赤坂ACTシアター、2012年6月20日マチネ。
ジョー(田代万里生)は売れない貧乏脚本家。借金取りから追いかけられて、逃げ込んだのはサンセット大通りにある荒れ果てた屋敷。そこには世間からすっかり忘れ去られた無声映画の大スター、ノーマ(安蘭けい)が執事とともに暮らしていた…
作曲/アンドリュー・ロイド=ウェバー、脚本・作詞/ドン・ブラック、クリストファー・ハンプトン、演出/鈴木裕美、修辞・訳詞/中島淳彦。1950年のビリー・ワイルダー監督による同名映画をミュージカル化し1993年ロンドン初演。オリジナル演出による日本初演。
映画は未見で、だいたいの設定しか知らないで観に行きました。ターコさんがやりたがっていた役だとも聞いていたし、今は忘れ去られた往年の名女優、の役なんだからトウコさんでは若すぎないかと思っていましたが、どうしてどうして、とってもよかったです。
私は常々思っていたのですが、宝塚OGって、特に元男役は痩せている人が多いので、女優としてはむしろ貧相に見えることがあると思うのですよ。ロマンスのヒロインを務めるにはふくよかさとかやわらかさとか色気とか女性らしさとかが必要だと思うので。ときどきそういうのが似合わなくてつらいと感じることが私は多くて。
でもトウコさんのノーマはまずそれがいいほうに出ていたと思います。年をとって肉が落ちてしまった老境の女に見える。顔が細いのも頬がこけた年とった女にちゃんと見える。
そしてあの自在の声色でちゃんと老けた声を作れていて、それがナチュラル。そしてそれがジョーとの生活によって華やいで若やいできゃいきゃいしたものに変わっていく様子がちゃんと表現できている。それもすごい。
そして終始ぶっちゃけイッちゃっているギラギラした眼をしていて、それでもいじらしくチャーミングに見えるノーマを現出させる演技力がある。とてもよかったと思いました。
逆に言うと、本当にノーマと同年代の女優さんが演じていたら、私はやっぱりイタいと思ってしまって、物語にのめりこめなかったと思う。甘いと言われればそれまでだし、映画版だってロンドン版だってブロードウェイ版だってそれなりの年齢の女優が扮していてそれが素晴らしいのでしょうが…
私にはまだそこまで老いに対する心の準備ができていないのかもしれません。ノーマは50歳とされています。私だってそう違わない。デミル監督(浜畑賢吉)はノーマの親のような歳でも現役として働いている。でもそれは男だから、そして真の才能があったから。あるいは世渡りの上手さがあったから。この時代の女にはそういう選択肢はなかなかなかったということなのでしょう…
プログラムによれば、あるいは原作映画がフィルム・ノワールだからか、本当はもっとノーマは狂気以上に凶暴さがあるキャラクターで、物語にはホラーめいたものが漂うはずだったのかもしれませんが、私にはそんなふうには読み取れませんでした。私はノーマに肩入れしすぎなのでしょうか。
でもジョーがまたとてもよくて、これは確かにノーマの物語でジョーはただの狂言回しにしかすぎないのかもしれないけれど、ほとんど出ずっぱりの大変な役だし、これまたちゃんとしていないと成立しない役で、田代くんは『ボニー&クライド』も健闘していたと思うけれど、これで本当に一皮向けたんじゃないかなあ。
才能がないわけではない、情熱もないわけでもない、でもなかなか上手くいかなくて、崩れ落ちるギリギリのところにいる、ごく普通の青年。もう純粋なままではない、でもグレて堕落しきってしまっているわけでもない。そんな冒頭の普通さがとてもよかった。
それが、ひょんなことからであったノーマに絡め取られていくわけですが、プログラムにあるような、命の危険を感じて話を合わせるとか、怖いもの見たさでつきあうみたいなニュアンスは私は感じませんでした。
なんかもっと純粋に、知識としてしか知らなかった大女優に会えて舞い上がって、興味もって、おつきあいして、甘えて…みたいな、人間としての優しさが見えた気がしたのです。最初っから打算ありきだったわけではないように見えたところがよかった。その方が、その後の展開が効くと思えたからです。
一幕ラストに私は泣きました。
今までふたりはひとつ屋敷に暮らしながらも、その関係に名前をつけないできていました。脚本に手を入れるただの共同作業者、ただの同居人、ただの気前のいいパトロネスとその被保護者、ただの友達…そのどれでもあってどれでもない、生ぬるい関係。
