映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

セッション(2014年)

2016-06-27 | 【せ】



 一流と言われる音楽院の学生ニーマン(マイルズ・テラー)は、ある日、練習しているところを、校内で有名な教師フレッチャー(J・K・シモンズ)に目撃される。フレッチャーの要求に応えてドラムを叩くが、フレッチャーは気がついたら部屋からいなくなっていた。

 そのフレッチャーに、自分のバンドに招かれたニーマンは得意気になってバンド練習に参加するが、そこは、信じられない理不尽なハラスメントが横行する異様な空間だった。

 こうして、フレッチャーとニーマンの仁義なき闘いの幕は切って落とされた。果たしてその行方は、、、?
 
 

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 面白いという世間の評で、ちょっと見てみることに。ほとんど内容については予備知識なく見たのですが、あんまし楽しめませんでした。


◆フレッチャーは、単なる欲求不満の八つ当たり爺ィ

 これを言っちゃうと身も蓋もないんですが、私、こういう“罵倒する指導”って、もう大っ嫌いなんです。こういう指導法を良しとする人間を心の底から軽蔑してしまう。厳しい指導と、怖い指導、って別物だと思うわけです。厳しくて緊張するのは良い緊張だと思うけれど、怖くて緊張するのは単なる委縮であって良い緊張とは到底言い難い。指導する対象を委縮させて、本気でその才能を伸ばすことが出来ると信じている時点で、頭悪いんじゃないかと思ってしまう。

 もちろん、楽しく和気藹々が良いだなどと言っているのではありません。厳しさとは、相手を恐怖で支配することではない、と言いたいだけです。多くの天才バイオリニストを育てたアナ・チュマチェンコの指導理念などを読むと、真に有能な指導者は、罵倒は指導ではないと常識として弁えていると思います。

 まあ、恐怖による支配は、ある程度までは上手くいくと思います。でも絶対、限界がある。秀才は育っても、天才は育たない。天才は、余白のあるところから生まれるものであって、ギリギリ追い詰めてボーダーラインでやっと出てくるものじゃないと思う。これはあくまで私の一意見ですが。

 罵倒する指導を実践する指導者は、指導対象を一人の人間として接しているのではなく、何か動物訓練をしているのと同じ感覚なのではないかと疑ってしまう。普通の言葉で判らないんだから、人格を根こそぎ否定する罵倒もOK、暴力もOK、ってどういう思考回路なわけ? むしろ動物にこんな訓練したら絶対上手くいかないのは半ば常識になっていますが、人間ならOKと思うのはなぜ? 天才ならなおOKと思うのはなぜ? 天才ならどれだけ貶めても這い上がってくる、なんて噴飯モノな理屈です。天才は、プライドが高いから、むしろこんな指導したらポッキリ行っちゃう可能性もかなり高いと思う。こういうのは、指導ではなく、指導者自身の欲求不満からくる単なる八つ当たり、じゃない?

 そういう前提で見ると、本作のフレッチャー先生は、生徒を育てようなんてハナから考えていないとしか思えない。つまり、才能を潰すことが目的なわけ。潰すにはこれ以上ない方法だもんね。なぜ潰したいか。そりゃもちろん、嫉妬ですよ、嫉妬。才能に対する嫉妬というより、可能性や前途ある若さへの嫉妬じゃないかな、フレッチャー先生の場合。あんな指導をする教師に、生徒に真に天賦の才があるかどうかを見極める審美眼があるとは到底思えないもの。

 公式サイトのストーリー紹介にある「天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める狂気のレッスンだった」ってのは、私には大ウソにしか思えません。まあ、事前にサイトを見ていませんでしたから怒りも感じませんが。完璧を求める人が、終盤、あんなことしませんて。


