結婚指輪が指から抜けて、床に落ちていた。痩せて指が細くなり、親指で触って回す変な癖ができていたところだったが、まさか勝手に落ちるほどだとは思わなかった。
私は指輪を拾い上げながら、ふいにあの日のギョームの温かい手を思い出した。私はオーギュストに捻られて痛めていた手をかばい、グラスを取り落としかけたのだった。グラスも、そのまま倒れかけた私の体もギョームが支えてくれた。その手があまりに温かく、力強くて、私はほとんどしがみつくような格好になってしまった。そのとき、彼のシャツの胸元の飾りがこの指輪に絡んだのだった。外すまで、ギョームは私の手を取っていた。頼もしい、優しい手だった。手が離れるときに、私は痛みに顔をしかめてしまい、それでギョームはすべてを理解してしまったのだった。ギョームは私をひたと見つめて、絞り出すように言った。
「…こんなことは、許されない。もう耐えられそうにない」
「…殺すの?」
そんな恐ろしい言葉が自分の口から出るなんて、信じられなかった。だがギョームはすぐに頷いた。
「ブノワに頼もう。事故か、自殺に見せかけるようにして…きっと上手くいく。神も許してくれるはずだ」
そんなことをしても、イネスは戻らないとわかっていた。でも私ももうこれ以上こんな暮らしに耐えられそうになかった。私もそっと頷いた。そのときから、私たちは同じ罪を背負う共犯者になった。
以前は家族の一員のようにパリの屋敷を頻繁に訪ねてきていたブノワは、田舎のこの家には顔を出さない。オーギュストの事業の引き継ぎに関する報告をたまに手紙で寄越すくらいだ。ギョームは手紙すら書いてこなかった。その方が何かと噂にされず、安全だろうし、彼にとってオーギュストは仮にも実の兄だったのだから、犯した罪を悔やんでいて、もう何もかもを忘れてしまいたいのかもしれなかった。
だからもう会えないのは、仕方のないことだとわかっている。ただ、寂しいだけだ。
風の便りに、警察での昇進を聞いた。彼は真面目で実直な人だ。報われて嬉しい。今ごろ縁談が降るように持ち込まれていることだろう。彼もそろそろ身を固めていいころだ。若く、可愛らしいお嬢さんが彼を支えてくれるといい。本当なら私がお相手のお世話をしなくてはならないのだろうが、とてもそんな気になれなかった。私は彼に、私だけの「弟」でいてほしかったのだろうか…けれどそれは無理な望みだ。そんなことを願ってはならないのだ。
庭に出ると、冬枯れた景色はなおさら寒々しく、寂しかった。もうすぐ新年が来て、やがて復活祭へと季節は進むのだろうが、私はこの場所で身も心も凍りつかせ、いずれ粉々になって散ってしまうのかもしれない、と思う。
裏木戸が軋む音に振り返ると、ギョームがいた。深緑の厚いコートをまとっているが、唇が青い。この寒空に、まさか馬車ではなく騎馬で来たのだろうか。そしてこんな季節にどこで咲かせたものなのか、小さな薔薇の花束を手にしていた。
「クロエ、誕生日おめでとう」
ギョームの温かい声が耳朶を打ち、あたたかな笑みに凍った心が解けていくのがわかった。
彼が私の名前を呼ぶのを初めて聞いた。彼と初めて出会ったのは、オーギュストとの結婚が決まったころだった。だから彼はずっと私を「義姉さん」と呼んでくれていたのだ。
差し出された花束を受け取る。誕生日のことなど、すっかり忘れていた。世界のここだけが色づいているかのようだった。私の頬も赤くなっていたに違いない。
「クロエ、結婚しよう」
すぐには理解できなかった。何を言っているのだろう。この人はどこまで真面目で、優しいのだろう。彼にそんなことまでする義理などないのだ。それにそんなことをすれば、また周りに何を言われるか知れたものではなかった。
それとも、私を疑っているのだろうか。そうやってそばに置き、監視しないと安心できないということなのだろうか。でもそこまでしてくれなくても、私は誰にも何も明かすつもりはない。これは私の罪なのだ。神が許しても、私は自分で自分を決して許さない。救われたいなどと、思うだけでも禁じていた。
口を開く。だが言葉が出てこない。代わりに涙がぽろぽろとこぼれた。こんなときに泣くなんて、馬鹿で卑怯な女の手練手管のようで、自分が嫌になった。だが止められない。ギョームの笑みが大きくなった。
「…それで、いいの?」
やっと口にしたときには、抱きすくめられていた。温かい腕の中で、きつく抱きしめられて、私は泣いた。
「パリへ帰ろう。新しい屋敷を構えて、一緒に暮らそう。アンブルとオクターヴが学校の休暇に帰ってこられる、あたたかな家庭を築こう。もし神のお恵みがあれば、私たちの子供を持とう」
失われた命は戻らない、私たちの罪も消えない。これは一生背負っていく十字架だ。私たちが幸せになどなれるはずがない、なってはいけないのだ。