でもここでノーマは一線を越え、ジョーはそれに応えてしまった。私はそこに、パテイ・ルポンをお姫様抱っこしたケヴィン・アンダーソンに見えたという「情熱のスイッチが」入った瞬間、「男が女に向ける欲望」、までは見なかったけれど、でもふたりの関係が一歩決定的に進み、かつその先に悲劇が待っているようにしか思えず、ノーマとジョーふたりとものために泣きました。
何故私は泣いたのでしょう。
何故ふたりの幸福な未来を想像できなかったのでしょう。
ここでふたりは男と女になった。愛を交わした。ノーマの狂気や妄執をジョーの健やかな若さが癒す未来だって夢見てもよかったはずなのに、私にはそんなふうに考えることができませんでした。
そしてそれが正しかったことを私は二幕冒頭でまざまざと見せ付けられます。
主題歌を歌うジョーはすでにノーマの狂気に感染していました。もちろんメイクのせいもある。あんなに嫌がっていたあつらえの服を無造作に着るようになっていたこともある。
でももうその目が違いました。暗く荒んで、やさぐれていました。セックスは愛を交換する行為なのかもしれないけれど、お互いの魂の毒もまた移し合うものなのです。
変拍子の大曲が怖ろしい破滅の予感を掻き立てて見事でした。
なのでわからなかったのはベティ(彩吹真央)です。というか単純にミスキャストではあるまいか。
トウコもユミコも宝塚の元男役という点で同じです。同じ枠にいる女優なのです。しかも10も学年差があるならまだしも、そんなにないじゃん。下手したらユミコだってノーマは演じられるんですよ。
でもベティはノーマの対極にあるべき存在なんだから、同じOGならアスカでもミホコでも、元娘役を起用するべきではなかったのでしょうか。
要するに丸顔のもっと若く(あるいは若く見える)キラキラした女優にやらせないとダメですよ。これは演技力がどうとかいう問題ではありません。純粋に外見の問題で。そしてニンの問題で。
ユミコはちゃんとしていましたよ。でもだからこそ真面目で地味で中途半端な歳の女にしか見えなかった。ジョーは彼女に、ノーマにはない若さや若さからしか出てこない輝きを見、かつての自分にあった情熱や才気を見るのでしょう? だから惹かれるのでしょう? その説得力がない。
そしてプログラムによればベティもまた自分の野望のためにジョーを利用した…ということになっているようですが私には全然そんなふうには見えませんでした。確かに婚約者持ちなんだけれど、それとは別にハンサムで話が合う男性とであってときめき舞い上がってしまっているだけの普通の女の子に見えました。
彼女にもまたずるいところがあったのだ、とした方がいいのか私には実際のところちょっと判断ができないのですが、とりあえずそういうことなら演出も演技も足りなかったと思う。
そしてベティみたいなキャラクターはヒロインに対抗する役どころとしてのみ描かれることの多い、逆に言うと軽視されがちなキャラクターだと思いますが、本当はそんなふうに扱ってはいけない存在だと思うのですよね。
観客の多くはノーマにはなかなか自己投影はできない。感情移入するのはむしろベティの方にだったりするでしょう。だからステロタイプにしてはいけないと思うんだよなー。
ジョーがこのふたりの間でフラフラし、かつどちらもダメにして終わる(もちろん自身の人生も)、というところがキモの物語なのだと思いますからね、これはね。
そう、ジョーは確かにベティにも惹かれていました。そしてノーマの家から出て行こうともしました。
でもそれはノーマと別れてベティとやり直そうとかそういうことではないんですよね。彼はいろいろひっからまって二進も三進もいかなくなってしまったので、全部ぶちまけるだけぶちまけてパアにして逃げようとしたのです。
男がとるこういう後先考えないろくでもない行動は、ヒステリーを起こした女のそれの比ではありません。本当にろくでもない結果にしかならない。それでもそれをやるのが男というものです。
そして女はいろいろなものを失い、当の男は命すら失うのです。でもそこに軽重はない。
ジョーを射殺し、錯乱したノーマは女優の最後の生命線でもある台詞すら怪しくなります。でも執事のマックス(鈴木綜馬。よかった!)に「撮影ですよ」と言われて正気に返ります。それは彼女にとっての正気、ではありますが。
そのときのノーマは、たまたまショールが頭にひっかかっているように見えました。それは彼女が演じたがっていたサロメがまとうヴェールにも見えました。
それが、彼女がゆっくりと階段を降りてくると、ショールが外れ、その下に真っ白の白髪頭が現れるのです。その衝撃たるや…!
