駒子の備忘録

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Q/今振り返ると「人生のターニングポイントだったなー」という事があれば教えて下さい。

2013年12月21日 | 日記
Q/今振り返ると「人生のターニングポイントだったなー」という事があれば教えて下さい。(ザ・インタビューズより)

A/

 第一志望だった会社の最終面接で落ちたとき、でしょうか。

 これを仮にA社とします。
 そして私が入社し今も働き春にはめでたく勤続丸20年になる会社をB社とします。
 大学四年の夏、私はA,B社含め同業数社の入社試験を受けて回りました。
 まだバブル崩壊直後でイケイケの名残があったころです。
 次の年からまず女子の就職が厳しくなったと聞きました。

 試験会場に入った瞬間から、A社はイメージよりカタく、怖く、
「私はここでは受かってもやっていけないかもしれない…!」
 と思いました。一方B社は、イメージよりもユルく、楽しげで、
「ここでなら受かればやっていけるかもしれない…!」
 と思いました。
 試験の進みはいくらかB社の方が早く、先にB社の内定をいただきました。
 しかしA社の方も最終面接まで残っていたため、正直にそう告げて、待ってもらいました。
 A社の最終面接で、他社受験状況を尋ねられたので、B社の内定をもらっていること、しかしA社が第一志望であることを正直に話しました。
 …で、ここでA社に落ちました。なので、B社のお世話になることにしました。

 B社でも、志望していない部署に配属されたりして、でもそれが実は自分の天職だったと思えるような仕事だったりして、結局以後その分野の中で職場の異動を繰り返していて、今やすっかり専門バカですが残りの会社人生も変わらずその界隈で送りたいと思っています。
 要するに私は自分で自分のことが意外によくわかっていないのだと思います…
 
 なのでA社に落ちてB社に入って、本当によかったなと思っています。
 A社の内定も出ていたら、あれだけ違和感を感じていたにもかかわらずアタマのワルい私はやっぱりA社に行っていた気がします。
 そして全然違う分野への配属になっただろうし、天職に巡り会うこともなく、その後の人生も全然違うものになっていたろうと思うのです。

 何故A社に落ちたのか、そして何故B社に受かったのか、結局のところ理由はわからないわけですが…ま、縁ってそういうものかな、と。
 そんなはかない縁を辿って、充分食べていける仕事、かつ好きで楽しくやれている仕事に巡り会えたことに、ものすごく感謝しています。


(2012.3.12)



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