私は4日13時半の星組東京公演チケットを押さえていて、そこで今年の宝塚始め予定でしたが、コロナ中止で飛んでしまったので、7日11時の花組大劇場公演観劇が今年の宝塚始め、遠征始めとなりました。もちろんこの日も宙バウとハシゴの予定だったので、しょんぼりです…再開を信じてプログラムを買いましたが、読んでもワケわからんし(笑)、これは絶対に生で観たいタイプの舞台だと思うんですよね。行けるとしても楽しか都合がつかない状態なのですが、なんとかご縁があることを祈っています。作家さんのデビュー作でもあるし、オタクとしてホント観ておきたいんだよなー…(><)
ま、気を取り直して、そんなわけでまずは令和の『うたかたの恋』です。初演から40年、30年ぶりの大劇場公演、潤色・演出はなーこたんという布陣です。
私は雪組初演はおそらく映像でも見たことがなく、星組再演時はちょうど宝塚ファンになりたてで、定期購読を始めた「歌劇」か何かでシメさんの休演とマリコさんでの代役上演、という事態を知ったんだと思います。その後もシメさん版は生では観られておらず、月全ツのマミダン版を観た気でいたのですがプログラムが出てこないのでどうも映像での記憶だったらしく、タカハナの宙全ツ版は私が一番宝塚観劇から離れていた時期で、オサアヤネの花全ツ版はオサが苦手だったのでスルーした記憶があり、なので生で観ているのは最近の宙全ツ版と星中日版のみです。個人的には、シチュエーションとしては好みなんだけど役がないし盛り上がりに欠ける話なのでは?と思っていて、演目発表時にあまりワーイ!とはならなかった記憶です。そう言えばかつてウィーンで観たバレエ『マイヤーリンク』はとてもおもしろかった記憶…今ロイヤル版か何かが映画館でやっているんでしたっけ?
ともあれ、大劇場で赤い大階段でプロローグ、ってのをとにかくやりたい、というのはわかるけどさてどうかなあ…と思いつつも、まずはフラットに観てみよう、と出かけたのでした。
ミラーボールが回ってあの前奏、幕が上がって赤い大階段に軍服姿も凜々しいれいちゃんルドルフと白いドレスがまぶしいまどかにゃんマリーの板付き、そりゃアガるよね…! とは思いましたが、聞いてはいたけどなんでルドルフのズボンはブーツインじゃないの? 最後まで観たらラストシーンはブーツインじゃん、まあここはマリーが花嫁衣装だし幻想場面ではあるんだけれど、要するにプロローグのリプライズをラストにやることに意味があるんだろうからお揃いにするべきで、何より初演も再演も、ここまでずっとかは知らないけれどとにかくこのプロローグといえばルドルフは、スターブーツかはともかくとにもかくにもロングブーツ姿だったのでは? スラックス(というのだろうか…?)がカッコいいとか悪いとかではなくて、初演どおりに大劇場で上演することに意義を置いている企画なんだろうから、何故変えた?というのがとにかく疑問でした。イヤ実際には細かいながらも脚本・演出ともかなり変わっているし新場面もあったりするし、改変ありきの企画だったことはわかるのですが、しかし変えるべきなのはこういうところではなくないかい?と聞きたいわけです。なのでアガって即しょぼんという、なかなか心の忙しいプロローグとなりました。
その後も、やはり芝居がスローだし、華やかな場面もあるんだけれどやはり少人数が舞台の真ん中でだけ芝居している場面が多く、空間が余っていて空気も埋められていない印象で、場面転換も幕を閉めての暗転とブリッジ音楽といったものが多くてやはりちょっと古いんでないかい…?と、感じてしまいました。れいちゃんが次々着る軍服はどれも素敵で、まどかのドレスもどれも素敵で、それは眼福だったんですけれど…でもマリーといえば髪は上げて細く短めの縦ロールを何本か垂らすあの髪型だと思うのですが、あれがなくてほぼずっと似たようなダウンスタイルだったのは何故でしょう、これもしょぼぼん…
男役1、2、3が従兄弟同士の王子さまに配されていて、それぞれ性格も立場も政治的な思想もちょっとずつ違う、というのはおもしろい効果があったと思いました。だからこそ、今回はもっと政治的な部分を描き込んでもよかったのではないかしらん?とは、私はちょっと思いました。現代演劇において、軍服を素敵に見せてしまっていいのか問題というものがあると私は考えているんですけれど、そのひとつの回答にもなるのかなー、とね。
宝塚歌劇はスターを素敵に見せることを至上命題のひとつとしているものだと定義していい、とは私は考えているので、主役が軍人なら軍服姿はそら素敵に描くだろ、ってのはあるんですが、これはそんな主人公が結局どーにもならなくなって年若い女と心中する話なんだから、そこに、そもそもこういう世襲の君主とか、政治の長が軍隊の長も兼ねるようなことはもう無理なんですよ、それはもう歴史が証明しているしそこが改善されて今の平和な世になっているはずなのに今また一部のバカが新たな戦前とか言い出してホントどーしましょうかねえ…みたいな現代の視点を入れていくことが、もっとできるし望まれているんじゃないのかな、と思うのです。いやエンタメに、まして宝塚歌劇にそんなものは求めていない、劇場にいる間くらい浮き世の憂さを忘れて愛と夢とロマンに浸りたい、という層がいることも、なんならそれが大多数かもしれないこともわかっています。でも私は、架空の創作、単なる夢物語であろうと、それが語られる時代とまったく無縁ということはありえないと思います。百歩譲って真に平和な時代ならなんでもアリかもしれないけれど、今はそうじゃないし、そんな時代に展開される物語には現在と理想の未来を反映する何かがもっとあってしかるべきではないかしらん。そういう視線がもっと入れられたのではないかしらん、と私はちょっと歯痒く感じたのでした。まさしく同じ時代を扱う『エリザベート』も、特に宝塚版においては政治パートがかなり割愛されている、というのもありますが、やはりその姿勢ってぼちぼち問題なのでは…とかも思うわけです。