演出だったのか、と私は震えました。髪は女の命と言われますが、なんと残酷な…!
白髪頭で、眼には今までとはまた違った光をたたえて、ライトの中に立ち尽くすノーマ…幕。
ベタですよ。通俗的ですよ。でも泣きました。
全体に芝居を重視した作りで、でもアンサンブル楽曲もたくさんあって、舞台としても上出来だったと思いました。
***
残念だったのが、後列にいた無神経な観客のこと。どうやら田代くんファンの若いお嬢さん三人組でしたが、わざとらしく上げる感慨の声や言葉がことごとく的外れで悲しかった…てかそもそもうるさい、邪魔。観劇マナーがなっていない。思わずもれる感嘆の声、とかじゃないんだもん。わざとらしい。
ノーマのいじらしさ、哀れさを笑う笑い方はそういう嘲笑いとは違うの。彼女のドレスは確かに派手だけれど、それは時代遅れのオートクチュールを着ているからなの。お笑いのちんどんやとは意味が違うの。
失笑とか、シニカルな笑いとか、笑った後に嘘寒く感じることとか、そういうことが要求されているの。そういう鑑賞ができないのならせめて黙っていなさい、馬鹿がバレているだけでなく周りの迷惑です。
一体何を観に来ているんだ、何をしに来ているんだ。悲しいね。
ジョー(田代万里生)は売れない貧乏脚本家。借金取りから追いかけられて、逃げ込んだのはサンセット大通りにある荒れ果てた屋敷。そこには世間からすっかり忘れ去られた無声映画の大スター、ノーマ(安蘭けい)が執事とともに暮らしていた…
作曲/アンドリュー・ロイド=ウェバー、脚本・作詞/ドン・ブラック、クリストファー・ハンプトン、演出/鈴木裕美、修辞・訳詞/中島淳彦。1950年のビリー・ワイルダー監督による同名映画をミュージカル化し1993年ロンドン初演。オリジナル演出による日本初演。
映画は未見で、だいたいの設定しか知らないで観に行きました。ターコさんがやりたがっていた役だとも聞いていたし、今は忘れ去られた往年の名女優、の役なんだからトウコさんでは若すぎないかと思っていましたが、どうしてどうして、とってもよかったです。
私は常々思っていたのですが、宝塚OGって、特に元男役は痩せている人が多いので、女優としてはむしろ貧相に見えることがあると思うのですよ。ロマンスのヒロインを務めるにはふくよかさとかやわらかさとか色気とか女性らしさとかが必要だと思うので。ときどきそういうのが似合わなくてつらいと感じることが私は多くて。
でもトウコさんのノーマはまずそれがいいほうに出ていたと思います。年をとって肉が落ちてしまった老境の女に見える。顔が細いのも頬がこけた年とった女にちゃんと見える。
そしてあの自在の声色でちゃんと老けた声を作れていて、それがナチュラル。そしてそれがジョーとの生活によって華やいで若やいできゃいきゃいしたものに変わっていく様子がちゃんと表現できている。それもすごい。
そして終始ぶっちゃけイッちゃっているギラギラした眼をしていて、それでもいじらしくチャーミングに見えるノーマを現出させる演技力がある。とてもよかったと思いました。
逆に言うと、本当にノーマと同年代の女優さんが演じていたら、私はやっぱりイタいと思ってしまって、物語にのめりこめなかったと思う。甘いと言われればそれまでだし、映画版だってロンドン版だってブロードウェイ版だってそれなりの年齢の女優が扮していてそれが素晴らしいのでしょうが…
