作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv64633/
以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。
=====ここから。
再開発が進む東京の下町のなか、ポツンと残された古い住宅街に暮らす一家。
日雇い労働者の父・治(リリー・フランキー)と息子の祥太(城桧吏)は、生活のために“親子”ならではの連係プレーで万引きに励んでいた。その帰り、団地の廊下で凍えている幼い女の子を見つける。思わず家に連れて帰ってきた治に、妻・信代(安藤サクラ)は腹を立てるが、ゆり(佐々木みゆ)の体が傷だらけなことから境遇を察し、面倒を見ることにする。
祖母・初枝(樹木希林)の年金を頼りに暮らす一家は、JK見学店でバイトをしている信代の妹・亜紀(松岡茉優)、新しい家族のゆりも加わり、貧しいながらも幸せに暮らしていたが……。
=====ここまで。
何かと物議を醸したパルムドール受賞作。
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少し前に地上波でもオンエアしていたらしいのだけど、Blu-rayをTSUTAYAで借りて見ました。是枝作品は苦手と言いつつ、ちょこちょこ見ているのは、職場に是枝ファンの男子がいて、この作品も「まあ、すねこすりさんは好きじゃないと思いますヨ、絶対」などと言われたから。絶対と言われたら、あまのじゃくだから見たくなる。……あ、これが彼の狙いだったのかもね。
もう、あちこちで内容については語られているので、感じたことをつらつら書きます。
◆家が汚すぎて絶句、、、。
柴田家の住んでいる家が、とにかく汚い。特に風呂。もう、吐き気がする。私はきれい好きではないけど、あの汚さは受け容れ難い。
まあ、視覚化した方が分かりやすいから、ってこともあるだろうけど、『そして父になる』の斎木家の描き方といい、本作のこれといい、なんだかなぁ……。ああいう暮らしをしていたからって、あそこまで家が汚い必然性ってなくないか? キレイじゃなくても、もう少しまともな人の住む空間を維持しているワケアリな人たちなんていっぱいいると思うけど。ああいう家にすることで、ある意味、記号化しているようで、ちょっと短絡的な感じを受けるんだよね。
方や小綺麗で小金持ちそうな家に住んでいる亜紀の実家の方は、亜紀が家出したくなるような家で、方やビルの谷間の汚い家に住む疑似家族は居心地が良い、、、みたいな対比は、『そして父になる』と同じだよね。なんかワンパターンだよなぁ、、、と。
以前、TVでホームレスの人の“住まい”を取材している番組を見たことがあるが、確かに粗末な“家”だけれど、中は実にきちんと整理整頓されていて、きちんと生活をしていた。どんな背景があってホームレスになったのかは分からないけど、貧しさを記号化しがちな是枝監督の作品づくりは、そこに監督自身の無神経で無自覚な偏見がバッチリ投影されているとしか思えなくて、どうしても作品自体も捻くれ目線で見てしまう。
◆絆、、、嫌いだわ、この言葉。
是枝監督自身、「特に震災以降、世間で家族の絆が連呼されることに居心地の悪さを感じていました。絆って何だろうなと」と語っているが、私は「絆」ってワードが震災後、大嫌いになった。家族が苦しみの根源みたいな人もたくさんいるのに、家族を過剰に礼賛する傾向に反吐が出そうだった。
だから、この疑似家族が、本当の家族よりも居心地の良いコミュニティになっていることは理解できる。他人だからこそとれる適度な距離は必ずある。
先日、吉本問題が勃発した際に、社長が「家族だから」と言い訳していたけれども、そこである社会学者の人が言っていたけど、家族ってのには“甘え”が介入すると。例えば、家族にプロのデザイナーがいると、“タダ”で私的なもののデザインを頼んだりするというのはよくあることだと思うが、それは、プロを相手に、無報酬で仕事をさせて当たり前と思う“甘え”である、ということ。つまり、吉本が契約書も交わさずに、なぁなぁで今まで来たのも、結局は“家族だから”っていう甘えの下に成立していた話だと。……なるほどねぇ、一理あるかもな、と感じた。
また、本当の家族であるからこそ、見過ごせないことってのもある。疑似家族とは言え他人だから、亜紀がJKバイトをしていてもスルーできるけど、本当の娘や姉妹なら、果たして同じ態度でいられるか。
“絆”って、「三省堂国語辞典 広島東洋カープ仕様」によると、「①人をつなぎとめるもの。②〔人と人との、大切な〕つながり。」とある。意味を純粋に見れば、それほど嫌悪感を抱くはずもない言葉なのに、文脈で語られると途端にいや~な感じを受けるのは何故かしらん。
結局、現実を無視した美談にされがちだからだろうね。それをいうなら、良い絆ばかりじゃなく、悪い絆も一杯あるわけで。
柴田家には、果たして絆はあったのだろうか。キャッチコピーは、「盗んだのは、絆でした」だけど、盗んだのかね? むしろ、寄り集まった結果、何となく絆が出来た、、、、結果的に拾ったんじゃない? 奇しくも、終盤、安藤サクラ演ずる信代が言ったセリフ「拾ったんです」でしょ。キャッチコピー、違っている気がする。まぁ、ズレたキャッチコピーなんてごまんとあるが。
◆その他もろもろ
犯罪を肯定していてけしからん、日本の恥を世界にばらまいた、等々、見当違いも甚だしい批判が一杯あって、見る前からウンザリしていたけれども、本作を見て、犯罪を肯定しているとも思わなかったし、日本の恥とも思わなかった。こんなこと、世界中のどこの国でもあることだし、もっと悲惨な現状を描いた外国映画はたくさんある。そういう批判をする人たちってのは、映画とか表現することの意味を分かっていないのだろうね。みんシネにもヒステリックな批判レビューがあって、苦笑してしまった。
カンヌ後に、外圧に焦った政府からのお祝いを監督が固辞したことも、批判の的になっていた。外圧に焦る政府がみっともないのはいわずもがなだが、こういう監督の言動が批判されるなんて、やっぱり日本の文化度はまだまだ低いんだなぁ、、、と暗澹たる気持ちになる。政府というか、公的機関というのは、芸術に対して“金は出すけど口は出さない”が鉄則。
絶賛された安藤サクラの演技は、確かに素晴らしかった。リリー・フランキーはいつもどおり。子役たちの自然な演技もいつもどおり。俳優陣は皆さん、素晴らしかったと思う。
ただ、ちょっとセリフが聞き取れないところが結構たくさんあって、字幕をONにして見直してしまった。もう少し、いくら自然な演技や自然な会話の演出とはいえ、映画なんだからさ、セリフなんだからさ、きちんと見る人に届くように演出してくださいよ。でないと、良いセリフでも死んでしまうよ。
りんちゃんのその後が心配だ、、、。
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