ちょっと前の自分を考えるに、人ってすぐノンポリぶって現実から目を背け、無関心を装おうとしがちですが、そんなのいい大人がしていい態度じゃないし、今はそれでいい方に進む世の中ではないのがもうわかりきっているので、物語の中でももっと旗を振るべきだと思うんですよね。それでこの主人公たちは戦い抗い敗れ死んでいったけれど、今に生きる私たちにはまだまだできることがあるはずでしょう、と後押しする、そういう力が舞台には、物語には、エンタメにはあるはずです。私はそう信じているし、期待してもいるのでした。
だからたとえばこの三従兄弟にも、どういう血縁の従兄弟なのか私がよくわかっていないというのもありますが、もっと説明してほしいし違いがわかるような具体的なエピソードをもっと入れられなかったのかな?とかつい期待してしまうわけです。マイティーのジャン・サルヴァドルよりひとこフェルディナンドの方が位が高いのか血が直系に近いのか、皇位継承権が上なのはわかった、それでルドルフを皇太子の座から追い落とそうとする一派に利用されそうになるくだりが以前からちゃんとあるのもわかっています。こういうひとこの繊細な演技もいいですよね、そして星全ツでのやたらあわあわしていたかりんさんも愛しかったなーとか思い出しました。しかしジャンはなんなの、星空ちゃんミリーとはさすがに結婚しているわけではないんだろうけど、平民の恋人が公然と持てて、でも皇族で軍人で、でも軍隊内の反皇帝派?みたいなグループをまとめようとしているみたいで(このあたりが私にはよくわかりませんでしたが…なんかもっとしっかり説明されていました?)、そんなのルドルフがキレるまでもなくマジ反乱で反逆で不敬罪で即逮捕獄門処刑じゃないの?とよくわからない…今、イギリス王室から次男のフィリップ王子が抜けて自伝書いて炎上しかかったりしているみたいですけど、あんな感じ? てか抜けるならきっちり全部抜けろよ、そんで一平民としてちゃんと働いて暮らしていけよ、ってルドルフじゃなくてもアイツだけずりぃよなって言いたくなると思うんですけど、ホントどういうことなんでしょうかね?
「歌劇」の「ワールドワイドオブタカラヅカ」(私はこのコーナーが毎号大好きです。ホント勉強になる、ずっと連載していてほしい。人気なさそうだけど…)でもルドルフの政治思想については触れられていましたが、そのあたりがもっと盛り込めるとよかったんじゃないのかな?とかホント思うわけです。父であり皇帝であるフランツ・ヨーゼフとの対立も、彼自身は好きな相手と結婚しておいて息子には政略結婚を強要したわけで、そういう対比の台詞もおそらく今回増えていましたけど、ああいうエピソードをもっともっと盛り込んでよかったと思うのです。今、れいちゃんはかなりていねいに演技しているけれど、それでもなんにもしないでただグレている困った男に見えかねない気がするのですよ…マリーを遠ざけられて呑んで暴れるくだりとかが、妙に色っぽいこともあって印象的なだけに、ね。そりゃ実際には、皇太子という立場に縛られて何も出来ないのがあたりまえなのだ、そのことこそが苦しいのだってのもわかるけど、それはもっとそう描いてくれないと、やはり単に何もしていない主人公に見えちゃうんじゃないかなあ…わからない、私も次は補完してルドルフにシンクロして観て号泣しているかもしれないんですけれどね。
さて一方のマリーですが、私が大好きなまどかですが『巡礼』以降ちょっとメイクが濃いというかテカテカしている印象で、マリー・ダグーはそれでよかったけどマリー・ヴェッツェラはもうちょっと薄く清楚な化粧でもいいかもね…?とは思いました。演技としてはそつなく、若いおぼこい役作りが出来ているだけにね。ただ、「歌劇」の座談会でなーこたんが言ってたんだったかな? マリーがルドルフに会うのはファンが推しに会うみたいなもので…みたいな解釈はなるほどねと思いましたし、それでいくと今回のマリーはもっと、従来のただ若く天真爛漫で逆に言うと浅はかな女が巻き込まれて殺された、みたいには見せずに、最初はまあまあギャルくて、やがて本当の恋を知りむしろ母性愛まで醸し出してしてルドルフを包み込んでともに死んでいく…みたいな描き方に振ってみてもよかったのかもしれません。まあちょっと『巡礼』のふたりの在り方に似ちゃうかもしれないし、女にやたら母性を求められるのもケッてなもんなんですけど、史実の、いい歳した髭ヅラの中年男がうら若き17歳の愛人巻き込んで自殺したってのを物語としてどう見せるんだ問題の、これまたひとつの回答になるのではないかとも思うのです。
指環の刻印も史実がどうかは知りませんが、初エッチの日付を入れるとかホントどーかと思っていたのでこの改変はよかったかと思います。「お話の最後はめでたしめでたしで終わりさえすれば…」みたいな台詞は、以前からも私はどう解釈すればいいのかよくわからないでいたので、なくなってよかったかと。「私たちに将来があるのでしょうか…」のくだりは残っていてよかったなと思いました。
姉のハンナはみくりん。棒だったエビちゃんの台詞を懐かしく思い出しました…(笑)ママは凛乃しづか、さすがそつがなかったと感じました。しかしここには長男がいたんですね!? 史実なの? らいとのジョルジュ、今回初めて作られたお役のようでした。まあ何をしているということはなくて(笑)、『冬霞』の末っ子が長男坊になってなおのほほんとしている感じなんですけど、裕福で不自由していなくて最低限の男爵位を金で買ったお金持ちの嫌味ないおおらかさが出ていて、とてもよかったと思いました。金で爵位を買って貴族社会に乗り出した成り上がりでも、精神的に卑しいとか拗ねてるってタイプではないのがいいんだと思うんですよ、この一家。だからマリーもああも健やかなんだろうしね。ああ、お手紙ソング可愛かったなー!