◆甘ちゃんニーマン

 主人公のニーマンは、まあ、普通の青年ですよねぇ。いけ好かないヤツというネットでの評を見ましたが、ああいう傲慢さも、若さゆえのものである意味仕方がないと思うし。

 必死で練習をする姿は、なかなかグッとくるものがありましたが、、、ドラムってそういうものなのかもしれないけど、私、汗撒き散らしながら演奏する人って、ちょっと生理的にダメなんです、、、すみません。ベルリンフィルを振ったとかってはしゃいでた日本人指揮者のS氏とか、もう見てられません。あれ、弦楽器の前方の奏者に相当飛び散ってると思うんですよねぇ。楽器や楽譜にオッサンの汗飛沫、、、うげげ~っ。私だったら気持ち悪くて逃げ出すかも、、、。プロの奏者はそういうところも耐性があるのかしら。、、、とにかく、汗やら血やら飛び散りまくって、それは演出だと分かっていてもイヤだわ~。

 ニーマンは、なんだかんだ言っても、ちょっとアマちゃんですよねぇ。序盤でも終盤でも、フレッチャーに声を掛けられるとそれで“いい気”になっちゃう。序盤のはまだしも、終盤のは脇が甘いなぁと。私なら、あんな目に遭わされたヤツの誘いになんか二度と絶対乗らないけど。……とはいえ、本番の舞台で大恥かかされるとは予想できなくても仕方ない。というか、そんなこと音楽を生業とする者は、普通思いつかないもの。だからフレッチャーはやっぱり音楽家としても邪道、指導者としてはもっと邪道、だと思ってしまう。

 ただ、ちゃんとやり返すあたりは、ニーマン君、なかなかやるじゃん! と思って見ていました。あれはドラムだからできた芸当かも知れません。少なくとも、ベースだったら無理だよねぇ。

 でもって、最後は、フレッチャーとニーマンの和解? みたいな描写に見えなくもないけど、そんなはずないよなぁ。個人的には、ニーマンには我が道を突き詰めて欲しい気もするけど。世間の注目を浴びたいという名声欲が強すぎるのは難アリかも。上昇志向が強すぎる人間って、大抵、どっかで足下すくわれるんですよねぇ。いずれにしても、彼らのその後にあんまり興味が湧かないです、正直なところ。


◆その他モロモロ

 それにしても、こういう教師が一流と言われる学校にいること自体が不思議です。まあ、途中でクビになりますけど。当然でしょう。

 そんなわけで、本作を好意的にはどうしても受け止められません。

 世間の評判通り、映画として面白いか、というと、まあ心理戦なので興味はラストまで尽きません。嫌悪感を抱きながらもついつい見てしまう、ってヤツです。

 フレッチャーを演じたJ・K・シモンズが、悪漢、、、じゃなくて圧巻でした。スキンヘッドで、見るからにヤバそうなオッサンって感じ。彼の手の動作が印象的です。演奏を止めるところとか。ちょっと指揮っぷりがイマイチなのが残念でしたが、助演賞もなるほど、の演技でございました。ニーマンを演じたマイルズ・テラーは、ふてぶてしさと弱さを併せ持つキャラを好演していたけれど、J・K・シモンズの悪漢ぶりに、完全に喰われてしまっていたような。あのドラムの演奏は、天才っぽいんですか?


 




汗&血飛沫、飛びまくりにドン引き。




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2 コメント

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イケハゲ! (松たけ子)
2016-06-30 18:34:37
すねこすりさん、こんばんは!
この映画、好きです!確かにフレッチャー先生、指導じゃねーし!単なる精神的虐待?あんな先生ぜったいイヤです!尾木ママに言いつけてやる!褒めて伸ばしてくれる先生がいい!
JKシモンズ氏、ワタシ的には超イケてます!松じゅんとシモンズ氏だったら、断然後者です!この映画の監督の新作(ライアン・ゴスリング主演、ミュージカルだとか)にもシモンズ氏、出演してるみたいなので楽しみ♪
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そらシモンズ氏の方がええよ。 (松たけ子さま(すねこすり))
2016-06-30 23:16:29
たけ子さん、こんばんは☆
お好きな作品にケチばっか付けちゃってすみません。
シモンズ氏、鬼気迫るものがあって、素晴らしかったですよねぇ。
あんな潔いハゲなら大歓迎です♪
監督さん、若い方なんですよね。しかも初監督作とか。
次作はプレッシャーかかるでしょうね。
興味津々です。

……カープの連勝が止まり、ホッとしたような、ますます恐怖が増したような、、、。
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