東京芸術劇場コンサートホール、2023年2月3日18時半(初日)。
第一部はマスカーニの『田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)』。恋人のトゥリッドゥ(アントネッロ・パロンビ/柳本雅寛)を探しに、彼の母親ルチア(森山京子/ケイタケイ)の居酒屋にやってきたサントゥッツァ(テレサ・ロマーノ/三東瑠璃)。トゥリッドゥにはかつてローラ(島木弥生/高原伸子)という恋人がいたが、戦争に行っている間に馬車屋のアルフィオ(三戸大久/宮河愛一郎)と結婚してしまったため、彼女を忘れようとサントゥッツァと婚約したのだ。だがどうしてもローラを忘れられず、再び逢瀬を重ねる関係になり…
第二部はレオンカヴァッロの『道化師』。ある村に旅芸人の一座がやってくる。座長のカニオ(アントネッロ・パロンビ)には歳の離れた妻ネッダ(柴田紗貴子/蘭乃はな)がいる。孤児だったネッダはカニオに拾われて、今や一座の看板女優だった。だが嫉妬深いカニオに常に監視されている。背中にコブがあるために嫌われているトニオ(清水勇磨/小浦一優)がやってきてネッダに愛を告白するが、鞭で追い払われる。入れ違いにネッダの不倫相手であるシルヴィオ(高橋洋介/森川次朗)が登場し、一緒に逃げて欲しいと言うが…
指揮/アッシャー・フィッシュ、演出/上田久美子、振付/前田清実、柳本雅寛(『田舎騎士道』)、麻咲梨乃(『道化師』)、管弦楽/読売日本交響楽団、合唱/オペラ・クワイア(東京公演)、児童合唱/世田谷ジュニア合唱団(東京公演)。舞台機構のないコンサートホールで簡素なセットで見せる、全国共同制作プロジェクトのシアターオペラ第16弾。
私は『カヴァレリア~』は有名な間奏曲しか知らないし、『道化師』もフィギュアスケートに使われるアリアしか知らないな…という程度のミーハー・オペラファンで、ヴェリズモ・オペラの文楽スタイルってナニ?ってなもんでしたが、くーみんのオペラ初演出というのと、行ったことのないハコだったので二階真ん中くらい列どセンター席を抑えて出かけてみました。
二階のプレイハウスと地下のシアター東西しか行ったことのない芸劇でしたが、コンサートホールは五階。そしてとても綺麗で立派なホールで驚きました。オペラシティより大きそう? どうだろう…そしてとてもよく入っていました。まあオペラにしてはそんなに高価ではないチケットだったから、かも…みんながみんなくーみんだから観に来たわけではもちろんなく、何も知らずにいつもどおり観に来たらしきオペラ・ファンの方が幕間に係員に演出について噛みついているのを目撃した、というツイートも見かけました。実際、私が観た回もラインナップにくーみんが出てきたときにブーイングが飛んでいました。もちろん歌手にブラボーの声も飛んでいたのですが、なんにせよ未だ発声禁止だよね確か…まあそんなわけで、いろいろアグレッシブだな別にお上品な娯楽じゃないよなオペラも(最近身に染みて感じていることであれば、歌舞伎も)…などと感じました。演目が、わりと三面記事的な、どうしようもないっちゃないような愛憎メロドラマものだったせいもあるのかもしれません。
プログラムによれば、くーみんが演出を打診されたときにすでに演目は決まっていて、「豪華なスペクタクルを作ることに興味はなかったが」(それはもう某歌劇団でさんざんやって満足したということなのかもしれない)、「オペラを普段見ない人にも見てもらいたい」という企画意図を「素敵だなと」感じ、どんな作品か見てみたところ「歌にのせたシンプルなストーリー展開は、私には耐えがたくゆっくりしていた」そうで、それで「ゆっくりした時間の中に何を入れ込めばすでにオペラが好きな人以外にも届くかと考えて、歌手とダンサーの二人一役で演出していいならという条件で」引き受けたのだそうです。これを指して文楽のよう、と言っているわけですね。
私はミュージカルの来日公演とかが苦手で、それは目で字幕を追っちゃうと舞台のダンスや演技から目が離れるしなんなら耳も歌から離れるからで、なので字幕を見なくともストーリーがアタマに入っていてわかるものしか行きません。でもオペラは歌手の動きや演技はそこまで激しくもないので、ゆったり歌に耳を傾けながら歌詞の字幕も読めて、感じること考えることができて、わりと好きなのでした。