これは愛じゃない。秘密と、欺瞞と、疑惑と、猜疑でこねくりまわされた、何かもっと別の打算、保身のための結婚だ。
でも、もし…
ギョームは身を退くと、掌を私の頬に当て、指で涙を払ってくれた。瞳が揺れている。彼にも、迷いも惑いもあるのだ。でも、もし…
私はそっと目を閉じて、彼のキスを受け入れた。罪に罪を重ねる契約なのかもしれない。でも、もし…
パリにはもう冬霞が出ているだろうか。その凍てつく寒さは、ふたりでいれば耐えられるものだろうか。社交界のうるさ方にも、なんと騒ぎ立てられることだろう。でも、生きていれば避けられないことだ。生きていればこその、戦いだ。
パリへ帰ろう。パリで彼と生きていこう。その先に何が待つのか、今は霞んで見えないけれど。
私は片手に花束、片手に彼の手を取って、館の中へ入った。
To be continued …
ちなみにこれは12月28日のお話のつもりです。もちろん勝手な二次創作です、お気に障りましたら申し訳ございません。
※※※
オーギュストの葬儀を済ませると、私は子供たちふたりを連れてパリを離れ、田舎の屋敷に移った。事業も家庭も順風満帆な男の自殺は、けれどパリにはよくあることとされて、ことさらに事件視されることもなく落着した。だが噂話は未だに何かと喧しく、私はすっかり疲れてしまったのだった。
秋になってアンブルが学校へ上がると、オクターヴは自分の部屋に引き籠もるようになった。食事も部屋に運ばせている。アンブルの手紙が届くたびに部屋まで届けに行くが、すっかり青白くなった顔を一瞬見せるだけで、すぐに引っ込んでしまう。いずれはますます父親に似ていくのだろう。だが彼も来年には学校に行き、顔を合わせることがさらに減るのだと思えば耐えられた。
この館は私の実家のもので、オーギュストはほとんど訪れたことがないのというのに、彼の幻は我が物顔であちこちに佇んでいる。白い三つ揃えを着て、静かに笑っているその姿を見かけることに、私は未だに慣れず、いちいち驚いている。自分の怯えが、罪悪感が見せている幻にすぎない、と頭ではわかっていても、振り払えないのだ。この地獄はいつまで続くのだろうか。一年の喪が明けようと、終わりは見えなかった。
使用人たちも常にうつむき、言葉少なに行き交うこの館は、静かでほの暗く、まるで冥界の底にあるかのようだ。ここでゆっくり死んだように暮らしていくのが、私のような罪人には相応しいのかもしれない。
イネスの姿は見えない。幻でいいから会いたい、と思うのに現れないのは、あの娘の魂がもっと明るく幸せなところにあるからだ、と思いたい。
ふと、乾いた音がした。見ると結婚指輪が指から抜けて、床に落ちていた。痩せて指が細くなり、親指で触って回す変な癖ができていたところだったが、まさか勝手に落ちるほどだとは思わなかった。
私は指輪を拾い上げながら、ふいにあの日のギョームの温かい手を思い出した。私はオーギュストに捻られて痛めていた手をかばい、グラスを取り落としかけたのだった。グラスも、そのまま倒れかけた私の体もギョームが支えてくれた。その手があまりに温かく、力強くて、私はほとんどしがみつくような格好になってしまった。そのとき、彼のシャツの胸元の飾りがこの指輪に絡んだのだった。外すまで、ギョームは私の手を取っていた。頼もしい、優しい手だった。手が離れるときに、私は痛みに顔をしかめてしまい、それでギョームはすべてを理解してしまったのだった。ギョームは私をひたと見つめて、絞り出すように言った。
「…こんなことは、許されない。もう耐えられそうにない」
「…殺すの?」
そんな恐ろしい言葉が自分の口から出るなんて、信じられなかった。だがギョームはすぐに頷いた。
「ブノワに頼もう。事故か、自殺に見せかけるようにして…きっと上手くいく。神も許してくれるはずだ」
そんなことをしても、イネスは戻らないとわかっていた。でも私ももうこれ以上こんな暮らしに耐えられそうになかった。私もそっと頷いた。そのときから、私たちは同じ罪を背負う共犯者になった。
以前は家族の一員のようにパリの屋敷を頻繁に訪ねてきていたブノワは、田舎のこの家には顔を出さない。オーギュストの事業の引き継ぎに関する報告をたまに手紙で寄越すくらいだ。ギョームは手紙すら書いてこなかった。その方が何かと噂にされず、安全だろうし、彼にとってオーギュストは仮にも実の兄だったのだから、犯した罪を悔やんでいて、もう何もかもを忘れてしまいたいのかもしれなかった。
だからもう会えないのは、仕方のないことだとわかっている。ただ、寂しいだけだ。
