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「竹下村誌稿」を読む 37 用水 1

(竹下の秋葉社/旧金谷町の秋葉社・秋葉灯籠1)

これからしばらく、旧金谷町に残る秋葉社・秋葉灯籠の写真を集めてみようと思う。その第一に、まず竹下の秋葉社である。この1月14日に撮影したもの。

今夜は関東が大雪で、東京も車の立ち往生が多発して、大変なことになっているようだ。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。「大井川」の項は昨日で終り、今日からは「用水」の項に入る。

      第四節 用  水

本村は山河丘陵なく、平夷なる田園、これを充たせるを以って、水利に乏しく、村の西南端に大代川あるも、流水常に涸渇して、利用するを得ず。これに加えて、土地概ね砂礫を含有し、いわゆる掛け流し水なれば、灌漑用として多量の水量を要するを以って、これが供給を大井川に需(もと)めざるべからず。
※ 平夷(へいい)- 平らであること。複雑でないこと。

故に、本村創草の当時より、すでに付近の村落、横岡、横岡新田、志戸呂、番生寺と倶(とも)に、五ヶ村の組合を約し、横岡村地先に於いて、大井川の堤防に圦樋を設け、その川流を堰上げ、これを引きて用水となす。上井用水組合これなり。この圦樋の下に大小数十条の水路を設けて灌漑に便す。また隣村、牛尾、島及び金谷町、金谷河原の四ヶ町村組合も、大井川より用水を引く。これを下井用水組合と称す。
※ 創草(そうそう)- 草創とも。新しく物事を始めること。また、物事の始まり。
※ 圦樋(いりひ)- 水を引き入れたり出したりするために設けた水門の樋(とい)。樋口。
※ 堰上げ(せきあげ)- 堰を造って水位を上げること。


寛永二年(1625)検地奉行三宅帯刀(たてわき)、用水路を定むるに方(あた)り、上井、下井を合併して用水を引かしむ。上井用水路の内、字山井と称する水路は、延宝四年(1676)十二月中、代官所に請い、志戸呂に於いて開鑿(かいさく)せしものなり。当時長谷川藤兵衛代官たりしが、近傍管内に命じて、工事を幇(たす)けしめ、湯日、谷口以北、家山以南の町村に人夫を課し、忽ちその功を奏せしめたりと云う。
※ 検地奉行(けんちぶぎょう)- 江戸時代、勘定奉行支配に属する検地を統轄する役人。

明和七年(1770)に至り、下井用水は上井用水と全く分離して、牛尾地先に水門を設け、用水を引くこととなれり。本村の内、斉藤島と称する旧高三十六石の田地は、この下井用水路より支線を設けて、灌漑に充用すといえども、下井用水費の賦課を受けず。これは、下井用水の内、上井用水の供給を受くる田地ありて、費用の相殺をなす習慣あり。この上井用水組合に属する負担石高一千弐百国、下井用水組合負担石高弐千四百石と称す。

しかして用水の堰入費用年々多額を要し、民力に堪え難き場合あれば、或は領主に向いて補助を求め、或は幕府に対して保護を請(こ)いたる慣例あり。
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