駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『ウィー・トーマス』

2010年01月19日 | 観劇記/タイトルあ行
 パルコ劇場、2006年7月6日ソワレ。

 1993年、北アイルランド問題がひとつの解決に向かって大きく揺れていたころ。アイルランド・イシュモア島で、中年男ダニー(木村祐一)と隣人の少年デイヴィー(少路勇介)は頭が半分吹き飛んでしまった黒猫を前に大騒ぎしていた。この無惨に死んだ黒猫ウィー・トーマスはダニーの息子パドレイク(高岡蒼甫)が唯一無二の親友として可愛がっていた猫だった。パドレイクはIRAから分派した過激派反政府グルーブINLAの少尉であり、乱暴な男だ。愛猫のこんな死を知れば何をしでかすかわかったものではない…作/マーティン・マクドナー、訳/目黒条、演出/長塚圭史。2003年に長塚初の翻訳劇として演出された舞台の再演版。1幕。

 戯曲として、非常におもしろいと思いました。役者も全員すばらしかった。初舞台でヒロインを演じた岡本綾もそ遜色ありませんでした。よく芝居を理解し、マレードになっていました。
 でも好きか、よかったかと言われると、どうだろう…と言いよどんでしまいます。
 クリスティに扮した堀部圭亮が「こういうハッピーエンドもあるなあ」「この物語の終わり方は、非常に幸せだと思う」とパンフレットで語っているのですが、ほんまかいな、と思います。
 逆説的に、とかブラックな意味で、というのならわかるのですが。

 だってこれは終わらない地獄を描いた物語で、自分が地獄にいることをわかっていない人の地獄のような日常を描いたお話だと思うからです。ダニーもデイヴィーもすでにどこかおかしい。その悲劇を笑うような、そのままぽんと提示するような、そういうお話なんじゃないのかな?
 だから、まあテロとかミサイルとかかなりきな臭くなってはいますが、それでも今の太平楽な世に生きる日本人の我々には、この戯曲を受け止めるだけの度量がないのではないかと私は思いました。そしてそのことに感謝したいとも思いました。この戯曲の真の意味が痛感できない方が幸せだと思うのです。
 それにしても猫の名演には驚きましたよ…犬や馬ならいざ知らず、猫にあんな調教ができるものだとは知りませんでした。キャストに名前を挙げてあげてもよかったのではなかろうか…
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« その後の『カサブランカ』SS | トップ | 熱海五郎一座『静かなるドン... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

観劇記/タイトルあ行」カテゴリの最新記事