風の便りに、警察での昇進を聞いた。彼は真面目で実直な人だ。報われて嬉しい。今ごろ縁談が降るように持ち込まれていることだろう。彼もそろそろ身を固めていいころだ。若く、可愛らしいお嬢さんが彼を支えてくれるといい。本当なら私がお相手のお世話をしなくてはならないのだろうが、とてもそんな気になれなかった。私は彼に、私だけの「弟」でいてほしかったのだろうか…けれどそれは無理な望みだ。そんなことを願ってはならないのだ。
庭に出ると、冬枯れた景色はなおさら寒々しく、寂しかった。もうすぐ新年が来て、やがて復活祭へと季節は進むのだろうが、私はこの場所で身も心も凍りつかせ、いずれ粉々になって散ってしまうのかもしれない、と思う。
裏木戸が軋む音に振り返ると、ギョームがいた。深緑の厚いコートをまとっているが、唇が青い。この寒空に、まさか馬車ではなく騎馬で来たのだろうか。そしてこんな季節にどこで咲かせたものなのか、小さな薔薇の花束を手にしていた。
「クロエ、誕生日おめでとう」
ギョームの温かい声が耳朶を打ち、あたたかな笑みに凍った心が解けていくのがわかった。
彼が私の名前を呼ぶのを初めて聞いた。彼と初めて出会ったのは、オーギュストとの結婚が決まったころだった。だから彼はずっと私を「義姉さん」と呼んでくれていたのだ。
差し出された花束を受け取る。誕生日のことなど、すっかり忘れていた。世界のここだけが色づいているかのようだった。私の頬も赤くなっていたに違いない。
「クロエ、結婚しよう」
すぐには理解できなかった。何を言っているのだろう。この人はどこまで真面目で、優しいのだろう。彼にそんなことまでする義理などないのだ。それにそんなことをすれば、また周りに何を言われるか知れたものではなかった。
それとも、私を疑っているのだろうか。そうやってそばに置き、監視しないと安心できないということなのだろうか。でもそこまでしてくれなくても、私は誰にも何も明かすつもりはない。これは私の罪なのだ。神が許しても、私は自分で自分を決して許さない。救われたいなどと、思うだけでも禁じていた。
口を開く。だが言葉が出てこない。代わりに涙がぽろぽろとこぼれた。こんなときに泣くなんて、馬鹿で卑怯な女の手練手管のようで、自分が嫌になった。だが止められない。ギョームの笑みが大きくなった。
「…それで、いいの?」
やっと口にしたときには、抱きすくめられていた。温かい腕の中で、きつく抱きしめられて、私は泣いた。
「パリへ帰ろう。新しい屋敷を構えて、一緒に暮らそう。アンブルとオクターヴが学校の休暇に帰ってこられる、あたたかな家庭を築こう。もし神のお恵みがあれば、私たちの子供を持とう」
失われた命は戻らない、私たちの罪も消えない。これは一生背負っていく十字架だ。私たちが幸せになどなれるはずがない、なってはいけないのだ。
これは愛じゃない。秘密と、欺瞞と、疑惑と、猜疑でこねくりまわされた、何かもっと別の打算、保身のための結婚だ。
でも、もし…
ギョームは身を退くと、掌を私の頬に当て、指で涙を払ってくれた。瞳が揺れている。彼にも、迷いも惑いもあるのだ。でも、もし…
私はそっと目を閉じて、彼のキスを受け入れた。罪に罪を重ねる契約なのかもしれない。でも、もし…
パリにはもう冬霞が出ているだろうか。その凍てつく寒さは、ふたりでいれば耐えられるものだろうか。社交界のうるさ方にも、なんと騒ぎ立てられることだろう。でも、生きていれば避けられないことだ。生きていればこその、戦いだ。
パリへ帰ろう。パリで彼と生きていこう。その先に何が待つのか、今は霞んで見えないけれど。
私は片手に花束、片手に彼の手を取って、館の中へ入った。
To be continued …
ここ一年ほど、こちらのブログに定期的にお邪魔しております。宝塚がメインですが、外部も観るので、駒子さまの感想を拝読するのがいつも楽しみです!
冬霞の巴里からまだまだ逃れられない人間として、このような創作は本当に嬉しいですー!
文章を書くのはあまり得意ではないので、これまでコメントは控えてきたのですが、嬉しかったのでついつい…(笑)
オーギュストを殺害したあと、クロエとギョームはどう結婚に至ったのか気になっていたのですが、こんな素敵なストーリーがあったのかもと思うと、冬霞の巴里がさらに味わい深く感じられそうです。
またお邪魔させていただきます。
不徳の致すところかコメントがほとんどないブログなので(^^;)…外部作品でもまた感想などいただけたら嬉しいです。
『冬霞』は本当にいい意味での余白が多く、想像力を掻き立てられるよくできた作品で、
好みに合いまくり、未だ脳内が霞んでいます。
なのにまさかの飛龍つかさ卒業発表に激しく動揺し、これは『冬霞の巴里から』と題して後日談も書かないと私が成仏できない…!となっているところです。
また是非いらしてくださいませ!
●駒子●