作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv86187/
以下、公式HPからあらすじのコピペです。
=====ここから。
人付き合いが苦手で不器用なフランは、会社と自宅を往復するだけの静かで平凡な日々を送っている。友達も恋人もおらず、唯一の楽しみといえば空想にふけること。それもちょっと変わった幻想的な“死”の空想。
そんな彼女の生活は、フレンドリーな新しい同僚ロバートとのささやかな交流をきっかけに、ゆっくりときらめき始める。順調にデートを重ねる二人だが、フランの心の足かせは外れないままで——。
=====ここまで。
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何となくネット情報で気になって見に行き、見た後、また気になって、結局2度見ました。
◆フランに親近感。
上記あらすじにはないが、本作の舞台は、オレゴン州アストリア。どんなところ?と思ってGoogleマップで見てみたら、本作で出て来る風景そのまんまの景色が出て来た(……当たり前か)。ちょっと寂れた港町、、、。どこか寒々とした光景だけど、こういう感じ、好き。
フランが勤める会社は海沿いの小さな港に面した所。停泊する船のクレーンが荷を吊り上げるのを見て、自分の首が吊られることを想像してしまうフラン。時折、彼女の空想が画になって現れるのが面白い(という表現が適切なのか分からないけど)。
決して悲愴感のある死の光景ではなく、いつかは必ず自身に訪れる死を自然に受け入れている感じの、まさに“自然の中に自然死して横たわる自分の図”が美しささえ感じる。死んでいる自分を想像するからと言って、彼女に自殺願望があるというわけでは全くない。
想像の中の美しい死の光景と、彼女の淡々とした日々とのコントラストが、逆に、彼女の生に対するポジティブさを感じるのが不思議。
こういう、毎日のルーティンみたいな描写が静かに続く映画、割と好きなんだよな。毎日、ほぼ同じだけど、同じじゃないの。でも、コツコツと1つずつこなしていく静かな動作が続くの。こういうのが“生きる”ってことじゃない?って思う。ドラマチックなことを描くからドラマになるのだろうけど、そうじゃないことの積み重ねが生活であり、今日という1日であり、人生であり、、、。
フランが仕事を終えて帰宅し、静かにワインを飲み、レンジで肉(?)をチンして、それに大好物のカッテージチーズを載せて、立ったままナイフとフォークで切り分けながら食べて、その後、リビングのソファでナンプレを黙々と解いて、22時過ぎにベッドに入る、、、っていう何でもない描写がすごくイイ。
オフィスもこじんまりしていて、各デスクがパーテーションで仕切られていて羨ましい。ウチの職場も仕切りが欲しい、、、。まあ、山積みになった紙類やら書籍やら地層になった得体の知れない何やらで仕切られているといえば仕切られてはいるが、、、。私が欲しい仕切りはそういうんじゃないのだよな。フランのデスクみたいなパーテーションが欲しいのよ。目障りなヤツとか視界に入って来ないだけで、断然、集中度が違うってば。
何の話だ。
そう、フランを見ていると、ちょっと自分に通じるところがあって他人事じゃない感がある。
私は、自分の死を妄想はしないが、いつ死んでもいいなー、といつも思いながら生きている。けど、死のうとは思わないし、死ぬまでガッツリ生きるゼ、とも思っている。そして、人付き合いが得意じゃない。割と一人が好きだし苦にならない。かといって、誰かと会っておしゃべりが嫌いなわけじゃない。友人に誘われれば嬉しいし、自分が誘うこともある。けど、積極的に人の輪を広げることもしないし、去る者も基本追わない。
フランは「私はつまらない人間」と言うけど、本当に心底そう思っていたら、パーティに誘われても行かないだろうし、ロバートに誘われても応じないだろう。ロバートに恋愛経験ゼロだと話すけれど、それ自体はあまりコンプレックスに感じていないように見えた。本当にコンプレックスだったら、正直に「誰とも付き合ったことない」などと言えないんじゃない?
彼女はとにかく、今の自分が“何となく違うな”と思っているのではないか。「私はつまらない人間」って自分に言い聞かせることで、何となく違う自分に納得したいだけだと思う。ロバートが現れて、“何となく違うな”から脱却できそうな感じがしたんじゃないのかなぁ。
ロバートと備品云々の話で社内チャットのやりとりをして、フランの心の蓋が開いたのだろうな。そういう瞬間って、突然やってくるもんね。
◆フランの妄想は、、、
とはいえ、不器用フランのことだから、そううまくコトは運ばす、ロバートに酷いことを言ってしまい、大後悔して家で一人大泣きする。酷いことを言ってしまったのは、ロバートに予想外に距離を詰められたからなんだが、そういうところが、フランのフランたる所以。
泣き疲れて、気が重そうに会社に向かうフランは、ふと思いついて職場に差し入れを買って行こうとドーナツ店に寄る。と、そこに、少し前に定年退職したキャロルがいる。キャロルは、退職したら夫とクルージングに行くのを楽しみにしていたのだ。
「クルージングは?」と問うフランに、キャロルが「夫は脳梗塞で意識不明だ」と話す。こんなことになるなんて、、、とキャロルが話すのを聴いているフランの表情が、、、泣いてはいないのだが目は潤んでいて、私も涙は出ないのだが同じように目が潤んできた。
フランはドーナツを持って出社し、ロバートに素直に謝るのだが、そのシーンがとても素敵で、私はここで涙腺決壊してしまった。ああ、、、フランは本当に感受性の豊かな、それ故、ちょっと不器用だけれど、なんと愛すべき人だろう、、、と。
フランのことをコミュ障の一言で片づける人もいるだろうが、彼女に“何となく違うな”をようやく修正できる機が訪れたのであって、別にコミュ障だったわけじゃない、と私は思った。
彼女の職場の同僚たちは、基本、イヤな人が居らず、職場環境はとても良いのが、見ていて心地よかった。ホント、同僚も上司も部下も選べないもんね。
フランは、何となく違うを少しずつ克服していく過程で、死を想像することも減っていくかもしれない。彼女が想像していた“死んでいる自分の姿”は、何となく違う自分だったのではないか、、、と、2回目を見終わった後、つらつら考えたのでありました。
監督のレイチェル・ランバートというお方、出身がケンタッキー州ルイビルと聞いて、一気に親近感。ルイビル近くの町にその昔ホームステイしていたので、、、。この監督の長編が日本で公開されたのは、本作が初とのこと。なかなか良い映画を撮るではないの。覚えておかなきゃ、、、。
エンディングで流れる音楽が聴いたことあるなー、と思ったら、アニメ「白雪姫」の“With a Smile and a Song.”だそう。歌詞がキャロルの話を聴いた後だと沁みる。この音楽が白雪姫だと知ると、オープニングにりんごがいっぱい出てくるのも、何か意味があるのかも。分からないけど。
ロバートがイケメンじゃないのが良い。