映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

めぐりあう日(2015年)

2016-09-08 | 【め】



 理学療法士のエリザ(セリーヌ・サレット)は、実の両親を知らない。自分のルーツを知りたくて、実母が住んでいるらしいフランス北部のダンケルクに一人息子のノエを連れて移り住む。そして、理学療法士として働く傍ら、実母探しをする。

 しかし、実母は“匿名出産”をしており、たとえ実の子が望んでも、母の身元を知ることは出来なかった。正攻法で母を探す道が閉ざされたエリザだが、エリザの下に、ある女性が腰を悪くして通ってくるようになった。その女性は、息子ノエの通う学校で働くアネット(アンヌ・ブノワ)で、ノエに目を掛けていた。

 エリザが素手でアネットの背や腰をマッサージし治療する。そんなスキンシップを伴う治療を重ねることで、2人の間には特別な空気が流れだすのだが、、、。

 自身が幼い頃にフランスに養子に出された経験を持つというウニー・ルコント監督の『冬の小鳥』(2009年)に次ぐ自伝的映画だとか。


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 『冬の小鳥』は未見なんですが、映画友が見て「なかなか良かった」と言っておりました。そちらを先に見てから本作を見た方が良かったのかも知れませんが、私にはあんまりピンと来ない作品でした、これは。


◆子は親を選べない。

 実の両親を知らずに成長する、というのがどういうことなのか、感覚的に分からないのですが、想像すると、ものすごく心もとない、不安な感じが常につきまとっているのではないかな、という気がします。どこかこう、、、自分に自信が持てないというか。養父母が愛情深く育ててくれても、やはり、実の親への思いはまた別物でしょう。だから、エリザが実母を必死で探そうとする気持ちは、分かるつもりです。

 また、アネットが図らずも妊娠したことで匿名出産という手段によりエリザを産んだ、ということについても、子どもを捨てるなんて、、、とは思いません。私はそもそも子を持ちたいと思ったことがないのですが、我が子というのがどれほどの存在なのかも想像することしかできません。きっと、そんな想像を軽々と凌駕する存在なんでしょう。、、、だからって、アネットのしたことが母親としてとんでもない、と単純に批判するのも違うような気がします。

 若いアネットの行動や気持ちも、また、エリザの行動や気持ちも、どちらもまあ、人としては理解の範疇にあるものです。

 監督が「親に捨てられた子どもは誰しも、実の親のことを空想しながら暮らし、大きくなるものです」と語っているけれど、それはそうだろうなぁ、、、と。どこか理想化されるのではないかな、自分を捨てた親なのに、、、ね。それは、自分が愛されなかったことを受け入れられないことの裏返しなのかも知れませんが。

 でも、捨てられなくても、親に虐待されている子も大勢いるわけで、ホント、こういう話の数々を見聞きすると、“子は親を選んで生まれてくる”などと言うのがいかに大人にとって都合の良い理屈かと、腹立たしくなりますわ。

 「親も子を選べない」とは、私の両親の言葉ですが。こんなのが出てきてスンマセンでしたねぇ。だったら作るな・産むな、と言いたいよ、こっちは。


◆何の根拠もなく、ただ“感覚”だけで互いに母娘と分かる“エスパー母娘”

 ハナシの前提は理解できるのに、なぜピンと来なかったか。

 それは、エリザとアネットが互いに実の母娘であることを“何となく感覚で”分かったからです。

 本作は、監督の自伝的作品らしいが、もちろん設定はイロイロ異なるのだけれども、監督も、実母と“何となく感覚で”分かったんですかねぇ。パンフを読みましたけれど、それに関する説明はなくて。『冬の小鳥』に描写があったのかも知れませんが、、、。

 エリザは患者の身体を素手でマッサージ等によって施術するんですが、その肌と肌との感覚が、2人の血のつながりを呼び覚ました、みたいな展開は、私にはちょっとトンデモな話にしか思えませんでした。

 確かに、アネットの住んでいるであろう町に移住してきたわけだし、偶然出会う可能性はゼロではないだろうけれど、何となく分かるものだろうか? と。

 この肝心の実の母娘の、母と娘としての再会の経過が、私にはあまりにも説得力がなさ過ぎで、まったく気持ちが着いて行けませんでした。この人たちは、エスパー母娘!?


◆邦画『愛を乞うひと』を思い出し、、、

 ただまあ、アネットは登場した後から意味深な描写なので、彼女がエリザの実母であろうことは見ているものには初期から想像がつきます。つまり、本作は、母探しのミステリー作品ではない。母と娘がいかにして互いを気付いて行くか、というのがミソなのですね。そのミソが、私にはまったく納得できないものだったので、作品に対しての感想は低調なんですけれど、一つ一つの要素はとても丁寧に作られた良い作品なんだろうと思います。

 私は、あまり“偶然”というものに支配された物語が好きではないのです。何でもロジカルでないと気が済まないわけではありません。ただ、生まれてから一度も会っていない肉親を、“感覚で”探り当てる、というのは、いかにもファンタジー過ぎて、この作品のシリアスな構えにそぐわなすぎるように思いました。

 お話自体は、実の母と娘の絆を取り戻しつつありそうなエンディングで、一応、報われる結果なんですけれど。自分のルーツを手繰りあてたことによって、エリザにしてみれば、これまでの人生が肯定できるものになったのではないかしらん。それまでの足元が揺らぐような心もとなさが、一気にか幾分かかは分からないけれど、解消されたことは間違いないでしょうね。

 ちょっと邦画『愛を乞うひと』を思い出しました。あれは、母親に捨てられたのではなく、虐待された挙句に、娘自ら逃げ出したハナシでしたが。恩讐の果てに再会した実の母と娘のシーンは、あまりに辛く、胸が苦しくなりました。

 でも、本作は、そういうヒリヒリするような感じはありません。虐待という要素がないからだと思うけど、母と娘の、敢えて言っちゃうと“感動的な”再会が描かれています。

 内容が内容だけに好きな映画とは言い難いけれど、より心揺さぶられたのは、やはり『愛を乞うひと』の方ですね。本作は、私にとっては、いろんな意味で中途半端な感じがしました。


◆その他もろもろ

 本作は、エリザのアネット探し物語ですが、エリザとノエの母息子の物語や、エリザと夫の関係、アネットとノエの関係、アネットとその母親の関係、と、いろんな家族同士のつながりが丁寧に描写されています。

 ただ、その語り口は非常に静かで、セリフも少なく、表情で見せる場面が多かったような。そういう意味では、俳優さんたちは皆、素晴らしい演技だったと思います。

 特に、セリーヌ・サレットは、エリザのすごく意志の強く、頭の良さそうな女性そのまんまで、とても美しい。あまり笑うシーンがないのだけれど、とても表情豊かです。プロフィールを見ると、かなりたくさんの作品に出演していらっしゃるけど、私が見たことのある作品はソフィア・コッポラ監督の『マリー・アントワネット』くらいかなぁ。全然記憶にありませんが、、、。





自分を捨てた母親、自分が捨てた娘。私ならどちらも会いたくない、多分。




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