映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

復讐するは我にあり(1979年)

2020-04-16 | 【ふ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv18777/

 

 榎津巌(緒形拳)は、金欲しさから2人の男を殺し、そのことで指名手配をされたと知ると、逃亡中のフェリーから投身自殺を偽装する。さらに、詐欺を働きながら逃亡を続ける途中で、3人の男女を殺した挙げ句に逮捕され、当然のごとく死刑を宣告される。

 5人を殺害した西口彰事件を題材にした佐木隆三の同名小説の映画化。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


◆緒形拳の主演映画を見たくて、、、

 見ている最中から、もうとにかく、濃くて熱くて、酔っ払いそうだった。緒形拳は言うに及ばず、出ている役者さんは漏れなく印象的で存在感を発揮し、最初から最後まで画面にエネルギーが満ちあふれ、その熱気に当てられて、我を忘れて見入ってしまう。 

 今村昌平監督作は、『赤い橋の下のぬるい水』『うなぎ』の2本しか見ていないが、正直なところ、あんまり好きじゃない。まとわりつく空気感というか、登場人物たちがみんなじっとり汗をかいている(実際汗をかいているという意味じゃなく)ようで、見ていて息苦しくなってくる感じがする。だから、積極的に見ようと思わなかった。

 でも、『おろしや国酔夢譚』『火宅の人』といった緒形拳の映画を最近見て、他の緒形拳出演映画が見たくなった。本作は、TVで見ていると思っていたのだが、ちょっと記憶と違う気がしたのでネットで検索してみたら、NHKのドラマ「破獄」と混同しているっぽい。ドラマでは、何度も脱獄する囚人を緒形拳が演じているが、そのときのオレンジ色の囚人服がかなり記憶に残っていて、今回、本作を見てそんなシーンは全くなかったので、ハレ、、、?と思ったのだった。西口彰事件は何度もドラマ化されているし、そういうのと記憶がごちゃ混ぜになっていたのかも知れませぬ。

 本作は、私が抱いている西口彰事件のイメージとはかなり違っていて、それもそのはず、私の事件に対するイメージは西口彰がどうやって掴まったかに焦点を当てたドラマによって形成されており、本作とはそもそも切り口が全く異なっているのだから。巌が犯した罪を描きながら、巌を取り巻く人々を始めとした背景をねっとりと描いている本作は、事件の再現ドラマよりも遙かに陰惨で恐ろしかった。


◆巌と鎮雄の父子関係

 巌は、本作の中でも5人の男女を殺害しているが、男3人の殺害動機は単純で金欲しさか口封じ(というか存在が邪魔になったから)であり、女2人に関しては恐らく、成り行きだろう。殺された女2人というのが、小川真由美演ずる連れ込み旅館の女将・ハルと、清川虹子演ずる殺人の前科があるひさ乃。ハルを何となく殺したくなって絞め殺した結果、ひさ乃も殺さざるを得なくなったというところではないか。

 殺された方からすれば、こんな理由で命を奪われちゃたまらんのだが、巌は警察に対する供述にもあるとおり「結局、殺す方が面倒じゃない」っていう程度の認識でしかない。

 実際、最初の2人の男性を殺すときの巌の様子は、確かに必死で凄まじいのだが、何というか、、、例えが悪いのは承知だが、部屋に現れたG(夏場に現れる黒光りする虫)を私が殺すときのそれに近いというか、、、。とにかく今ここでこいつを亡きものにしなければダメなんだ!という信念めいたものに突き動かされていて、必死でどうにかGを仕留めた後、ゼイゼイしているのも同じ。

 当然、そこには殺生をしていることの罪悪感など微塵もない。むしろ、仕留めた後は、「あー、やれやれ。これでGが部屋をウロウロしないから枕高くして寝られるゼ!」という達成感すらある。そして、男たちの殺害を果たした後の巌にも、その達成感に似たものを見て取れる気がした。何しろ、殺害するときに手に着いた被害者の血を、自分の小便で洗い落とすのである。あまりにも衝撃的なシーンで、唖然となった。

 巌がこういうことをするに至った背景の一つに、父親・鎮雄(三國連太郎)との確執があるという描かれ方がされているが、どうしてここまで拗れたのかは、正直なところ今一つ分からない。ただ、鎮雄が中盤、巌に言う「お前のようなクズには父親は殺せん。そんなことは端から分かってる」の言葉に2人の関係性は集約されている。つまり、男ならば誰もが通る“精神的な父殺し”が出来ないまま、巌は大人になってしまったってことだ。

 終盤にも、刑務所の面会室で父子の壮絶なやりとりがある。

巌 「あんたはおいを許さんか知れんが、おいもあんたを許さん。どうせ殺すなら、あんたを殺しゃよかったと思うたい」
鎮雄 「ぬしはわしば、殺せんたい。親殺しのでくる男じゃなか」
巌 「それほどの男じゃなかっちゅう訳か」
鎮雄 「恨みもなか人しか、殺せん種類たい(巌の顔面に向けて唾を吐く)」
巌「ちきしょう。殺したか。あんたを!」 