私にはまだそこまで老いに対する心の準備ができていないのかもしれません。ノーマは50歳とされています。私だってそう違わない。デミル監督(浜畑賢吉)はノーマの親のような歳でも現役として働いている。でもそれは男だから、そして真の才能があったから。あるいは世渡りの上手さがあったから。この時代の女にはそういう選択肢はなかなかなかったということなのでしょう…
プログラムによれば、あるいは原作映画がフィルム・ノワールだからか、本当はもっとノーマは狂気以上に凶暴さがあるキャラクターで、物語にはホラーめいたものが漂うはずだったのかもしれませんが、私にはそんなふうには読み取れませんでした。私はノーマに肩入れしすぎなのでしょうか。
でもジョーがまたとてもよくて、これは確かにノーマの物語でジョーはただの狂言回しにしかすぎないのかもしれないけれど、ほとんど出ずっぱりの大変な役だし、これまたちゃんとしていないと成立しない役で、田代くんは『ボニー&クライド』も健闘していたと思うけれど、これで本当に一皮向けたんじゃないかなあ。
才能がないわけではない、情熱もないわけでもない、でもなかなか上手くいかなくて、崩れ落ちるギリギリのところにいる、ごく普通の青年。もう純粋なままではない、でもグレて堕落しきってしまっているわけでもない。そんな冒頭の普通さがとてもよかった。
それが、ひょんなことからであったノーマに絡め取られていくわけですが、プログラムにあるような、命の危険を感じて話を合わせるとか、怖いもの見たさでつきあうみたいなニュアンスは私は感じませんでした。
なんかもっと純粋に、知識としてしか知らなかった大女優に会えて舞い上がって、興味もって、おつきあいして、甘えて…みたいな、人間としての優しさが見えた気がしたのです。最初っから打算ありきだったわけではないように見えたところがよかった。その方が、その後の展開が効くと思えたからです。
一幕ラストに私は泣きました。
今までふたりはひとつ屋敷に暮らしながらも、その関係に名前をつけないできていました。脚本に手を入れるただの共同作業者、ただの同居人、ただの気前のいいパトロネスとその被保護者、ただの友達…そのどれでもあってどれでもない、生ぬるい関係。
でもここでノーマは一線を越え、ジョーはそれに応えてしまった。私はそこに、パテイ・ルポンをお姫様抱っこしたケヴィン・アンダーソンに見えたという「情熱のスイッチが」入った瞬間、「男が女に向ける欲望」、までは見なかったけれど、でもふたりの関係が一歩決定的に進み、かつその先に悲劇が待っているようにしか思えず、ノーマとジョーふたりとものために泣きました。
何故私は泣いたのでしょう。
何故ふたりの幸福な未来を想像できなかったのでしょう。
ここでふたりは男と女になった。愛を交わした。ノーマの狂気や妄執をジョーの健やかな若さが癒す未来だって夢見てもよかったはずなのに、私にはそんなふうに考えることができませんでした。
そしてそれが正しかったことを私は二幕冒頭でまざまざと見せ付けられます。
主題歌を歌うジョーはすでにノーマの狂気に感染していました。もちろんメイクのせいもある。あんなに嫌がっていたあつらえの服を無造作に着るようになっていたこともある。
でももうその目が違いました。暗く荒んで、やさぐれていました。セックスは愛を交換する行為なのかもしれないけれど、お互いの魂の毒もまた移し合うものなのです。
変拍子の大曲が怖ろしい破滅の予感を掻き立てて見事でした。
