映画 ご(誤)鑑賞日記

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私のちいさなお葬式 (2017年)

2020-01-08 | 【わ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68536/


以下、公式サイトよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 村にひとつしかない学校で教職をまっとうし、定年後は慎ましい年金暮らしを送っている73歳のエレーナ(マリーナ・ネヨーロワ)が、病院で突然の余命宣告を受けた。

 5年に1度しか顔を見せないひとり息子オレク(エヴゲーニー・ミローノフ)を心から愛しているエレーナは、都会で仕事に大忙しの彼に迷惑をかけまいとひとりぼっちでお葬式の準備を開始する。まずは埋葬許可証を得ようとバスで戸籍登録所を訪れるが、中年の女性職員に「死亡診断書がなければ駄目です」と素っ気なく告げられ、元教え子のセルゲイが勤める遺体安置所へ。「息子は忙しすぎて、葬儀だのお通夜だの手配できないわ。私はただ、いいお葬式にしたいだけなの」そう事情を説明してセルゲイにこっそり死亡診断書を交付してもらったエレーナは、戸籍登録所での手続きを済ませたのち、葬儀屋で真っ赤な棺を購入する。

  翌日、ふたりの墓掘り人を引き連れて森の墓地に出向いたエレーナは、そこに眠る夫の隣に自らの埋葬場所を確保する。隣人のリューダに秘密のお葬式計画を知られたのは誤算だったが、すぐさまエレーナの心情を察したリューダは、ふたりの友人とともにお通夜で振る舞う料理の準備まで手伝ってくれた。リューダらが去った後、生前の夫との思い出の曲をかけながら死化粧を施す。

  かくしてすべての段取りを整え終えたエレーナの“完璧なお葬式計画”は想定外の事態へと転がり出すのだった……。

=====ここまで。
 

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 普段なら、多分、劇場まで足を運ぶことはないジャンルの映画だと思うけど、何しろ、舞台がロシアだというので見に行って参りました。


◆鯉のおかげで、、、

 「あなたの心臓、いつ止まってもおかしくありません」と、医者に真面目に言われたら、さすがに、私も自分が死んだときのことを真面目に考えるだろうなぁ。いつかは心臓が止まると分かっているけど、それはリアル感がないから終活などしない。でもリアルになったら、イヤでもせざるを得なくなる。

 エレーナさんは、現実的に行動する。死んだ後、遺された者にとって一番面倒くさいのは、多分、いろいろな“手続関係”だろう。どんなお葬式にするかという“夢”のために動くのではなく、自分の死にまつわる面倒な手続きを、自身の手でやっておこう、、、というわけだ。

 本来、死亡届と引き換えの埋葬許可書まで強引な手段で入手して、棺桶もゲットし、そのでっかい棺桶をバスで運ぶという荒技に出る。何ともシュールな光景。

 死に化粧をしてベッドに横たわっていると、息子が帰ってきて、母親が死んだと思った息子は涙する、、、けど、どっこい母親はまだ生きていて、驚いた息子とちょっとエレーナさんがもみあったはずみで、息子の車のキーが、エレーナの飼っている鯉に飲み込まれてしまうというハプニング勃発。

 この鯉、エレーナに捌かれそうになったり、冷凍されたりした中を生き延びる。自然解凍されて、シンクでぴちぴち跳ねている鯉を見たエレーナは嬉しくなって、その鯉を盥の中で飼い始めたんだが、車のキーが盥の中に入っちゃったのをエサだと思って鯉が飲み込んじゃったんだわね。スマホもスペアキーも車の中で、どうしようもなくなった息子は、ようやく母親と何日間かを過ごすことになる、、、というわけだ。

 鯉の腹からキーを取り出したい息子だけど、母親が可愛がっているから腹を裂くことも出来ず、そのうち、心境の変化が起きて、、、という展開は、正直言ってありきたりではある。

 ただ、その後、息子は、鯉を元いた池に放してやり、自分も池で泳ぐ。そうして、戻ってみるとエレーナは、、、。で、ジ・エンドってのが私は気に入ってしまった。

 結局、エレーナの終活がメインテーマであるように見えて、“親との永遠の別れ”という息子視点のストーリーに集約されたわけで、それ自体もありがちといえばありがちだが、鯉を出したことで、説教臭くなくエレーナの死と息子がどう向き合うか、、、ということにさりげなくフォーカスさせるというのは上手いなぁ、と。

 そして、最終的に、エレーナは息子に看取られて旅立つことが出来た、、、ということになるわけで、一応、ハッピーエンディングなのが良い。


◆“親の死”と向き合う。
 
 エレーナが終活にいそしんだのは、普段疎遠な息子に迷惑を掛けたくない、という思いから。

 本作の感想をネットでいくつか拾い読みしたが、その中で、この遺された者に“迷惑を掛ける”という考え方を批判している方がいた。それじゃあ、あんまり寂しいじゃないかと。……でもさぁ、現実的に、やっぱし遺された者はいろいろ冒頭書いたように手続きは大変には違いないのだよ。それを、実際に“迷惑”と受け止めるかどうかは、死者との生前の関係次第だけど。

 だから、親が、我が子の手をなるべく煩わせたくない、と考えるのは、ある意味自然な感覚で、別にそこを指摘して批判するほどのことでもないだろう、と思う。

 子が、親の死をどう受け止めるか、ということの方が、結局は問題になるのだよね。でも、子にしてみれば、そんなのその場になってみなきゃ分からん、というのが正直なところ。私のように、親と断絶している者としては、ますます想像がつかない。素直に悲しめないだろうなぁ、、、ということは予想できるけど。

 エレーナの場合、かつて息子を恋人と別れさせているというのが心の奥底で負い目になっていることもあるみたい。息子に「今、幸せ?」なんて聞いてしまうあたり、賢い女性であっても、愚かな一人の母親の側面はやっぱり持っていたのだなぁ、、、と。そんなこと親に聞かれたら、息子は「うん」と答えざるを得ないのにねぇ。

 母親の死と向き合う、、、という主題の映画というと、『母の身終い』(2012)を思い出してしまった。本作とは雰囲気も内容も違うが、脳の病気により近い将来、自分が自分でいられなくなることを宣言された母親が尊厳死を選ぶ、というものだが、同じ、“親の死と向き合う”のであれば、子にとっては本作の方がよほど有り難いはず。親の尊厳死に立ち会わされる子の立場なんて、想像しただけでゾッとする。尊厳死は、頭では理解できるけれども、遺された者の身になると、安易に賛成する気にはなれないのも正直な気持ちだ。遺された者の心の負担が大き過ぎる。生涯、その重すぎる十字架を背負わせるのはいかがなものかということだ。

 そういう意味では、エレーヌの最期と、息子の置かれた境遇は、とても幸せなものだと言えるのではないか。悲しんで親を見送ること、、、これが、子にとって理想の親との別れなんだと、帰り道を歩きながら考えたのでありました。

 

 

 

 


「恋のバカンス」のロシア語バージョンがなかなか素敵。

 

 

 

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