しかし今はどの組もそうですが上級生娘役陣が足りていない印象で、芝居となるとけっこう手が回っていないなと感じさせられました。私がけっこうあちゃーとなったのはツェヴェッカ伯爵夫人で、鈴美梛ちゃんは『殉情』の女中は悪くなかったけどやはりここまでほとんど場が与えられてこなかった人だと思うので、ちょっと芝居が足りていない印象でした。ラリッシュ伯爵夫人の朝葉ちゃんはさすがちゃんとしていて、というかなので私はこの人はこの方向性の人でヒロインなんかやるタイプじゃないと思っているんですけれど、これは安心できました。マリンカとかミッツィに歌える娘役を配したくなるのはわかるんですけれど、もうちょっと考えてもよかったかも…というかカタリーナ・シュラットの糸ちゃんも咲乃ちゃんも詩希ちゃんもなんか音響があまり良くなくて、歌があまり上手く聞こえなかった気がして残念でした。あおいちゃんがマリー乳母のジェシカ、小うららちゃんがステファニーやっちゃうともう人がホントいないのはわかるんですけれど、マリー・ヴァレリーやソフィー・ホテックはどうせニコニコしてるだけの役なんだからもっと下級生に任せて、都姫ちゃんやあわちゃんにもっと仕事させてもよかったのでは?とかも思いましたねー…
我らが愛蘭みこたんはステファニーの侍女エヴァ。舞踏会では常に女主人の機嫌を見ていて、でもルドルフの動向は追いきれなくてちょっと仕事できなさそうな感じがなんともよかったですが、まあこれ以上しどころがないよねー…
なのでこれでご卒業のカガリリのエリザベートがもう圧倒的に素晴らしくて、これは驚かされました。こんな声が出せるのか、こんな演技が出来るのかと唸らされましたよねー…ホント娘役も十年です、ショーももっと使ってほしかったなー…
あとは、ほのかのブラットフィッシュとか、いいんだけどもうホントやりようなくない?とか、だいやのところも役が新設されていたけどうーん…だし、まひろんとはなこも賑やかしにしか見えないし、しーちゃんや峰果くんが仕事していたけどあとはうーん、だし…なんかやはり役とドラマが本公演にしては足りなくてスカスカしてないか?という気がしてしまいました。
オケは薄い気がしたけど(楽譜もいにしえのもので古いのでしょうか…)、美術はとても素敵でした(装置/二村周作)。銀橋や花道、盆やセリをほぼ使わない古式ゆかしい演出にしたのはあえてだと思いますが、やはりダイナミズムに欠け、アナクロ感が増して見えたと思います。まあこれが最後の本公演、ということならアリなのかな…やはり全ツ向きじゃないかなあ、どんなハコでも出来るし地方の初見のお客様には優しい演目な気がします。
次回観劇で大号泣大絶賛に転じていたらすみません…まあまあチョロい自覚はあります。リピーターがどう見るか問題、は宝塚歌劇ではまた別にありますよねえ…
ショルダータイトルが「タカラヅカ・スペクタキュラー」な『ENCHANTEMENT』は作・演出/野口幸作、サブタイトルが「華麗なる香水」という香水モチーフのレビューです。私はショーの見方が未だよく分からないし野口先生の特徴もつかみきれていない自覚がありますが、うーんまだ『おしゃ帝』の方が楽しかったかなあ…ただ、今回はお友達のお取り次ぎのおかげで4列目ほぼセンターというOGトップスターが座るようなSS席で観たので、近すぎて目移りしてまだなんかいろいろ把握できていない、というのはあるかもしれません。ただなんか、さっきもこんな場面なかったか?という既視感あふれるショーだった気がしたのでした…
あと、野口先生は自分が作りたいスペクタキュラー感の方に関心が強くて生徒個人にあまり興味がないのか、スター起用がどの場面も上から順に全部おんなじって感じで、愛がないなーとは感じましたね。宝塚歌劇のショーもまた生徒を素敵に見せるのが命題だと思うので、もっと個々の個性や得手不得手や売り出し方を考えてやってくれよ、という気がしました。男役は全部れいちゃんマイティーひとこほのか、まひろんはなこだいやらいと。娘役はお姉さん枠がカガリリと小うららちゃん、あとはこれでご卒業の都姫ちゃんにあわちゃんと星空ちゃん、そんだけ。詩希すみれとか琴美くららとか愛蘭みことか美里玲菜とか初音夢とか湖春ひめ花とかを、もっとポイントで目立つように使っていけよ、なんのために別箱で起用してるの?ってなるじゃん。あとみくりんをバリバリ踊らせてくれ。イヤしーちゃんや朝葉ちゃんや、あおいちゃん糸ちゃん、愛乃くん咲乃ちゃんとかの歌手起用はあるけど、ソレみんな知ってるヤツ…ってなるじゃん。
あとエトワールって星空ちゃんでいいの? 彼女はもちろん実績十分ではありますが、私が苦手にしているというのを抜きにしても、まだ2番手娘役格には見えないんだけれど…てか彼女センター場面の脇はもっと下級生娘役を並べてくれ、まだいくらも逆転するぞって娘役を置くんじゃない!
てかそれでいうならエイトシャルマン(今回はエイトシャルマン「ト」)やロケットSを男役がダルマでやることはよくあるけれど、ベル・エポックの女AAみたいなドレス役ならわざわざほのかを起用しなくてもいいんじゃないですかねえぇ? 娘役の仕事がなくなっちゃうじゃん。こーいうところこそ星空ちゃんにやらせるべきなんじゃないの? あとほのかはそりゃ美女だけど娘役芸を4番手スターに求めても仕方ないわけで、娘役が娘役芸を披露するからこそ組む男役の男ぶりも上がる、という相乗効果がここのマイティーに対して起こせていないので、誰得場面やねん、って気がしたんですけど…百歩譲るなら場面最上級生男役の女装、のみでは…? それなら下級生男役相手にも娘役相手にもなんらかのインパクトが出せて、場面として成立するのでは…
ニューヨークはれいまどにまさかのひとこらいとシンメという、ホント目が足りなくてタイヘンでしたが、さすが三井先生振付場面でお洒落でしたね。でもモンローふうまどかマリリン(役名は「NYCドールS」)の強風パンチラは嫌がる観客も多かったことは言い添えておきましょう。元ネタの意味とかはもはや通じないだろうし、私は脚もお尻も見えてウホホイとか一瞬喜びましたがやはりちょっとざらりとしました。この世からセクハラとかラッキースケベ概念が撲滅されるまで、こういうものの扱いはデリケートでありすぎるということはないのです。今信用落としてるんだからさー劇団、コツコツつぶして信頼を回復していくしかないんですよ??