 結局、巌は5人も殺しておきながら、父親を精神的に殺すことさえ出来ない、かなり気弱で小心な男なのだ。このシーンとは別に、中盤でも父子が巌の妻・加津子(倍賞美津子)の前で言い争いになる。このときに、鎮雄に言われたのが「お前のようなクズには父親は殺せん」であり、殺せるものなら殺してみろと、巌は鎮雄から斧を手渡されるのだが、その際の緒形拳演ずる巌は明らかに鎮雄に気圧されており、斧を手にして怯んでいるのが隠せないほど性根が据わっていない。まあ、親にそんな風に出られたら、大抵の子は怯むだろうが、、、。しかし、大抵の子は人を5人も、どころか1人だって殺さない。……ようやく気を取り直して斧を鎮雄に振り上げようとしたものの、それを自分より非力なはずの加津子に制される。このシーンは、象徴的である。

 こういう巌の性質を見抜いていたのが、最後は巌に殺されてしまうひさ乃だ。ひさ乃自身、人を殺したことがあるから、、、だろうが、「本当に殺したい奴、殺してねぇんかね?……意気地なしだに、あんた。そんじゃ、死刑ずら」と、巌に言っている。自身は、殺したいヤツを殺したから悔いはないとまで言っている。恐ろしい会話だが、このシーンは、本作でも印象的なシーンの一つ。

 巌が“精神的な父殺し”を出来なかったのは何故なのか、それは知る由もないが、この父子の関係は、一般的な男親と息子の関係よりも、女親と娘の関係に似ている気がした。娘はどんなに母親を“精神的に”棄てたいと思っても、なかなか棄てられないものなのは、私自身が経験しているからよく分かる。精神科医の斎藤環氏によれば、息子は父でも母でも案外あっさり“精神的に”棄てられるものらしい。

 まあ、それが真実かどうかはさておき、鎮雄と巌の父子に関しては、クリスチャンという信仰も大きく影を落としている。鎮雄は敬虔なクリスチャンで、巌は信仰に生理的な拒絶感があったか、あるいは父親ほどの信仰心を持てないことで劣等感を植え付けられたか、、、あるいは、鎮雄の信心と言動の矛盾(加津子に抱く欲望)を目の当たりにして信仰の欺瞞に耐えられなかったか、、、まあ、そのどれもあるのかも知れないが、信仰のない父子関係よりかなり屈折しているのは間違いない。

 巌が東大の教授を騙ったり、弁護士を騙ったりするところを見ると、相当のコンプレックスも感じられる。そういう肩書きを身に纏うことで、かりそめに承認欲求を満たし、自己愛を慰めていたのだろうか。巌には、何人殺しを重ねても、決して自暴自棄な感じは見受けられないのも、何とも薄ら寒いものを感じる。実際、死刑になることを「不公平だ」と巌は言っており、生への執着もかなり強いのだ。

 緒形拳の演技が凄すぎて、見ているときは納得させられた気になるが、後から考えると、色々と分からないことだらけである。


◆その他もろもろ

 緒形拳が凄いことについては、繰り返しになるから書かないが、やっぱり凄い。

 鎮雄を演じた三國連太郎が、正直言って、気持ちワルイと感じた。それくらい三國も凄かったということなんだけれど、何考えているか分からない感じがして、非常に不気味でキモい爺さんにしか見えなかった。加津子が鎮雄に惹かれる理由が、私にはゼンゼン理解できなかった。いくら夫がああだからって、、、そういう気持ちになるもんだろうか??

 フランキー堺とか、北村和夫、火野正平、河原崎長一郎といった、アクの強い俳優陣も大勢ご出演。

 小川真由美も倍賞美津子もアッパレな脱ぎっぷりで、さすがだと感動した。もちろん、脱いだシーンだけでなく、2人ともかなり厳しい環境に置かれている女性なんだが、小川真由美演ずるハルと、倍賞美津子演ずる加津子は対照的なキャラで、流されるままのハルと強い意志で生きる加津子のキャラの違いが、巌との関係性の違いに繋がっている。

 それにしても、このお2人を始め、若尾文子、岡田茉莉子、加藤治子、加賀まりこ、梶芽衣子、大原麗子、松坂慶子、、、挙げればキリがないけど、昭和の女優さんたちには、ホントに素晴らしく魅力的な人が多かったなぁ、、、。最近の女優さんとは、もう顔つきも雰囲気もゼンゼン違うもんねぇ。最近の女優さん(の多く)は、女優というよりタレントだもんね。顔はキレイだけど、どうも似たような顔つきのような。小川真由美と倍賞美津子なんて、ルックスも雰囲気もまるで違って、似ても似つかぬけれど。

 でも、私が一番印象に残ったのは、何といっても、清川虹子とミヤコ蝶々のお2人。清川虹子は前述のとおり、殺人の前科持ちで、娘を旅館のオーナーの妾にして、その娘に寄生して生きているという、凄まじいオバサンを、凄まじい演技で見せてくれる。いやぁ、、、もう、圧倒されます。緒形拳も真っ青な存在感。ミヤコ蝶々は、嫁に気もそぞろな夫に対し、密かに嫉妬心を燃やすという複雑な役どころ。一方では、息子の巌を溺愛していて、女としても母親としても満たされない老女を実に巧みに演じておられました。出番は少ないのに、存在感たっぷり。

 その後、何度かドラマ化されたのも見たが、やっぱり迫力不足なのは否めないが、この俳優陣を見れば、そりゃしょうがないよね、と思った次第。

 

 

 

 

 

 小川真由美と清川虹子の浜松弁がイイ。「~だに」って自然に言ってるのが味わい深い

 

 

 

 ★★ランキング参加中★★


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ... | トップ | 愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ... »

コメントを投稿

【ふ】」カテゴリの最新記事