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遠州高天神記 巻の弐 9 武田勝頼、高天神城攻めの事(三)

(高天神城井戸曲輪の井戸)

「遠州高天神記」の解読を続ける。

それより甲州方手痛く攻る事もなくして、少しの間は、毎日鉄砲にて遠攻して日を送るばかりなり。この時の合戦に、手分けして城兵を押え置き、大手池の段の堤を切り崩し、池の水を干す。

然れども城中には、能き掘り抜きの井戸、山上に有る。西の丸と御前曲輪の間、裏門口の上に有り、井戸曲輪と云々。殊にまた裏門口と云うは、北沢なり。西の丸と塔の尾と云う曲輪、の方ヘ長さ五十間余指し出し、屏風を立てたる如く、峙(そばだち)たる。尾崎上は狭く、四五間有る。この尾先と東は御前曲輪の下、両方の間に裏門有り。この間の沢より何程も水を城中へ上げる事自由なり。敵より障る事成らざる所、その上、敵より見ゆる事なし。
※ 乾(いぬい)- 北西の方角。

ある時、城より大手池の段にて馬十疋引き出し、湯洗いしたるを見て、敵より水は有まじ。白米を以って馬を湯洗いを見すると風聞す。武田向うの山上の陣所より、遥かにこれを見て、水詰りには成るまじく、この城を攻め破るべき方便、色々工夫して見分け在ると云々。
※ 白米を以って馬を湯洗い - 包囲した敵軍をあざむくために、水ではなく白米をもって馬を洗い、遠目に水の豊かさを見せかけた故事を踏まえている。

勝頼、使い番を以って触れ給いけるは、家康、信長を引き出し、両旗にて後巻きせんとする故に、この城の後詰めに早速出る事成らずと覚えたり。若し後詰めに出るならば、吾一身、覚悟を以って両旗を相手に合戦致さん事、望む所なり。併(ならぶ)を後なき内に、一日も早く、急に雅攻にして責め破るべき旨、陣所々々へ触れ渡す。
※ 雅攻(がこう)- 正攻。正面からの攻撃。

穴山梅雪は城の乾方、林ヶ谷の向うの山へ取り上り、駿河先方衆は西の丸の西、犬戻り猿戻りと云う所より仕り、先を付ける。さて南の大手は内藤修理、山形三郎兵衛なり。搦め手は信州先方衆、東は鳥も翔(かけ)り難き嶮岨なり。攻める方便はなし。ただ取り巻きける計い。
※ 穴山梅雪 - 穴山信君(のぶただ)。戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣で、御一門衆のひとり。信玄の姉を母とし、信玄の娘を妻とする。

さて一度に貝、鐘、太皷を打ち立て、を打ち、喊を咄と上げ、攻め立てる時は、高天神の山、動きわたって、たちまち天地崩るゝかと覚えて夥し。城中には事ともせず、持口々々を堅め、尾崎々々より降り下り、横矢に弓、鉄砲を打ち立て、射立て、払いければ、敵には手負い、死人多く有れども、城兵には手負いもなし。大手池の段へ敵、折々攻め寄せけれども、大手は嶮岨の池なり。深入れば釣屏を切り、材木、石を落しかけれども、事ともせず、西の丸の尾崎と三の丸の尾崎より、挟み打ちに、横矢に鉄砲を強く打ちければ、敵も攻めあぐむと見えたり。
※ 羅(ら)- 中国、朝鮮の体鳴楽器。盤が薄くて響きの長いもの。
※ 喊を咄と上げ(かんをどっとあげ)- 大勢で大声をどっと上げる。
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