中詰めのオリエンタルは新調のお衣装も素敵で、まあよかったかな。ムスクの男役祭り場面も花男の真骨頂でしょうから、さらにガンガンやっちゃってください。その次の、あーちゃんの青いドレスを着たまどかエンジェルは素敵だったけど、これが近未来場面とはプログラムを読むまでわからなかったよ…てか今回のまどかは髪型にあまりバリエーションがないというか定番のタイプばかりで、あまり遊びや冒険がなくてちょっと残念でした。マリリンを別にすれば似たイメージの衣装、役まわりをさせられているから、かなあ…?
アイドル場面は今さらひとこがセンターでいいのか激しく問いたい、こんなとここそもうだいやらいとシンメでいいのでは?ですが、コレ雪組かどこかで使ったお衣装でしたっけ? まあトンチキ感が愛しかったのでいいです(笑)。
あとはデュエダンのまどかのドレスにスリットが入っているのがとてもよくて、まどかがまた上手く割らずに脚を隠すところと、しっかり出して見せるところとを使い分けていてとても良きでした。パレードのドレスもめっちゃ可愛かった! コレはありがとうです野口先生!! あともちろん歌なしだけどカガリリをセンターで降ろしてくれてありがとう野口先生! こういうのホント大事です!! 単に組プロデューサーの指示かもしらんけどな!
マイティーの専科異動については、マイ楽後の記事で改めて言及させていただきます。
というわけで、波乱の幕開きとなりました2023年ですが、宙バウも星東京も無事に再開しますように、宙組国際フォーラム公演も無事開幕し完走できますよう、祈りまくりたいと思います。
なんせ年末の文春砲でホント信用落としてるんですから、劇団には信用回復と改善、改革に努めてもらいたいと真に願っています。あの「週刊文春」の記事は、もちろんあれがすべて真実なのか、真実の一部なのかは我々には全然わからないわけですが、残念ながら根も葉もない完全な捏造とは思えず、「ああ、そういうこともあるかもね」と多くのファンが思っちゃうくらいには、信用度が落ちまくってきたわけじゃないですかホントこれまで。ホントいろいろイロイロあったわけでさ、今まで。
演劇界にもやっとじわじわとMe Too運動の波がやってきて、じわじわと闇が暴かれつつありますが、要するにホモソーシャル文化で経営、運営されているところはみんな、宝塚歌劇団だって阪急電鉄だって基本的にみーんなおんなじで、まして劇団はスミレのヴェールで隠されているだけにもっともっと信用できない、というところがあるんだと思うんですよ実際。ワンマンな演出家が脚本にごくあたりまえの校閲すら入れさせず、単純な事実誤認から日本語としておかしい台詞から差別意識丸出しだったり現代の最新のコンプライアンス意識からしたらとんでもない言葉を平気で書いてそのまま上演させてしまう、恐ろしいまでの無軌道ぶり。「先生」と呼ばれて、「生徒」と呼ばれる劇団員を教え導く立場なのかもしれないけれど、あまりにも相手を尊重することなく上から一方的に頭ごなしに怒鳴りつけ叱りつけ暴言を吐き圧力をかけ、いじり嘲笑いいじめるパワハラ、セクハラが、ないわけない土壌、環境。絶対にあるはずです、それは断言してもいい。SOGIにかかわらず助手に訴えられた演出家が過去にもいたことは事実ですし、それはものすごく昔のことではない。そこからものすごく改善されたという空気も感じられない。だってなんの発表もないから。今回の劇団のリリースもひどいものでした。
今回は、これもまたバイアスがかかった言いようで申し訳ありませんが、しかし相手がいわゆる今どきの、すぐ休んで愚痴って訴えると騒ぎ立てるタイプの若者だったとも漏れ聞きます。もしかしたらもらい事故に近いものだったのかもしれません。少なくとも週刊誌の記事の書きようには明らかに悪意がありました。しかし彼らは報道の名に値しない、売らんかなの商売をしているしょーもないゴシップメディアであって、なんらかの正義や幸福のために記事を書いているのではないのですからこれは仕方ない。そして何度でも言いますが、真実は外様ファンにはわからないのです。
だから劇団の示す姿勢が、そして上演される舞台がすべてです。火のない所に煙は立たない。「ああ、そういうこともあるかもね」と思われちゃうのは、今までの舞台に、運営の姿勢にそういう点が多々見受けられたからです。女性キャラクター、どころかヒロインにすら魅力もそもそも台詞の数も出番も圧倒的に少ない作品を、我々はたくさんたくさん観せられてきました。推して知るべし、と思われて当然でしょう。それでもここから百十周年、百五十周年と続けていこうと思っているなら、劇団はこれを払拭していかなければなりません。
まずはすべての劇団員とスタッフ、関係者に、まっとうな基本的人権を保障してください。関わるすべての人間が、心身ともに脅かされることなく、侵されることなく、自由に安全に健康に幸福に働ける職場を作る義務が、企業にはあります。試練を与えないといいものは生まれない、なんてことは絶対に、絶対に、ない。そんな作り方は下の下です、才能がない者の戯れ言です。そうでなくても神が人に与える試練というものがこの世にはある、それで十分です。関わるすべての人が自由で健康で安全で幸福でないと、誰かを幸せにするものなど作れないのです。人を害して作られる物は必ずまた誰か別の人を害します。ココ、試験に出ますマジで。今回の事件を、誠心誠意、調査し、反省し、改善していってくださいマジで。でないと離れていったファンは取り戻せませんマジで。みんながみんな気が長く愛情深いファンばかりじゃないんです、みんな忙しいし疲れているしお金がないんです。イライラしたりヒヤヒヤしたりしながらエンタメを楽しむなんてごめんなのです。
でも、エンタメにしか出来ないことが確実にあるんです。そこに誇りを持ち、しかし驕らず、がんばっていっていただきたいです。私はしつこく見守り、そしてうだうだ語り続けるつもりです。
本年もみなさまどうぞよろしくお願い申し上げます。
ま、気を取り直して、そんなわけでまずは令和の『うたかたの恋』です。初演から40年、30年ぶりの大劇場公演、潤色・演出はなーこたんという布陣です。
私は雪組初演はおそらく映像でも見たことがなく、星組再演時はちょうど宝塚ファンになりたてで、定期購読を始めた「歌劇」か何かでシメさんの休演とマリコさんでの代役上演、という事態を知ったんだと思います。その後もシメさん版は生では観られておらず、月全ツのマミダン版を観た気でいたのですがプログラムが出てこないのでどうも映像での記憶だったらしく、タカハナの宙全ツ版は私が一番宝塚観劇から離れていた時期で、オサアヤネの花全ツ版はオサが苦手だったのでスルーした記憶があり、なので生で観ているのは最近の宙全ツ版と星中日版のみです。個人的には、シチュエーションとしては好みなんだけど役がないし盛り上がりに欠ける話なのでは?と思っていて、演目発表時にあまりワーイ!とはならなかった記憶です。そう言えばかつてウィーンで観たバレエ『マイヤーリンク』はとてもおもしろかった記憶…今ロイヤル版か何かが映画館でやっているんでしたっけ?