なのでわからなかったのはベティ(彩吹真央)です。というか単純にミスキャストではあるまいか。
トウコもユミコも宝塚の元男役という点で同じです。同じ枠にいる女優なのです。しかも10も学年差があるならまだしも、そんなにないじゃん。下手したらユミコだってノーマは演じられるんですよ。
でもベティはノーマの対極にあるべき存在なんだから、同じOGならアスカでもミホコでも、元娘役を起用するべきではなかったのでしょうか。
要するに丸顔のもっと若く(あるいは若く見える)キラキラした女優にやらせないとダメですよ。これは演技力がどうとかいう問題ではありません。純粋に外見の問題で。そしてニンの問題で。
ユミコはちゃんとしていましたよ。でもだからこそ真面目で地味で中途半端な歳の女にしか見えなかった。ジョーは彼女に、ノーマにはない若さや若さからしか出てこない輝きを見、かつての自分にあった情熱や才気を見るのでしょう? だから惹かれるのでしょう? その説得力がない。
そしてプログラムによればベティもまた自分の野望のためにジョーを利用した…ということになっているようですが私には全然そんなふうには見えませんでした。確かに婚約者持ちなんだけれど、それとは別にハンサムで話が合う男性とであってときめき舞い上がってしまっているだけの普通の女の子に見えました。
彼女にもまたずるいところがあったのだ、とした方がいいのか私には実際のところちょっと判断ができないのですが、とりあえずそういうことなら演出も演技も足りなかったと思う。
そしてベティみたいなキャラクターはヒロインに対抗する役どころとしてのみ描かれることの多い、逆に言うと軽視されがちなキャラクターだと思いますが、本当はそんなふうに扱ってはいけない存在だと思うのですよね。
観客の多くはノーマにはなかなか自己投影はできない。感情移入するのはむしろベティの方にだったりするでしょう。だからステロタイプにしてはいけないと思うんだよなー。
ジョーがこのふたりの間でフラフラし、かつどちらもダメにして終わる(もちろん自身の人生も)、というところがキモの物語なのだと思いますからね、これはね。
そう、ジョーは確かにベティにも惹かれていました。そしてノーマの家から出て行こうともしました。
でもそれはノーマと別れてベティとやり直そうとかそういうことではないんですよね。彼はいろいろひっからまって二進も三進もいかなくなってしまったので、全部ぶちまけるだけぶちまけてパアにして逃げようとしたのです。
男がとるこういう後先考えないろくでもない行動は、ヒステリーを起こした女のそれの比ではありません。本当にろくでもない結果にしかならない。それでもそれをやるのが男というものです。
そして女はいろいろなものを失い、当の男は命すら失うのです。でもそこに軽重はない。
ジョーを射殺し、錯乱したノーマは女優の最後の生命線でもある台詞すら怪しくなります。でも執事のマックス(鈴木綜馬。よかった!)に「撮影ですよ」と言われて正気に返ります。それは彼女にとっての正気、ではありますが。
そのときのノーマは、たまたまショールが頭にひっかかっているように見えました。それは彼女が演じたがっていたサロメがまとうヴェールにも見えました。
それが、彼女がゆっくりと階段を降りてくると、ショールが外れ、その下に真っ白の白髪頭が現れるのです。その衝撃たるや…!
演出だったのか、と私は震えました。髪は女の命と言われますが、なんと残酷な…!