今回も、コンサート形式のオペラのように歌手はそんなに動いたり演じたりしない代わりに、ダンサーがその役の心情みたいなものを踊ってくれたりするのかな、などと考えていました。が、実際にはダンサーたちがやっていたことはずっとお芝居チックで、現代の日本の大阪に舞台を移した芝居を衣装あり、台詞なしで演じまくり、時に歌手に絡んだりもする、濃く忙しい、そしてメタな構造の作品になっていました。歌曲はイタリア語なので、英語と日本語のちゃんとした字幕が出て、他により大きな書体で大阪弁の台詞意訳みたいなものも映写されるという濃さ、過剰さでした。これは下手にいい前方席とかに座ってしまうと、見えないか観づらいかでものすごく疲れたのでは、と案じながら、自分も目をチカチカさせつつ観ました。
クドいけどわかりやすいので、おもしろいっちゃおもしろかったんだけど、でもそれはやはりもとのお話がたとえ通俗的だろうと女性週刊誌的なドロドロ不倫ものだろうと人間や愛を描いているからであって、なのでそんなにいろいろあれこれ乗せなくてもよかったのではないの?という気はしました。
『道化師』はさらに旅芸人一座の話なので、ダンサーパートも大衆芸能の一座とそれを迎える下町の面々みたいになっていて、一座は芝居を始めるのでもう三重の構造になるわけです。まあそれが、クライマックスに歌手たちが暴走してダンサーたちすら驚く、というショックとカタストロフィ、「喜劇は終わった!」という字幕だけ残して暗転で幕、という演出に効いてくるわけですが…まあそのための三時間だったのかもしれませんが、ホント濃いよクドいよ重いよくーみん、とは思ったかな…でもまあおもしろかったんですけどね。
作品のテイストに揃えて、ということなのか、一幕と二幕のダンサー布陣のノリはかなり違っていて、それもおもしろかったです。三井先生と蘭ちゃんが踊る二幕ももちろん楽しかったし、蘭ちゃんのお着物姿はそれこそ文楽のお人形のような美しさでした。
どちらにも路上生活者に扮したダンサーふたりが出ていて、終演後はロビーでおもらいに回っていました。そういうところもくーみん、なのでしょう。まあでも特に『道化師』は機会があれば普通のオペラでも観てみたいな、と思いました。このシリーズは次回が野村萬斎演出の『こうもり』、その次が森山開次演出の『ラ・ボエーム』だそうで、要するに毎回濃そうだな!?という気はしました。いろいろな、おもしろい舞台が世界にはまだまだたくさんあるんだろうなあ…という新鮮な気持ちになりました。
第一部はマスカーニの『田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)』。恋人のトゥリッドゥ(アントネッロ・パロンビ/柳本雅寛)を探しに、彼の母親ルチア(森山京子/ケイタケイ)の居酒屋にやってきたサントゥッツァ(テレサ・ロマーノ/三東瑠璃)。トゥリッドゥにはかつてローラ(島木弥生/高原伸子)という恋人がいたが、戦争に行っている間に馬車屋のアルフィオ(三戸大久/宮河愛一郎)と結婚してしまったため、彼女を忘れようとサントゥッツァと婚約したのだ。だがどうしてもローラを忘れられず、再び逢瀬を重ねる関係になり…
第二部はレオンカヴァッロの『道化師』。ある村に旅芸人の一座がやってくる。座長のカニオ(アントネッロ・パロンビ)には歳の離れた妻ネッダ(柴田紗貴子/蘭乃はな)がいる。孤児だったネッダはカニオに拾われて、今や一座の看板女優だった。だが嫉妬深いカニオに常に監視されている。背中にコブがあるために嫌われているトニオ(清水勇磨/小浦一優)がやってきてネッダに愛を告白するが、鞭で追い払われる。入れ違いにネッダの不倫相手であるシルヴィオ(高橋洋介/森川次朗)が登場し、一緒に逃げて欲しいと言うが…
指揮/アッシャー・フィッシュ、演出/上田久美子、振付/前田清実、柳本雅寛(『田舎騎士道』)、麻咲梨乃(『道化師』)、管弦楽/読売日本交響楽団、合唱/オペラ・クワイア(東京公演)、児童合唱/世田谷ジュニア合唱団(東京公演)。舞台機構のないコンサートホールで簡素なセットで見せる、全国共同制作プロジェクトのシアターオペラ第16弾。
私は『カヴァレリア~』は有名な間奏曲しか知らないし、『道化師』もフィギュアスケートに使われるアリアしか知らないな…という程度のミーハー・オペラファンで、ヴェリズモ・オペラの文楽スタイルってナニ?ってなもんでしたが、くーみんのオペラ初演出というのと、行ったことのないハコだったので二階真ん中くらい列どセンター席を抑えて出かけてみました。