ともあれ、大劇場で赤い大階段でプロローグ、ってのをとにかくやりたい、というのはわかるけどさてどうかなあ…と思いつつも、まずはフラットに観てみよう、と出かけたのでした。
ミラーボールが回ってあの前奏、幕が上がって赤い大階段に軍服姿も凜々しいれいちゃんルドルフと白いドレスがまぶしいまどかにゃんマリーの板付き、そりゃアガるよね…! とは思いましたが、聞いてはいたけどなんでルドルフのズボンはブーツインじゃないの? 最後まで観たらラストシーンはブーツインじゃん、まあここはマリーが花嫁衣装だし幻想場面ではあるんだけれど、要するにプロローグのリプライズをラストにやることに意味があるんだろうからお揃いにするべきで、何より初演も再演も、ここまでずっとかは知らないけれどとにかくこのプロローグといえばルドルフは、スターブーツかはともかくとにもかくにもロングブーツ姿だったのでは? スラックス(というのだろうか…?)がカッコいいとか悪いとかではなくて、初演どおりに大劇場で上演することに意義を置いている企画なんだろうから、何故変えた?というのがとにかく疑問でした。イヤ実際には細かいながらも脚本・演出ともかなり変わっているし新場面もあったりするし、改変ありきの企画だったことはわかるのですが、しかし変えるべきなのはこういうところではなくないかい?と聞きたいわけです。なのでアガって即しょぼんという、なかなか心の忙しいプロローグとなりました。
その後も、やはり芝居がスローだし、華やかな場面もあるんだけれどやはり少人数が舞台の真ん中でだけ芝居している場面が多く、空間が余っていて空気も埋められていない印象で、場面転換も幕を閉めての暗転とブリッジ音楽といったものが多くてやはりちょっと古いんでないかい…?と、感じてしまいました。れいちゃんが次々着る軍服はどれも素敵で、まどかのドレスもどれも素敵で、それは眼福だったんですけれど…でもマリーといえば髪は上げて細く短めの縦ロールを何本か垂らすあの髪型だと思うのですが、あれがなくてほぼずっと似たようなダウンスタイルだったのは何故でしょう、これもしょぼぼん…
男役1、2、3が従兄弟同士の王子さまに配されていて、それぞれ性格も立場も政治的な思想もちょっとずつ違う、というのはおもしろい効果があったと思いました。だからこそ、今回はもっと政治的な部分を描き込んでもよかったのではないかしらん?とは、私はちょっと思いました。現代演劇において、軍服を素敵に見せてしまっていいのか問題というものがあると私は考えているんですけれど、そのひとつの回答にもなるのかなー、とね。
宝塚歌劇はスターを素敵に見せることを至上命題のひとつとしているものだと定義していい、とは私は考えているので、主役が軍人なら軍服姿はそら素敵に描くだろ、ってのはあるんですが、これはそんな主人公が結局どーにもならなくなって年若い女と心中する話なんだから、そこに、そもそもこういう世襲の君主とか、政治の長が軍隊の長も兼ねるようなことはもう無理なんですよ、それはもう歴史が証明しているしそこが改善されて今の平和な世になっているはずなのに今また一部のバカが新たな戦前とか言い出してホントどーしましょうかねえ…みたいな現代の視点を入れていくことが、もっとできるし望まれているんじゃないのかな、と思うのです。いやエンタメに、まして宝塚歌劇にそんなものは求めていない、劇場にいる間くらい浮き世の憂さを忘れて愛と夢とロマンに浸りたい、という層がいることも、なんならそれが大多数かもしれないこともわかっています。でも私は、架空の創作、単なる夢物語であろうと、それが語られる時代とまったく無縁ということはありえないと思います。百歩譲って真に平和な時代ならなんでもアリかもしれないけれど、今はそうじゃないし、そんな時代に展開される物語には現在と理想の未来を反映する何かがもっとあってしかるべきではないかしらん。そういう視線がもっと入れられたのではないかしらん、と私はちょっと歯痒く感じたのでした。まさしく同じ時代を扱う『エリザベート』も、特に宝塚版においては政治パートがかなり割愛されている、というのもありますが、やはりその姿勢ってぼちぼち問題なのでは…とかも思うわけです。
ちょっと前の自分を考えるに、人ってすぐノンポリぶって現実から目を背け、無関心を装おうとしがちですが、そんなのいい大人がしていい態度じゃないし、今はそれでいい方に進む世の中ではないのがもうわかりきっているので、物語の中でももっと旗を振るべきだと思うんですよね。それでこの主人公たちは戦い抗い敗れ死んでいったけれど、今に生きる私たちにはまだまだできることがあるはずでしょう、と後押しする、そういう力が舞台には、物語には、エンタメにはあるはずです。私はそう信じているし、期待してもいるのでした。
だからたとえばこの三従兄弟にも、どういう血縁の従兄弟なのか私がよくわかっていないというのもありますが、もっと説明してほしいし違いがわかるような具体的なエピソードをもっと入れられなかったのかな?とかつい期待してしまうわけです。マイティーのジャン・サルヴァドルよりひとこフェルディナンドの方が位が高いのか血が直系に近いのか、皇位継承権が上なのはわかった、それでルドルフを皇太子の座から追い落とそうとする一派に利用されそうになるくだりが以前からちゃんとあるのもわかっています。こういうひとこの繊細な演技もいいですよね、そして星全ツでのやたらあわあわしていたかりんさんも愛しかったなーとか思い出しました。しかしジャンはなんなの、星空ちゃんミリーとはさすがに結婚しているわけではないんだろうけど、平民の恋人が公然と持てて、でも皇族で軍人で、でも軍隊内の反皇帝派?みたいなグループをまとめようとしているみたいで(このあたりが私にはよくわかりませんでしたが…なんかもっとしっかり説明されていました?)、そんなのルドルフがキレるまでもなくマジ反乱で反逆で不敬罪で即逮捕獄門処刑じゃないの?とよくわからない…今、イギリス王室から次男のフィリップ王子が抜けて自伝書いて炎上しかかったりしているみたいですけど、あんな感じ? てか抜けるならきっちり全部抜けろよ、そんで一平民としてちゃんと働いて暮らしていけよ、ってルドルフじゃなくてもアイツだけずりぃよなって言いたくなると思うんですけど、ホントどういうことなんでしょうかね?