白髪頭で、眼には今までとはまた違った光をたたえて、ライトの中に立ち尽くすノーマ…幕。
ベタですよ。通俗的ですよ。でも泣きました。
全体に芝居を重視した作りで、でもアンサンブル楽曲もたくさんあって、舞台としても上出来だったと思いました。
***
残念だったのが、後列にいた無神経な観客のこと。どうやら田代くんファンの若いお嬢さん三人組でしたが、わざとらしく上げる感慨の声や言葉がことごとく的外れで悲しかった…てかそもそもうるさい、邪魔。観劇マナーがなっていない。思わずもれる感嘆の声、とかじゃないんだもん。わざとらしい。
ノーマのいじらしさ、哀れさを笑う笑い方はそういう嘲笑いとは違うの。彼女のドレスは確かに派手だけれど、それは時代遅れのオートクチュールを着ているからなの。お笑いのちんどんやとは意味が違うの。
失笑とか、シニカルな笑いとか、笑った後に嘘寒く感じることとか、そういうことが要求されているの。そういう鑑賞ができないのならせめて黙っていなさい、馬鹿がバレているだけでなく周りの迷惑です。
一体何を観に来ているんだ、何をしに来ているんだ。悲しいね。
再演も行きたいなーと思ってはいたのですが、都合が付かず…
なのでねねちゃんベティの様子がうかがえて嬉しかったです、ありがとうございました!
ベティはねねちゃんの方がハマっていただろうと思うのですよねー。
私はこのあと映画のDVDもお友達に借りて見たのですが、そちらもとてもよかったです。
ロンドン版のCDも買っちゃいました。好きな作品です。
やはり機会があったらまた観たいです…!
これからも覗きにいらしてください&コメントくださいね。
長文大歓迎です、たいがい私の文章も長いので(笑)。
●駒子●
先日、サンセット大通りを観に行きました。夢咲ねねちゃんのファンで、ねねちゃんの卒業後初舞台、ということでいそいそと出かけて行きました。
外部の舞台は、東宝エリザ以外観たことなくて、舞台が好きと言ってもあの宝塚の甘美でゆめゆめしくキラキラした舞台が好きなので、楽しめるか不安だったのですが、それは杞憂に終わりました。
舞台が、本当に面白かったからです。まだ学生で未熟な私には、ノーマの気持ちも、ジョーの気持ちも、推し量ることはできても完全には理解できなかったのですが、とにかく面白かったのです。
ねねちゃんのベティは22歳…には見えなくても、夢への情熱を抱き、未来に希望を抱き、キラキラと輝いていて、本当に
可愛かったです。ただ、私はプログラムを読んでないのでそんな設定があることも知りませんでしたが、ベティがジョーを利用してるようには見えませんでした。純粋に、才能があって心根のやさしい、そんな男性に恋をしたように見えました。私はそれでいいと思います。そして、ねねちゃんのベティは活力に溢れていて、ジョーに裏切られて、そして彼のその後を知ったとしても、彼女はまた力強く未来に向かって一歩を踏み出していくように感じました。いずれまた誰かと恋でもするだろう、結婚までするかもしれないな、そう思わせるベティでした。
すみません、長くなりましたが、「面白かった、けど、なんだかよくわからない」と舞台を観て思ったので、駒子さんはどう捉えたのだろうと過去の記事を漁ってみたら見つけて思わずコメントいたしました。
これからもブログ楽しみにしております。長文失礼いたしました。
うらやましい!!
50歳という年齢については時代の関係もありますのでアレですが…私ももうじきアラフィフですし(^^;)。
でもいい作品でしたよねー。
私はツイッターでミュージカルファン&トウコさんファンに教えていただいてチケット取りました。
ユミコさんファンにはどうだったのかなあ…
ベティは22歳だそうですが、当時としてもオールドミスというほどではなかったと思うのですが…
むむむ…
面白かったです。
そして・・・50歳の女はもう終わってる
と何度も言われて「どうもすみません」という感じでした(笑)
> そしてプログラムによればベティもまた自分の野望のためにジョーを利用した
ということでしたら、ゆみこさんの起用は大間違いだったと思います。
あのベティは性格が良いので結婚が遅れた人なイメージでした。
全然ジョーのこと利用してなくて、二股掛けてるふうにも見えなかった。
話の会う男友達ができて、しかも二枚目で楽しくすごす風でしたよね。
個人的には可愛い女の子のあくどさを表現できるみほこちゃんが良かったな。
面白い公演で観れて良かったです。
背中を押してくれて有難うございました。
劇場でキリヤンと花總さんに会いました。
それも良かった。