二階のプレイハウスと地下のシアター東西しか行ったことのない芸劇でしたが、コンサートホールは五階。そしてとても綺麗で立派なホールで驚きました。オペラシティより大きそう? どうだろう…そしてとてもよく入っていました。まあオペラにしてはそんなに高価ではないチケットだったから、かも…みんながみんなくーみんだから観に来たわけではもちろんなく、何も知らずにいつもどおり観に来たらしきオペラ・ファンの方が幕間に係員に演出について噛みついているのを目撃した、というツイートも見かけました。実際、私が観た回もラインナップにくーみんが出てきたときにブーイングが飛んでいました。もちろん歌手にブラボーの声も飛んでいたのですが、なんにせよ未だ発声禁止だよね確か…まあそんなわけで、いろいろアグレッシブだな別にお上品な娯楽じゃないよなオペラも(最近身に染みて感じていることであれば、歌舞伎も)…などと感じました。演目が、わりと三面記事的な、どうしようもないっちゃないような愛憎メロドラマものだったせいもあるのかもしれません。
プログラムによれば、くーみんが演出を打診されたときにすでに演目は決まっていて、「豪華なスペクタクルを作ることに興味はなかったが」(それはもう某歌劇団でさんざんやって満足したということなのかもしれない)、「オペラを普段見ない人にも見てもらいたい」という企画意図を「素敵だなと」感じ、どんな作品か見てみたところ「歌にのせたシンプルなストーリー展開は、私には耐えがたくゆっくりしていた」そうで、それで「ゆっくりした時間の中に何を入れ込めばすでにオペラが好きな人以外にも届くかと考えて、歌手とダンサーの二人一役で演出していいならという条件で」引き受けたのだそうです。これを指して文楽のよう、と言っているわけですね。
私はミュージカルの来日公演とかが苦手で、それは目で字幕を追っちゃうと舞台のダンスや演技から目が離れるしなんなら耳も歌から離れるからで、なので字幕を見なくともストーリーがアタマに入っていてわかるものしか行きません。でもオペラは歌手の動きや演技はそこまで激しくもないので、ゆったり歌に耳を傾けながら歌詞の字幕も読めて、感じること考えることができて、わりと好きなのでした。
今回も、コンサート形式のオペラのように歌手はそんなに動いたり演じたりしない代わりに、ダンサーがその役の心情みたいなものを踊ってくれたりするのかな、などと考えていました。が、実際にはダンサーたちがやっていたことはずっとお芝居チックで、現代の日本の大阪に舞台を移した芝居を衣装あり、台詞なしで演じまくり、時に歌手に絡んだりもする、濃く忙しい、そしてメタな構造の作品になっていました。歌曲はイタリア語なので、英語と日本語のちゃんとした字幕が出て、他により大きな書体で大阪弁の台詞意訳みたいなものも映写されるという濃さ、過剰さでした。これは下手にいい前方席とかに座ってしまうと、見えないか観づらいかでものすごく疲れたのでは、と案じながら、自分も目をチカチカさせつつ観ました。
クドいけどわかりやすいので、おもしろいっちゃおもしろかったんだけど、でもそれはやはりもとのお話がたとえ通俗的だろうと女性週刊誌的なドロドロ不倫ものだろうと人間や愛を描いているからであって、なのでそんなにいろいろあれこれ乗せなくてもよかったのではないの?という気はしました。
『道化師』はさらに旅芸人一座の話なので、ダンサーパートも大衆芸能の一座とそれを迎える下町の面々みたいになっていて、一座は芝居を始めるのでもう三重の構造になるわけです。まあそれが、クライマックスに歌手たちが暴走してダンサーたちすら驚く、というショックとカタストロフィ、「喜劇は終わった!」という字幕だけ残して暗転で幕、という演出に効いてくるわけですが…まあそのための三時間だったのかもしれませんが、ホント濃いよクドいよ重いよくーみん、とは思ったかな…でもまあおもしろかったんですけどね。
作品のテイストに揃えて、ということなのか、一幕と二幕のダンサー布陣のノリはかなり違っていて、それもおもしろかったです。三井先生と蘭ちゃんが踊る二幕ももちろん楽しかったし、蘭ちゃんのお着物姿はそれこそ文楽のお人形のような美しさでした。
どちらにも路上生活者に扮したダンサーふたりが出ていて、終演後はロビーでおもらいに回っていました。そういうところもくーみん、なのでしょう。まあでも特に『道化師』は機会があれば普通のオペラでも観てみたいな、と思いました。このシリーズは次回が野村萬斎演出の『こうもり』、その次が森山開次演出の『ラ・ボエーム』だそうで、要するに毎回濃そうだな!?という気はしました。いろいろな、おもしろい舞台が世界にはまだまだたくさんあるんだろうなあ…という新鮮な気持ちになりました。