「歌劇」の「ワールドワイドオブタカラヅカ」(私はこのコーナーが毎号大好きです。ホント勉強になる、ずっと連載していてほしい。人気なさそうだけど…)でもルドルフの政治思想については触れられていましたが、そのあたりがもっと盛り込めるとよかったんじゃないのかな?とかホント思うわけです。父であり皇帝であるフランツ・ヨーゼフとの対立も、彼自身は好きな相手と結婚しておいて息子には政略結婚を強要したわけで、そういう対比の台詞もおそらく今回増えていましたけど、ああいうエピソードをもっともっと盛り込んでよかったと思うのです。今、れいちゃんはかなりていねいに演技しているけれど、それでもなんにもしないでただグレている困った男に見えかねない気がするのですよ…マリーを遠ざけられて呑んで暴れるくだりとかが、妙に色っぽいこともあって印象的なだけに、ね。そりゃ実際には、皇太子という立場に縛られて何も出来ないのがあたりまえなのだ、そのことこそが苦しいのだってのもわかるけど、それはもっとそう描いてくれないと、やはり単に何もしていない主人公に見えちゃうんじゃないかなあ…わからない、私も次は補完してルドルフにシンクロして観て号泣しているかもしれないんですけれどね。
さて一方のマリーですが、私が大好きなまどかですが『巡礼』以降ちょっとメイクが濃いというかテカテカしている印象で、マリー・ダグーはそれでよかったけどマリー・ヴェッツェラはもうちょっと薄く清楚な化粧でもいいかもね…?とは思いました。演技としてはそつなく、若いおぼこい役作りが出来ているだけにね。ただ、「歌劇」の座談会でなーこたんが言ってたんだったかな? マリーがルドルフに会うのはファンが推しに会うみたいなもので…みたいな解釈はなるほどねと思いましたし、それでいくと今回のマリーはもっと、従来のただ若く天真爛漫で逆に言うと浅はかな女が巻き込まれて殺された、みたいには見せずに、最初はまあまあギャルくて、やがて本当の恋を知りむしろ母性愛まで醸し出してしてルドルフを包み込んでともに死んでいく…みたいな描き方に振ってみてもよかったのかもしれません。まあちょっと『巡礼』のふたりの在り方に似ちゃうかもしれないし、女にやたら母性を求められるのもケッてなもんなんですけど、史実の、いい歳した髭ヅラの中年男がうら若き17歳の愛人巻き込んで自殺したってのを物語としてどう見せるんだ問題の、これまたひとつの回答になるのではないかとも思うのです。
指環の刻印も史実がどうかは知りませんが、初エッチの日付を入れるとかホントどーかと思っていたのでこの改変はよかったかと思います。「お話の最後はめでたしめでたしで終わりさえすれば…」みたいな台詞は、以前からも私はどう解釈すればいいのかよくわからないでいたので、なくなってよかったかと。「私たちに将来があるのでしょうか…」のくだりは残っていてよかったなと思いました。
姉のハンナはみくりん。棒だったエビちゃんの台詞を懐かしく思い出しました…(笑)ママは凛乃しづか、さすがそつがなかったと感じました。しかしここには長男がいたんですね!? 史実なの? らいとのジョルジュ、今回初めて作られたお役のようでした。まあ何をしているということはなくて(笑)、『冬霞』の末っ子が長男坊になってなおのほほんとしている感じなんですけど、裕福で不自由していなくて最低限の男爵位を金で買ったお金持ちの嫌味ないおおらかさが出ていて、とてもよかったと思いました。金で爵位を買って貴族社会に乗り出した成り上がりでも、精神的に卑しいとか拗ねてるってタイプではないのがいいんだと思うんですよ、この一家。だからマリーもああも健やかなんだろうしね。ああ、お手紙ソング可愛かったなー!
しかし今はどの組もそうですが上級生娘役陣が足りていない印象で、芝居となるとけっこう手が回っていないなと感じさせられました。私がけっこうあちゃーとなったのはツェヴェッカ伯爵夫人で、鈴美梛ちゃんは『殉情』の女中は悪くなかったけどやはりここまでほとんど場が与えられてこなかった人だと思うので、ちょっと芝居が足りていない印象でした。ラリッシュ伯爵夫人の朝葉ちゃんはさすがちゃんとしていて、というかなので私はこの人はこの方向性の人でヒロインなんかやるタイプじゃないと思っているんですけれど、これは安心できました。マリンカとかミッツィに歌える娘役を配したくなるのはわかるんですけれど、もうちょっと考えてもよかったかも…というかカタリーナ・シュラットの糸ちゃんも咲乃ちゃんも詩希ちゃんもなんか音響があまり良くなくて、歌があまり上手く聞こえなかった気がして残念でした。あおいちゃんがマリー乳母のジェシカ、小うららちゃんがステファニーやっちゃうともう人がホントいないのはわかるんですけれど、マリー・ヴァレリーやソフィー・ホテックはどうせニコニコしてるだけの役なんだからもっと下級生に任せて、都姫ちゃんやあわちゃんにもっと仕事させてもよかったのでは?とかも思いましたねー…
我らが愛蘭みこたんはステファニーの侍女エヴァ。舞踏会では常に女主人の機嫌を見ていて、でもルドルフの動向は追いきれなくてちょっと仕事できなさそうな感じがなんともよかったですが、まあこれ以上しどころがないよねー…
なのでこれでご卒業のカガリリのエリザベートがもう圧倒的に素晴らしくて、これは驚かされました。こんな声が出せるのか、こんな演技が出来るのかと唸らされましたよねー…ホント娘役も十年です、ショーももっと使ってほしかったなー…
あとは、ほのかのブラットフィッシュとか、いいんだけどもうホントやりようなくない?とか、だいやのところも役が新設されていたけどうーん…だし、まひろんとはなこも賑やかしにしか見えないし、しーちゃんや峰果くんが仕事していたけどあとはうーん、だし…なんかやはり役とドラマが本公演にしては足りなくてスカスカしてないか?という気がしてしまいました。
オケは薄い気がしたけど(楽譜もいにしえのもので古いのでしょうか…)、美術はとても素敵でした(装置/二村周作)。銀橋や花道、盆やセリをほぼ使わない古式ゆかしい演出にしたのはあえてだと思いますが、やはりダイナミズムに欠け、アナクロ感が増して見えたと思います。まあこれが最後の本公演、ということならアリなのかな…やはり全ツ向きじゃないかなあ、どんなハコでも出来るし地方の初見のお客様には優しい演目な気がします。
次回観劇で大号泣大絶賛に転じていたらすみません…まあまあチョロい自覚はあります。リピーターがどう見るか問題、は宝塚歌劇ではまた別にありますよねえ…
ショルダータイトルが「タカラヅカ・スペクタキュラー」な『ENCHANTEMENT』は作・演出/野口幸作、サブタイトルが「華麗なる香水」という香水モチーフのレビューです。私はショーの見方が未だよく分からないし野口先生の特徴もつかみきれていない自覚がありますが、うーんまだ『おしゃ帝』の方が楽しかったかなあ…ただ、今回はお友達のお取り次ぎのおかげで4列目ほぼセンターというOGトップスターが座るようなSS席で観たので、近すぎて目移りしてまだなんかいろいろ把握できていない、というのはあるかもしれません。ただなんか、さっきもこんな場面なかったか?という既視感あふれるショーだった気がしたのでした…
あと、野口先生は自分が作りたいスペクタキュラー感の方に関心が強くて生徒個人にあまり興味がないのか、スター起用がどの場面も上から順に全部おんなじって感じで、愛がないなーとは感じましたね。宝塚歌劇のショーもまた生徒を素敵に見せるのが命題だと思うので、もっと個々の個性や得手不得手や売り出し方を考えてやってくれよ、という気がしました。男役は全部れいちゃんマイティーひとこほのか、まひろんはなこだいやらいと。娘役はお姉さん枠がカガリリと小うららちゃん、あとはこれでご卒業の都姫ちゃんにあわちゃんと星空ちゃん、そんだけ。詩希すみれとか琴美くららとか愛蘭みことか美里玲菜とか初音夢とか湖春ひめ花とかを、もっとポイントで目立つように使っていけよ、なんのために別箱で起用してるの?ってなるじゃん。あとみくりんをバリバリ踊らせてくれ。イヤしーちゃんや朝葉ちゃんや、あおいちゃん糸ちゃん、愛乃くん咲乃ちゃんとかの歌手起用はあるけど、ソレみんな知ってるヤツ…ってなるじゃん。
あとエトワールって星空ちゃんでいいの? 彼女はもちろん実績十分ではありますが、私が苦手にしているというのを抜きにしても、まだ2番手娘役格には見えないんだけれど…てか彼女センター場面の脇はもっと下級生娘役を並べてくれ、まだいくらも逆転するぞって娘役を置くんじゃない!
てかそれでいうならエイトシャルマン(今回はエイトシャルマン「ト」)やロケットSを男役がダルマでやることはよくあるけれど、ベル・エポックの女AAみたいなドレス役ならわざわざほのかを起用しなくてもいいんじゃないですかねえぇ? 娘役の仕事がなくなっちゃうじゃん。こーいうところこそ星空ちゃんにやらせるべきなんじゃないの? あとほのかはそりゃ美女だけど娘役芸を4番手スターに求めても仕方ないわけで、娘役が娘役芸を披露するからこそ組む男役の男ぶりも上がる、という相乗効果がここのマイティーに対して起こせていないので、誰得場面やねん、って気がしたんですけど…百歩譲るなら場面最上級生男役の女装、のみでは…? それなら下級生男役相手にも娘役相手にもなんらかのインパクトが出せて、場面として成立するのでは…
ニューヨークはれいまどにまさかのひとこらいとシンメという、ホント目が足りなくてタイヘンでしたが、さすが三井先生振付場面でお洒落でしたね。でもモンローふうまどかマリリン(役名は「NYCドールS」)の強風パンチラは嫌がる観客も多かったことは言い添えておきましょう。元ネタの意味とかはもはや通じないだろうし、私は脚もお尻も見えてウホホイとか一瞬喜びましたがやはりちょっとざらりとしました。この世からセクハラとかラッキースケベ概念が撲滅されるまで、こういうものの扱いはデリケートでありすぎるということはないのです。今信用落としてるんだからさー劇団、コツコツつぶして信頼を回復していくしかないんですよ??
中詰めのオリエンタルは新調のお衣装も素敵で、まあよかったかな。ムスクの男役祭り場面も花男の真骨頂でしょうから、さらにガンガンやっちゃってください。その次の、あーちゃんの青いドレスを着たまどかエンジェルは素敵だったけど、これが近未来場面とはプログラムを読むまでわからなかったよ…てか今回のまどかは髪型にあまりバリエーションがないというか定番のタイプばかりで、あまり遊びや冒険がなくてちょっと残念でした。マリリンを別にすれば似たイメージの衣装、役まわりをさせられているから、かなあ…?
アイドル場面は今さらひとこがセンターでいいのか激しく問いたい、こんなとここそもうだいやらいとシンメでいいのでは?ですが、コレ雪組かどこかで使ったお衣装でしたっけ? まあトンチキ感が愛しかったのでいいです(笑)。
あとはデュエダンのまどかのドレスにスリットが入っているのがとてもよくて、まどかがまた上手く割らずに脚を隠すところと、しっかり出して見せるところとを使い分けていてとても良きでした。パレードのドレスもめっちゃ可愛かった! コレはありがとうです野口先生!! あともちろん歌なしだけどカガリリをセンターで降ろしてくれてありがとう野口先生! こういうのホント大事です!! 単に組プロデューサーの指示かもしらんけどな!
マイティーの専科異動については、マイ楽後の記事で改めて言及させていただきます。
というわけで、波乱の幕開きとなりました2023年ですが、宙バウも星東京も無事に再開しますように、宙組国際フォーラム公演も無事開幕し完走できますよう、祈りまくりたいと思います。
なんせ年末の文春砲でホント信用落としてるんですから、劇団には信用回復と改善、改革に努めてもらいたいと真に願っています。あの「週刊文春」の記事は、もちろんあれがすべて真実なのか、真実の一部なのかは我々には全然わからないわけですが、残念ながら根も葉もない完全な捏造とは思えず、「ああ、そういうこともあるかもね」と多くのファンが思っちゃうくらいには、信用度が落ちまくってきたわけじゃないですかホントこれまで。ホントいろいろイロイロあったわけでさ、今まで。
演劇界にもやっとじわじわとMe Too運動の波がやってきて、じわじわと闇が暴かれつつありますが、要するにホモソーシャル文化で経営、運営されているところはみんな、宝塚歌劇団だって阪急電鉄だって基本的にみーんなおんなじで、まして劇団はスミレのヴェールで隠されているだけにもっともっと信用できない、というところがあるんだと思うんですよ実際。ワンマンな演出家が脚本にごくあたりまえの校閲すら入れさせず、単純な事実誤認から日本語としておかしい台詞から差別意識丸出しだったり現代の最新のコンプライアンス意識からしたらとんでもない言葉を平気で書いてそのまま上演させてしまう、恐ろしいまでの無軌道ぶり。「先生」と呼ばれて、「生徒」と呼ばれる劇団員を教え導く立場なのかもしれないけれど、あまりにも相手を尊重することなく上から一方的に頭ごなしに怒鳴りつけ叱りつけ暴言を吐き圧力をかけ、いじり嘲笑いいじめるパワハラ、セクハラが、ないわけない土壌、環境。絶対にあるはずです、それは断言してもいい。SOGIにかかわらず助手に訴えられた演出家が過去にもいたことは事実ですし、それはものすごく昔のことではない。そこからものすごく改善されたという空気も感じられない。だってなんの発表もないから。今回の劇団のリリースもひどいものでした。
今回は、これもまたバイアスがかかった言いようで申し訳ありませんが、しかし相手がいわゆる今どきの、すぐ休んで愚痴って訴えると騒ぎ立てるタイプの若者だったとも漏れ聞きます。もしかしたらもらい事故に近いものだったのかもしれません。少なくとも週刊誌の記事の書きようには明らかに悪意がありました。しかし彼らは報道の名に値しない、売らんかなの商売をしているしょーもないゴシップメディアであって、なんらかの正義や幸福のために記事を書いているのではないのですからこれは仕方ない。そして何度でも言いますが、真実は外様ファンにはわからないのです。
だから劇団の示す姿勢が、そして上演される舞台がすべてです。火のない所に煙は立たない。「ああ、そういうこともあるかもね」と思われちゃうのは、今までの舞台に、運営の姿勢にそういう点が多々見受けられたからです。女性キャラクター、どころかヒロインにすら魅力もそもそも台詞の数も出番も圧倒的に少ない作品を、我々はたくさんたくさん観せられてきました。推して知るべし、と思われて当然でしょう。それでもここから百十周年、百五十周年と続けていこうと思っているなら、劇団はこれを払拭していかなければなりません。
まずはすべての劇団員とスタッフ、関係者に、まっとうな基本的人権を保障してください。関わるすべての人間が、心身ともに脅かされることなく、侵されることなく、自由に安全に健康に幸福に働ける職場を作る義務が、企業にはあります。試練を与えないといいものは生まれない、なんてことは絶対に、絶対に、ない。そんな作り方は下の下です、才能がない者の戯れ言です。そうでなくても神が人に与える試練というものがこの世にはある、それで十分です。関わるすべての人が自由で健康で安全で幸福でないと、誰かを幸せにするものなど作れないのです。人を害して作られる物は必ずまた誰か別の人を害します。ココ、試験に出ますマジで。今回の事件を、誠心誠意、調査し、反省し、改善していってくださいマジで。でないと離れていったファンは取り戻せませんマジで。みんながみんな気が長く愛情深いファンばかりじゃないんです、みんな忙しいし疲れているしお金がないんです。イライラしたりヒヤヒヤしたりしながらエンタメを楽しむなんてごめんなのです。
でも、エンタメにしか出来ないことが確実にあるんです。そこに誇りを持ち、しかし驕らず、がんばっていっていただきたいです。私はしつこく見守り、そしてうだうだ語り続けるつもりです。
本年もみなさまどうぞよろしくお願い申し上げます。
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